金眼狼戦
タイドの両目が赤熱し、白煙の中でゆっくりと立ち上がる。
「――ああ、めんどくせぇ――殺ッ殺ッ殺ッ」
後半の声は人間のものではなかった。
笛の音と共に、タイドを取り囲む狼たちが一斉に動く。
左から牙が、右から爪が、背後から体当たりが殺到する。
タイドの刃が白煙を裂き、牙を剥く黒狼の鼻面を斬り落とした。
後ろから迫る気配。スリングが唸り、狼の頭部が弾ける。
「ギャァン!」
悲鳴が響く間もなく、紐が次弾を装填し、剛弾が放たれる。 妖精の粉が血脈を駆け巡り、ククリナイフが閃く。
狼が跳躍し、ナイフが投擲された。狼は斬られながらも、我が肉を持って押し包もうとする。それが突然、血飛沫と共に両断されると、
「蛾蛾蛾蛾ッ」
と吠えるリーフが、ククリナイフごと飛び上がった。そのまま「「ブゥーン」」と羽音をたてながらタイドの元に収まる。
「極ッ極ッ極ッ」
血を嚥下するリーフの喜びが伝わる。それに反発するように、金眼狼が咆哮した。
死体から立ち上った黒煙が、渦を巻くように集まり、金眼狼の背を撫でる。
濁った瞳が光った瞬間、金眼狼の背に纏いついていた黒煙が、弾けた。
刃のように四方へと飛び散り、タイドの肩口を抉り、血飛沫が舞う。
「ッ……!」
傷口に張り付いた黒煙が、鉛のように重たい。猛毒が皮膚を犯して、肉を灼いた。すかさずリーフの粉が精孔を巡り、毒を駆逐する。
ポタポタと地面に落ちた黒鉛は、再び煙となって金眼狼の背に渦を描く。
白煙のそこかしこで、息を潜める猛獣の気配がする。
タイドは極度の集中で思考する。狼を殺すと、金眼狼が力をつける――ならば金眼を狙えば良い。
スリングが唸り、金眼狼の右目に――
「ピッ」
またも笛が鳴り、刹那、四頭の黒狼が鏑弾を受け止めた。
そして軽傷の二頭が、血をまき散らしながら、タイドに飛び掛かる。
「殺殺殺殺せぇッ!!」
爆ぜるような咆哮と共に、狼の口角を真一文字に切り裂いた。右側の狼の牙が、タイドの首を狙う。
そこにスリングを振るい、鏑弾を包む弾座で、狼の頭を吹き飛ばした。
『金眼を探せ、動いて撹乱しろ――』
冷静な思考が戦術を組み立てるが、
『ブッ殺殺殺ッすっ』
思考が狂気に押し流されてしまう。焦りの中、気づくと金眼狼は数歩の距離に居た。
思考の空白の中、両者が対峙する。体高はほぼ拮抗していた。
金目と、赤目。毒と狂気。獣と獣。
「オゥウゥーッ」
悲痛な遠吠えが響く。家族の死を喰らう恨みが、文字通り血の涙となって金眼から流れた。
金眼狼がタイドに襲いかかろうと身構えるが、
「ピィッ」
という笛の音に、ビクッと後退る。何かに抗うかのように身を振るわせるが、次の笛の音と共に飛び退った。
投擲しようとして、タイドはかすかな異変を感じ取った。
足元を流れる気配。耳元に触れる声。
「……グル……アァ……」
それは、さっき斃したはずの狼たちの――怨念の呻き声だった。
「リーフ」
応えるより早く、熱が伝わる。リーフが精孔を通じて、最大出力の粉を循環してきた。
そのとき――
「ヒュ……」
金眼狼の口から、黒い煙がひと筋、吐き出された。
それは風に乗って四方に広がり、地面を這い、白煙の帳を黒く染める。
その向こうに、牙の欠けた狼がいた。
タイドは思い出す。最初に斬り裂いた個体――名も無き、ただの獣。
牙の欠けた狼。腹に傷を負った狼。頭を砕いたはずの狼。
すべて、タイドが斃した黒狼達だった。
その毛並みは汚れ、目は血のように赤い。
魂だけが抜け出し、黒鉛の狼となって蘇ったようだ。
「……しゃあねぇな」
タイドの呟きに応えるように、金眼狼が一歩前に出る。
軍隊のように、周囲の〝黒鉛狼〟たちが歩調を合わせた。
「お前らいい加減に死ねッ」
タイドがスリングを構えると、黒鉛狼の群れが一斉に駆け出した。
鏑弾が唸りを上げて黒鉛狼の頭を撃ち抜いた。
砕けた頭は、粘りを持つモヤのように、元の形に戻った。
「弾が効かねぇ……」
それでも、もう一発、鏑弾を準備する。 その時、リーフの粉が供給され、腕を通って、弾丸に魔力を宿す。
今度は当たった黒鉛狼の一体が、悲鳴をあげて霧散した。
「ようやく……効いたな」
その刹那、金眼狼の眼が細められる。地面を踏み締めて、仰け反りながら、遠吠えを放った。
哀切な吠え声に黒い煙が交じり、広範囲に黒鉛狼を生み出す。
殺された仲間の魂を自らの武器とする。悲しき呪いの兵器に、タイドは戦慄した。
だが――
『俺が狙うべきは、こいつじゃない』
タイドは鏑弾を低く構えて、標的を鋭く睨みつけた。




