ゴブリン戦
40歳になったばかりの冒険者、タイドはギルドの掲示板の前で腕を組み、眉間にしわを寄せていた。
「……またゴブリンか」
報酬の良い仕事はすでに誰かに取られていて、残されたのは「汚くて安い」「危なくて安い」「なんかもう安い」の三拍子がそろった、しけた案件ばかり。
「……しょーがねぇ」
渋々一枚を剥がす。それは森で増殖しているゴブリンの駆除依頼だった。
群れると少し厄介な魔物だが、腹は空いているし財布は空っぽだ。
昨夜の飲みすぎた酒と、おぼろげな誰かとの一夜を思い出しつつ、タイドはため息をついた。
「やれやれ……宿代もないし、働くしかねぇなぁ」
依頼札をカウンターに置くと、受付嬢の冷たい視線を受けながら印を受けた。
冷たく光る門番達の槍を避けるように門を出て、街道を歩き続けた。
城塞都市の南門から先は、鬱蒼とした森林地帯が広がっている。
堅牢な城砦都市は、他国からの守りを固めている訳ではない。魔物の生息する地域を魔領と呼ぶが、城砦はその魔領から、辺境都市を守るために作られた、前線基地的な立ち位置にあった。
つまり、魔物はすぐそばに居る。魔除けの効いた街道には出にくいが、一歩森に入ると、そこは魔物の領域だ。
獲物のゴブリンは最近数を増し、動きも活発化している。領主も問題視しているが、大規模な討伐には至っていない。
一匹づつは大して強くないゴブリンも、集団になると途端に厄介な存在になる。
そこで間引きの依頼が出るのだ。
タイドは腰に吊した得物に手を当てる。鎌のような内反りの剣ナタ、ククリナイフと呼ばれるものだ。それと腰に結えてある投石紐だけが彼の武器だ。
幼少期から使い慣れた投石の腕は良いが、逆に言うと、特技はそれしかない。
〝中肉中背の冴えないおっさん冒険者〟タイドは、森の入り口に立ち、背伸びをして肩を鳴らした。
「しゃあねぇ、サクッと終わらせるか……」
溜息とともに、手馴れた動作でククリナイフを抜く。陽の光が鈍く反射する刃に、一瞬だけ彼の表情が映った。
藪を払いながら獣道を進むと、ゴブリン特有の悪臭が漂ってきた。
そこからは、なるべく物音を立てないように進むと、森の奥から笑い声のような、ゴブリンたちの鳴き声が聞こえてくる。
どうやら小さな群れがいるらしい。
音を頼りに進んで、木の陰から覗く。そこには四匹ほどのゴブリンが群れていた。なかでも一匹、腹のあたりを庇うようにしている個体がいる。
『あれは何だ?』
よく見ると、ゴブリンの腕の中には、一抱えほどもある卵のようなものがあった。
ゴブリンたちはそれを大事そうに扱っている。
『……食料か? にしては、すぐに食べないのはゴブリンらしくないな』
貴重品を扱うように、卵を抱えている。不気味さを感じながらも、タイドは投石紐を取り出し、鶏卵大の石礫をはめた。狙いを定め、ニ周回すと、一気に振り放つ。
「ギャッ!」
鈍い音とともにゴブリンのこめかみを打ち抜く。ゴブリンが地面に倒れると、他の個体が騒ぎ始めた。
タイドは二つ目の石をセットすると、振り回してから、一番近くに居るゴブリンの顔面に投擲、肉の潰れる音と共に、二匹目も倒した。
素早く飛び出し、ククリナイフを振るう。三匹目のゴブリンの喉を裂き、そのままの勢いで、もう一匹の脇腹を掠め斬った。
それは卵を抱えたゴブリンで、目を見開いたまま動けないでいる。
「そいつを置いていけ」
タイドが低く告げると、分かったのか? ゴブリンは震えながら卵を抱きしめ、一歩後退った。そして、次の瞬間ーー
「ガァァァ!!」
突如、森の奥から吠え声が響き、タイドの背筋が凍る。
(まずい……!)
本能が危険を告げる。彼はとっさに飛び退いた。
ーーズバッ!!
先ほどまで立っていた場所を、一本の槍が抉る。振り返ると、森の奥から現れたのは、大柄なホブゴブリンだった。
太い顎を鳴らし、筋骨隆々の体躯を持つその魔物は、鼻息あらくタイドに迫る。
タイドは歯を食いしばる。相手がただのゴブリンなら楽だったが、ホブゴブリンともなれば話は別だ。体長はタイドよりも頭ひとつ高く、体重は2倍ほどもある。
タイドはナイフを握り直し、低く構えた。
「しゃあねぇな……やるしかないか」
森の奥には、まだ見ぬ敵がいるかもしれない。だが、それよりも今の問題はーー
ホブゴブリンは、タイドを鋭く見据えていた。
タイドはじりじりと後退しながら、周囲の地形を確認する。木々が密集しており、自由に動ける空間は限られている。投石で牽制しようにも、この狭さでは振りかぶる隙がない。
ホブゴブリンは、そんなタイドの思考を見透かしたように、不敵な笑みを浮かべた。そして、次の瞬間——
「ギャアアァ!!」
叫び声を上げながら、地面を蹴った。
『速ぇ!』
巨体に似合わぬ俊敏さで突進してくる。槍を振りかぶる動作が見えた瞬間、タイドは咄嗟に横へ転がった。
「ドガッ!」
槍が地面を打ち、周囲の土が弾け飛ぶ。
タイドは転がりながら距離をとる。槍相手にククリはリーチが短かすぎる。
うなりをあげる槍を弾くが、その威力でタイドが押し込まれてしまう。
何か打開策をと考えるが、あるのは投石用の石しかない。
「チッ……」
舌打ちしながら距離を取るも、ホブゴブリンはすぐさま槍を振り上げる。
「ゲァッ」
振り下ろされる一撃。タイドは咄嗟に、左手の石を放った。
「ガアッ!?」
一瞬の隙を突き、石はホブゴブリンの左目にぶつかった。
振り下ろされた槍を避け、少し開けた場所に移動しながら、投石紐に石を入れて、構える。
意識してゆっくりと振り回すと、全身のバネを使って投擲!
「オラァ!!」
巨体が揺れる。その瞬間、タイドはククリナイフを握って飛び出した。
「喰らえっ!」
一気に懐へ潜り込み、ホブゴブリンの喉元を斬り裂く。
「ガ……ゴポッ……!」
ホブゴブリンは信じられないという目でタイドを見つめ、膝をついた。そして、どさりと地面に倒れる。
息を切らせながら、タイドは相手の動きが完全に止まったのを確認した。
「はぁ……はぁ……」
戦いは終わった。しかし、まだ息を抜く暇はない。
誰かの視線を感じて振り返る。そこには、先ほどのゴブリン……卵を抱えていた個体がいた。
「……おい、もう大人しくそれを置いてーー」
そう言いかけた時、異様な気配とともに、ゴブリンの背後の茂みが揺れた。
「……!」
次の瞬間、光の矢が一直線に飛び出し——ゴブリンの頭を撃ち抜いた。
「ギィ……」
卵を抱えたまま、ゴブリンはその場に崩れ落ちる。
そして、森の闇から、ひとつの影が現れた。
「お前、人間のくせにやるじゃん」
現れたのは、握り拳大の人型、妖精だった。魔法を使った痕跡が空中に拡散している。
妖精は宙を漂いながら、興味深そうにタイドを見つめている。
「その卵……こっちにくれる?」
妖精の目は鋭い。卵を拾おうとしたタイドは眉をひそめた。
「何だ? これは。ゴブリンが食い物を大事に扱うなんて、聞いたことがない」
「その卵、ただの卵じゃないって気づいてた? さすがにそこまで鈍感じゃないか」
「お前は何者だ?」
妖精は微笑み、くるりと回った。
「俺はシエラ。卵を取り返しに来た妖精だよ」
「……取り返す?」
タイドは視線を落とし、腕の中の卵を見る。
『妖精の卵?』
「その卵を渡してくれる?……君の命に関わることになるかもだけど」
どうやら、ここからが本当の厄介ごとになりそうだった。




