第4章
朝の光が差し込む市場の大通りを一望していると、なんとも言えない高揚感がこみ上げる。俺が編み出した数々の“価格操作”が噂となり、すでに商人たちの口から口へ広がっているのが肌でわかる。
最近は「追放された貴族の次男が何やら不思議な取引術を使っている」という話が、露店や街角の噂好きたちの間で盛んらしい。昔の俺なら、そんな注目は避けたかったけど、今は違う。注目されるということは、力を試すチャンスが増えるということだ。
「噂が広がるのは面倒だけど、まあ悪くない」
そう独り言をつぶやきながら、広場の一角で商品を並べる露店を観察する。価格が昨日と比べて微妙に変動している店舗があちこちにあるのが見て取れる。俺の“手”が加わったところもあれば、自然な需給バランスによるものもある。
どちらにせよ、商人たちは「新しい稼ぎ方」を模索し始めているはずだ。
けれど、華やかな空気の裏側には、旧体制の貴族たちが俺を邪魔者と見なしている事実が潜んでいる。兄アレクシスの暗躍があるのも間違いない。彼らは経済を変えようとする俺の動きをどうしても阻止したいのだろう。
そんな予感がわずかに胸をざわつかせつつも、今は攻め時だと感じている。少しずつだが、俺の計略を支持してくれる商人が増え、その流れがさらに新しい秩序を形作り始めている。破滅的なリスクと背中合わせでも、このチャンスを逃すつもりはない。
朝から複数の露店を巡り、俺は密かに“同時操作”を進めている。簡単に言えば、関連商品の価格帯を意図的にリンクさせることだ。たとえば野菜を売る露店と調味料を扱う露店の値段を同時に微調整し、お互いが潤う形になるよう仕掛けてみる。
「へえ、今日は珍しく野菜の値が少し上がってるな。でも調味料は逆に安いのか。じゃあセットで買うか」
そんな客のつぶやきが聞こえてきた瞬間、指先にかすかな熱が走る。この市場の空気が徐々に俺の狙いに沿って動き出している証拠だ。ほんの僅かな違和感も、全体の流れに埋もれてしまう。
連続する成功が、俺の心に「新しい秩序を作れるかもしれない」という期待を抱かせる。以前は自分のために金を稼いでいるだけだと思っていたが、最近は市場全体が変わっていく様子に面白さを感じ始めている。自分が触れた場所が、少しずつ活気を帯びていくのは悪い気がしない。
しかし、その一方で、旧体制の貴族たちが黙って見過ごすはずがないともわかっている。実際、兄アレクシスの影がちらついている気配は日増しに強まっている。
「よお、レオン。また妙な商売の真似事か? 父上に報告したら、いよいよお前を潰すってさ」
そんな嫌な予感が頭をよぎったその日、俺が市場の真ん中でさらに大きな操作を試みようとしたタイミングで、突如として計画外の価格暴落と急騰が同時に発生する。
「あれ? 急に魚の値が暴落してる!」
「うちの肉は逆に跳ね上がってるんだけど、誰が買うんだよこんなの!」
悲鳴にも似た商人たちの叫び声があちこちから飛び交い、客は困惑のあまり足を止める。俺が仕掛ける予定だった“自然な変動”とはまるでかけ離れた、大胆すぎる相場の乱高下だ。
「やられたな。……これは、誰かが意図的に市場を混乱させてる」
自分の操作でこんな激変は起こしていない。むしろ混乱を招くような派手な手口だし、俺に罪を着せたいという意図すら感じる。多分、裏で兄アレクシスか、彼とつるむ貴族連中が仕組んだ妨害工作だろう。
商人と客が混乱する中、俺は自分のスキルを使って速やかに対策を打つ。魚と肉の価格が一気に振れすぎないよう、短い間隔で微調整を繰り返し、市場全体の需給をある程度コントロールする。
「こういうときこそ冷静になれ、俺。」
指先に集中し、脳内で商品の流れをイメージする。一方的に値崩れや値上がりを起こすのではなく、それぞれの店の在庫や客の購買意欲を見極めながら調整するのだ。
焦る心を抑えつつ対応していると、そこへエリザベートとカティアがほぼ同時に姿を見せる。王女としての風格を漂わせるエリザベートは、商人を落ち着かせるようにソフトな声をかけ、カティアは手慣れた様子で店主たちから数値データを集め始める。
「あなた、また厄介ごとに巻き込まれてるのね」
エリザベートが俺の耳元で囁く声には、少しだけ呆れが混じっている。
「うん、まあ。けど、放置したらもっと混乱が広がるからな」
そう答えると、エリザベートは王族の威厳ある口調で周囲に呼びかける。
「皆さん、少しだけ落ち着いてください。今は早計に値札を変えるより、正確な情報を見極めるべきです」
カティアもすかさず的確なアドバイスを飛ばす。
「店ごとに在庫と仕入れ値を確認しなさい! むやみに値上げや値下げをしても利益にならないわ。今はデータを集めて合理的に判断するしかない!」
その連携プレーのおかげで、激しい混乱に陥りかけていた市場が少しずつ落ち着きを取り戻し始める。俺も負けじと意識を集中させ、価格操作の波を細やかにコントロールする。
けれど、その作業の途中で俺は嫌でも自分の能力の“破壊的側面”を再認識する。もし本気で乱高下をあおるように操作すれば、大勢の商人や客が路頭に迷う危険があるわけだ。この力の扱い方を誤れば、俺は英雄どころか破滅の元凶になりかねない。
それでも、一歩ずつ丁寧に調整を重ねていけば、逆に人々を救えるかもしれない。混乱収束のための“新たな価格操作テクニック”を頭の中で組み立てながら、俺は全力でその場を乗り切る。
夕方に近づく頃、魚や肉の値段は中程度に落ち着き、周辺の野菜や調味料も大きな乱高下がないまま売買が進む。客の混乱は残るものの、ひとまず大暴走は止まったらしい。
安堵した表情の商人たちが、俺に声をかけてくる。
「お前さんの力が効いたんだろ? 詳しくはわからんが、急に値動きが安定したぞ」
「ありがとうな、レオン。無茶苦茶になるかと思ってヒヤヒヤしたよ」
こうして正面から感謝されると照れくさい。俺は適当に笑い返し、ぶっきらぼうに首を振る。
「いや、たまたまだ。俺一人じゃここまで収束しなかった。エリザベートやカティアも手伝ってくれたし、商人のみんなが協力してくれたからだよ」
商人たちは互いに顔を見合わせ、次第に「レオンなら信用できるかも」という雰囲気を漂わせる。実際、この大混乱を抑えられたのは大きいし、何より俺が“皆の得になるように動いた”という結果がわかりやすい。
一方で、旧体制側はこれを苦々しく見ているらしい。あちらこちらから「こんな連続的な変動は法に触れるのでは?」「新しい商売形態を規制すべきだ」などの声が上がっているという噂が耳に入る。
どうやら彼らは法的手段や経済封鎖を本格的に検討し始めているみたいだ。自分たちが独占してきた市場が、俺のやり方でどんどん活性化したら困るのだろう。
「でも、これってある意味チャンスだよな。」
一息ついたところでエリザベートが隣にやって来る。
「あなた、あの混乱を一瞬で抑えてみせたじゃない。民衆の支持を得るには絶好の機会だと思う。いろんな商人があなたを頼り始めてるし、その声をうまく集めれば強い力になるわ」
そう耳打ちされ、思わず自分の心が熱くなるのを感じる。もしかしたら、本当に“貴族だけの権力”を揺るがす改革が可能なのかもしれない。
しかし、同時に胸に浮かぶ不安もある。追放前の館から届いた断片的な知らせ――兄アレクシスがいよいよ本腰を入れて俺を潰しにかかるという噂だ。すでに街のあちこちで手下を動かし、俺を包囲するような算段を進めているらしい。
正面から力でぶつかり合えば、兄には既存の商会や法律、貴族のルールが味方につくだろう。それだけじゃなく、王族や中央銀行の総裁も兄とのパイプがあると聞く。まさに四面楚歌。
「でも、立ち止まっていられないよな。俺のやりたいことは、旧体制の崩壊だけじゃない」
呟いた瞬間、カティアの冷静な声が後ろから飛んでくる。
「なら早速だけど、戦略会議をやりましょう。あなたの力が実際どう機能するのか、より正確なデータに基づいて組み立てる必要があるし、このまま敵が法的手段で来たら対抗策も考えておかなきゃ」
後ろを振り返れば、カティアが厳しい表情でメモを取りながら立っている。リリアの姿も少し離れた場所に見える。あの子は財務管理の天才で、きっと今回の混乱の数値面を徹底的に調べているのだろう。
「助かるよ。俺もさらに学びたい。自分の能力の可能性を探りつつ、最小限のリスクで市場を動かせるようにしたいんだ」
そう答えると、カティアはクールに頷きながら言葉を続ける。
「簡単じゃないわよ。敵が圧力を強めるほど、こちらもより大きな戦略で対抗しなければならない。けど…楽しくなってきたわね」
彼女の瞳はまるで獲物を狙う猛禽類のように鋭い。商売に賭ける情熱を感じさせる表情だ。俺はその静かな熱意に背中を押されるように、再び気持ちを引き締める。
こうして俺たちは市場の片隅で緊急の戦略会議を始める。さっきまで一触即発だった場所とは思えないほど真剣な空気が漂い、何人もの商人も耳を傾けている。カティアは持ち前の統計データを示し、「この辺りの購買力は夕方になると○○%落ちる」「次に狙うなら、こちらの商品のセット販売が有効」など、冷静に弱点と利点を羅列していく。エリザベートは政治的な動きに疎い商人たちに向けて、貴族側の出方を具体的に予想する。俺はそれを聞きながら、自分の操作をどう組み込めるか考える。
「価格は大きく振れすぎると社会不安を煽る。それを逆手にとって、貴族側は法的規制を仕掛けてくるだろう。…なら、俺たちはあくまで市場を安定させる方向を強調して、民衆の支持を得ればいいのか」
口に出してみると、意外と筋が通っている。エリザベートがすぐ賛同する。
「そうね。あなたが混乱を収めた実績を打ち出せば、法的束縛をかけられても大衆が味方についてくれるかもしれないわ」
その言葉に、周囲の商人たちがほっとしたような表情を見せる。俺たちは確実に一丸となり始めている。
夕闇が迫るころには、市場は再び落ち着きを取り戻し、通りの明かりが人々の帰路を照らしている。俺は一度視線を空へ向けて小さく息をつく。ひとまず今日は勝った。旧体制の妨害に対処し、新たな価格操作の一端を示した。商人たちの支持も上々だ。
けれど、これで終わりではない。法的規制や貴族の封鎖策はこれから本格化するだろうし、兄アレクシスがこの混乱を利用して俺を陥れようとすることも間違いない。まだまだ戦いは続く。それを考えると、腹の底から闘志が湧いてくる。
「俺は終わらない。次はもっと大きな挑戦だ。」
そう呟くと、カティアやリリア、そしてエリザベートの顔が浮かぶ。彼女たちは皆、それぞれの立場で俺を支えてくれている。ひとりでは到底乗り越えられない壁も、彼女たちとなら突破できるかもしれない。
先ほどまとめた戦略会議のメモをポケットに収めながら、俺は静かに笑みをこぼす。混乱や危険が大きければ大きいほど、成功したときの喜びは格別だ。そして、何よりも「民衆のために戦う」という新しい理念が、俺の胸を熱くしている。
市場を後にしようと一歩踏み出すと、心が軽い。
ひりつくような対立の予感と、仲間たちと紡ぐ新たな戦略が、胸の奥で同時に鼓動している。
この世界のルールを、俺たちの手で変えてやる――そんな野望を秘めながら、今日の夕暮れに溶け込んでいく。
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