99粒目
狸擬きに、
「この剣が欲しいのです」
と、まん丸お目目をいくらキラキラされても。
欲しい欲しくない、与えられる与えられない以前に。
「お主が所有できるのは、せいぜい短剣であろうの」
狸擬きが構える剣は、狸擬きの背丈より長いのだ。
「フゥン?」
そうでしょうかと首を傾げ狸。
ううぬ、人も獣も、総じて自分のことは解らぬものである。
それでも、それはここのものであるからと、肉球でぎゅうと柄を挟み、剣を離そうとしない狸擬きを説得していると。
「組合から紹介されて来たのだけれど」
こちらでよろしいかと、冒険者でございと言わんばかりの屈強な男2人連れが顔を覗かせた。
雑男は、どうやらその身1つで、なかなかに繁盛しているらしい。
「おっと」
ではお邪魔な我等は退散しようとすれば、狸擬きはそれでも渋々と剣を雑男に返し。
「またいつでも来てくれ」
雑男は人懐っこい、病などこれっぽっちも感じさせない笑顔で、手を振って見送ってくれた。
「の」
「フーン?」
なんですか主様と狸擬き。
「あの雑男に、白い花は、ちと強すぎるかの」
「フーン」
そうですね、と狸擬きが頷くのは宿の水場の、我の隣の踏み台の上。
稽古場からの帰り道。
馬車道を、パカパカと軽快に道を走り抜けて行った小振りな馬車から。
不意に。
その荷台の底が割れたか抜けるかしたか。
濃い橙色のオレンジと思われる果物が、馬車からゴロゴロと道に転がり始めた。
「フンッ!?」
「のの?」
我等も含め、そこいらにいた皆で拾い集めれば、近くの店の者が、取り急ぎの板を荷台の底に被せ、拾ったオレンジを積み治せば。
「拾ってくれたお礼に、少し貰ってください」
収穫し過ぎてしまったので、と。
オレンジを運んでいた馬車の女に、なんとも気前良く、爽やかに甘い芳香を放つオレンジを分けて貰えたのだ。
有り難くそして遠慮なく受け取り。
オレンジを抱え、寂しそうに肩を落としながら仕事場に戻る蛇男と別れ。
宿に戻れば、オレンジの半分は薄切りにし、砂糖と共に瓶に詰め。
残りの半分は皮を剥き、オレンジの果肉を砂糖で鍋で煮詰めながら。
「ほれの」
隣で口を開いて味見の待機している狸擬きに、スプーンで掬って口許へ運んでやれば。
ぱくりとスプーンを咥える狸擬きは、
「フゥン♪」
強い甘味と果肉の酸味、大変に美味ですと尻尾をくるくる。
我の男は、
「馬の様子の確認と、機嫌を取ってくるよ」
とオレンジをテーブルに置くなり、宿を出て行った。
あやつらは走ってさえいればご機嫌なのだから大丈夫だとは思うのだけれど。
「フーン」
「の?」
「フンフン」
あの程度の病で白い花を使う必要はないですもう一口下さい、と口を開く狸擬き。
「ふぬ」
「フーン」
そもそも白い花は、他の作用が強すぎます、とも。
「そうの……」
我の力も混じっているしの。
「フンフン」
やはり美味ですと感想をくれた狸擬きは。
「フーン」
青の国とやらで、いつか弱き狼に飲ませた主様の豆の汁は如何でしょうかと。
そう言えばそんなこともあったの。
「効くかの?」
「フーン」
無論にございます、正直あの男などには勿体ない程に、と満足そうにぺろりと口許を舐める。
「そうの」
鍋を覗き込めば。
「フーン」
主様はお優しいのですね、とじっと見つめられた。
(まぁ……)
「あの雑男は、世話になった蛇男の知り合いであるしの」
「フゥン」
さすれば本音の方は?と狸擬き。
無論。
「恩を売っておくの」
善き行いは、巡り巡って己がためである。
そう。
決して、病の治った雑男といずれ、剣でやりあってみたいなどとの、そんな野蛮で血沸き肉踊る理由などでは、決してない。
戻ってきた男は、馬たちの蹄鉄を取り替えて来たと、
「いい匂いだ」
部屋に漂うオレンジの香りに顔を弛ませた。
「馬の御機嫌取り」
の言葉に納得しつつ、戻ってきた男に、あの男の病を治せるやもしれぬと話せば。
「……君は優しいな」
悩まし気に目を細め、我を抱き上げてくる。
そしてぎゅうと強めに抱かれ。
(の?)
「……嫉妬の?」
「……少しだけ」
(ぬん)
まぁ雑男に与えるものは、ほぼ我そのものであるからの。
男は、我の真意にまでは気づいていない様子。
気付かれてたまるかと言う気持ちもある。
以前は獣に飲ませるものであったから雑に茹でただけだけれど、今回は人に飲ませるものである。
一応、小豆を煎ってから、鍋で茹で、冷ます。
翌朝。
春にしては少し冷たい風の吹く中。
狸擬きにカゴを背負わせ、雑男が住んでいると聞いていた、昨日の建物の更に先へ向かえば。
我等の今滞在している宿と同じくらい築年数が窺える一軒家と、低い柵のある庭先。
そこで男が1人、上半身裸で架空の敵と戦っていた。
鋭く、けれど重さのある蹴り、跳ねて下がり、また立ち向かって行く。
(のの)
見事なものであるけれど、雑男は激しく息を切らし、胸を押さえ苦しそうにしている。
それでも動きを止めず、足を強く地面に踏みつけ、飛ぶように片足を蹴り出せば。
(ほーうほう……)
苦しげな顔で汗が飛び散り、そんな姿に、ほんのりとした愉悦を覚える街の女たちは多いであろう。
雑男は、自分を眺めている我等に気付くと、
「お?」
もう来てくれたのかと駆け寄ってきたけれど。
やはり、呼吸に僅かな雑音が混じっている。
(あれの……)
鍛えた筋力のみで、何とか病気を抑えている状態である。
それは、ただ凄まじい胆力の賜物。
男が、
「ええと、この彼が、あなたに剣術を教わりたいと」
適当な理由付けとして狸擬きに手の平を向け。
「彼が?」
雑男は、君ではなく?と男と狸擬きを見比べるけれど。
「フーン」
狸擬きは背負っていたカゴを男に下ろすように訴えると、おもむろに2本足で立ち。
雑男の真似をして一歩踏み出し、
「フンッ」
くるりと回り片足を振ってみせるも。
「……フンッ!?」
平衡を崩し、そのままコテンと地面に転がっている。
「ええと、報酬はこちらで」
そんな狸擬きを尻目に、カゴに詰めた手作りサンドイッチを見せれば。
「おぉ、これは美味そうだ」
喜んで受け取ってくれた。
雑男は、狸擬きに何を習いたいのかと訊ね。
「フンフン、フンフン」
「うん、うん」
雑男は狸擬きの前に屈み、視線を合わせ、なるほど、そうか、と熱心に頷いてから。
「……ええと?」
通訳を頼む、と苦笑いでこちらを振り返った。
「先程、あなたがしていた動きを習得したいと言っています」
剣術はどうしたのだと首を傾げる我伝の男の訳に。
「回し蹴りか。……そうだな。回り蹴りは、その足の短か、じゃなくて短足具合、いや違う。ええと、その体型的に立ち回りが若干不利になるから、跳脚力を生かそうか」
言葉選びに難儀しておる。
それでも。
「フーン♪」
雑男は普段の仕事からも子供相手は慣れっこであり、知能はとんと子供の狸擬きの扱いも、我や男などより、当然巧い。
身振り手振りの大きな仕草と、手本を見せれば。
「フンフン!」
狸擬きはあっという間に。
助走を付けて4つ足で走り飛び上がると、そのまま後ろ足で宙を蹴るように、
「フンッ!!」
短いあんよを伸ばし、くるりと回り、着地。
「フーンッ♪」
主様、主様、見てくれていましたか!?
と、大興奮狸。
「見ていたの。とても上手の」
男に抱っこされながら拍手すると、
「……曲芸かな」
男の呟き。
「そう言ってやるなの。本人、本狸的にはあれで体術を極めたつもりの」
男に対しては、フフンとしたり顔狸。
「……お、おぉ。極めるのが早いな」
「所詮獣であるからの」
体術としても曲芸としても、箸にも棒にも掛かっていないのだけれど。
それでも。
武器なしの体術とやらも。。
(なかなかに楽しそうであるの)
我は狸擬きほどには飛べもしないけれど。
裸足で駆けて飛べば、熊の頭くらいならば、なんなら蹴りで吹き飛ばせるのではないか。
いや、実際、我の足の力はどれくらいなのか。
力がなくとも、鉛でも踵に、巻き付ければどうであろうか。
重さで跳脚力が落ちるか。
「……」
そういえば。
元の世界では、鉛などではなく、靴の先端にナイフを仕込む小説や漫画を読んだことは何度もある。
我の男も、ブーツの時はナイフを仕込んでいる。
仕込むのではなく、そのまま武器にするとすれば、もう少し手間と技術は必要であろうが、その楽しい仕掛けは、こちらの世界でも実現出来ないだろうか。
それは、随分と浪漫のある話ではないか。
「の」
「ん?」
「お主はあれは出来るのの?」
目の前では、
「フーンッ」
と回し蹴りと言うより、跳ねた先の宙で、くるくると回る狸擬きに、いいぞいいぞと無責任に煽る雑男の姿。
「ん?」
「回し蹴りの」
「いや、道具に頼りきりだな」
男は我を抱っこしたまま、肩を竦める。
確かに、男の体術は見たことはない。
「……」
そして我の男は、狸擬きと違い、そう足も短くなく。
むしろ、長い。
じぃっと至近距離で見つめてやれば。
我の要望に対しては、しかと察しのいい男は。
「……今日はスーツなのだけれど」
身体を張ることへの躊躇もない。
我を降ろして上着を脱ぐと、チョッキ姿で雑男の元へ向かった。
「体幹、動き共にとてもいい。ただ、身体の固さがネックだな」
「ぐ……」
確かに見映えはしたけれど、男の足は高く上がらない。
「今夜から柔軟に付き合うの」
任せるがよいのと力こぶの身振りをして見せれば。
「頼むよ」
と苦笑い。
「フーン」
わたくしめも柔軟をしますと俄然ハリキリ狸は、ふと空を見上げ。
「……フーン」
もうすぐ雨が降ります、とスンスンと雨の匂いを嗅ぎ取っている。
「おやの?」
狸擬きと空を見上げていたせいか、
「雨か?」
男が問い、頷けば。
「この時期は通り雨が多いんだ、すぐ止むから、雨宿りしてってくれ」
雑男の暮らす小さな一軒家は、いつかの、猟師の山小屋を思い出させた。
無駄がなく、必要最低限なものだけが置いてある。
あちらは亡くなった父親の分もあったけれど、こちらは全て1人分。
椅子だけは水場から寝室からかき集め、全て形も色も形状の違う、共通点は全て年季が入ったものがそれでも3脚。
我の椅子は男の膝で問題なし。
我が作ってきたサンドイッチを、雑男は狸擬きと競うように食べ。
食後のお茶を淹れさせて欲しいと申し出れば、快く水場を貸してくれ、持ってきた小豆茶を鍋で温めれば。
こちらは念のため持参していたカップが役に立つ。
雑男には、雑男の使っている無駄に大きなカップにお茶をたんまり注いでやり、残りを我等で分けた。
「……お、香ばしいな。これは何茶だ?」
不思議そうに首を傾げる雑男は、男の、
「彼女のいた国のお茶だそうです」
の答えに、
「うんうん、飲みやすい」
まだ熱いのに、ゴクゴク飲んでいる。
きっと無意識に、身体が求めているのだろう。
後は一晩寝もすれば、身体中に巡るであろう。
貰い物だけれど雑男が出してくれた、ビスコッティなる長細い楕円に切られた焼き菓子に、狸擬きが真っ先に前足を伸ばし。
「フーン」
なかなかに美味、とパリポリといい音を出して食べている。
我も摘まませて貰えば。
「ふぬ」
(甘さは蜂蜜、この風味はアーモンドであるの)
歯応えがよく、とても美味しい。
これは我でも作れるかの齧りつつ。
我は雑男の、またいい具合にくたびれ過ぎたシャツの下の筋肉を眺める。
我の男とも肉の質が違い、あの引き締まりつつも大層大きな猟師の肉体とも違う。
(あれの、雑男は素手も滅法強いタイプの)
病魔のせいで、動けないだけで。
この雑男の病気が治れば、雑男の瞳には、我は、一体どんな風に映るのであろう。
案外、何事なく、風変わりな幼子で終わるかもしれない。
蛇男とのちゃんばらが楽しかったため、この雑男ともいつか遊んでみたい。
雑男の剣を受ける、いや受け流し方を頭の中で想像していると、降り出してきた雨は、にわか雨でなく、徐々に強くなり。
「お、いいぞ、いいぞ」
いつの間にか、床に屈んでいた雑男の広げた手の平に、ポスポスと前足の肉球を当てている狸擬き。
どうやら素手、いや、素足での戦い方に、目覚めたらしい。
「フーンフンフンッ」
打倒主様です、と聞こえた気がするが。
「……の?」
まぁこやつが幾千年と生きれど、我に勝てる日は来ないから、構わない。