98粒目
蛇男の家に招かれた。
「あたたかな家庭」
を具現化した様な、目にも温もりのある室内。
小物や、子供たちの作った描いたものが所狭しと飾られた居間は、長いこと住処などなかった我には、何とも落ち着かず。
狸擬きも、いつもならば室内を隈無く歩き回り、スンスンと鼻を蠢かす癖に、今は我の隣で借りてきた猫になっている。
そんな、窓際の敷物の上に座る我の前に、兄弟がやってくると。
「見て見て」
と言いつつ、少し緊張の含まれた顔で見せられたのは。
「のの、これはとても上手であるの」
「僕のも見て」
と弟。
「なんと。お主も、大変に上手であるの」
兄弟は、我と狸擬きを描いてくれていた。
パチパチと拍手すると、隣でぺたりと敷物に座る狸擬きも、
「フーン」
前足の肉球をポテポテと合わせて、まあまあだ小僧ども、と拍手している。
ふぬ。
「お絵かきなら、こやつが得意であるの」
「フンフン」
黒く小さなクレヨンに似たもので、狸擬きが魚を描けば、
「あ、この間釣ったお魚だ」
「ホントだー!」
なんと、狸擬きは魚の種類まで描き分けている。
敷物の上で輪になり、しばらくの間、お絵描きに勤しんでいたけれど。
「ねぇねぇ」
「の?」
「君は、どこから来たの?」
兄の方に問われ、狸擬きに山を描いて貰えば。
「山?東の方の山?」
隣の国と思われる方角を指差され。
もう少し遠いのであるがと、伝え方を迷っていたら、狸擬きがさらさらとお船を描き。
「あ、船だ」
「おっきい船」
「これに乗ってきたの?」
そうのと頷けば、
「遠いんだね……」
思っているよりも遠くから来たことを理解してくれた模様。
大人たちはテーブルを囲み話しつつも、こちらを眺めて笑っている。
狸擬きの描いた絵をじーっと眺めていた弟の方に、
「ね、ママとパパはいないの……?」
と、おずおずと聞かれた。
兄の方は、
「あ、そういうのは、相手が話してくれるまで聞いちゃダメって、先生が言ってたよ」
と弟に注意してくれはするも。
兄の方も、本音としては気になるらしく、ちらと上目遣いで我を見つめてきた。
「親はいないの」
かぶりを振って見せれば、
「ええっと、お兄さんだけなの?」
兄に問われ。
「そうの」
頷き、
「あぁ、こやつもいるの」
狸擬きを指差せば、
「あ、そうだ、この子は?どこで?山で見付けたの?」
「同じ子、いっぱいいるの?」
あっという間に関心も興味も、狸擬きへ向かい。
「フンフン」
かつては存在したわたくしめの数少ない同胞は、とうの昔に寿命を全うしました。しかし、わたくしめの寿命は尽きることなく、初めはこの終わりなき命を、ただただ疑問に思っていましたが、主様に出会うことで気づいたのです。わたくしめのこの命は、きっと主様に選ばれ、そして尽くすために、わたくしめは森の主として君臨したのだと言うことを。
と。
相変わらず口だけは、それっぽいことを言うことだけは一丁前狸。
しかし。
「えー、なーに?」
「いっぱいフンフン言ってるー」
当然、2人には聞き取れず、兄弟はそれでもおかしそうに笑いながら、狸擬きに抱き付いてしがみついている。
お絵描きの後は、蛇男が腕によりをかけた美味しい食事を振る舞われ、男の少しばかり面白くなさそうな顔で口許を拭われながら、楽しい夜は過ぎて行き。
「……息子たちの躾が行き届いておらず、申し訳ありません」
夕食をご馳走になった後、蛇男が我等を送ってくれながら、夜道。
蛇男に、足を止めて謝罪された。
「の?」
「息子たちが、デリカシーのないことを訊ねてしまい……」
あぁ、親の有無の話か。
あんな問い掛け、一欠片も気にしていない。
我がかぶりを振ったため、我を抱っこする男も、
「小さな子なら、尚更気になる事柄でしょうから」
我の頭を撫でながら大丈夫ですと答えている。
しかし。
男を兄とする誤解は解かなかった。
さすれば、一応親、母親はいることになるの。
男には弟もいる。
どう答えるのが正解だったのか。
『山や森の主たちは、総じて家族なるものは持ち合わせておりません』
と蛇男と別れてから、狸擬きが口を開いた。
「おやの」
男にも聞かせるためだろう。
『強いて言えば、従獣を率いる主等も存在しているため、それを家族と、広義では言えるかも知れませんが』
と。
家族。
ううぬ。
我等は、
「家族ではないの」
「あぁ」
男が頷く。
「俺は君に忠誠を誓った従者だ」
「ぬぬん」
『わたくしめもです』
と狸擬き。
「そうの」
我等は、ただひたすらに我等なだけである。
翌日には、例の執事から、発情シスターと少女と共に、無事に自国にまで戻ったことを、鳥便で知らされた。
「えっ!?明後日に出発ですか!?」
今日もきちりとオールバックに三つ揃いの蛇男が驚くのは、蛇男の仕事場。
「お別れ会」
を苦手とする我等は、蛇男の働く建物へ向かい、カウンターにいた蛇男に挨拶すると、立ち眩みでも起こした様な大袈裟な仕草で驚かれた。
「ええと、いやいや、とりあえず、カフェへ、カフェへ行きましょう」
ここの人間はやはり何はともあれカフェらしい。
「お早い出発ですね、何かありましたか?」
動揺を隠さない蛇男に、対し、男の、いつもこんなものですの返答に。
「いやはや。……子供たちだけでなく、嫁も寂しがります」
勿論私もですが、と肩を落としつつ大きな溜め息。
ふぬ。
きっとこんな風に、名残惜しいと思って貰えるうちが花なのだ。
せめて見送りをさせて下さいと蛇男。
仕事はいいのだろうか。
いや今更か。
「繁盛期を終えたばかりなんで少し余裕があるのですよ」
運ばれてきたティラミスを呑気に食べる我に、蛇男は寂しそうに笑い掛けてくる。
そう。
蛇男はあからさまに動揺しつつも、
「この店も甘味に力を入れているのです」
と、少し歩いた先のまた別のカフェに案内してくれたのだ。
(ここのティラミスはだいぶ固めのビスケットにエスプレッソを浸しておるの)
食感の違いが大変に美味。
「夏の海にご一緒出来ればと思っていたのですが……」
蛇男が珈琲にも手を付けず、ゆらりとかぶりを振るけれど。
ののぅ。
蛇男の中で我等はどれだけここに滞在すると思っていたのだろうか。
そこまで滞在するなら、あの屋敷に帰っている。
しかしティラミスが美味。
「の、おかわりの」
「フーン♪」
男を見上げつつ狸擬きと皿を持ち上げれば。
「……」
男が渋りつつも頼む前に、たまたま通りかかった店の者が気付き、おかわりを持ってきてくれた。
「ぬふん♪」
「フーン♪」
我同様におかわりティラミスを食べてご機嫌な狸擬きが、
「フーン」
主様、とぺろりと鼻を舐める。
「の?」
「フンフン」
先刻店に入ってきたばかりの知らぬ男が、どうやらわたくし共を気にしている様子と。
「……の?」
狸擬きの向ける鼻先の先には。
入り口に近い椅子のあるカウンター席で、蛇男と同じくらいの年の男が、丸い椅子に浅く腰を掛けていたけれど、格好は真逆。
酷くよれたシャツに擦りきれたパンツ、踵がすり減ったブーツ。
格好だけで判断すれば、物乞いと勘違いする勢い。
けれど。
短く切り揃えられた髪と丁寧に剃られたばかりの整えられた髭、くたびれたシャツを持ち上げる、その鍛え上げられたその肉体は、この世界ではまだ見掛けたことのない物乞いではないと解る。
実際、店の人間とも顔見知りらしく、今も楽しげに軽口を叩いている。
服など、着られれば何でもいいと拘りがない人間なのだろうか。
にしても酷いのと眺めていると、チラとこちらを見た男は、我と目が合えば、待っていたかの様に、間髪入れずに白い歯を見せ。
(ぬぬ)
また随分と人懐っこい笑みを見せてきた。
「……ん?」
蛇男と話していた男も、我の視線にどうした?と顔を上げ、
「……?」
蛇男も釣られて振り返ると。
「あぁ、なんだ」
蛇男はちらと気安い表情を浮かべ、あいつは息子たちの剣術の師範で、私の友人ですと手を上げた。
(おや)
意外な所で鉢合わせした。
「よっ。いや仕事中かと思ってたんだが、書類なんかも出してないし、邪魔してもいいかなと思ってさ」
こちらへやってきた雑な格好の男は、見た目どおり中身もざっくばらんらしい。
我の男と挨拶しつつ、席を勧められれば、
「お邪魔します」
とまた我を見て笑う。
(なんの)
「可愛いな」
君も、この彼もと。
狸擬きと同等に褒められても、そんなに嬉しくはない。
蛇男がしてくれた紹介には、
「あぁ、例のお屋敷を買った変わり者さんたちか」
楽しげに頬杖を付き。
「おい」
蛇男があまり聞かぬ低い声を出すけれど。
「いやいや、悪い意味じゃない。あの屋敷は安くなはないし縁起も良くない、けれどそれさえクリアすれば、あれはいい場所だし、いい建物だ」
空いた片手で手を振る。
あの屋敷を見たことがあるらしい。
「好奇心でこいつに付いていったんですよ」
蛇男とは、剣術の習い事の場で知り合ってから、そこそこに長い付き合いの友人だとも。
ふぬ。
「……」
(なんの……)
鍛えてはいるし、その雑な身形を別にすれば、男盛りであろう。
なのに。
どことなく。
(ぬ……?)
そう、そうとは分からないほどに、こやつは呼吸が浅いし、どこか、何か。
狸擬きも、不思議そうに雑な男を見つめている。
「……の」
男のスーツの裾を摘み、
「ん?」
「この男に酒か煙草を嗜んでいるか問うて欲しいの」
訊ねて貰えば。
「いや、どちらも」
その大層身形が雑な雑男は、かぶりを振りつつ、
「何か臭うか?」
古いシャツに鼻を寄せて嗅いでいる。
(ふぬ……?)
この世界は、特に、大人の病気は少ないと聞いた。
皆、穏やかに年を重ね、静かに寿命を終えると。
大人の病気は、
「少ない」
そう。
少ないだけで、あるにはあるのだろう。
この雑男の様に。
「病気の?」
男伝に問えば、
「お、……おぉ、鋭いな」
雑男はギクリと身体を強張らせた。
やはり珍しく病気を患っている者らしい。
魔法は普通に使えるし、身体も鍛えられるけれど、
「すぐに息切れするんだ」
そもそも病気が少ないせいで、医療自体があまり発展していない。
そのため、これといった治療法も見つからないと。
それでも、すぐに息切れするくせに、これだけ引き締まった筋肉を育てる意思の強さは感服に値する。
「いやいや、逆にそれくらいしかできないから」
自嘲気味な苦笑いには無自覚の色気が混じり、雑男の前におかわりの珈琲を置いた店の若い女が、ほんのりと頬を染める。
そんな剣術の師範の仕事は、
「基本は子供たちの稽古だけど、割りと遠くから、大人も習いに来てくれるんだ。壁にぶつかったり冒険者がコツを掴みに来たりもさ」
なかなかに優秀な師範なのか。
服が貧相なのは。
「興味がない」
きっぱり言い切られた。
周りの世話焼き女たちが放って置かなさそうであるのに。
そちらも。
「興味がない」
と、一人身を貫いているらしい。
そちらは、女の方は多分、少なからず自身の病気が理由であろう。
(ふぬん)
我の節穴な瞳から見ても、雑男は、剣術に関しては、覚えも天性の才もありそうな男だ。
しかし。
病気で絶えず自身の身体に意識を向けている、いや向けざるを得ないお陰で、我の「化け物」感には気付かれず。
今もこうして目が合えば、
「はー、お前の弟君より小さいな」
と、小動物でも見るように表情が和らぐ。
そして、
「彼女は小さいけれど、とても聡明なレディだよ」
蛇男の言葉に、
「へぇ?」
興味深げに我の瞳を覗きんでくる。
そんな2人の視線に、
「ふふぬ♪」
そうである、我は聡明かつ麗しいレディなのであると、ツンと澄ましてみせれば。
「フーン」
主様の従獣であるわたくしのことも褒めろ、と狸擬きが蛇男に訴える。
「ええと……?」
「フンフンッ」
褒めろ、と狸擬き。
「……お茶のおかわり、でしょうか?」
しかしその訴えは通じず。
「フーンッ!」
違うけどそうだ!
とカップを持ち上げる、欲望はに忠実狸。
狸擬きが満足そうに甘いカフェオレを飲み干すのを待ち。
我等は我の要望で、雑男の稽古場を見せて貰うために、ぞろぞろと雑男の案内で、曇り空でも賑やかで陽気な街を抜ければ。
郊外に大きな石造りの建物があり、その1階の一室が稽古場だと。
開きっぱなしの木の扉からは、今は花の匂いの混じる生温い風が抜けて行く。
「集会の時や祭りの時にも使われている、街が所有する建物です」
大きな土足の室内。
壁には、大小の剣が飾られ、練習用の木剣もずらりと並んでいた。
そのうちの1本は、
「これは俺たちの師匠の使っていた剣なんですよ」
ほうほう。
どれも欠かさず手入れがなされている。
けれど。
「フーン」
どれも大したことないですと辛口狸。
おやの。
その短足故に、人用の長い剣を持てない僻みであろうか。
我は興味がある。
「持ってみたいの」
男伝にねだれば。
幼子でも、そう無茶なことはしないと判断されたのか、もしくは小さな子供が剣に興味があることに喜んだのか。
雑男は、木刀ではなく剣を引き抜いてくれた。
気前が良い。
そしてさすれば、
「フーンッ」
途端に大興奮で駆け寄るのは狸擬き。
つい先刻の大したことないの呟きはどこへ行った。
雑男の隣で2本足で立ち、従者の我を差し置いて前足を伸ばし、それを寄越せ寄越せとジタバタしている。
「重いぞ?」
「フーン」
それくらいなんのそのだと、剣を持たせて貰った狸擬きは。
前足2本で挟むように柄を挟めば。
「……フゥゥゥン♪」
感無量です、と尻尾を震えさせている。
雑男は、
「おぅ、器用だな」
と剣を構える狸擬きを見て感心している。
蛇男は如才なく控え目に拍手し、男からは少しヒヤヒヤした空気が伝わる。
「フーン」
そんなことは露知らずの狸擬きは、
「フンフン」
主様、わたくしめはこれが欲しいです、と瞳をキラキラさせなから、我を振り返ってきた。