95粒目
鳥を飛ばさせる一方的な詫びを受け入れるのも良くなかろうてと。
こちらからも、
「これをあの娘に渡して欲しいの」
花の国の黄色い花の形をしたブローチを、小さな花模様の布袋に落としたもの。
それを地味な布袋に包み、姉に託す。
決して言えはしないけれど、少女の酷い体調不良の半分は我のせいである。
その詫びと、少し不思議な少女に幸あれと、気持ちを若干込めて。
そして、
「こちらは先を急ぐ」
と伝え、小豆洗いは諦めて出発することにした。
意識して箱の中の気配を探ってみても、謎に大人しい。
狸擬きも、おかしな気配が消えたと。
「?」
まぁよい、さすがに懲りたか眠っているのであろうと、目を覚まさぬ少女とは挨拶をせずに別れ。
分かりやすい道標になる木の植えられた道にまで出ると、
「では、頼むの」
狸擬きに声を掛ける。
「フーン」
行ってきます、と狸擬きは馬車のベンチから飛び降りると、瞬きの間に消えて行く。
狸擬きには、熊村長のいる村まで戻ってもらうことにした。
これからシスター一座が向かう村には熊村長がいる。
大丈夫だとは思うけれど、少女には、熊村長がどう見えるか分からないし、頭蓋骨が熊村長に何かしらの、よからぬ利用価値を見いだすかも知れぬ。
用心のためにも、狸擬きに注意を促してもらうことにした。
「……2人きりは久しぶりだ」
「そうの」
草原に石を置きに行った以来であろうか。
「抱っこの」
「おいで」
馬の方を向いて男の膝に座っても、さすがに馬たちも、もうそわそわすることなく、軽快に走っている。
「よい天気の」
トコトコ、トコトコ。
緩やかな丘を、先へ、先へ。
狸擬きの気配を探れば、とうに村に到着し、狸擬きの姿に少し驚く熊村長に報告もしているけれど。
それも済めば。
「少し森の様子をば」
と、そのまま森の方へモサモサと入っていくのを感じる。
ぬぬ。
「……あやつは当分帰って来なさそうの」
まぁ良いけれど。
男は、
「君を独り占めだ」
ののぅ。
悪い気はせぬけれど、少しばかりむず痒い。
そして、男がそんなことを口にしたせいか、
「の。もう少しで雨が来るの」
風に僅かに水の匂い。
「ん?」
まだ晴れ渡った空に、男は驚くけれど、みるみる雲が覆い。
道を少し外れ、馬の天幕を張り、少し広くなった荷台に2人で籠る。
狸擬きは、森の木のうろの中で雨宿りをしている気配が、微かに伝わって来た。
雨は、明け方まで続きそうで。
「フーン」
今夜は熊村長の家に厄介になりますと、狸擬きからの伝言が風に乗り、伝わってきた。
(おや、我のおにぎりよりもかの)
意外にも思ったけれど、どうやら熊村長が「森の主仲間」として狸擬きと話したい様子。
男にそれを伝えてから、男と食事にする。
狸擬きが拗ねるだろうから、そう豪華にはせず。
大粒の雨が幌を叩き少しうるさい。
男に、
「そうの、大まかでよいの」
手の平の絵を描いて貰い。
「ここと、ここもの」
さすがに、本で見た時の記憶だけを頼りに印を付けているため、
「ちょっとあやふやかの」
何に使うわけではないから良い。
「……これは、何だ?」
男の怪訝な顔。
「人の経穴の」
「けいけつ?」
「ツボであるの、お主も目が疲れた時に眉間をこうするであろうの」
指で眉間を押さえるふりをすれば。
「あぁ」
少し驚く顔。
「全身にあるけれどの」
「おぉ?」
興味深そうに、印を付けた手の平と自分の手の平を見比べる。
魔法の宿る身体、どの程度の違いがあるのは不明だけれども。
中には合致する場所もあるであろう。
「魔法の経穴もあるのかの」
男の手の平を開かせ、きゅむきゅむ押してみると、
「んん、気持ちいいな」
少しこそばゆそうな顔。
少し硬い皮膚。
この手の平で、日々抱き上げられ、頬をつつかれ、口を拭われ、頭を撫でられていると思うと、
「より愛おしく思えるものの」
無意識に、引き寄せて男の手の平に頬を擦り寄せれば。
「……おいで」
抱き上げられて、胸に強めに抱き寄せられた。
久しく再会した時の様に。
(ぬん?)
「それは、俺も同じ気持ちだ」
「ぬふん♪」
相思相愛ではないか。
暗くした荷台で布団に潜れば。
「今日はそんなにくっつかなくてもよいのの?」
狸擬きもいなければ、荷台の余裕もある。
「……意地悪を言わないで欲しい」
「くふふ」
男の胸に、しっかり顔を埋めて眠る。
そう。
その夜は。
久しぶりに夢を見た。
小さな小さな黒い「何か」が我の中に取り込まれる夢。
いつか、湖の主を名乗る何かを、水の石を飲み込んだことを思い出した。
その水の石も、黒い「何か」も、どちらもあまりに矮小過ぎて、特に我の力にも、力の糧になることもなく。
ただ、そこに存在していた事実が、終わるだけ。
「フーン」
狸擬きの鼻を鳴らす声に目が覚めた。
お寝坊さん方、わたくしめは朝食を所望します、と。
「……んぬ?」
「ん……?」
何だかすっかり寝過ごしてしまったらしい。
雨もやみ、陽はすでに高そうだ。
幌を開けば、一夜ぶりの狸擬きの足許には、春野菜の入ったカゴ。
熊村長かららしい。
「おやの」
これは有難い。
おにぎりと野菜と薫製肉のスープとお茶で朝食。
「フンフン♪」
熊村長とは、森の主談義で盛り上がりましたと。
「それはよかったの」
「フーン♪」
主様たちもよろしくとお伝えくださいとも。
「向こうは大丈夫そうの?」
「フーン」
湖の屋敷を始め、山や森、村にも主様の気配が強く残っているため、異形も大人しくしているでしょうと熊村長が話していましたと狸擬き。
ふぬ。
水溜まりの残る道をトコトコ進み、建物が並ぶ手前の畑には。
春先の今、すでに真っ赤な実のなる畑が広がっている。
「のの?」
「トマトだそうだよ」
「早いの?」
「早春のトマトだそうだ」
小ぶりで実は引き締まり、煮込みにはあまり向かないと。
「ほう。詳しいの」
「村で聞いたよ」
そうか、男に買い物を任せ、我は屋敷で料理していることが多かった。
村でもトマトを育てているけれど、収穫は夏になり、大ぶりで甘いトマトで、美味しさもお墨付きだそうだ。
ふぬ。
「屋敷にはいつ戻ろうかの」
やはり熟したトマト目当てに夏だろうか。
帰る時には、熊じじにも土産を用意しておかないと。
やはり、蜂蜜が好物なのだろうか。
ーーー
蛇男の住まうその国は、石材で出来た3、4階建ての建物が多く、街中を馬車で少し歩いただけでも。
「茶屋?が多いの」
珈琲のいい香りが扉から漏れ、店内のカウンターで立ち飲みしている客も多い。
そして春先にしては、
「温いの」
風は柔く心地好い。
色鮮やかな花たちも所狭しと飾られている。
道沿いにあった厩舎と荷置き場に馬と荷台を預け、隣に建つ、旅人御用達の宿の部屋を取ってから。
「ええと」
水の街ほどではない人の数に、2人と1匹、それぞれに安堵しつつ、男がメモを広げ、蛇男の働く建物へ向かう。
赤の国と呼ばれども、向こうと違い、人々は別に赤い服は着ておらず、氷の街と比べると、
(あれの、我等の様な旅人や客人の数が少ないのの)
ここで生活する者たちの匂いと気配が強い。
「の、本屋の」
「後でだ」
足を止める我の手を男が引き、
「フーン」
甘い果実のジュースを売っている屋台に足を止める狸擬きの毛を、我が引っ張り。
街中は、蛇男やあの執事や従者の様に、三つ揃いのスーツやきちりとした格好の人間は、2割程度。
ここは国でもだいぶ外れの田舎街であるし、そう考えればわりと栄えている方なのではないか。
男がメモを頼りに向かった先の建物は、周囲と馴染みつつも、簡易な家が描かれた看板が立っていた。
その手前の、小洒落た扉が開き、そこから人待ち顔で外に出てきたのが蛇男であり。
今日は光沢を押さえた深緑の三つ揃いの姿。
我等に気付けば。
「これはこれは、ようこそ、我が国へ!」
正確には我に向かって、目尻を口の端と繋がるくらいに崩れた顔で、大きく両手を広げて歓迎してくれた。
そして広げたその両手を、躊躇なく我に伸ばしてくるため。
手を繋ぐ男を見上げれば、男は渋々頷く。
ふぬ。
世話になった「貸し」の分であろうか。
提示した額に見合う宝石と熊村長の後ろ楯があれど、流浪の旅人の我等があの屋敷を買えたのは、この蛇男の働きと立場も大きい。
ならば、我も身体で貸しを返さねばならぬ。
「の」
蛇男に両手を伸ばせば。
「お待ちしておりました。んー今日も可愛い、とても可愛いですね」
耳の上でお団子にした、その団子から一部を垂らした髪を掬うと、
「はぁ、愛らしさの権化です」
人目を気にせず髪に頬を擦り寄せ。
目の端で男の笑顔が引きつる。
この蛇男は、
(純粋に幼子を好む性質であろうけれど……)
我の男とも、あの猟師とも違う、少し特殊なものを感じる。
「あれの、こやつはとかくフェチっぽさが強いの」
うちの国の名物の1つです、と一先ず案内されたのは、カフェ。
蛇男の職場からそう遠くない店は、広くはないけれど、丸いテーブルに装飾品が愛らしい店内。
「このカフェはですね、甘いものに特化したカフェです」
蛇男にオススメされたティラミスは。
「ぬぬ、美味の♪」
「フンフン♪」
蛇男の作ったもの程ではないけれど、大変に美味。
そして。
「フェチ?」
「フーン?」
首を傾げるのは男だけでなく、なんですかそれはと狸擬きも。
蛇男に、うちの国のカフェにある飲み物はほとんど珈琲です、と我と狸擬きにはミルク多めでとカフェオレを頼んでくれた後。
「そうの。フェティッシュ、……と言っても伝わらぬの。こう、なんであるかの、偏愛、に近いかの」
男の訳す我の言葉にすら、相好を崩しっぱなしで、ただ我を見て頷く蛇男。
しかし。
「へんあい?」
男に首を傾げられる。
ぬ、偏愛も伝わぬか。
「ぬぬん。お主は我を1つの個体として好いてくれているけれど、こやつは、部位ごとに、こう、パーツごとに我を認識し好いている様に感じるの」
猟師の、我を敬う気持ちを含めた好意ともまた違うそれ。
蛇男は、自覚はありませんが、やはりニコニコしたまま上品に珈琲を啜る。
「では、我がお主の軽い願いなら1つ叶える、と言ったら何を所望する」
と訊ねれば。
「足の指の爪を見たいですね」
躊躇わずに口にするのだから本物である。
それでも男が警戒し引き剥がさないのは、蛇男がしかと紳士、でもあるけれど、やはり「貸し」のせいか。
そんな、中身は若干の変態とも言える変態紳士な蛇男に、街を案内してもらいつつ。
「お主、仕事はよいのの?」
男に渋々了承され、我を抱いて歩く蛇男に訊ねれば。
男が訳さずとも、にゅあんす、で通じるのか、
「今は『お客様に空き家を紹介する』お仕事中ですよ」
細い目を更に細めた。
(なんと)
案外ちゃっかりしているではないか。
「こちらにも、家を持つのも悪くないと思いますよ」
隣を歩く男に、蛇男が、
「ちょうど、あそこの3階が空き家ですよ」
と建物を指差す。
「留守の間はお任せください」
と、冗談なのか本気なのか。
カフェが多い理由は、
「そうですね、例えばそこは珈琲の立呑屋ですが」
ほう、立呑屋とな。
小さな店があるけれど、客が数人、カウンターに立ち後ろ姿を見せ、足の長いテーブルはあれど、椅子はない。
「後は持ち帰りです」
ふぬぬ。
「1つ挟んだこちらは、先刻ご案内したカフェ同様に、甘いものを食べられるカフェでして」
しかしここの店のケーキは、全体的に少し甘味が強めで、ご年配の方が好まれるカフェですので、あまりオススメは出来ませんと声を落とされる。
それぞれ、住み分けもされている様子。
3つ先の少し大きなテラス席もある開放的なカフェは、
「サンドイッチなどの軽食が売りです」
「細分化しておるの」
「利用者も多いので、何かあれば立ち話なら立呑屋へ、打ち合わせやおやつも食事もカフェへ行くので」
ふぬふぬと興味深く頷く我に対し、隣を歩く男は気もそぞろに、そろそろ我を返せと両腕を伸ばしてくる。
名残惜しげに男に我を返す蛇男から離れて気付いた。
「の、お主のそれは何の香りの」
「?」
ワンピースの大きめの襟元を摘まんで、鼻をスンスンする仕草をすれば、
「あぁ。街の、隣街の近くに香水屋がありまして、そこで調合されたオードトワレです」
やはりお洒落さんである。
「仄かでとてもよき香りの」
我を抱っこした時に近くなる首筋や手首ではなく、腰辺りにほんのりとまとわせているのであろう。
「あなたたちが来られる前に、奮発して新調しました」
狸擬きが、蛇男に近付き、フンフン匂いを嗅いでいる。
そして、
「フーン」
質のいい素材たちがさりげなく香ります、と。
狸擬きが嫌がらぬとは。
「よいの」
「香水か」
我の呟きに、途端に男が興味を持ち、ご案内しましょうかと、街を案内されつつ。
「仕事では、隣の2つ並んだ国と、もう1つ奥のまでは行きます。西側は開放的な海で、海水浴も出来ますよ」
海水浴とな。
「東は山が多くて、人が到底住めない険しい深い崖などもある土地もありますが、東には大学もあります」
ふぬぬ。
「海水浴は去年行ってみました。水着が高くて驚きましたが、泳ぐのには最適でした」
水着のために太れませんと、蛇男が笑う程度には値が張るらしい。
「生地が特殊らしくて、奥の国で作られているものです」
なんと、少し気になる国が出来た。
「お主等は今年も海水浴に行くのの?」
「えぇ、今から子供たちにもせがまれていて」
気が早いのと思ったけれど、温暖な土地であるし、海開き的なものも早いのかもしれない。
「お洒落に特化しているのも、奥の国ですね」
ぬぬ?
「あなたに似合う可愛いドレスもたくさんあると思いますよ」
ほーうほう。
しかしより反応するのは我より男で、またあっという間に荷台が埋まりそうな予感、ではなく未来が見える。
街中には水路もあるけれど、水の街の様にお舟はあまり通らない生活水路だと。
とかく珈琲のいい香りのする街中を歩いていると、
「フーン」
空腹です、と狸擬きが訴えてきた。
「ふぬ、そうの」
「ランチにしましょうか」
レストランはカフェとはまた別で、カフェと違い敷地はどこも広め。
オススメされた店のテラス席に案内されたけれど、傘の屋根が日差しを遮り春風が心地好い。
ニョッキなる芋と小麦粉を合わせた平たい一口サイズの練りものが、チーズのソースで和えられたもの、それにトマトソースのスパゲッティ、トマトとチーズのカプレーゼ、菜の花とアスパラに薄く切られた人参の塩茹等に、何やら知らぬソースが掛けられたもの。
どれも美味だけれど。
「フーン♪」
「の?この菜の花の苦味がいい?」
「フーン」
酒に合いそうですと案外大人舌狸。
男に口許を拭われると、
「旅は長いのですか?」
我の皿に追加のニョッキを取り分けてくれながら蛇男に問われた。
「彼女との旅は、まだ数年も過ぎません」
「それはそれは」
細く切れ長な一目をちらと見開き、その瞳は、
(美しいの……)
何とも深き群青色。
男が地図を取り出し見せれば、
「……ははぁ」
男が差し出した煙草を無意識のように引き抜き、火を点けている。
細い指からはやはり細い火が灯る。
地図を熱心に眺める蛇男は、
「おっと申し訳ない」
と煙草を挟んだ指を軽く持ち上げつつ、
「この辺りは?」
バツ印の辺りを指を差す。
「広大な森です。鳥便などはこの森を越えずに、海まで向かい、船に乗ってやってくるそうです」
蛇男は、
「鳥が船に頼る程ですか」
気が遠くなりそうな程、遠くから来ているのですね、とううんと唸っている。
「寄り道しなければ案外早いと思います」
「ははっ、軽く言いますねぇ」
薄い唇から、紫煙と共に苦笑いが漏れる。
昼の食事代は、
「興味深いお話を聞かせてもらったお礼です」
と、蛇男に御馳走してもらえた。
この蛇男のことだから、どうせ何かしらの理由を付けて御馳走してくれたのだろうけれど。
美味しい食事のあと。
腹ごなしにまた歩きつつ、いざ向かったステンドグラスがお洒落な香水屋は。
「のの?」
「あっ」
看板は仕舞われ、ドアもきちりと閉じられ。
代わりに、
「本日お休み」
の札が掛けられていた。