94粒目
「その、やはり親子なのか波長が合うらしくて、母様があの子に、たまに入るんです」
この者たちが住む国の修道院の出身だと言う娘は、物心ついた時から、たまに死んだ者が娘の中に入り言葉を発する様になり。
「人が死んだ時に、故人の言葉を、遺族に伝えることがこの子の仕事なんです」
巫女装束を纏っただけの、見た目だけの巫女な我に対し、あの少女はどうやら本物の様である。
今は従者に抱えられ、馬車の椅子に寝かされている。
あの転がった頭蓋骨は。
狸擬きが、我の前に立ちはだかるなり、
「フーンッ!!」
前足で目一杯頭蓋骨を蹴り飛ばした。
「のっ?」
頭蓋骨はスコーンッと川の方へ飛んで行き、執事が慌てて川へ走った。
「こらの」
奇っ怪な骸骨とはいえ、人様の持ち物を蹴り飛ばすのは、さすがに良くなかろうてと嗜めれば。
「フーン」
あれは良くないものです、と全く譲らない狸。
「……あれでも一応、あの娘は『あれ』を母親と思っておるのだろうの」
「……」
眉間に毛を寄せ狸。
「なんの」
「フゥン」
あの娘も、本物の母親とは思っておりせんと。
「なんと?」
よく解るの。
「フーン」
獣の勘ですと。
この狸擬きであるし、疑いたくはあるけれど、こやつの野生の勘は本物。
あれは、両親のいないあの娘の寂しさにつけ込んだ「何か」でございますと狸擬き。
「ほう?」
無論、あの娘も、謀られていることには気づいている。
それでも、あれを母親としていた方が、色々と都合がいいのだろうと思っているとも。
(ふぬ……?)
無垢な少女に見えて、案外強か(したたか)である。
いい性格をしておる。
我は嫌いではない。
しかし。
狸擬き曰く。
「フンフン」
箱に詰められた娘の母親を名乗るあの頭蓋骨は、突如として目の前に現れた、主様と主様のそのお力に惹かれている節操なしなのですと続けられる。
それは。
「また大した身の程知らずであるの」
「フーン」
わたくしめが蹴飛ばしたことで、少しは懲りたでしょうと狸擬き。
頭蓋骨は、何とかして我との接触を計りたいが、直接は叶わず、まずは娘の体に無理矢理干渉を試みたものの、娘の身体が耐えきれずに昏倒したと。
少女と頭蓋骨がどうやって出会ったのか、頭蓋骨がどう少女に取り入ったのか。
諸々も気になるけれど、
「フーンッ」
あんなものに不用意に近付かないで下さいと警戒体制を緩めない狸擬きがいるため、仕方ない。
少女はそう大した時間はかからず、意識を戻した。
そして。
少女から、
「少しの時間、話し相手になっていただけませんか?」
そんな申し出があった様子。
執事に頼まれ、我は願ってもない反面。
狸擬きは当然、我自身も若干は渋る気持ちもあったのは、あのシスターと思われる姉が、我と言うコブをもぎ取った上で、我の男と話したいのが見え見えだからであり。
そもそも、シスターとは、神に身を捧げた女ではないのか。
それでも。
あのおこがましいにも程がある頭蓋骨と、頭蓋骨と共にいる少女にも興味は尽きず。
了承しないと、特に色惚けシスターに、いつまでも付きまとわれそうでもあるし。
そして人の心理には、我より滅法理解と知識のある狸擬きも、何やら諸々を察したのか、
「フーン」
不服そうに鼻を鳴らすだけ。
目を覚ました娘は、ドアは開いているとは言え、馬車の中には、箱と我と狸擬きだけと言う状況のせいか。
「身体は平気なのか」
とメモ帳に書いて見せれば。
「平気。あなたは、旅には慣れてるの?あたしは初めてだから、ずっとそわそわしてて、ちょっとびっくりしたのかも」
と、はにかみながら、昏倒したことを面目なさそうにしていた。
指を絡めておずおずとしているけれど、案外ハキハキと話す。
そして、
「その子、とても可愛い」
向かいの席に我と共に座る狸擬きを褒められた。
「あなたも、あなたのそのドレスも」
ついでに褒められた。
スンとした我の表情で察したのか、
「ついでじゃないよ」
控えめに笑う少女は。
「絵本に出てくるお姫様のドレスみたい」
そこまで大袈裟なワンピースではないけれど。
少女の今着ているのは、飾り気のない紺色のワンピース。
この世界でもやはり清貧を重んじる修道院暮らしからすれば、細やかなリボンの装飾、スカートのみならず、スカート下のパニエのレースといい、十分にドレスに見えるのだろう。
「その『母親』とはずっと一緒かの」
娘の奥にある箱を指差せば。
「……ええと。……うん、一緒」
目を宙に泳がせるのは、
『他者に話してもいい事柄か』
を思い出している顔。
いちいち逡巡させるのも、更に従者の耳を気にするのも面倒で、訊ねるのは早々と諦めた。
後でほぼ正解であろう狸擬きの推測でも聞けばよい。
それより。
「の。そちらの国では、シスターとは神に支える者の扱いではないのの?」
馬車の外、男と話す明らかに華やぐ姉の声に、話題を移せば。
「姉様くらいの年になると、修道院から出て行く人も少なくないから……」
あぁ。
そうか、水の街でもそうだったけれど、修道院暮らしでも、誰もがシスターの道を進むわけではない。
それでも。
「あれはまだシスターの身であろう」
なぜシスター服をまとい、身をくねらせている。
「今回の、水の街へ行くことが、姉の最後のご奉仕なんです」
なるほど、神からの解放を前に、早くも男の品定め中か。
姉の方もなかなかに強かのと、開いた扉の外に視線を向ければ。
「あ、で、でも姉様は、凄く凄く男の人好きなのに、今まですっごい頑張って我慢して耐えてきたからっ」
の、のぅ。
そうなのか。
こんな少女にも隠せない程に、姉は色欲にまみれている模様。
さすがの狸擬きも、フンス……と半目になっている。
栗毛の母親はシスターでもないからこれっぽっちも隠さなかった様だけれど、まがりなりにも馬車の外にいる女はシスターであるから、大っぴらには表に出せはしない。
「もし、あたしが修道院から独り立ち出来る日が来て、もし行き場がなければ迎えるからねって、すでに修道院の方にも、それを書面で残してくれているくらいないんです」
ほうほう。
血は繋がれど、とかく男好きであれど、妹思いではあるらしい。
しかしなんとも。
(こちらの土地は、性に開放的な女が多いの)
欲望に忠実なのは良いことである。
我の男にちょっかいをかけなければ、の注釈付きではあるけれど。
「あ、あの」
少女が、そわそわと指先を合わせて我と狸擬きを交互に見つめて来た。
「の?」
「この、茶色い動物さん、撫でてもいい?」
あぁ。
そういえば、先刻も興味深げに眺めていたの。
「どうの?」
狸擬きに問えば。
「フーン」
優しくなら、と狸擬き。
狸擬きも、少女には敵意や苦手意識はないらしい。
狸擬きが、ポンッと少女の隣に座り直せば。
「わぁ、ふわふわぁ……♪」
狸擬きの背中を優しく撫でる娘。
(ふぬ……)
元の世界にはあにまるせらぴーなる言葉もあったの。
少女には、
「柔らかい、可愛い、凄くふかふか、毛並みも凄く綺麗、目に落ち着く色」
と、狸擬きが大好評だ。
「フーン♪」
褒められれば、満更でもなさそうな狸擬き。
けれど。
(ふぬ……?)
そこまでか。
もし我ならば。
理想は、もっとこう、真っ白で、包み込んでくれるくらい、我の寝床になるくらいの大きさで、もふもふでやわこいのが良いの。
こんな色合いからして、土に馴染むように地味で、大きさも中途半端、佇まいもずんぐりむっくりな、食い意地ばかり張っている獣など、正直あまり好みではない。
「……」
とは言え。
今、我の隣にいるのはこの狸擬き。
こやつが勝手に付いてきただけであるとは常々口に出しているし、そう思ってもいる。
けれど、同行を拒絶をしなかった時点で、我が選んだことと同義。
更にそれ以降、たまに縁が出来た獣たちも、稀に一緒に来るかと誘っても尚。
どの獣も、虫の1匹すら、我に付いてくることはなかった。
(ぬん……)
そう思えば、男は言うまでもないけれど、この狸擬きも、案外貴重な存在なのかもしれない。
少女の隣に置かれた箱は不自然な程大人しく、狸擬きに蹴飛ばされて懲りているのか。
馬車の外からは、男好きのシスターのはしゃいだ声と、絶えず他人行儀な男の作り笑いが聞こえてくる。
我等の馬車の止めた川辺には、ちらほらと日陰の出来る葉の広がる木が立ち、今は知らぬ白い花が開いていた。
その花弁が、風に乗り、我の頭にまで届いたらしい。
少女はそれに気づくと小さく笑い、こちらに手を伸ばして、
「頭に花弁が落ちても様になるのね」
と、我の頭の花弁を摘まんだ時。
確かに。
少女の隣の箱から、力を感じた。
そう。
頭蓋骨のその何かは、懲りることなどなく。
その一瞬を、少女が、我に触れる瞬間を狙っていた。
(なんと)
今度は多少強引にでも少女を経由し、我に触れることで、愚かにも、我に干渉しようとしたのだろう。
狸擬きの毛が途端にぶわっと膨らみ、こちらに鼻先を向けてきた。
けれど。
そもそも。
少女の中にすらまともに入れない、馴染めない状態で。
そんな強引なことをしようとし。
更に。
他の異形たちには、
「おぞましい」
とすら形容される我に安易に触れかけたのだから。
少女、その「何か」共に、無事で済むはずがなく。
グゥゥ……ッ
と、少女の唇から、いや、少女のか細い喉の奥から、鈍い空気か何かがせり上がる様な音。
(ぬ?)
すでに意識と身体を乗っ取られ、目を見開き硬直したまま伸ばしている少女の腕を、狸擬きと言う名の我の従獣が、飛び上がって我の頭から振り払う前に。
『オゴッ……』
硬直した少女の身体がビクッと震え。
「の?」
「オゲッ……ゲェェ……ッ!!」
「フンッ!?」
今度は昏倒ではなく、我の身体に倒れ込むように嘔吐され、我のワンピースは、胸から膝に掛け、少女の吐瀉物にまみれた。
「フーンッ!!」
あの骸骨を今すぐ粉々にしてしまいましょうとプンスコ狸。
「フンフーンッ!」
我が主に吐瀉物をかけるなんて、不敬にも程がありますと、憤りが収まらない狸。
「まぁ、お主がゲロまみれになるより遥かにましであるからの」
着替えの出来る我と違い、毛も身体の一部の狸擬きは、吐瀉物にまみれれば洗うのも一苦労であるからの。
人生ならぬ妖生、長く生きていれば、たまにはゲロも吐かれることもある。
少女の口から出たとは思えぬ激しい吐瀉音は当然外にも聞こえ、完全に意識を失っている少女は、執事と従者に馬車の外に下ろされ。
我は、血相変える狸擬きと男にも大丈夫だと告げ、馬車から降りて川へ。
一応はレディ故、馬車からは少し離れた場所でワンピースを脱ぎ、川で吐瀉物を落とし。
「ごしごしごし」
「フンフンフン」
浅瀬で狸擬きとワンピースを洗い。
男が荷台から青の国の水色のワンピースを見繕い持ってくると、頭から被せてもらった。
そして男は物干しを設置している。
少女を荷馬車の荷台に寝かせて様子を見ていた姉と執事と従者のうち、執事がやってくると、手伝わせて下さいと、男と共に我のワンピースを乾かしてくれている。
少女は我が支えたため、口回り以外は汚れずに無事ではあったけれど、完全に意識を失っているらしい。
「……災難だったな」
男の、自分がいなかったせいで的な、済まなさそうなニュアンスも含まれていたけれど、今回は全くの不可抗力であるし。
「ただの相性的な話であるの」
そもそも、あの骸骨と我は相性が悪い。
我の従獣である狸擬きがあそこまで嫌うのだから、鈍ちんな我とは言え、それで多少は察するべきだった。
我に僅かに触れるだけで媒体となった娘が拒否反応で嘔吐するくらいには、相性は最悪。
狸擬き曰く、我はあまりに力が強大すぎるため、頭蓋骨に宿る「何か」は、ただ力欲しさに我の力を見事に見誤ったと。
そもそもの少女とも、性格的な意味ではなく、口寄せの力のある神よりの巫女と、きっと真逆に位置する我自身も、相反するものなのだろう。
少女には気の毒なことをした。
それでも。
「くふふ」
荷台に上がり、靴下のガーターを腰に留めながら、思わず笑いが漏れる。
「んん?」
紳士な男は背中を向けているけれど、我の笑い声にちらと振り返る。
あの娘は媒体にされたとは言え、触れただけで絶大な拒否反応を示し、嘔吐のち昏倒。
一方。
「お主には、直接、我の体液を与えていると言うのにの」
男は嘔吐どころか、唾液だけでは済まず、血すらも、恍惚とした表情で飲み干している。
そんな男は、ガーターベルトを留めた我のニマリとして見せた表情に、しかし乗ることはせず。
「……あれは」
「の?」
「……彼女の嘔吐、あれは本当に君のせいなのか?」
固い表情のまま、幌の外に視線を向ける。
「そうの」
あの瞬間。
むしろ我の方が、何かを吸い取るような感覚が、確かにあった。
力の差であろう。
我は無自覚に、骸骨の力を取り込もうとした。
いや、実際、少し取り込んだかもしれない。
男に靴下を履かされていると、
「失礼します」
ワンピースが乾きました、お支度方は整いましたでしょうかと、執事の声がかかった。
重ね重ね大変な失礼をした、お詫びをしたいけれど、旅先で大した詫びも出来ないと、姉も、さすがに男に媚を売ることなく、小さくなっているため。
「ならば」
そうの。
「一度だけ、我等に鳥を飛ばして欲しいの」
男を通して依頼する。
「鳥便ですか?」
執事が、じっと我を見下ろしてくる。
「そうの。死んだ老シスターの言葉をの、我等に教えて欲しいの」
どの土地でも、鳥便は安くない。
そして、ごくごく内輪で行われる口寄せの儀。
その内容の伝達。
大きな国の庇護下にある修道院ならば、詫びとしては悪くない相応の値。
口寄せの内容も、口止めも含めれば妥当であろう。
姉や従者には少し驚いた顔はされるけれど、執事に対し、すっと目を細めて見せれば。
「……仰せのままに」
頭を下げて了承してくれた。