93粒目
「のの、壮観であるの」
緩やかな丘が一面に広がりなだらかな草原が広がっているけれど、列なる山々は近く、道なりに沿って背の高い木が点々と植えられている。
「雷が落ちぬの?」
「雷が落ちにくい土地なのかもしれない」
「ふぬ」
なるほど。
我にも、雷でも落ちて、雷が使えるようにならぬかの。
指先から「電撃」など出れば、かっこいいのではないか。
人差し指を立てると、
「フーン?」
どうしました主様、と隣の狸擬きが指に鼻先を寄せてくる。
「これから向かう国を始め、赤の土地と呼ばれているそうだよ」
おやの。
「トマトの生産が盛んだそうだ」
ほうほう。
赤の国ではなく赤の土地。
この先には国の手前に、国の管理下となる村があり、そこでは実験的に色んなトマトを植えて栽培していると。
小麦の国でも小麦の改良を行う村があった。
あんな感じであろうか。
ゆるやかに、高い木の続く道をトコトコ、トコトコ。
途中でゆっくりと昼休憩を取っても尚。
「近いな」
夕刻前には、トマト畑と思われる道に出てしばらく、村に着いた。
トマト村は旅人たちの宿場も兼ねているから、遠慮なく立ち寄ればいいですよと蛇男にも聞いていた。
「いらっしゃい。えぇ、えぇ、ここに寄ったのは正解ですよ。ここからはもう少しあるから、馬車でもね、到着は遅くなっちゃうから」
村にある1軒だけの小さな宿。
男が、酒と、日持ちする木の実の蜂蜜漬けを差し入れると、
「あらら、いいの?……そうね、ちっちゃい子だけど、1人に換算して2人部屋を用意しようかしらね」
と早速部屋の融通を聞かせてくれた。
狸擬きはそもそもベッドが必要だと思われていない。
男が、この村もやはり少し僻地故、村人は国と比べて割りを食うのかと言葉を濁して訊ねれば、
「少しね。でも、こうして珍しい物も貰えたりするから」
そんなでもないわ、と茶目っ気たっぷりにウインクされる。
「私たちは、国で宿屋やってたけど、子供が働き始めてから、自ら志願してこっちに来たんですよ」
国の賑やかさも十分堪能したからと、部屋の扉を開く。
「食事はどうします?」
「外へ行きます」
部屋に雪隠れはあれど、風呂は共同だと。
「何かあったら、声を掛けてくださいな」
小さな部屋。
ベッドとの隙間も狭い。
椅子がひとつあるだけで、書き物をする場所もなく、村と国の合間の寝るだけの宿。
なまじ一軒家の貸家に泊まったり、自分達の家を持ったせいか、
「フーン」
狭いですねと狸擬き。
「そうの」
少し前まで、こんな部屋は珍しくなかったのに。
「フーン」
わたくしめの自室より狭いですと、しかしなぜか得意気狸。
「食事に行こうか」
女将に訊ね、飲み屋でなく、近くの食堂へ向かうと、
「おぅ、こりゃまた縁起のいい子が来たな」
食堂のおじじにニカッと笑みを向けられた。
「?」
「真っ赤な瞳なんて、うちには幸運の女神様だ」
ほうほう、トマト繋がりか。
気候のよさもあいまって、明るい人間が多い気がする。
陽気と言うか。
あの紳士な蛇男は、もしかしたら若干、国では異色なのかもしれない。
「国からも、あんま村が不自由しないようにって色々届くからな、メニューも多いだろ」
「えぇ」
狸擬きと品書きを眺めると、
「なんだ、この毛むくじゃらも一緒に食べるのか」
ほーぉと珍しがられたけれど。
「フンッ!?」
毛むくじゃらとはなんですか!!
お前なんか顎にしか毛がないくせに、とフンフンッと前足後ろ足をジタバタ振り回す狸擬きに、酒を与えて宥めれば、あっさり機嫌を直す。
翌朝。
女将に近くでもないけれど、道を外れれば浅瀬の川辺があると教えて貰い。
「わほー♪」
「フーン♪」
と寄り道がてら向かったのは良いけれど。
「……ぬ?」
「フーン?」
先客がいた。
馬車が、
「3台か」
サーカス程では到底及ばないけれど、目を凝らせば、
(あれの、お貴族様的な感じかの)
1台は人用の洒落たもの、残りの3台は荷積み用の馬車。
人に対して荷が多い。
なぜこんな場所にと思ったけれど、
「馬の水分補給かな」
なるほど。
馬の数が多いから、荷で積むだけでは間に合わないのだろう。
まぁ先客から少し離れれば、小豆も研げる。
けれど。
出会えば挨拶をするのが旅人や行商人のしきたりである。
向こうも我等に気づいているし。
近づけば、我等の様な旅人でございといったものではなく、やはり1台は人を乗せるのに特化した、窓にカーテンまで飾られた馬車。
タキシード姿で白髪を撫で付けたじじは、馬車の扉を開いていたけれど、こちらに気付くと、如才なくにこりと微笑んでくる。
こちらも少し離れた場所に荷馬車を停め、狸擬きが飛び降り、我は、
「おいで」
「の」
男に抱えられて降りれば。
洒落た馬車から降りてきたのは、我の予想を裏切り、貴族的な者達ではなく、シスター服と思われる白い長袖に長いスカートのとても細身な女と、清楚な紺色のワンピースを纏った、10歳程度と思われる娘だった。
我より少し年上の少女は、木箱を両手で持っている。
こちらに気づくと、少女は我の姿に気づくなり、ぱっと笑みを浮かべて、歩いてきた。
しかし、その少女の抱える木箱に気づいた見た狸擬きが、
「フーン」
自分はあの人間の持つ箱が好きではありませんと、そそくさと我の背後に隠れる。
(おやの)
狸擬きが嫌がるとは。
(異形かの)
鼻腔を意識して探っても、臭いはない。
更に強く耳と意識を向けると、箱の中身は硬い、固形。
生きているものではない。
(石……?)
そのわりに重さが。
持っている少女の腕にかかる力からして、そこまでは重くない固形物。
近づいてくる木箱に目を細め、耳を傾け意識を集中させると、我に呼応したか、もしくは鳥肌でも立てたか、背後の狸擬きの毛がボワッと膨れるのを感じる。
箱を持った少女がこちらに足を進めると、木箱の中で微かに揺れるその音、空洞の具合。
あれは。
「骨の」
「骨?」
隣の男が反応する。
そうの。
「大きさからして、人間の頭蓋骨の」
頭を指差して見せると、少女は我の前で足を止め、
「……『 化け物』」
の?
「『化け物並みの洞察力ね』」
少女ににっこりと微笑まれた。
「……?」
(なんぞ?)
「フーンッ!!」
なんですかこの失礼な輩は、と我の背後から怒るのは狸擬き。
「……『あら単細胞な怒りっぽい獣。でも、人の言葉を完全に理解している。そして自身ではなく、主のために怒るのね。とてもあなたを慕っているし敬っている証拠』」
「……フーンッ」
主様を化け物扱いする貴様などとは会話もしたくない、とお怒り狸。
(ぬぬ?)
どうやら。
我とも、あの熊じじともまた違った、異分子。
目の前の娘ではない何か、箱の中の頭蓋骨が、少女を媒体にして口を開いている様子。
口寄せか。
もう1人のシスター服の女がやってくると、少女は箱を持ったまま、そのほっそりしたシスターと共に、少女は足のみでたどたどしいカーテシーをし。
隣に立った執事が、我等がこれから向かう国から来たと落ち着いた声で挨拶と共に教えてくれた。
洒落た馬車の運転手と思わしき男が少女の後ろに立ったけれど、運転手兼従者らしく、荷用の馬車の人間達とは違い、こちらもきちんとタキシードを身に付けている。
「私達は、これから水の街まで行くのです。こちらの修道院でも、懇意にしていたシスターが亡くなられたと伝えが届きまして」
目を伏せ、膨らみのない胸に手を当てる。
(ぬぬ?)
水の街のシスターが亡くなった?
男と顔を見合わせたけれど。
(あぁ……)
あの老シスターか。
水の神からの慈悲は皆平等に与えられるものと説きつつ、一方で1人の女に傾倒し、水の神の欲を諌めるどころか、むしろ熱心に祈りを捧げていたシスター。
今思えば、水の神には、あの老シスターの欲も多大に含まれていたのだろう。
長年、1人の若い女を、栗毛を犠牲にして街に閉じ込めていた、とんだ欲まみれの偽善者。
「あら?」
もしかしえお知り合いの方だったのですか?
とシスターが上目遣いで男を見上げる。
(む……)
そう。
目の前の細身の女は、ほんのりと頬を赤くしている。
男の母国へ行けば、きっとこの男と似たような外見の者達がいくらでも転がっているだろう。
地図でも突きつけてやろうかと思っていると、我の不穏さか、シスターの女の眼差しにも鋭く何かを察したらしい男は、我を抱き上げながら。
「えぇ、修道院で、水の神様に、お祈りをさせてもらいました」
と、極めて余所行きな声を出す。
我は男にぎゅむりとしがみつくも。
「まあまあ、そうなのですね」
そんなものは意に介さず、シスターは、とても気になりますと、ずいと迫って来た。
「素敵な所でしたよ」
ぜひその目でご覧になってくださいと、男が早々と切り上げようとしているため、
「あ、待って下さいな。ええと、そうね、この子たちに何か甘いものを」
男を凋落するにはまず幼子と獣とでも思ったのか。
すぐ後ろに待機していた従者を振り返り、
「何かないかしら?」
とそわそわと急かしている。
運転手兼従者は少し考える顔をし、お待ちくださいと荷馬車へ向かい。
シスターも、私も行きますと後を追う。
箱を持った娘は、今は男の後ろに隠れる狸擬きをじーっと見ており、着ている紺のワンピースは、清楚だけれど、生地はそれなりに値の張りそうなもの。
それにしては、こう、礼儀や立ち振舞いの粗が目立つ。
平民を、急遽、それなりの身分に仕立て上げたような。
無論、人のことは言えず、だからこそ、粗が目に留まる。
残った執事が、
「慣れない旅路で少しはしゃいでるようです」
申し訳ないと頭を下げ、狸擬きは、自分を見つめる少女の持つ箱を、チラチラと観察している。
「の、なぜこの娘は、人の頭蓋骨などを持っているのの」
男伝に訊ねてもらうと、執事は、こちらが中身を知っていることにピクリと眉を上げたけれど。
「……これは、私の、お母様なんです」
それに、おずおずと答えたのは娘。
母。
母とな。
少女が頭蓋骨から生まれたとは思えないし、この娘はまごうことなき人の子供。
執事が、
「……お嬢様は、亡くなったお母上とお話が出来るのです」
と付け足してくれた。
それはまたけったいな。
驚く我等に、はにかむ娘。
しかし。
「『話せる』は違うであろうの」
死んで骸骨になった母親は、この娘を媒体とし、人と会話ができるのだ。
(凄いの)
それでも、能天気の塊のような狸擬きが嫌い警戒する程度には、この世界には馴染まぬ存在なのであろう。
それが「母親」とは。
男が訳さないため、我は続けて、
「死んだシスターとも、話に行くつもりかの」
問えば、今度は言葉を訳してくれる。
男伝の我の問いかけに、
「……」
ニッコリと微笑み、何も言わない執事。
少女は、余計なことを話すなと念押しされている様子で、開き掛けた口を閉じている。
冗談のつもりだったのだけれど、図星かの。
なんぞ、この娘は「母親」だけでなく、死んだ者と対話、いや口寄せが出来るのか。
目の前の執事は、立派な白髪と口髭を撫で付けているためにそう見えるけれど、思った程は年を重ねていない。
そしてシスターたちとの距離感からしても、彼等の間にそう馴染みを感じない。
シスターと少女が水の街へ行くために、国から遣わされた者たちなのだろう。
ニコニコと作り笑顔を見せていた執事は、何か少し考えるように我を見つめた後、口を開きかけたけれど。
シスターと従者が、正方形の赤い缶を持ってきた。
「ビスケットの詰め合わせです」
男の後ろから出てきた狸擬きが、スンスン鼻先を寄せ、
「フーン」
小麦菓子の匂いがします、と。
この人間たちは嘘は吐いてないと言いたいのだろう。
男は、いやいや受け取れる理由がありませんと、当然、遠慮するけれど。
「先刻の、彼女の失礼な発言のお詫びとして、どうか受け取って下さい」
聞こえていたらしい。
あくまでも、
「少女の放った言葉」
として。
シスターが頭を下げ、娘も、それを見ると真似してぺこりと頭を下げて来た。
釣られて一緒に傾く箱の中の骨が、微かにゴツ……と傾き。
狸擬きの肉球が、草の生えた地面を微かに擦る。
(おやの)
そう。
箱の中から、もぞりと。
「『ご』……」
娘が?
いや違う、その「何か」が、やはり娘を媒介して低く声を出し。
(ご?)
なんの?
と思う間も無く。
けれど、頭を上げた少女は、その場に膝をつくようにぐらりと倒れかけ。
従者が慌てて支えるも、少女の手から落ちた木箱は、蓋がその衝撃で開き。
(のの……)
中から人の頭蓋骨がごろりと転がり、我の前で止まり。
空洞の瞳が、こちらをじっと見つめていた。