89粒目
「ピチーッ」
その鳴き声だけで気の強さが窺える桃色鳥がやってきたのは。
「の?」
小雨の中でも構わず小豆を研ぎ、荷台で男に軽く髪を乾かされていた時。
「やっと見つかった」
と言いたげにスッと飛んできた、見た目は大層愛らしい桃色小鳥は、
「ピチチ」
幌の隙間からスルリと中に入り込むと、その詰まれた荷の高さと奥行きのなさに、
「ピチッ!?」
驚いてその場でホバリングする。
小鳥の足首に付いた金筒の柄を見て、
「あぁ、猟師の彼からだ」
「のの?」
「フーン」
少し久しいのではないか。
男が金筒を開けている間に、小鳥にパウンドケーキを出してやれば。
「ピチチ♪」
目をキラキラさせて啄み。
「ピチッ♪」
美味、と足踏み。
「フゥン」
そんな小鳥の姿を、狸擬きが羨ましそうに爪先を咥えている。
仕方なし。
我は従獣に甘いからの。
「ほれの」
切り分けてやれば、
「フーン♪」
肉球が伸びてくる。
「ピチチ♪」
おかわりをせがむ小鳥に2切れ目を出してやってから、男の膝によじ登ると。
「青のミルラーマの手前の村に着いたそうだよ」
ほう。
「ただ、青のミルラーマに入るのは、馬1頭がせいぜいだと」
ふぬ。
あの猟師なら大丈夫であろう。
猟師は、青のミルラーマの手前になる、建物がかちりと組まれた石の街にも驚いたし、ミルラーマ手前の森では熊が大量発生していたらしいとも記してあると。
「のの?」
熊の大量発生。
「彼が到着した頃には、もう討伐はほぼ終わっていたそうだよ」
それは。
狩りの好きな猟師には。
「残念であろうの」
「石の街で、狸の彼が背負っている鞄と同じものを、サイズ違いを買ったとも書いてある」
「フン?」
パウンドケーキの欠片の付いた肉球を舐めていた狸擬きが、自分が話題にされていることに気付き、小首を傾げる。
石の街か。
「お主と会った街の」
「そうだな」
やんわりと抱かれ、耳に唇を寄せられる。
「くふふ」
くすぐったさに身を捩ると、
「花の国の第3王女と、小麦の国の第2王子の婚約が決まったらしい」
「のの?」
あの美形王子か。
色々と変わるものである。
「あの第4王女はどうなるのかの」
狸擬きにヘッドドレスを着けて、うふふと笑っていた姫。
猟師に、いつでも奥ゆかしくも切ない眼差しを向けていた。
「その第4王女の婚約を待ってから、俺たちを追いかけて来てくれると」
「なんと?」
それは楽しみである。
季節が何巡かする頃には、会えるであろう。
ーーー
川沿いの荷台の中。
灯りを落とした荷台の中。
男は、寝かし付けた彼女の寝顔をしばらく見つめ、頬を撫でてから、そっと起き上がる。
彼女の従獣も、背中を向けてはいるけれど、プスープスーと景気のいい鼻風船を出しているところからしても、しっかり眠っている。
猟師から送られた金筒。
その内側にぴったり、それとは解らぬように添うように、薄い紙が1枚。
慎重に取り出すと、やはり自分宛の私宛らしい。
「青のミルラーマの手前の村にて
彼女は
『山の神』
として慎重かつ丁重に迎えられていた
しかしその存在は近隣には知らされることなく
離れた石の街でも箝口令は敷かれていた
それは
彼女を守るためのものであり
どちらの街も村も人々は信用に価する」
と、そんな短い文面が記されていた。
(……そうか)
ふっと息が漏れる。
やはり、自分も彼女を連れて、一度、青のミルラーマまで向かうべきだったと改めて感じた。
この子を連れて長い旅に出ると、挨拶をすべきだった。
別の近い森で熊が大量に発生した言うけれど、それは彼女が山から消えてから。
因果関係は、間違いなくあるのだろう。
「……」
小さく畳んで、日記帳に挟むと。
こちらに寝返りを打った彼女が、
「……ぬ?」
自分の不在に目を開けた。
そして、
「んぬぅ……」
酷く不満そうに眉を寄せ、両手を伸ばしてくる。
「あぁ、悪かった」
「の……?」
「日記を付けていたんだ」
布団に滑り込み、小さな身体を抱き寄せれば、
「ぬぬん……」
ぎゅっとしがみついてくる。
そっと背中を撫でてやると、
「……」
徐々に力が抜け、すやすや小さな寝息。
腕の中の彼女だけではない。
その小さな小さな温かな身体を胸に抱けば。
(……おやすみ)
安堵と共に、深い眠りに就けるのは、男も同じ。
ーーー
山と聞けば、長らく、高く連なる山脈を思い浮かべるようになっていたけれど。
(これはこれは)
「お山であるの」
「山だな」
「フーン」
山ですねと狸擬き。
目の前にあるのは。
皿に乗せたプリンのようなお山だった。
(あれの、富士山に似ているの)
こちらは大概にちんまりしており、高さも大きさも、富士山には足許にも及ばないのだろうけれど。
おさげが、近いうちに引き取るであろう、修道院の子供と見たいと言っていたのは、きっと、このお山のことなのであろう。
麓には村。
こちらもやはり穏やかな空気の村、と言いたいところだし、眺める分にはその通りなのだけれど。
「こんにちは、旅人さんですかな。行き先は西ですか、東ですか」
いかにも旅人や客人に慣れている、国や街を結ぶ合間の村人といった、一見、人のじじが、我と同じくらいの幼子の手を引いてやってきた。
けれど。
(のの……)
「どうした?」
こやつは。
「熊の」
「……フーン」
熊ですねと狸擬き。
「ん?」
熊?
と男が首を傾げる。
「のの。……いや、何でもないの」
いかにも害のなさそうなずんぐりな猫背のじじを気取っているけれど。
我等から見ればどう見繕っても、
(熊であるのぅ……)
なんぞ、巧妙なまやかしの術でも掛けているのか。
男には、とかく無害なおじじに見えているらしい。
じじと手を繋ぐ小さな孫?はただの人の子供に見えるし、目を凝らしても、やはり人の子供でしかない。
片手になんであろう、多分色褪せた桃色からして、耳の短い兎のぬいぐるみをぶらさげている。
男は馬車から降りると、地図を広げ、
「山を抜けて、東に行きたいと思っているのですが」
おじじに見せ掛けた熊と、顔を突き合わせている。
熊は人語も操るし、しかし我にも言葉がきちりと聞こえる。
じっと見ていると、熊と人のじじの姿が二重写しになる。
(……?)
その熊じじと手を繋ぐ幼子が、じいっと見ているのは狸擬き。
「お主はどこでも人気者の」
「フーン」
それほどでも、とおすまし狸。
そのおすまし狸に、
「……の。あれは、何の?」
声を潜めると、
「フーン」
この山と山を囲む森の主ですねと。
ほう。
村から、若い女がやってきたけれど、
「村長」
と声を掛け、人にはどうやら熊には見えていないらしい。
熊と手を繋いでいた幼子は、母親らしい若い女の元へ向かう。
(なんとも)
我の血が混じった男ですら、ただの老人に「見える」のだから大したまやかしである。
狸擬きに続いて馬車のベンチから飛び降りると、熊じじは、我を見ても、尚、狼狽えることもなく。
むしろ、なぜか安堵した様に笑みを浮かべた。
「迷いの森の?」
「えぇ。最近はそんな名で呼ばれるようになってしまい。実際に、森で迷うわけではなくて、記憶のほんの一部がなくなるそうなのです」
「ぬ?」
痴呆であるか。
熊の村長に、村の集会所と呼ばれる建物に招かれ、男は少し戸惑っていたけれど、熊じじの、
「失礼。お連れ様に少々、お話がございまして」
と、熊じじの恐縮した声に、
「……あぁ、なるほど?」
それでも半分くらいは納得した様に、我を抱いて中に入る。
簡易な作りの部屋は、山の絵が飾られ、小さな木彫りが飾られている。
ブドウのジュースを出され、美味しく飲み干すと。
「迷いの森」
そんな名を出された。
森へ入ると、記憶がなくなると。
「記憶の」
「森に入った村人に、小さな『あれ?』が続くことが増え、記憶がなくなってることが判明しまして」
今は人の目でも、うっすらと何か白っぽいものが視えたりもすると。
「どうの?」
狸擬きに訊ねると、
「フゥン」
確かに、森に変なものがいますと耳をピクリと動かす狸擬き。
ふぬ。
それは。
「お主は好きの?」
「フーン」
嫌いですと。
ほうほう。
熊じじ曰く、
「元は『無』でした。
しかし、長い年月をかけて、いくつもの偶然を重ねて生まれた『何か』なのでしょうが。実体を持たず、更に数も多く、山の周りの森を満遍なく彷徨っており、妖精と言われています」
と。
ふぬ。
興味深い。
「フーン」
様子を見てきましょうかと狸擬き。
「そうの、お主の記憶なら、なくなっても何の損もないしの」
そもそもの記憶の容量は小さそうであるし。
もし全て記憶をなくしても、そのまま、この森で、ただの狸として生きていくかもしれない。
「フーンッ!!」
そんなことはありません!
と椅子から飛び降りた狸擬きは、その場でジダジダとなにやらご不満表明をしてきた。
「なんの?」
仕方なしに耳を傾けてやれば。
「フンフンッ!」
主様のおにぎりにビスケット、ふわふのパン、パウンドケーキ、ホットケーキ、チーズケーキ、木の実のキャラメリゼ、あれもこれも忘れることは御座いません!
と尻尾を立てて目一杯に力説されたけれど。
「……なんの、食べ物ばかりであるの」
こやつにとって、我自身は食べ物を出してくるおまけでしかないのだろう。
「フーン」
森から戻ったらご褒美のお菓子を所望しますと、勝手に報酬の約束を決め、トトトと集会所から出て、森へ消えて行く。
「……彼は大丈夫なのか?」
見送る我を、背後から抱き上げる男に聞かれた。
「平気の」
熊の村長も『解っている』のか無言で見送ってくれる。
「一応はあやつも森の主であるからの」
そう、熊の村長も、狸擬きがあんなでも、どこぞの主だとは察している。
男の腕の中から狸擬きの気配を探れば、狸擬きは、お山の周りの森を楽しそうに、せわしなくキョロキョロしながら、匂いを嗅ぎ、土を掘り、木に登り。
(のぅ……)
ただただ、初めての森を楽しく堪能している。
戻るまではまだまだ時間がかかりそうだ。
「宿に案内しましょう」
旅人や行商人が多いため、大きめの厩舎に馬と荷台も預け、水場がある宿があればと男が伝えると、元は村人の家だったと言う今は空き家の平屋を貸してくれた。
水場も寝床も広くはないし新しくもないけれど、使い勝手はよさそうだ。
熊じじにはもう少し話を聞きたかったけれど、
「村長、お客様が」
開いた扉から村人が声を掛けて来てた。
「おぉ。申し訳ない、ちょっと失礼します」
熊の癖に忙しそうだ。
熊でも村長であるしの。
そして我は、仕方なし。
「報酬の用意の」
新しい森で楽しく散策しているだけの従獣のために、男と買い物へ向かう。
「……これではどっちが従獣だか解らぬの」
男は小さく笑う。
卵を買い、ブルーベリーのジャムも買い。
なんと、生クリームもある。
国が近いため、ハイカラなものも店先に並びやすいのだそうだ。
ホットケーキの材料を、卵白以外を混ぜ。
卵白は固く泡立ててから生地に加える。
男には生クリームの泡立てを頼み、フライパンに生地を落とし。
宿の扉を開き、
「狸擬きの」
森へいる狸擬きを意識して名を呟けば。
「……」
スタタタと森の方から駆けてくる気配。
通り過ぎる村人が、物珍しそうに狸擬きを振り返っている。
人のふりをした熊の方がよっぽど珍しいと思うけれどの。
「ほれ、今日はふわふわホットケーキの」
「フンッ!?」
フライパンの中でふわりと高さのあるホットケーキが焼けている。
皿に移し、生クリームとブルーベリーのジャムを添えてやれば。
「フゥゥゥン♪」
狸擬きは目をキラキラさせると、大きく切り分け、口に放り、
「フーフン♪」
ふわふわで口の中で溶けていきますと狸擬き。
「美味の?」
「フーン♪」
幸せでございますと。
大袈裟な。
それでも男にも、焼いたのを出せば、
「んんっ?」
驚いている。
「うんうん」
これはご馳走感があると、新鮮そうにしている。
美味しい美味しいと食べてくれるから良いけれど。
さて。
「森はどうだったのの?」
「フーン」
変なものはいますが、わたくしめには反応しませんでしたと。
「……それだけかの」
「フーン」
反対側に、屋敷がありましたと。
屋敷?
「フンフン」
湖に浮いているような建物だと。
ほう?
後で熊の村長に聞いてみようか。
「変なものは、どんなだったのの?」
「フーン」
変なものです、と狸擬き。
「……お主の」
「フーン?」
何ですか、とパチリパチリと瞬き首を傾げる狸。
(ぬぬん……)
そうの。
我は、所詮獣に、期待をしすぎたのだ。
期待した我が悪い。




