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88粒目

ワインや大きな生ハムを取り出した眼鏡が、まな板の上で慎重に切り始める。

「氷の島は、半分は山です」

男が地図を見せると、栗毛と一緒にぐいと覗き込むのはおさげ。

興味津々だ。

その2人に、半分に切り分けたホットサンドをくしゃくしゃにした紙に包んで渡せば、

「フーン」

羨ましそうに前足の爪を咥える狸擬き。

「はいタヌキちゃん、生ハムですよ」

眼鏡女がフォークで生ハムを狸擬きの口許へ運べば、

「フーン♪」

ご機嫌で口を開き。

「フンフン」

そこのワインも寄越せ、と眼鏡にねだっている。

緩やかな空気の中、外での食事は、荷台で移動している旅中を思い出すけれど、今は、若い女が3人。

「あのさ」

「はい」

「旅先でさ、どーしても繋がりを絶ちたくないって人とは、どうしてんの?」

ピクルスとキノコのマリネを、ここの店の美味しいよと勧めてくれるおさげが、

「たまにはいるっしょ?」

とホットサンドにかぶつりつき、美味しい、と目をキラキラさせる

「そうですね。組合頼みで鳥便です」

「あ、やっぱいるんだ?」

栗毛の下世話な好奇心を隠さない瞬きに、眼鏡がギクリと固まる。

「えぇ、仕事仲間ですが」

その程度では全く狼狽えない男に、

「なーんだ」

ガッカリするのはおさげ。

「気になりますか?」

男がニコニコしたまま余裕をかまし、

「つまんなーい」

おさげがくしゃっと鼻に皺を寄せ、栗毛は笑い、眼鏡は大きな安堵の溜め息。

狸擬きは、待ち焦がれたホットサンドにかぶり付き、

「フーン♪」

ご機嫌で尻尾を振り。

「美味しいですねぇ」

眼鏡も、赤の国に帰ったら作ってみますと評判は上々。

賑やかな食事も、たまには悪くない。

焼きつつ食べつつ。

栗毛と眼鏡はまたも酔っぱらい。

狸擬きは食べ過ぎでひっくり返り。

おさげは、男の旅の話を真剣に聞いている。

我は。

穏やかにそよぐ春風に。

次へ次へ、先へ先へと、なぜだか、促されている気分になる。

どこへ行くのか、どこまで行くのか。



出発の日。

「もうね、たくさんあってお礼言いきれないけど、全部、全部ね、ありがとう!」

「赤の国に来た時は、絶対、会いに来てくださ……ふぐぅっ!」

カラッと笑っている栗毛の隣で、眼鏡の奥の瞳を、涙でぐずぐずにし、しゃくりあげる眼鏡。

「お2人も、お元気で」

男がそれぞれ握手をすると、男に抱かれる我にも、栗毛が手を伸ばしてきた。

「ありがとう」

と。

手を伸ばして包まれれば。

「手、ちっちゃ!」

今更驚かれる。

ブンブン振られ、

「また、いつか会おうね」

栗毛の声が、ほんの少し震える。

「の」

「次に会える時は、今より大きくなってるんでしょうね」

眼鏡が目を潤ませながら、栗毛から離れた我の手を両手で包んできた。

「……」

その言葉には、曖昧に首を傾げて見せると。

「ほら、そろそろ行かないと」

今日もおさげでない、髪を愛らしく団子に結んだおさげが2人を促し。

そろそろ出港の時間らしい。

「また仕事で来ると思いますので、その時はよろしくお願いします」

眼鏡がおさげに微笑み、

「はい。またご飯食べましょう」

握手をし、

「手紙送るからね」

「気長に待ってます」

おさげと栗毛は、ふわりと抱き合う。

船に乗り込む栗毛と眼鏡を見送りつつ、周りを眺めても。

主に行商人や旅人が仕事で使う船のため、他の客も含め、見送りはとても少ない。

(……ふぬ)

お船は順調に進み、やがて見えなくなった。

狸擬きの目でも耳でも、進むお船にはなんの異常も感じられないと。

2人を見送ったおさげが、ついでに我等のことも見送ってくれると言う。

「ついでじゃないっすよ」

厩舎へ向かい歩きつつ、おさげは、

「もう少し居てくれればいいのに」

と寂しそうに笑う。

ふぬ?

「もっと遊んだり、この街の案内もしたかったのに」

おやの。

嬉しいことを言ってくれるではないか。

「まぁね」

なら。

「次に会えた時にたくさん遊べばよいの」

案内も頼もうではないか。

「……え?また来るの?」

なぜ驚く。

「だって、家に帰るのかなって」

おさげには、以前も聞かれた。

「どこに、帰るのか」

と。

そう、このおさげの父親の、形だけの空っぽの墓の前で。

「へ?……あたし、そんなこと聞いたっけ?」

すっとぼけているのではなく、素で忘れているらしい。

おさげは、

「……えー、いつだっけ?」

と首を傾げていたけれど。

「ごめん、やっぱり覚えてないや」

うーんと肩を竦め。

「あたしにはさ、帰りたいって思う場所が、もう、存在しないんだ」

だからそんなこと聞いたのかも、と小さく笑う。

おさげの帰りたい場所。

それは。

修道院ではなく、両親の揃っていた、幸せな思い出しかない家。

「そ。あたしはさ、そうやって、帰れる場所がないことに、それ以外も、色んなことに、ずーっと不貞腐れてたんだ」

建物に囲まれた空を見て立ち止まると。

「だけどね、……決めたんだ」

決めたとな。

「うん。修道院から、あたしの所に来たいって言ってくれる子がいたら、迎えるつもり」

なんと。

おさげのそんな宣言には、我と男だけでなく、狸擬きも、足を止めておさげを見上げている。

「えへへ」

おさげは今度は照れ臭そうに笑い、足を進め。

それは、大層立派な慈善だとは思うけれど。

そもそも。

「……子を迎えるのは、親が1人でも可能なものの?」

「うん。修道院出身者に限ってね、特例で許可が出るんだ。集団生活が合わないって子もいるし、その気持ちを解ってるのは、同じ修道院で暮らして来たあたしたちだから」

なるほど、確かに身元も仕事場も、これ以上なく信頼が置ける。

「それでさ。うちに迎えたその子とね。旅行がてら、内地の方へも行ってみたいんだ」

ほう?

「言葉は同じって聞くし、山ってのを近くで見てみたい」

ほうほう。

「それは良いの」

とても。

「フーン」

山はいいものでありますと狸擬き。

「なんかよくわかんないんだけど、長い時間ね、ずーっとぼんやりして霧がかかってた頭が、こう、いきなり、わーって晴れた感じがしててさ。今は、ああしよう、こうしよう、色々したいって思えてきてるんだ」

おさげは両手を広げて、

「先輩だけじゃなくて、あたしもね、飛び出せる気がするんだ」

その場で、くるりくるりと楽しげに回ると。

狸擬きも、おさげの真似をして、くるりくるりと回る。

「フーン♪」

くるりくるりと、楽しそうに。


今日出発すると伝えていたせいか、厩舎に付けば、そう待つことなく、我等が馬たちが、すでに荷台を繋がれて出てきた。

我は男に頼み、ベンチでなく先に荷台へ乗せて貰うと、

(おさけが子供を引き取るというのならば、今後も物入りになるであろうからの)

紫の石を詰めた袋から石を幾つか取り出し、小袋に入れてリボンで閉じ。

スコーンの分量と作り方を書いた紙や、髪結い用のリボンを数本、パンとキャラメルの詰めた袋に仕舞い、荷台から降りておさげに渡す。

「餞別の」

「いいの?……なんかいっぱいあるけど?」

「パンとキャラメルの」

「え?こんなに?」

「最後だからの、礼の」

色々と面白いものも見られたし話も聞けた。

口にはせぬけれど。

そんな下世話な礼を込めた我と違い、純粋なおさげは目を潤ませている。

そんなおさげとも握手をし、馬と荷台はお船の船員に任せ、我等も小さなお船に乗り甲板に立てば。

「フーン」

男に抱えられた狸擬きの、またなの挨拶に、

「またね!」

おさげが、泣き笑いの笑顔を見せてくれる。

「またさ、またこの街に来てよ!」

待ってるから!

と大きく手を振るおさげ。

そうの。

また、いつか。

そう、遠くない日に。


修道院の老シスターの訃報を知ったのは、我等が内地に到着し、ほんの数日も経たぬ頃だった。


ーーー


「あーずき洗おか、ジェラート食ーべよーか♪」

しゃきしゃきしゃき

しゃきしゃきしゃき

「あーずき洗おか、なーに味食ーべよーか♪」

しゃきしゃきしゃき

しゃきしゃきしゃき

ふふん、ふふん♪

ふふん、ふふん♪


狸擬きは、我の真似をして小豆を研いだあとは、浅瀬をパシャパシャ走り、

「フンッ」

小魚を前足で弾いている。

石で小さな囲いを作ってやり、小魚がとれたらそこに泳がせればいいと伝えると、

「フーン♪」

また楽しそうに小魚を探し始める。

我は、馬車の前で煙草を吹かす男の許へ駆け寄ると、

「の」

男に両手を伸ばせば。

咥え煙草で、よっと抱き上げられる。

ここは、あの栗毛に、西陽が綺麗なんですよと連れて行かれたあの大きな川の枝流の1つ。

内地の端っこに到着したお船から降り、少し進むと小川と森が現れた。

旅人や行商人はそのまま森を抜けた村の方まで行ってしまうけれど、浅瀬の川に目を輝かせた我を見て、男はそのまま開けた下流の方へ向かい、

「少し休もうか」

と馬車を停めてくれたのだ。

そんな男に、今はぎゅむりとしがみつけば、男は煙草を指に挟み、額に唇を寄せてくる。

「ふぬん……」

大人しく前髪越しの額に接吻を受け、紫煙を吐き出す男に甘えていると、

「フーンッ!!」

狸擬きが、浅瀬で鼻を鳴らしている。

(の?)

何事かと思ったら、浅瀬で、シャーッと威嚇する細い蛇と向かい合っていた。

(おやの)

小魚の取り合いか。

いや、狸擬きが囲いの中に放った小魚を、蛇が横取りしようとしているのだ。

しかし狸擬きと対峙する蛇は、青の国で狩ったような野太いものではなく。

細身な、黒っぽい、黄緑の瞳。

冬眠から目覚めたばかりで空腹なのかもしれない。

男が、

「あれは毒蛇だな」

と呟き。

ふぬ。

毒蛇に噛まれた狸擬きがどんな変化をするのかも少し興味があったけれど。

「ほいの」

男の腕の中から小豆を飛ばせば。

距離あれど、小豆は勢いを落とさず蛇の頭を貫通し、

「……」

蛇は間も無く浅瀬に倒れ、小さな水飛沫が上がる。

「……相変わらず命中率が凄いな」

「ふふん♪」

あれくらい朝飯前である。

「フーン♪」

いい勝負でした、と狸擬きがトテトテ歩いて戻ってきた。

いい勝負とは。


浅瀬は小さな石たちがゴロゴロしているけれど、我等のいる場所は春の草が生え、低くそよいでいる。

森を抜ければ、すぐに村があるらしいけれど。

男が、ここで一晩明かそうかと提案してくれた。

「よいのの?」

「もう少し、豆を研ぎたいだろう?」

「の♪」

話の分かる男である。

おやつのビスケットを食べた後、男は車輪を街用から悪路用に取り替えるか迷い、我は狸擬きと川遊びに勤しむことにした。

裸足になったけれど、膝丈のワンピースではあっという間に濡れてしまう。

「んしょの」

キャミソールとかぼちゃパンツになると、ワンピースをその辺に放り、川へ走る。

「わほー♪」

「フーン♪」

「あっ!?こら!?」

すぐに気付いた男が声を上げたのは、ワンピースを放ったことか、この格好か。

男に捕まらないように川の真ん中へ行くけれど、ここらは絶えず浅く、足許の小魚が逃げて行く。

「待ちなさいっ」

「のの?」

「フンッ?」

男も裸足になると、パンツの裾が濡れるのも構わずやってきた。

「の?逃げるのっ」

「フンッ」

逃げるけれど、浅瀬とはいえ足は水の中。

我の足ではすぐに捕まる。

「こら」

背後から抱えられて、猫のようにぶらりと身体が揺れる。

「くふふ」

「駄目だろ」

ワンピースを放ったことより、この格好が駄目らしい。

けれど。

「我は水着がないのの」

「んん、水着か……」

(おやの?)

どうやらこの世界にも、水着は存在するらしい。

どんな形なのは不明だけれど。

「あれは、肌の露出がちょっとな」

肌の露出。

元の世界と似ているのだろうか。

しかし。

「幼子の姿など、誰も気にせぬであろうの」

「……いや」

「……俺が気にする」

のーぅ。

離れた場所から、狸擬きの呆れた様なフーンが聞こえてくる。

そして、すでに少し濡れ、肌の透けた我の姿に。

紳士なのか後ろめたさか、振り返れば男はさっと目を逸らし。

「……次の街で検討しよう」

「の」

我ながら、魅力がありすぎるのも困りものである。


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