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80粒目

男が、建物から出てきて我を探している気配に気付き。

我は立ち上がり、おさげを残して階段をよじ登り、柵をくぐり、澄ました顔で、柵の内側で海を眺めていましたの体でいると。

「あぁ、そんなところにいたのか」

男と、栗毛も一緒だった。

振り返って駆け寄ると、

「おいで」

抱き上げられる。

「んふー」

しがみつけば、

「んん?どうした?」

男は笑いながら、髪を掬ってくれる。

うなじがくすぐったい。

狸擬きも珍しく男の足にするりと身体を寄せつつも、ちらと階段のある方を振り返る。

栗毛に、とても仲良しですね的なこと言われた模様。

「お主もおさげと仲良しの」

そう返してみれば。

「んー、あの娘は、妹に近いですから」

と遠くを見る目。

思い出は数え切れない程あるのだろう。

そうだ。

「の、我は美味しいと噂のビスケットが欲しいの」

ここに来た一番の目的を思い出した。

「あぁ、そうだったな」

栗毛に案内を頼むと、修道院の作ったものは街にも卸され、街中(まちなか)の店の一画で売られているのだと言う。

先刻の来客室の仕切りの反対側。

瓶に詰められたビスケットたち、ハーブ、ハーブティ、ジャムが数種類。

それに焼き菓子も並べられている。

7日に一度のお祈りで街の人間がやってくる以外は、ここより、品物を街に卸す方が多いと教えてもらったため、ハーブティ以外は気持ち多めに買わせてもらう。

「あらら、ハーブティはお嫌いですか?」

シスターでございと言わんばかりの、清廉潔白そうな若いシスターにクスクス笑われる。

「ハーブティ苦手でしたら、サフェやポプリもありますよ」

商売上手。

しかし実際興味深い。

買ったものを荷台に詰めていると、やっとおさげが戻ってきた。

「せっかく来たのに、お母さんに挨拶しないの?」

栗毛が、うわ、煙草吸ってると眉を寄せる。

「小言ばかり言われるからいいっす」

まさに今栗毛に言われたようにだろう。

けれど、

「あ、父親には、挨拶しておきます」

思い出したように踵を返し、たっと歩き出す。

我等も続くと、幾つかの建物を抜け、方角でいうと、港側に、墓が並んでいた。

「のの……」

墓の下は、誰も皆、静かに眠り、我の気配には、たまにほんのりとした好奇心が覗く程度か。

おさげは、建物からはだいぶ離れた、小さめの墓の前に立つと。

初めて胸の前で指を絡め、目を閉じている。

僅かな時間を共にしていただけだとしても、父親を、とても慕っていたのだろうと、それ位は、祈る穏やかな横顔で解る。

「フーン」

ここは何だか落ち着きますねと狸擬き。

「そうの」

我も狸擬きにも、お墓など一番遠い場所なのに、なぜか、とても落ち着く。


「……その娘、お姫様かなんかなの?」

そう長くもない時間、絡めていた指をほどいたおさげに問われた。

色んな所で、誰にも、似た問い掛けをされる。

「いえ。彼女も、ただの旅人です」

海風に吹かれながら男が答えれば、

「ふーん……」

おさげには、全く信じていない、白けた顔をされる。

そして。

「ね、あんたたちの、帰る場所はどこ?」

海風で、おさげの雑に留めていた、おさげ髪の1つがほどけた。

狸擬きが、スンと鼻を鳴らす。

「帰る場所ですか……」

どこへ行くのかとは幾度となく聞かれたけれど、帰る場所は初めて聞かれた。

男も、もう片方のおさげもほどいた女の言葉を繰り返すと、

「この娘の故郷でしょうか」

我を抱く腕に少し力を込める。

「そこ、どれくらい遠いの?」

男が何か答えている。

我は。

その言葉は、もう耳に入らず。

それは。

ベレー帽を押さえる栗毛女の背後に、はっきり見える水に目を奪われていた。


3色。


それは、栗毛女の背後の、水の色。

無論、限りなく透明。

しかし、今の我には、(まじ)わりつつも、それらがくっきりと、

「混ざりもの」

だと、視界ですら認められる。

「え、何?何か付いてる?」

栗毛女が、戸惑い気味に、男に抱っこされる我を見上げてきた。

「……」

「頭?何か、さっきからずっと見てるでしょ?」

隠しもせずに凝視していたため、さすがに栗毛に不審がられる。

それでも、我はそれには答えず、

「母親から、手紙は届いていたのの?」

男に訊ねて貰えば、

「え?あ、うん、来てたよ」

ゆらりと水が揺れる。

更にじっと凝視すれば、

(揺れているのは)

1色。

今も、ゴポゴポとうるさい。

狸擬きからも、僅かな緊張。

「お主は、母親に会いたくはないのの?」

男が、とても言いにくそうに我の問いかけを訊ねてくれる。

夜に唾液を与えるから今は堪忍のと、男の身体に頬を寄せれば、

「……え?ええ?」

どうだろう、んんん……?

と、押さえていたベレー帽で顔を覆うように酷く悩み。

その間、揺れる水は2色に増えた。

我は、その揺れる水から、一時も目を逸らさず。

「お主は、母親へ会いに、遠い国へ行きたいとは、思わぬのの?」

我の声の強さに、男も、もう問いにくいなどの躊躇はなく訊ねてくれると。

(の……)

限りなく透明。

透明度は変わらず、ただ泡が多く白く見えるもの。

僅かに水色。

右手にだけ、力を込めてみると、今まで栗毛にしか興味を持たなかった水の女の瞳部分が、初めて、我を見た。

『……』

(おやの)

すっと目を細めてみせると。

しかし、

「なぁっ!!」

背後から、おさげが声を上げ。

「さっきから、なんで、そんな事聞くんだ?」

酷く不審気なおさげの問いかけに。

栗毛女も、

「……っ」

ハッとしたように、ベレー帽から顔を上げる。

不意に墓場に流れてきた、強い南風の、そう、春本番の、本来ならば喜ぶべきその生温い風は。

今は笑える程に場違いであり。

(そうの……)

「……我は幼子故、とんと"デリカシィ"がなくて、すまぬの」

男伝に謝れば。

栗毛はそれでも苦笑いでかぶりを振り、おさげの方は、

「海の神に対するものと同じ感情の視線」

を、我に。

我等に向けてくる。

そう。

それは、ただただ、強い不信感を込めたもの。

「フーン」

主様は悪くありませんと狸擬き。

なんと。

優しい狸である。

なんとなくでもなく、我のせいで気まずい空気の中。

建物の方へ戻ると、ちょうど昼休みの時間らしく、 学舎と思われる建物から子供たちが出て来た。

「あ、お姉ちゃんだ!」

「お姉ちゃんも一緒に食べよー!」

「あー!塔のお姉ちゃんだっ」

「なんでいるのー?」

廊下を歩いていた子供たちが勢いよく駆けてくる。

狸擬きは子供の姿を見るなり、一目散に遠くへ走り逃げ去り、影から鼻先だけを覗かせている。

男に抱っこされた我にも、物珍しさからの視線が集まるけれど。

「はいはい、お昼ご飯の時間ですよ」

先刻の老シスターがやってくると、パンパンと手を叩き、

「あなたたちも一緒に」

栗毛女とおさげ女を促し。

「え、待ってよ、なんであたしまで?」

「たまのお客様が嬉しいのは、あなたも覚えがあるでしょう?」

あくまでも柔らかい笑みのままの老シスターに。

覚えがあるのだろう。

「……わかったよ」

おさげがため息を吐くと、栗毛同様に子供たちに手を繋がれ、

「お昼のあとはね、字の練習なんだってー」

「ねーねー、夜に海から悪いもの来るって知ってた?」

「今度街に降りたら、キラキラの石を買うんだ」

「いつまでいるの?」

子供たちが2人を取り囲み、食堂と思われる部屋へ向かって行く。


我等はそれを見送ると、

「そうだ、水をまだお渡ししていませんでした」

男が、思い出したように老シスターを振り返る。

「……お水、ですか?」

老シスターが、小首を傾げる。

「えぇ、重いので、ご指定の場所まで運ばせて下さい」

「え、えぇ……?」

話が読めないと言った顔で、荷台まで付いてきた老シスターは、しかし男が荷台から箱を取り出し地面に置き、

「こちらでは『お水』も貴重と窺いましたので」

赤の国で仕入れた酒と、こちらで買った酒。

あらかじめ小さな木箱に積めていた酒を見せれば、

「……まぁ、まぁぁ?」

口許に手を当てた老シスターは、

「これは、大変に貴重な『お水』ですこと」

まじまじと眺めると。

「大事に頂きますわ」

クスッと笑い、表情がほぐれた。

男が運びましょうと箱を抱えたため、我は隣を歩く。

老シスターが向かったのは、礼拝堂。

「ここでは貴重なものなので、まずは海の女神様へお願いします」

と、再び礼拝堂へ向かいつつ。

老シスター曰く、ここはそこまで厳しい規律はなく、シスターたちも私服に着替えて街を下りる時は、皆、人並みには嗜んではいるのだと教えてくれる。

無論、この老シスターも。

「お強いのですか?」

男の軽口には、

「ご想像にお任せします」

と上品に笑うけれど、強いのだろう。

人魚の石像の前に

「の、お主には栗毛女に憑いている水は視えているのかと聞いて欲しいの」

人魚像を拝む老シスターに、訊ねて貰う。

男は、それは何の話だとも聞かず、通訳に徹してしてくれる優秀さ。

老シスターは、男の問いかけに、あからさまに目を泳がせて、逡巡した後。

「……わたくしには、ほんの少しだけ」

と、人差し指と親指を触れない程度に合わせてみせる。

以前は、ほんの稀に、彼女の背後に同じものが視えていた者もいたけれど、老衰で、皆、女神の許へ旅立ち。

今は、あの娘もここには定期的に訪れるだけ、そのため、修道院で視えているのは、昔からあの娘を知っているわたしだけかもしれないと。

ふぬ。

「3色の」

我ながら小さく短い指を立てて見せると、

「3色……ですか?」

老シスターの眉が寄る。

「1つは、母親の話をすると反応するの。もう1つは、この石像と同じものであるの」

石像でも、絶えず見えない水を纏っている。

そして。

「……もう1つは」

「……」

男伝にの我の言葉に、老シスターの眉が更に寄り、瞳が潤むように揺れ。

(……ぬん)

それは。

「……我にも、わからぬの」

男伝にそう伝えれば。

老シスターは、その揺れたままの瞳で、我の瞳をじっと見つめると、老シスターの口からは、

「……ごめんなさい」

なぜか謝罪の言葉が漏れた。

「わたしには、全く。そんな、色があることも、その違いすらも、わからない。ただ」

ただ。

「あの子はずっと楽しそうに生きて、今も健やかに成長して、たまにここに顔を出してくれる時にも、いつも笑顔で。だから、たまに見える何かは、そう悪いものでもないと思っていたし、今も、そう思っているのですが……」

疲れたように、大きく息を吐く。

「……大きなお船に乗れないことは?」

おさげ女にも、一笑されて終わったけれど。

「いいえ、……まず、そのことについて深く考えたことが一度も。ただ、タイミングが悪かったり、あの娘の優しさで、機会が少し遠退いたくらいにしか……」

まぁ、そうであるの。

そもそも。

あの栗毛女自身が、無意識下で止めている可能性も充分にある。

栗毛女の母親のことを訊ねれば。

「あの娘は、年頃になった頃から、街でなにかあった時はよくここに駆け込んできて、ほとぼり冷めるまでここで生活して、また街へ戻っていました」

幼い頃から、よくも悪くも、特に殿方の目を惹く容姿をしていたと。

年頃になれば、たまに街で見掛ける時も、その度に相手が違っていたと。

「あの子とはあまり似てなくて、でも別に派手ではなくて、いつでもおっとりしてて、……その」

その?

「街では『小悪魔』なんてあだ名が付けられて。実際、そんな言葉がぴったりな魅惑的な子でした」

と。

その小悪魔が逃げ込む先が、修道院とは。

むしろそれを皮肉って付けられたのか。

そういえば、栗毛女も小柄なわりに、たわわな膨らみを見せていた。

我でも思わず目を惹くような。

そう、大きさもあるけれど、その妙な不釣り合いが、やけに魅力的に映るのだ。

母親から流れた血なのだろう。

一体。

栗毛の母親は、どんな女だったのか。


ピチャッ……

と耳許で、水の音がした。

「?」


『決して、あの娘のことをいらないとか、嫌いになったわけじゃないの』

『でも無理なの、それ以上に、私は私を胸に抱いてくれる男性(ひと)が必要なの』

『あぁ、でもあの娘には、私のことを、どうか忘れないでいて欲しい』

『いつか、いつか会いに来るから、それまでは……』

どこまでも透き通っているのに、舌足らずな、庇護欲をそそる女の声。

あぁ、こんな声で囁かれたら、大抵の男はイチコロだろう。

囁きですら、我の男に聞かせたくない、くらりとしてしまう、甘い音。


『ねぇなんで?なんで私のパパなの?なんでなんでなんでもう嫌だ、もう嫌だ、もう嫌だよ帰ってきてよパパ、パパ、私のパパ』

『もう二度とあたしの大事な人をあたしの前から失わせないで』

『いいでしょ?一度でも、一番、一番大きなものを持って行ったんだから』

礼拝堂に響き渡る、幼い、怒りを滲ませた、責めるような声。


その2つの声に、目を開き、耳を傾けるのは。


「どうした?」

「フーン」

男と、狸擬きの主様?の呼び掛けに。

「……の」

我は、人魚像を見上げながら、しばし固まっていたことに気づいた。

老シスターの、怪訝もたっぷり含まれつつの、我を気遣う表情に。

「の……」

何でもないのとかぶりを振り。

木箱に仕舞ったら酒を、シスターたちの寝床となる建物まで運ぶと、食べ終えた食器を運ぶ子供たちの姿が見えた。

「フーン」

それを見た狸擬きが、お腹が空きましたと訴えてきた。

「そうの」

我も空腹を感じてきた。

けれど。

「うわわわすすすすみませんっ!今日はガイドの仕事だって忘れてました!!」

とすごい勢いで走ってくる栗毛女。

そう言えばそうだった。

老シスターも、

「あらっ!あらあら、そうね、そうだったわね!」

普段はお休みの日に来るから失念していて、あらいやだ、お客様なのにごめんなさいと謝られたけれど、それくらいなんともない。

そう。

笑って終わる「うっかり」である。

今はほどけっぱなしのおさげも、子どもをあしらいつつやってくると、

「なー、もういいだろ、帰ろうよ」

とうんざりした顔を隠しもしなかったけれど。

「お父様には、挨拶をしたのでしょう?」

老シスターがにっこりと微笑み、

「それなら、お母様にも、挨拶くらいはしてもいいんじゃないかしら?」

その強い圧には。

「う……っ」

敵わないのだろう。

あからさまにたじろぎ、梳かしていない頭をガシガシ擦ると。

「……わかったよ。挨拶だけしてくるから、ちょっと待ってて」

と、大きな溜め息と共に、嫌そうに軋む廊下を歩いて行く。

我等は、おさげが戻ってくるまで少し散歩をしたいと老シスターに伝え、外へ出た。

「仕事をしていた場所では、海がとても遠かったので、こんなに身近に海があるのはとても新鮮です」

我をよっと抱え直す男の言葉に。

「そうなんですか?あー内地へ行っても、海が見えないと無理だって戻ってくる街の人もたまにいますよ」

ほほぅ。

「お主はどうの?」

「えっ?私ですか?うーんっ」

顎に手を当て、

「海のない生活。……そうですねぇ。体験してみたい気持ちは、私は耐えきれるのかどうかは、一度試してみたいかもです」

と腕をほどいてニッと笑う。

(あぁ……)

栗毛の背後の水が、女を模したその両腕が、栗毛の髪に、まとわり付く。

まるで、引き留めるように。

「……」

狸擬きの毛が、それとは分からない程に膨れている。

「……の」

「はい?」

「ここの街の人間たちの、海の神への信仰は、わりと本物であるの」

ベレー帽を押さえ、先を歩いていた栗毛女が、キョトンとして立ち止まる。

「嘘の信仰もあるんですか?」

ぬぬん。

「言葉選びを間違えたの。ここはの、人の祈る力が、とても強いの」

そう言い直せば。

「えー?そんなことわかるんですか?」

カラカラと1人笑って見せた栗毛は。

しかし。

我はおろか、やはりちらとも笑わない男の顔に、栗毛は不安そうに、海風に髪を靡かせる。

「ほんの少し、わかるだけの」

水の手が、栗毛の頬を包む。

悲しげに。

(あぁ……)

「……その力の、とばっちり的なものがの、お主に降りかかっておる」

勿論。

背後の水が、この栗毛女を厄災からも守ってきた一面もあるのだろうけれど。

「……え?とばっちり?」

何それ、何の話ですか?

苦笑いをして見せつつも、もう、困惑を隠そうともせず、栗毛は男と我を見つめてくる。

「もし」

もし。

「もしお主が」

本当に。

「本当にこの街から出てみたいのならば」

「……」

「我は」

我ならば。

「お主を解放することが、出来るかもしれぬの」

そう。

この女自身が、自分に枷を掛けていないのならば。


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