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79粒目

オムレツとパンとスープの朝食の後。

「馬車はたまに、お隣の国へ行った時に乗りますよ」

でもこの馬車、凄く乗り心地いいと驚く栗毛女。

厩舎の前で退屈そうに待っていたおさげは、長い吊りスカート姿で、そのおさげ髪も、ただ髪が邪魔だからと雑に結んでいるだけらしく、今日も所々ほつれている。

そして、

「あー面倒臭い……」

と馬車でも仏頂面。

港から向かうには、海風の吹くのどかな野っ原を抜けて丘を上がって行く。

昨夜は、高いお酒ばかり飲まれたーとぼやくのは栗毛。

「修道院では、この子、しょっちゅう悪戯してたんで、よく怒られてたんですよ」

そして、そんな昔話を暴露されても尚、

「先輩は、世話焼きだったっすよね」

自分を話題に出された嬉しさが上回るらしい。

はん、と鼻で笑いつつ、むすっとした空気が消える。

「えー?」

そうだっけ?

思い出すように、空を見上げる栗毛は、

「僕は、ただ、いい子にしてないと、修道院から追い出されないかって不安だったんだよ」

小心者だったからさぁと、なんとも意外な一面。

おさげとは違い、本当にひとりぼっちだったからだろう。

おさげ女は、そんな栗毛女の言葉に、

「それでも、心強かったですよ」

ぽつりと呟き、今もこうして懐くほどに、栗毛に世話を焼かれていた様子。

2人がそれぞれ思い出に浸っている様子で、男は綱を握り、我も狸擬きも、ぼんやりと流れる景色をぼんやり眺めていたけれど。

「先輩、こいつらにあたしの事、何か話しました?」

「え?そんなにペラペラ話さないよ」

「先輩のことは?」

「……世間話程度だよ」

2人のこそこそとしたやりとりの後。

「……その、修道院の若い女が出産した子供が、あたしです」

と、何か諦めたように口を開いた。

のの?

街の景色を眺めていた狸擬きも、フン?と興味深げに視線を戻す。

馬車の乗り賃か、何でも先輩とお揃いがいいのか、

はたまた憂鬱な場所へ行くその道程で、憂鬱の原因をただ第三者に吐き出したいのか。

おさげは、自身の身の上話を聞かせてくれるらしい。

「父親は、まだとても若くて、父親が働き始めて私たちを養えるようになってから、母親と私を修道院まで迎えに来てくれたんですけど」

ふぬ。

「そのたった3年後に、父親が事故で死んでしまって。また、母親と共に修道院に戻りました」

おさげの母親は今は修道院の学舎で教鞭を取っているらしい。

「……」

母親がいても、修道院には年単位で顔を出さないおさげ。

たまに届く母親からの手紙を受け取るために修道院に足繁く通う栗毛。

「今日も、来ないと思ってたからちょっとびっくりした」

栗毛に、

「先輩との約束は守りますよ……」

2人のやりとりからして、栗毛はおさげを修道院に行こうと誘うのは久々らしい。

栗毛が唐突に誘った理由と、その誘いを受けたおさげ。

たまたまなのか、そうではないのか。

丘を上がりつつ見えてきた放牧場には、まだ牛はいない。

「放牧は、もう少し暖かくなったらですね」

緩やかな丘を上がりつつ、トコトコと放牧場を脇目に進むと、鐘の塔から見た白い建物が見えてきた。

「お祈りする礼拝堂は、ステンドグラスが綺麗ですよ」

一番海側の建物だと。

建物の間に中庭があり、白い柱が均等に並んでいる。

老シスターが1人、花壇に水を与えていたけれど、こちらに気付くと、手を振る栗毛女に笑みを浮かべ、隣のおさげ女には少し驚いた顔。

「こんにちは、初めての方ですわね、ようこそ。あなたたちはおかえりなさい」

「ただいまシスター」

「た、ただいま」

馬車から降りると、

「まずは、海の神様にご挨拶をお願いいたします」

と老シスターに付いて一番海に近い建物へ向かう。

男も黙って我を抱き上げたまま続き、狸擬きは歩きながらも、スンスンスンスン忙しそうに匂いで情報を集めている。

大きな観音扉を開くと、

「来訪者の方からどうぞ」

招かれ、男と共に中を覗けば。

「……人魚の?」

白い石像は、人魚が両腕を高く上げ、なにかを差し出しているか受け取ろうとしているのか、技術的にはとても完成度が高い。

そして、思わず、男の肩越しに振り返れば、

「変わらないね」

「だな」

おさげと像を眺める栗毛の背中の水がはっきり見える。

(まんま、であるの)

石像と、水。

「フゥン」

狸擬きが、我に対し小さく鼻を鳴らし、シスターに視線を移すと、シスターは栗毛女の背後を見る、我を見ていた。

「……」

何かを案じるような顔で。

「人魚、なんですね」

驚く男の言葉に、

「あれ、言ってなかったですっけ?」

「あー、当たり前過ぎてわざわざ言わないもんな」

海の神様が人魚なのは、この街では周知の事実らしい。

栗毛が、

「いつもありがとうございます」

胸の前で指を絡め、人魚像に礼を伝えているけれど、おさげは何もせず、ただキョロキョロを礼拝堂を眺める狸擬きを見て、

「……え、何?なんか見えんの?」

と訊ねている。

そんな風に、祈らないおさげをしかし老シスターは咎めることなく、栗毛女の挨拶が終わるのを待つなり。

「場所が場所故に大したおもてなしもできませんが、お茶位はお出し出来ますので、どうぞ」

礼拝堂なのに長居されたくないのか、やんわりと退席を促された。

建物の中を案内されるけれど、煌びやかなのは人魚が(かたど)られた石像のあるステンドグラス程度。

どこも清貧を地で行く質素さ。

修道院の正しい姿。

中庭に並ぶものも簡素な木の椅子とテーブル。

ただ建物の塩害などは、細やかに修繕されている。

放牧場にまだ牛がいないと話すと、

「もうすぐですね。牛の乳搾りも子供たちの仕事なんですよ」

と。

乳搾りとな。

それは楽しそうである。

我等は来客室に通されたけれど、栗毛とおさげは、途中で顔馴染みらしい他のシスターたちに呼び止められ、ここにはいない。

「の、の。我は探索がしたいのの」

大人の話など聞いてもつまらぬ。

茶もどうせ質素なものか、我の苦手なハーブティとやらなのは容易に想像が付く。

それに、なんと言っても。

この目の前の老シスターは、どうやら、若干我のことが苦手らしい。

無論、露骨には見せぬけれど、そうそう目も合わせぬし、よそよそしいことこの上ない。

男は、

「んー……」

当然渋るけれど。

「フンフン」

主様にはわたくしめがいますと狸擬き。

男は、狸擬きの任せろと言わんばかりにフンッと上げた右前足に、尚更不安そうな顔になったけれど。

我の、男を見上げ、細めた瞳で、何かしらは察してくれたのか。

「……あまり遠くに行かないように」

「の」

「フーン」

我と狸擬きは、簡素な木の扉から外へ飛び出す。

遠くへは行かないようにと言われた。

男の言う遠くとはどこだろう。

赤の国は、近い。

「茶の国は少し遠いかの」

「フーン」

狼たちのいた牧場村ならは、ほどほどに遠いかとと狸擬き。

「そうの」

建物には興味はなく、狸擬きの案内で牛舎へ向かえば。

「のの?」

白黒の牛ではなく、キャラメルクリーム色の牛たちが、暇そうにしていたけれど。

修道院なる場所で飼われているだけはあるのか。

「ブフン……」

「……」

我と目が合ったり我を視界に収めた牛たちが、

「……」

縄で繋がれても尚、目を伏せ身を引いていく。

「ぬ?」

数頭は、ちらちらとこちらを窺いつつも、頭を下げて落ち着かなさげにしている。

「フーン」

この丘の上にいる牛たちには、主様が得体の知れぬ禍々しい黒い靄に見えているため、少しばかり恐ろしいのでしょう。

「のぅ」

美味な乳のためにもストレスを与えてはならぬのと引き返し、海を眺め、丘の端の方まで走ると、柵が終わる。

屈んで柵をすり抜けると、

「フーン」

狸擬きが、先の崖下へ向かう1段1段の高さのある階段を見掛け、

「よいしょの、よいしょの」

飛び降りてみる。

階段は唐突に終わるも、先は何もなく、足を進めれば海に落ちる。

まるで、身投げのための階段のよう。

「……」

一番下に腰掛けると、狸擬きも我の隣にぺたりと座り、もさりと身体を寄せてきた。

「の」

「?」

「あの栗毛に憑いているものは、なんであろうの」

『単純な憑きものとは、少し違う様子』

「そうの」

ここに来て、より姿がはっきり見えるからこそ、

「あれは、混ざりものの」

解る。

『……どうするのですか?』

静かな声。

「ぬ?別にどうもしないの」

我等に害を成すわけでもなく、美味しいものを掠め取っていくわけでもない。

それにしても。

「海は大きいの」

『ですが、山のように走り回ることは出来ません』

「そうの」

狸擬きの背中を撫でると、

『でも、眺めるのは嫌いではありません』

「そうの」

互いに物思いに更けていると、狸擬きがちらと耳を動かし、

「うわ、先客?」

そんな声がし、おさげが階段を下りてきた。

「……こんなとこ来てさぁ。怒られるよ、お嬢様」

我はお嬢様なのか。

なぜ階段が途切れていると指を差して見せれば。

「前はもっと階段あったらしいけど、崩れたんだってさ」

なるほど。

おさげが隣に腰を降ろしたため、鞄に詰めている、胡桃を砕いて混ぜて焼いたビスケットを見せれば。

「え?いいの?」

じゃあ、1枚摘まむと躊躇なく噛み付き、

「……ん。え、すご」

「?」

「なにこれ、凄い美味しい」

それはよかった。

狸擬きが口を開いているため、放り込んでやる。

「これ、この街で買ったものじゃないっしょ?」

我が焼いたもののと頷くと、

「遠くから来てそうだもんなぁ……」

無遠慮に伸びてきた手と狸擬きの無言の催促で袋は空っぽになった。

「あんがと」

おさげは、ポケットから、昨日男から貰った煙草を取り出すと、左の人差し指を右手で庇いつつ火を点ける。

「はー……うま」

美味しいらしい。

「そうだ、あんたの、兄さん?シスターの長話、ここの成り立ちなんかを長々と聞かされてたよ」

ほうほう。

我は空の袋を仕舞い、代わりにメモ帳とペンを取り出し、

「なりたちとは」

と書いて見せれば。

「え?あぁ、別に、よくある話だよ」


遠くからこの街を目指していた船乗りの1人が、謝って積み荷の1つを落としてしまった。

それをたまたま、船の下にいた人魚が受け取っていた。

その翌日。

もう一晩を越えれば、街に辿り着く日に嵐に見舞われ、もうダメだと思ったその時。

積み荷を、自分への貢ぎ物だと受け取った人魚が、見返りとして、荒波を抑え、船を先導し、無事にこの街に辿り着けたと。

それから、この街に海の神様、女神様が生まれたと。


落とした積み荷の中身は何だったのだろう。

我と狸擬きの視線に。

「ただの言い伝えだっての」

人魚なんていないと、おさげは横顔をしかめる。

立てた片膝で、大きく息を吐き出しながら。

ふぬ。

「だから、お主は祈らないし、礼も言わないのか」

そう書いておさげに見せると、おさげはパチパチと瞬きしてから、

「そうだよ」

あんた、ちっちゃい癖によく見てんね、と皮肉っぽく笑い。

「……あたしは、神様なんて全く信じてない」

我を見下ろしながら、呟く。

そう不機嫌でもなさそうな瞳で。

「……父親が死んでからさ、全く信じなくなった」

あまりここに近寄らない理由もそれか。

「まぁね」

我の書いた不躾な問いにも、そうだよと短くなった煙草に軽く歯を立て、

「母親はさ、

『それもあの人の人生だった』

って達観してたけど、あたしは子供で、何も納得できなかった」

そして、

「今もしてない」

と。

進行形か。

「祈るだけじゃ、神様は助けてくれないんだ」

「まだあたしは子供過ぎて、何もできなかったし、何も知らなかった」

果てもなく見える海は、凪いでいる。

そして、また。


コポリ

コポリ

水の泡が


「でもここは、母親もあたしのことも、二度も受け入れてくれて、一人立ちするまで育ててくれたし。それは感謝してる」

おさげが吐き出す紫煙は一瞬で散っていく。

「何がよかったってさ、ここの修道院からの出身って知ると、雇い側も歓迎してくれるんだ」

働くまでに1人で生きていくための礼儀作法、教養や知識を、あらかじめ詰め込んでくれているからと。

おさげから放たれるその言葉に、嘘はない。

けれど。

言葉の端々から、

「それでも、神様は、あたしの父親を、助けてはくれなかった」

くすぶりが絶えず滲み出ている。

「の」

「?」

「お主は、街から出る気はないのか」

と書いて問うて見れば、

「ん?んん……」

酷く変な顔をされた。

「あー……」

それを誤魔化すように、おさげは額の髪を掻き上げるように手を当てると、

「街は嫌いじゃないし、知り合い多いし、ないな」

「……」

そんなこと聞かれたの初めてだからびっくりした、とおさげ自身も自分が戸惑ったことに、歯を見せて、不自然に笑う。

我は、筆を持ち直し、

「栗毛は街から出られない」

と書いて見せれば、

「栗毛?あぁ、先輩か」

少し肩を揺らすと、短い煙草を指先で摘まむと、しかし今度は大きく首を傾げ、

「それはさ、先輩の日頃の行いが悪いんだよ」

よっぼどね、と、声を上げて笑われた。


ゴポポ……


その音は、

「フーン?」

もう、狸擬きにすら、聞こえている。

キョロキョロし、主様?と不審気に問いかけてくるくらいには。

「あんたの国は、そういう、えーと、なんだっけ?まじない?じゃないか、

『そういう星の元に生まれた』

的なものを、強めに信じてるんだ?」

好奇心と、からかいの混じったおさげの問い掛けに。


まじない

呪い(まじない)

呪詛(じゅそ)

それは

意識的であれ、そうでない時であれ、いつだって

そう

この女の様に

無自覚の

呪い(のろい)


ゴポッ……


狸擬きが、前足の爪先でで、そっと我のワンピースの裾を摘まんでくる。

(大丈夫の)

「……そうの」

(割りと信じられているし、我も信じておるの)

「今もの」

こくりと頷いてみせると。

おさげは、やや白けた様に目を伏せ、

「ふーん」

短くなった煙草を、海に落とした。

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