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76粒目

小さな橋を渡ると、野菜や果物、肉屋などが並ぶ通りに出た。

「お主は何が食べたいのの?」

狸擬きに訊ねてみれば、

「フゥン♪」

とろみのある白いスープが食べたいですと。

「ふぬ、ホワイトシチューであるの」

男も食べたいと言うため、必要な食材を買って揃えていく。

「なんだか、慣れてますねぇ」

他のお客様は、もっと目移りしたり迷ったりするんですが、と感心半分呆れ半分の表情の栗毛女。

魚で例えると、

「スレてる」

とでも言いたいのかもしれない。

そもそも、

(食に関しては、我等はとても保守的であるからの)

冒険をしないため、買うものも迷わない。

土地によって、味や形は多少違えど、それだけだ。

「パンはどうしようかの」

ホワイトシチューには赤飯おにぎりより、パンを合わせたい。

買ってもいいけれど、

「フーン」

主様の焼かれるあの柔らかいパンが食べたいのですと、すかさず催促狸。

ふぬん。

「まぁ、時間もあるし焼くかの」

オーブンがなければ、フライパンで焼けばよい。

「♪」

狸擬きは尻尾をくるくる回し、跳ねるように先を歩き出す。

道には、ミモザ以外にも水路に沿って花壇が並んでいる。

「舟は、大きさや水路の幅によって、速度が決められているんですよ」

ほうほう。

今も水路をすいすいと流れていくお舟。

そういえば今日は歩いてばかりで、この街で唯一と言える交通手段のお舟に乗っていない。

「そうなんです。初日は少し街を歩いて見てもらって、次の日からは、移動も増えるので、舟に乗って移動して貰うのがお約束なんです」

と、通り過ぎて行く小舟を見送る栗毛女に。

「あなたも、舟の操縦をされるのですか?」

男にそう訊ねて貰えば。

「うえっ!?なんで解ったんです!?」

とその場で飛び上がると、

「もー!明日驚かせるつもりだったのにー!」

少しでもなく悔しそうな顔をする。

「小舟を見送るその視線が、舟を操る者の視線だったと。その、彼女が……」

男の返事に、栗毛女は、

「うーん、観察眼があるんですねぇ?」

男に抱かれた我をまじまじと見上げてくるけれど。

我に観察力があるのではなく、栗毛女はとても表情豊かであるから、解りやすいだけである。

そういえば、橋の始まりや、水路沿いの花壇の側に、たまにでもなく傘立てのようなものが立ち、そこには虫取網に似たものが刺さっている。

「の、これはなんの?」

「水路に落ちたものを、これで拾います」

ほほう。

それはそれは。

何とも、楽しい街である。


「はぁい、あら、いらっしゃいませ」

栗毛女に、港近くのそう大きくない宿の1つに案内され、受付の奥の扉から出てきたのは、男より年上の、少し、こう、狐を思わせる女。

狐が上手く化けたら、こうなるだろうと思わせる、港の近くなのに白い肌、非常に艶やかな金髪は、今は1つに纏められ。

無遠慮に、じぃっと、女の睫毛の先まで眺めても。

「……?」

不思議そうに微笑まれるだけで、何も感じない。

当然、狸擬きも隣で大欠伸をしているだけ。

(ぬぬん)

あまりに栗毛女に分かりやすく「何か」が憑いているため、つい疑ってしまったけれど、ただの器量良しの人の女である。

「水場が必要で数日の滞在を希望、ですね。でしたら、うちで貸してる一軒家にしましょうか?広くはないのですけれど、小さなお嬢さんもいるなら、静かな方がいいでょう」

「風呂があれば嬉しいのですが」

「えぇ、ありますよ。お水の制限は少しありますけど」

ほう。

この宿に限らず、街の決まりらしい。

オーブンも、一軒家なら小さな箱があると。

「じゃあ、そこでお願いします」

男が女主人に前金を支払い、

「お客さんのご案内も頼んでいいかしら?」

そう栗毛女に訊ねつつ、男に鍵を渡している。

「いいよー」

貸家へ行く前に、まずは荷台の預かり場へ向かいながら。

「びっくりですよ」

「?」

「お風呂を重要視する旅人さんなんて初めてです」

そうかの。

荷台預かり場の隣の、厩舎の放牧場で走り回っている我等が馬たちに、男が不自由はないかと声を掛ければ、

「楽しい楽しい」

と他の馬たちと一緒に走り回っている。

そんな馬たちの姿をしばらく眺めてから。

荷台置き場へ向かい、男が荷台から箱や袋に積めた調味料や茶葉などを取り出してくれる。

我は自分の服を数着取り出すと風呂敷に纏め、狸擬きに背負わせていた土産の布を下ろし、代わりに服を纏めた風呂敷を狸擬きにくくりつける。

そして、

「……ザル?」

風呂敷にしっかり包んだ炊飯器はともかく、それに被せるようにして持っているザルを見た栗毛女に、不思議そうに首を傾げられた。

そう。

いつどこで小豆を研げる機会に恵まれるか分からない。

用意だけはしておかなくては。

そしてほどほどに港に近く、街中同様に建物の密集した小路を栗毛女の案内で進み、

「1階が水場とお風呂で、2階が寝室です」

案内されたその貸家は、隣の建物との間隔からしても、そう広くはなさそうであるとは感じていたけれど。

扉を開き入ってすぐの左手に水場、真ん中にテーブル、右手の壁に年季の入ったソファが張り付き、奥に風呂場と雪隠れ。

それだけでキチキチな1階。

狭い階段を上がると、ほぼ隙間なくベッドが2台と、押し入れ、ではなく後付けされたらしいクローゼット。

ベッドによじ登り枕許の窓から外を眺めるも、見えるのは、お向かいの建物の窓と少しくたびれた壁。

「落ち着いたら、景色のいい宿へも泊まってみようか」

「の」

男が栗毛女に、今日の案内はここまでで大丈夫なことと礼を告げ、お茶淹れるけれどどうかと誘えば。

「遠慮なく、お言葉に甘えますっ」

嬉しそうに頷き、茶屋では脱がなかった厚手の外套を脱いだ。

(……むむ?)

袋から紅茶の箱を漁る我が思わず動きを止めたのは、栗毛女の、その小柄な身体に似つかわしくない、たわわな膨らみが、ざっくり編まれたセーターを押し上げていたからであり。

これは、思わぬ伏兵である。

そう、嫌でも目を引く。

(むぅ……)

けれど。

栗毛女が脱いだ外套を受け取った男は、微塵も気にしてないため。

(ふぬん……)

変な安堵感を覚えながら紅茶を取り出すと、流しに置いたコンロにマッチで火を点けた。


「ひゃー、いい茶葉ですね」

赤の国にて、我と狸擬きの鼻で、値段ではなく、質と香りのよさだけで選んだ茶葉たちだから間違いはない。

(ふぬ、香り良きである)

栗毛女は、男の、青の国の話にウキウキと耳を傾け、我は紅茶を啜りながら、栗毛女のたわわな膨らみ、ではなく、背後に視線を向けてみる。

けれど。

(……ぬん?)

今はなにも見えない。

狸擬きも紅茶を啜ると、前足でサスサスと腹を擦り、自分の空腹具合を気にしているだけ。

栗毛女は、青の国の話だけではなく、我等の旅の話を聞きたがっているため、それは男と狸擬きに任せて席を立つ。

男の座る後ろの流しで、運んできた荷物からパンの材料を取り出しがてら。

「……」

なんとなしに、栗毛女の背後に視えたものを、思い出してみる。

くるくると記憶を巻き戻し、一番よく視えた橋での情景を、脳内で一時停止し、そのまま、栗毛女の背景に焦点を当てる。

水。

透明度は高く、海水か真水かは不明。

姿は、髪の長い人の女を模しているけれど、下半身は曖昧。

その、

「何か」

は、こちらには気づいていない。

そう。

その水は、栗毛女にしか感心がない。

こちらがなんの干渉してこないからだろう。

ただ。

(ただ?)

自分の無意識の注釈に似た言葉に、思考が止まると。

コポリ

と水の中の空気が浮き上がる音。

(……?)

なんであるか。

コポリ、コポリ

と、音は続き。

更に、記憶の奥に焦点を合わせようとした時。

「フーン?」

主様?

と狸擬きの声。

「……の」

思考が途切れ、踏み台の下から、狸擬きが我を見上げていた。

「フーン」

もう充分では、と指摘されるほどに、計量はおろか、いつの間にか、パン生地は捏ね上がっていた。

「……そうの」

粉のまぶされた手。

思っていたより、我は深く深く、記憶に沈んでいたことに気づかされた。

「修道院への手土産ですか?そうですね、なんでも喜ばれますけど、子供たちにはやっぱり玩具とか」

いつの間にかそんな話になっていた。

「私が嬉しかったもの?んー私は、来てくれるお客様そのものが新鮮で楽しかったです。遊んでくれる人、お話を聞かせてくれる人は特に」

白い珈琲の街の学校で、子供たちに囲まれたことを思い出す。

「あとは、その、あまりおおっぴらには言えないんですが……」

栗毛女が声を潜め、

「大人は、シスターたちには、お酒がとても喜ばれます」

と、きゅっと眉を寄せつつ笑う。

「……あぁ、なるほど」

男も小さく肩を揺らし、

「荷台に積んでいきましょう」

「フンフン」

わたくしめの分も残しておいてくださいと狸擬き。

おかわりには珈琲を淹れ、買ったビスケットを出せば、真っ先に狸擬きが前足をのばす。

男が持参した地図を広げると、

「うわー、これはどこなんですか!?」

眺めつつ話しつつ、我はパンを仕込む。

珈琲を飲み干した栗毛女は、小さな窓から射し込む西陽が地図を照らすと。

「わわ、すみません。少しのつもりが、すっかり長居してしまいました」

長旅でお疲れでしょうにすみませんと、(いとま)を申し出たけれど。

「の、せめてパンが焼けるまで待つの」

後は焼くだけなのだ。

オーブンに張り付く狸擬きが焼き加減を見極め。

「フーン♪」

栗毛女に焼き立てパンを持たせれば。

「わはぁ、今日はいい日です♪」

姉さんにも分けますね、と大きく手を振って帰って行く栗毛女を見送り。

我等は夕食のシチューを作りつつも、狭い水場でもあるし、男には先に風呂を勧めた。

「あぁ、悪い。出たら変わろう」

石鹸などを取り出し、風呂場へ消える。

そんな男をじっと見送っていた狸擬きが、

「フーン」

我を振り返る。

「の?」

「フンフン」

わたくしごときに貴重な水を使うのは大変に気が引けます。故に、お風呂はご遠慮致しますと。

女主人にも伝えられたけれど、この街の、宿の水の量も、1泊ごとに決められている。

水場と風呂場に大きな貯水槽があり、それを使ったらそれっきりになる。

狸擬きはそれを知るなり、それを盾にここぞとばかりに風呂に入らないと訴えてきたのだ。

まぁそれはよいけれど。

「お主、塩で毛がゴワゴワしてるの」

「フン?」

お船でも、暇さえあれば甲板に出て走り回っていたしの。

狸擬きは、自分の身体を振り返り、ぺろりと毛を舐め、

「フーンッ!!」

塩辛いですとペッペッと吐き出している。

ベッドに転がられる前に、濡らした布で拭けばよいかのと、鍋の蓋をずらして被せると、宿の扉がノックされた。


「?」

誰であろうか。

「フーン」

先刻の宿の女主人ですねと狸擬き。

おやの。

ならば我が出ても問題なかろうと背伸びして扉を開くと、

「お待たせしました、追加分のお水です」

宿の女主人が、水の入った大きな瓶を荷台に積んでポニーで運んできてくれた。

「のの?」

「3人分の宿代を払ってくれていたから」

宿の水は2人分しかなかったのと、わざわざ運んできてくれた模様。

宿の水はともかく、飲料水は、人数分が追加されるらしい。

なんと。

しかし、これは有り難い。

お礼に女主人にもパンを持たせると、

「あらぁ、いいのかしら?」

色気のあるつり目が柔らかく垂れる。

「の」

気に入ってくれればよいのだけれど。

「空瓶は明日回収するから、お外の荷台に置いといて下さいな」

と空になった荷台をそのままに、女主人はポニーと共に帰って行き。

運ばれて来た水は、風呂用には勿体ない飲食用なのだろうけれど。

「これでお主のことも洗えるの」

ニッと笑ってやれば、

「……!?」

瞬く間に部屋に駆け込み2階へ逃げて行った。


髪を拭きながら出てきた男に、水の追加を伝えれば。

「あぁ、これは助かる」

とやはり喜び、

「彼は?」

狭い部屋を見回す。

「2階へ行ったの、疲れたのやもしれぬの」

そのうち空腹に耐えかねて降りてくるであろう。

「鍋は見ているから、君も風呂に」

ふぬ。

「では頼むの」

風呂場の浴槽は我が何とか足を伸ばせる広さで、その割りに深さはある。

(真水を浴びれるだけ、よしとしなければの)

頭から湯を被り、

「ふん、ふん♪」

内地の方へ行けば、小豆を研げる川もあるだろうか。

「あーずき洗おか、あーたま洗おか♪」

しゃきしゃきしゃきのリズムで頭を洗ったら、

「ぬのの……っ?」

反射で手の平から、小豆が溢れた。

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