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73粒目

曇り空の翌日。

男は朝から眼鏡女に言葉を教わっている。

我もしばらく書き文字の練習をしていたけれど、飽きて狸擬きと甲板に出てきた。

並んで鈍色の海を眺めていると。

「フーン」

遠く遠くの海の中、わずか光の届く場所に、人魚たちの気配がありますと狸擬き。

「のの?」

それはそれは。

「フーン」

相手も、主様の気配にチラチラと様子を窺っている模様、と。

ほう。

「ここは海上であるから、格上の相手であるの」

水面に(おび)き寄せて叩くか。

「フーン」

敵意ではなく、好奇心と思われます、と。

「ぬぬ?」

交友派か。

半分は人の姿であるらしいし、ならば知能も高そうである。

「こちらへは来るかの?」

「フーン」

そうそう海上に姿を現すことはないでしょう、と。

それは残念である。

「の」

「?」

「人魚の魚である下半身は美味かの」

「……フーン」

交友派と伝えたはずですが、と狸擬き。

「人魚たちも、我の味はどんなものか、という好奇心でこちらの様子を窺っているのかもしれぬの」

「……フンス」

さぞや珍味でしょうねと呆れ顔狸。

しかし、狸擬き曰く、どうやら人魚たちと対面できることはなさそうで。

「お主の感覚では、何体確認できる?」

「フンフン」

3体ほど、と。

「ふぬぬ」

曇り空を眺めてから、雨は降らなさそうであると、その場に、甲板に座り込むと、狸擬きも対面にぺたりと座り込む。

海風に、髪と毛を靡かせながら。

我は鞄から取り出した大きめのメモ帳を破くと、蓋の出来る箱を折る。

そこに鞄に詰めていた飴玉を3つ落とし。

海風に靡く髪を1本引き抜き、飴玉入りの箱を髪でくくると、もう1枚のメモ帳で、今度は指先に力を込めて、立体のツバメを作る。

狸擬きの尻尾がゆらりゆらり。

狸擬きにツバメを持たせ、二股に開いた尻尾の根本に髪で括った箱をぶら下げる。

少しバランスが悪いかもしれないけれど、そこは頑張ってもらおう。

「フーン」

人魚にとって飴玉が美味か不味いかは知らぬし、そもそも人魚が何を食べるのかも知らぬけれど。

多少の珍味にはなるであろう。

ここいらも人魚たちの縄張りであろうから、通り抜けるための小さな礼である。

甲板に人がいないことを確認し、狸擬きの背に乗り。

「人魚の元まで頼むの」

狸擬きの鼻先が向いている遠く遠くの水平線に向かって、箱を吊るしたツバメを飛ばした。

「……」

「……」

紙のツバメは、スイッと海風に乗ると思ったより速度を出して、箱を吊るしながらもスイスイ飛んで行く。

狸擬きの背中から降りると、

「フーン」

自分にも飴玉を下さいと狸擬きが口を開いているため、

「ほれの」

放り込んでやれば。

「♪」

飴はボリボリと噛む派の狸。

そんな狸擬きと共にツバメを眺め、我の瞳で、ツバメが小さな点くらいの大きさになっても。

「フーン」

まだ届いていませんねと狸擬き。

「ぬぬ、遠いの」

「フーン」

とても、と狸擬き。

ただ、人魚も紙のツバメの存在を認識はしているらしく、深海からじっと様子を窺っているらしい。

「お主にはまだツバメは見えるのの?」

「フーン」

わたくしの目にも、もう見えませんと狸擬き。

飽きずに柵を掴んで眺めていると、

「フーン」

紙の鳥が人魚のいる辺りに到着、髪がツバメからほどけ、箱が海に沈んでいきますと狸擬き。

見えぬのによく解るものだ。

箱は我の髪で留めてあるから、人魚の許までは降りていくだろう。

「ツバメはどうの?」

戻ってくるかと思えば。

「フーン」

新天地を目指し、そのまま飛んで行きましたと。

のぅ。

我が力を込めると、どうにも勝手気儘な自我を持ちすぎる。

飴玉も、そのうち人魚たちの許へ届くだろうと踵を返せば、

「フンフン」

人魚たちが箱の存在を目に留め、少し上がってきていますと。

「のの?」

しかしあくまでも人魚の思う海上であり、我等からしたら、深い深い海の底。

ではあとは我の髪に任せようと、扉へ向かいながら。

広い甲板。

なんとなしに、

「えいの」

と両手を上げて側転して見せると、

「フンッ!?」

なんですかそれはと、フンフンッと興奮狸。

「くるっと回るだけの」

「フーンッ」

狸擬きも後ろ足で立ち、前足を甲板に付けるものの、そのままドベッと転がるだけ。

「……フン?」

「こう、後ろ足でも跳ねるの」

「フンッ」

今度はでんぐり返しに近いけれど。

「の、少しよくなったの」

「フン」

とは言え、さすが獣。

そう大した時間もかからず、テテン、テテンと側転を始める狸擬き。

「♪」

我等の曲芸で小遣い稼ぎでも出来ぬかのと、狸擬きと向かい合ってくるりと側転をした時。

「……の?」

離れた場所にある重い扉が開き、

(……ぬぬ)

我を迎えに来たらしい我の男が、くるりと一回転して見えた。


「……レディは側転をしない」

「バク転なら良いのの?」

「……」

男の眉が寄る。

「お船は娯楽が少ないのの」

構わず唇を尖らせて見せれば、お船の中に小さな本屋があり、渋々だけれど、連れて行ってもらえることになった。

渋々なのは、子供向けの絵本などは置かれていないからだろう。

男に抱き上げられつつ、そう言えば眼鏡女がいないのと問えば。

「休憩だよ。午後はもう少し細かなニュアンスを教えたいから時間が欲しいと頼まれた」

随分と勉強熱心である。

あとは、

「絵描きさんに声をかけてくれるそうだよ」

本来このお船に乗る予定だった新婚カップルが予定していたプランの1つだったか。

男の先を歩く狸擬きが、船では主様の作るお菓子を食べられないのが不満です、と振り返ってくる。

「ふぬ」

出来てもせいぜいおにぎりくらいか。

「俺も少し恋しいな」

「お主もかの」

そう甘党でもないくせに。

水の街では、水場のある宿を探そうと話しつつ、連れて行かれた店は、正確には本屋ではなく、雑貨や日用品に混じって本が並んでいる程度。

1冊1冊を眺め、この世界では珍しいと思われる怖い話の短編集を見付け、

「これにするのっ」

勢い込んだものの、挿し絵にいかがわしい描写があり、男の許可が降りず。

結局、男の厳しい検閲を経て買って貰えた本は、刺繍の入門書。

「ぬぅ」

(幼子の姿でいると、こんな時は不利であるの)

しかし、身体を大きくなる術など知らず。

それでも部屋に戻ると、ソファによじ登り、早速入門書を開く。

男は隣で煙草を咥え、狸擬きは向かいのソファで丸くなると、少しの間、耳をピクピクさせていたけれど、すぐに腹を規則的に上下し始めた。

刺繍は、白い珈琲の街の、小柄な刺繍娘を思い出す。

目の前に広がるのは細やかな図解。

刺繍だけでなく、刺繍をした生地をつぎはぎ細工、パッチワークにする図解もある。

それに、

「立体刺繍」

なる、糸で作るアクセサリーの作り方まで。

(ほうほう)

糸でも、色々な技法があるのだと感心させられる。

一通り眺めてから、

「の」

隣で煙草を吹かす男に、開いた入門書を広げて見せ。

「ん?」

「簡単な絵を描いてほしいの、それを我が刺繍するの」

と伝えれば。

男は、ちらと眉を上げ、

「……どんな絵を描けばいい?」

楽しそうに目を細める。

そうの。

「葉っぱ、お山、お花、馬、お菓子、他にもたくさんの」

「沢山あるな」

驚かれる。

そうの。

「我等の見てきたものを、パッチワークにしたいのの」

男は、

「あぁ、それはいいな」

声を出さずに笑うと、

「それなら、まずは描くものを文字に書き出そうか」

と鞄から紙の束を取り出してくる。

「フーン」

起きていたのか、自分も何かしたいと狸擬きが顔を上げる。

「そうの。お主も絵が上手であるからの、一緒に描くのの。それに、茶色い部分には、お主の茶色い毛が欲しいのの」

我の知る狸より遥かに大きいし、その分毛も長いし丈夫であるから扱いやすい。

「フーン♪」

お任せ下さい、と狸擬き。

獣、草木、無機物、食べ物、飲み物。

文字で書き出すだけでも一苦労。

男と狸擬きが絵を描き、こんな感じか、いや、もっと「でふぉるめ」を効かせて欲しいと、ああじゃないこうじゃないと話していると。

あっという間に時間は過ぎ。

小さな窓から射し込んでくるのは、夕陽。

狸擬きのリクエストで、夕食は部屋で赤飯おにぎり。

「フーンッ」

パッチワークの「おにぎり」はわたくしめが描きます!

と米粒の付いた肉球を舐めながら狸擬きが高らかに宣言し。

話し合いの結果、パッチワークの食べ物飲み物は狸擬きが、それ以外は男が描くことになった。


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