67粒目
店選びを失敗したものの。
嵐はそう時を待たずに、
「はいはい、席に戻る戻るー」
店の女将、と言うには若い、30前後の女が、
「はーい、初めてのお客さんだね、お待たせ」
うちの客がごめんねぇ、と若い娘たちを追い払い、皿を置いてくれたけれど。
「の?」
「フン?」
パンケーキ?
目の前の皿に乗ってるのは、クレープ生地を薄く棒状に巻いたものが3つ程並び、白い粉がまぶされている。
白い粉は粗めの粉砂糖と思われ、添えられているのはレモン。
男も、不思議そうな顔をしているため、
「どうしたの?」
女だけでなく、店の女も、
「あれー、注文間違ってた?」
と首を傾げ。
男が、思ってたものと違うので少しびっくりしただけですと答え、
「違う?」
「えぇ、もっとふわふわした高さのある丸いものを、パンケーキと認識していた」
と話すと、
「えー?」
「へー?」
逆に驚かれた。
こちらではこれがパンケーキなのだと。
ほーぅ。
「その丸いパンケーキも、檸檬で食べるの?」
「いえ、メープルシロップや蜂蜜、それにバターですね」
「全然違うのね!」
話している男等には構わず、我と狸擬きはナイフとフォークを手にする。
レモンのシロップも掛かっているらしく、爽やかな風味。
「いただきますの」
「フーフンフン」
切り分けて、
「あむぬ」
口に運べば。
味は想像を裏切らず、筒状に丸めたクレープではあるけれど。
「ぬふん♪」
しっとり美味。
檸檬も新鮮である。
「これも美味しいでしょ?」
と女店主。
「の♪」
「フーン♪」
食べ切る頃に、
「はい、お待たせー」
紅茶が運ばれ、どこの茶屋も紅茶の香りは間違いなく良き。
その紅茶も、香りと共にのんびりと楽しめるはずが。
客は次々に現れ、客はやはり若い女の客で、その度に、興味津々な視線を向けられては、話しかけられ狸擬きはもみくちゃにされるため。
「ごめんねぇ、空いている時にでもまた来てっ!」
店の女に拝むように手を合わせられ、逃げるように店を出た。
女にも謝られたけれど、こればかりは、予測できたのに察しなかった我等が悪い。
雪の止んだ街の、また細い橋を渡りながら、
「あなたたちは、次はどこへ行くの?」
と聞かれ、男が水の街へと答えれば。
「名前からして素敵よねぇ。戻ったら、どんな場所か教えて」
と、橋の上で立ち止まると、女はその場でポケットからメモを取り出し、さらさらと文字を書くと、男に手渡している。
「私の行く大学の名前」
しばらくはいるつもりだからと。
男は、受け取った紙を丁寧にメモ帳に挟むと、
「水の街から、大学のあなた宛に、手紙を送ります」
と約束する。
この女のお陰で、手間の掛かりそうな伝と手順を踏まず、いきなり大学の教授に会え、今、聞きたいことは全て聞けた。
感謝しかない。
「手紙、楽しみにしてるわ」
屋敷に戻ると、礼になるかは不明だけれど。
更に、貴重でも何でもないけれど、
「少し遠い土地で買った瓶なんですが」
ボトルシップにどうだろうかと、今は空の、口は小さめ、そこそこに大きめな瓶を荷台から取り出せば。
「えーいいの!?うわぁ、へー!」
空に透かし、中を眺め、
「いいっ、全然違う!」
何が違うか解らないけれど、とても喜ばれた。
その女に、メイドも不在の屋敷に招かれ、
「これから、人と待ち合わせをしているので」
男が回避したのは。
我と言う存在があるとはいえ、男は男、でしかなく。
若い女がたった1人の家に、男が屋敷に足を踏み入れたとなれば。
痛くもない腹を探られる羽目になりかねない。
考え過ぎ、穿ち過ぎとは、到底思えず。
そう。
だから、決して。
「お茶くらい出すわよ、淹れたことないけど」
そのまともに淹れたことがない、女の淹れる紅茶を避けたわけではない。
パンケーキ屋だけでなく、屋敷からも逃げるように荷馬車を出せば。
正確には待ち合わせではないけれど。
しかし女への嘘にならないためにも、黒子の記していた宿へ、街を横断するようにトコトコと向かってみた。
「この辺りかな」
と、男が辺りを見回した街の少しだけ外れに着いた時。
すでに時は夕刻を待つのみになっていた。
「フーン」
「あそこの大きめの建物から、馬たちの気配がすると狸擬きが言っておるの」
「お?」
馬車を進めると、酒のためか、ちょうど建物の、宿の敷地から出て来たのは。
相変わらず黒い、そして今は長い外套を羽織った黒子とバッタリ再会できた。
「わはー、久しぶりぃ」
何も変わんないね君たち、と軽い足取りで駆けて来る。
我とも目が合えば、
「相変わらず可愛いね、赤いドレスもよく似合うなぁ」
と歌うように褒めてくれるも。
「お主も変わらぬの」
我の呟きに。
「えっ?また色気が増してるって?いやぁ、照れるなぁ」
大して会わない間に、鬱陶しさが更に増した。
「せっかく再会できたんだし、夕食一緒にしようよ」
そして我等の宿はどこかと聞かれる。
宿は。
「え?まだ決めてないの?」
来たばかりであるからの。
「なら、僕と同じで、ここでいいじゃん、水場もあるよ!」
と強く勧められ、まぁいいかと馬車から降りれば。
宿の受付にいるのは、黒子好みの見た目はとてもキリリとした若い女。
客を連れてきたよーと、どうやら宿の女にいいところを見せたかったらしい。
けれど。
受付の女は、黒子には、うふふ助かるわ、と笑みを浮かべた後。
我の男を見れば。
「ようこそ、赤の国、城の街へ」
と、非常に意味ありげに口許を弛ませ。
「どちらから?」
「旅人さん?きっと、色々なことを知っているのでしょうね?」
「お酒はお強くて?」
特にキリリとした目許から、隠しもしない女の顔と声、艶かしい仕草。
我等の隣で黒子は、隠しもしない、嫌そうな悔しそうな顔。
男は我を盾にさらりと受付だけ済ませ、色気女に荷馬車を預けて宿を出れば。
「なんだよぅ、彼女は僕が先に狙ってたのにさぁ!」
男がブーブー文句を言われている。
なんとも。
ここまで清々しいとばっちりも珍しい。
夕食の時間までまだもう少しあるし、付き合ってよと地図を広げる黒子。
どこへ行くのかと思えば、仕事場となる広場の下見らしい。
宿から歩いていける距離の、街の広場へ向かうと、広さはほどほどだけれど、建物の隙間からの風が冷たいせいもあるのか、更に時間もあるのか伽藍とし。
「んー、ちょっとここは集まりが悪そうかなぁ」
黒子が街の地図にバツ印を付ける。
新しい国や街へ来ると、
「客が来なきゃ意味ないからね、さすがにこれくらいはするよ」
数日は広場の下見から始めるのだと言う。
「君たちは?」
次の広場まで地図を眺めながらも、黒子は道行く若い娘を目で追っている。
男の返事に、
「大学へ行ってた?は?なに、学生にでもなんの?」
彼女の魔法のためだと我を抱っこする男が答えれば、
「ん?……あぁ、あーそっか」
えーと、その、どうだった?
と、さすがに茶化さずに訊ねてきた。
「芳しくはないの」
男の腕の中で肩を竦める我を見た黒子は、
「僕もさ、少し、聞いてみるよ」
珍しく茶化さずに、そんな言葉をくれた。
期待はこれっぽっちもしていないけれど。
黒子と共に、赤の城の街に点在する、近くの広場を回ったけれど、
「うんうん、ここも良さげ」
成果はあったらしい。
街灯がともり始め、
「寒いし暗くなっちゃったねー」
今日はここまでにしよ、付き合ってくれてありがとーと黒子は地図を仕舞うと。
「さてと、楽しい楽しいお酒の時間♪」
「フーンッ♪」
おとなしかった狸擬きが、途端に元気になる。
僕はいつも勘で飲み屋探すけど、滅多に外さないよと黒子。
(ほほぅ)
「狸擬きの」
「フン?」
「酒と食事も美味な店を探すのの」
「フーンッ」
お任せください!
と狸擬きは、テッテコ歩き出す。
黒子も楽しげに狸擬きに付いて行き、大通りから小路にするりと進路を変える。
「フーン」
ここです、ここから上質な肉の匂いがしますとくるくる尻尾狸。
馬車では到底入れない店。
まだ今日は開店したばかりらしく、きちんとテーブルクロスが掛けられた少し小洒落た店。
「意外な店のチョイスだねぇ」
黒子がへーと店内を見回していると、
「うちはローストビーフが売りなんですよ」
と席に案内してくれた店員がメニューを広げてくれる。
「よい店選びであるの」
「フーン♪」
「グルメな狸ちゃんだよね」
「フンフン」
食とは生きる喜びでありますと語り狸。
「森ではドングリなど食べて過ごしていたお主が良く言うの」
「フーン」
ネズミも食べていました、と胸を張られても。
我等が下らない掛け合いをしている間に、男が適当に頼んでくれている。
黒子は酒のメニューにかぶり付いて役に立たない。
「肉には赤だよね、……でも変化球でロゼ、初手だしビール……?」
ブツブツ呟く黒子は放っておき、
「お主は何がよいのの?」
「フーン♪」
重めの赤、グラスで、と。
酒の種類どころか、ワインの軽い重いまで指定しはじめた。
「お酒に関しては我より詳しそうの」
前菜をつつきながら、
「茶の国のお祭りはどうでした?」
男が訊ねれば。
「いや、目茶苦茶凄かった」
汽車にも乗ったと言う。
よく乗れたの。
「僕、運がいいんだよねぇ♪」
また誰かしらの懐に、上手く収まったのだろう。
「凄いね、革新的だったよ」
馬車や船の需要がなくなるのではないか?と男が訊ねるも、
「それはないない、街中はあんな大きいの走れないし、乗れる人数も限られるし」
でもそのうち、川を横断くらいはするんじゃない?
とも。
そんなことを教えてくれる黒子は、酒を注文する時は、
「仲良く半分こしようねー?」
と狸擬きに笑いかけ、ボトルでワインを頼んでいた癖に、運ばれて来たら、ほとんどボトルを抱えるようにしており。
「……フーン」
当然、ご不満狸。
「今夜の酒代は黒子持ちの、お主も何か頼めばよいの」
黒子を指差してからメニューを見せれば。
「ん?え?何?」
フンフン♪
と滅法ご機嫌になる狸擬きを見て、我の言葉を男伝に聞いた黒子は、
「うええっ!?」
一瞬飛び上がるも、
「……まぁ、今日くらいいいか」
細腰の癖に太っ腹である。
「赤い石は、よっぽど金になった様ですね」
運ばれて来たローストビーフを男が取り分けてくれ、狸擬きは椅子に立ち上がり自分で手許の皿にさらっていく。
「君たちからの手紙見てさ、茶の国で残ってたコインも全部、赤い石につぎ込んだよ」
船も、人用ではなく、荷運び用の船にオマケで乗らせて貰ってやってきたと。
全部、と言うのは大袈裟ではないらしい。
「でもなんで、わざわざ小鳥まで使って教えてくれたの?」
黒子はハッと何かに気付いたように、
「え?僕に貸し作って何かさせる気?」
酒瓶を抱えながら背凭れに背中をべたりとくっつけて警戒しいるけれど。
「いえ、小鳥便を無料で飛ばせる機会があったので、飛ばしてみただけです」
と、ローストビーフのソースまみれになった我の口を拭く男。
「えぇ?何それ?」
相変わらず意味わかんないよねぇ君たちと、それでも安心したのか、黒子は美味しそうにワインを煽る。
「人のこと言えないけど、君たちも随分とゆっくりな到着だったね」
青の国で配膳の仕事をしていたと男が答えれば。
「へぇ?」
黒子は、我等を、いや主に我の赤いドレスを見てから、
「旅の資金稼ぎ、とは到底思えないから、君らのそのお人好しが発揮されて、働かされた口かな?」
黒子の推理は大当たりである。
けれど、君ら、ではなく、お人好しは男だけである。
青の国は、獣、特に狼の物語ならば、紙芝居の客がわりと見込めそうのと伝えれば、
「ええ?なんか優しいねぇ?あ、もしかして、僕に、次の行き先に付いてきて欲しくないだけ?」
その通りである。
こくりと頷けば。
「わーぉ、変わらず手厳しい♪」
しかし謎に嬉しそうな黒子は、
「でも、どこ行くのさ?」
と、更に酒を注文している。
「水の街へ行こうかと」
「……水の街?」
黒子は知らないと言う。
着いたばかりで、こちらの大きな地図も、まだ手に入れてないと。
男が地図を広げると、
「船で7日か、また遠いねぇ……」
と頬杖。
自分達はまだしばらくは赤の国へいると伝えると、
「僕も明後日には、今日最後に回った広場で仕事するから来てよ」
勿論特等席、お話も新作だよ?
と黒子のウインクに、
「フーン♪」
楽しみだと足をパタパタさせるのは狸擬き。
明後日か。
「明日はさ、受付の彼女がお休みって言うから、デートに誘おうと思ったのに、誰かさんのお陰で、どうやら予定がなくなりそうなんだよねぇ?」
と、怨み節。
再びのとばっちり。
男は、
「1人でもあなたの毒牙にかかる女性を救えて良かったです」
と、楽しそうな顔を隠しもしない。
「ギーッ!悔しい!!」
頭を仰け反らせた黒子は、けれど、新たに運ばれてきた酒の瓶を見れば途端に笑顔になり、狸擬きも、
「フーン♪」
タダ酒ほど美味な酒はありません、と肉に酒にとご満悦。
気付けば周りの席は埋まり始め、黒子は、水と言うより飲んでいなければ呼吸できずに死ぬのではと危惧する勢いで、喉に今は多分ロゼと思わしきワインを流し込んでいる。
我は。
「お代わりの」
もう少しお肉が食べたい。
「追加しようか」
「の。……ローストビーフは、パンに挟んでも美味しそうの」
「あぁいいな」
「フーン♪」
主様の焼いたパンで食べたいですと狸擬き。
ふぬぬ。
良いかもしれない。
再びの赤の国の夜が、更けていく。