66粒目
「いえいえ、本当に違うんですぅっ!」
馬舎の若い娘は、
「誕生日に両親に連れていってもらったお店で、お洒落して行ったんですけど、凄く素敵なお店だったので、妹さんが喜ぶんじゃないかと思って!!」
馬舎に戻り、
「あれ、忘れ物ですか?」
と受付できょとんとしている若い娘に、ローズマリーのショートブレッド、フルーツケーキ、あの店オリジナルの檸檬のジャムを渡せば。
「……え?え?」
男と土産物を交互に見る。
「土産が欲しいのかと思ったんですが……?」
男の言葉に、
「ちっ違いますよぅ!!」
と外にも響き渡る声で否定された。
「私達が行った時はお土産のメニューなんてなくってですね!!」
ぬぬ?
地元の人間には、土産のメニューがないらしい。
あれは、余所者の我等向けのメニューだったらしい。
「でもでもっ知らなかったとはいえごめんなさいっ、凄い催促したみたいになっちゃいましたね!」
どうやら我等の考えすぎだったらしい。
あの黒子や気狂いトナ鹿が異質なだけで、そうそう皆、裏などないのだ。
「こちらこそ、俺たちが余計な気を回し過ぎたみたいです」
お詫びに受け取って下さいと男が謝れば、娘は、
「あああすみません。でも、本音はとても嬉しいですぅ……」
と土産物を眺め、袋越しでも漂うフルーツケーキの香りに、うっとりしている。
喜んでくれたなら何より。
「じゃあ、今度こそ、失礼します」
と男が我を抱き上げて踵を返すと、
「あ、あのっ」
受付から慌てて出て来た。
「?」
「あんまり、楽しい話じゃなくてごめんなさい」
娘はそう前置きしてから、
「実は」
しばらくの間、少ししか入らないトナ鹿肉を、氷の島は勿論、港周りにも卸さずに、優先して城へ運ばれていることを、快く思わない者もいたと。
「周りの国からも来賓の方はいらっしゃるから、そういう方たちのために仕方ないって声もありますけど、長期化してきた最近、そんな声があったのは確かなんです」
と。
ほうほう。
それも、気狂いトナ鹿の死で、解消しそうだけれども、と。
なるほど。
楽しい話である。
にまーりと口許を弛める我に、
「とても参考になったよ」
男のありがとうの言葉に、娘はほっと安堵した顔をし、
「またいつか、逞しいお馬さんたちに会わせて下さいね!」
手を振って見送ってくれる。
隣の街に向かっていると、
「ピチッ」
弾丸鳥ではなく、主に街を飛び回る、黄緑の小鳥が飛んで来た。
「……?」
狸擬きの背中に着地したため我が金具を外して男に渡すと、
「あぁ、彼女からだ」
黒子らしい。
「赤の国へ着いたよ、君たちのお陰でたんまり換金できたからね、今回の鳥便はこちらで持つよ」
早速、恩着せがましい。
しかも、発展した大きな街の郵便鳥ならば、そんなに高額でもない。
「僕は、人が多そうな城のある街まで向かうよ、でも茶の国でのんびりし過ぎて、どうやらこっちの祭りは終わっちゃったみたいだね、残念」
自業自得。
最後に黒子の泊まっている宿の番地と名前が記されている。
黒子に会いに行くかどうかはともかく、まずは。
「えー!待ってたよー!でもいきなりじゃなーい!?」
と、とかく軽い調子で迎えてくれたのは、南からこちらへ来た時に知り合った、お船でボトルシップを作っていた女。
そう、このボトルシップ女の家は、川向こうの少し内側。
馬車ならば半日どころか、ほんの数刻で辿り着ける場所に印があった。
「近くにまで来たので、ご挨拶だけでもと思いまして」
「もー仰々しいなぁ!」
気にしないでよーっと相変わらずあっさりしている。
庭先に馬車を停めさせて貰ったけれど。
「今日はチビたちはまだ学校だし、両親も、どこだったかにお呼ばれしててね」
1人だからさ、メイドさんにも休みとって貰ってるのよと。
「ちょっと待ってて」
と立派な洋館へ消えた女は、すぐに出てきたけれど、外套を羽織りながら出てき
た。
今日も、女性ではやはり珍しいパンツスタイル。
「少し外出ようと思っててさ、散歩付き合ってよ」
と歩き出す。
良いけれども。
女の案内のまま建物の小道を抜けると、水路が続いている。
(ぬぬ)
水路であるから、当然、小豆を研げるような川ではなく。
男に抱っこをせがむと、
「あらら、相変わらず甘えん坊なんだ?」
「ぬふん♪」
羨ましいだろうとしたり顔をしてみせれば、
「いいなぁ」
と本音らしい溜め息。
おやの。
甘えん坊タイプには見えないけれど。
「聞いてよ、親に見合い勧められちゃってさ」
それはそれは。
女は、
「その前にね、茶の国の大学から、うちに来ないかってお誘いが来てたの」
それは凄い。
「正確には、こっちの国で助教授やってた先生が、あっちで教授の待遇で招かれて、暇してるなら来ないかってさ」
川から吹く冷たい風にポニーテールを靡かせる女は、
「渋ってたらね、その話を断るなら見合いしろ、って言われたのよ」
苦々しい顔。
この女の両親は、娘の行く末を真剣に考えているらしい。
まぁ確かに端から見れば、穀潰しでしかない。
穀潰し。
ごく身近にいたような?
と男の足許を見るも、我等がもっさり穀潰しは、
「~♪」
すでに先の方を、テンテコと呑気に歩いている。
それでも、我の視線に気付けば、くるりと身体ごと振り返り。
「フーン?」
おやつですか?
と期待で太い尻尾をくるくる回す。
おやつではない。
「それでさ、もうそろそろ出発なの」
おやの。
「行き違いにならなくてよかった」
先刻も荷物を積めていたのだと。
それなのに出てきて良かったのだろうか。
「気分転換よ。後は、少し街を見ておきたかったから」
と辺りを見回し、水路は続く。
ふと先を歩く狸擬きが立ち止まり、そこには、大きな馬車は渡れない、主に徒歩の人間のための橋が掛かっている。
「あそこ見える?ちょっと建物の隙間からで見にくいけど、あれが私の通ってた大学」
確かに、先に巨大な建物が見える。
「そうだ、教授でも紹介するって約束してたよね、行ってみる?」
と軽く問われ、そんな簡単でいいのかと、男と顔を見合わせてから頷くと、ハラハラと微かな雪。
大学が近いせいか、すれ違う者たちにも若者が多い。
「あ、ここのお店のパンケーキ、美味しいよ」
小路に並ぶ店を指差すと、ほんのり雪を纏った狸擬きが、店先で鼻をスンスン鳴らしている。
「向こうでは、まず茶色い服をたくさん買わないといけないわけよ」
しばらくは女の独り言にも似た話を聞きながら、辿り着いた建物は。
青の国と同じく、大きな門が開け放たれている。
向こうと違うのは、金のかかった瀟洒な建物なこと。
余計な飾りはない簡素な青の国の学舎と比べると、やはり勉強に力を入れているせいか、違いが顕著である。
ただ、広場などはなく、道からすぐに建物なために、圧迫感が凄い。
女は慣れた様子で開きっぱなしの建物に入ると、講義中なのか、大学の中はわりかし静かで、壁には色々なお知らせなどが貼られている。
建物の中も無駄に広い広間などはなく、隈無く空間を利用しようと木の扉が並び、廊下も階段も広くない。
その階段を上がり、女の案内で左手の廊下を進めば。
隣との扉の間隔がそう広くない所からしても、講堂などではなさそうだ。
実際、女が扉をノックし、中からくぐもった声が聞こえ、扉を開けば。
せいぜい10畳程度の空間に、両脇には本棚、正面の窓も潰す勢いで棚に本が積まれ、手前の机には、恰幅のいい片眼鏡の老人、教授とやらが本を広げていた。
特にお腹回りがふっくらした教授は、女の、
「今少しいいですかー?」
のフランクな訪問にも、
「構わないよ、いらっしゃい」
と穏やかな笑みを浮かべた後。
「ん?……お客様かい?」
「そうそう、前に話してた南の船で会った人です」
「おぉ……っ!」
何を話したのか、ふくよか教授は、
「いやいや、あなた方には、とてもお会いしたかったのですよ!」
これはこれは、お噂はかねがねと、男の外見、我の見た目、狸擬きの存在に一通り大興奮し。
こちらも本が重なるソファを勧められ、本をどかしてから座ると。
教授はワクワクを隠しもせずに、我等を忙しそうに眺めていたけれど。
「教授、この方たちは、魔法のことを聞きたいんだそうです」
と、どこからから木の椅子を引っ張ってきて腰掛ける女の言葉に、ハタと我に返った様に。
「おぉ失礼。……魔法とは、また大きなくくりですな」
と男の差し出した煙草を、
「気持ちだけ頂きます」
と断っている。
この世界では、男ならば特に珍しい非喫煙者。
ふくよかな見た目からして、甘党なのだろう。
男の、
「持たない魔法を取得する方法」
の質問に。
「この大学では、私たちはそれを『生活魔法』と呼んで区別を付けています」
と前置きされた上で、
「今のところは、生活魔法は、血に混ぜていくしかないというのが現状ですな」
輸血などではなく、火魔法がない人間と火魔法が使える人間が子を孕むと、どうやら「持っている」方の血が濃いらしく、子供は火魔法が使えるようになっていると。
「魔法を1つも持たない人間は存在するんでしょうか」
男の質問には、
「世界は広いですから、いるかもしれませんね」
それくらい存在しないと。
では。
「年を重ねてから使えるようになった、などの例はあるのかの」
「いえ、物心ついた時の身体の成長の差異などでは若干ありますがね。例えば初潮や精通などの変化、例えば一定の歳を過ぎた時に使えるようになった、などの報告は、まだ一度もありせんな」
ふぬ。
ならば良い。
我は成長が出来ぬからの。
「輸血ではどうの?」
教授は、
「医療行為でないため、強く禁止されています」
教授は過去に重症患者が出たとこそりと教えてくれた。
そして、成果は芳しくなかったとも。
そんな話を聞くのは、とても楽しい。
ほとんどの問いを我がして、男が教授に問うているため、男ではなく、我が生活魔法に興味があるのかと聞かれた。
「えぇ、そうです。特に彼女が魔法に興味がありまして」
まぁ確かに、
「こんな小さな子供が?」
と不審がられても仕方ない所だけれど。
「うちの大学は、才能と希望があれば、年齢関係なく優秀な生徒を求めていますよ」
そんなものは関係なく、入学を勧められた。
そして教授の目は、なかなかの本気。
なんと。
(これは)
そう。
我の前には突如、
「キャンパスライフ」
なる選択肢が現れた。
我が大学生とは。
旅の寄り道としては、なかなかに有意義なのではないか。
講義も狸擬きがいるし、案外、何とでもなりそうである。
と、一瞬、夢を見るけれど。
「フーン」
我の耳となるその狸擬きが、
「長く退屈な通訳に飽きてきた」
と、隣で投げ出した後ろ足をパタパタさせて訴えてくる。
(ぬぬぅ)
我はよくても、どうやら我の耳が言うことを聞いてくれない。
しかし、今日はまだそこまで長時間の通訳もさせていない。
はず。
なぜのと問えば。
どうやら、狸擬きの知らぬ言葉は、その相手の感覚をも読み取り我に伝わる言葉に変換する非常に疲れると。
「凄いのお主」
「フーン」
褒めても疲れたのか、くたりとソファに凭れている。
なるほど、これでは講義の通訳など夢のまた夢。
「……寄り道は諦めるかの」
我の、華やかなキャンパスライフの夢は、呆気なく潰えた。
教授は、今度は我等のことを知りたい、話を聞きたそうにウズウズしていたけれど、建物内を覆うように鐘が鳴り始めた。
講義が終わりの合図らしい。
そして。
「次は講義なんだよ」
残念そうた溜め息。
男が鞄に忍ばせていた茶屋で買ったフルーツケーキを渡せば、
「これは、私のお気に入りのあの茶屋の1つなんですよ。でも最近は行けていなかったので、あぁ、嬉しいな」
と、袋から漏れる匂いにホクホクしている。
揃って部屋を出ると、
「またいつでも、遊びに来て欲しい」
と心の広い教授と順繰りに握手すると。
教授は女に向かい合い、
「もうすぐ出発だね。優秀な君の活躍が、こちらにまで届く日を楽しみにしているよ」
と女に告げてから手をゆるりと上げ、他の教授らしき者と挨拶しつつ去っていく。
女は、
「教授はおだてるのが上手いだけよ」
と苦笑いでかぶりを振り。
休み時間の大学から出ると、行きに見掛けたパンケーキ屋の前で狸擬きが立ち止まり。
「フーン」
食べたい、と男に抱っこされた我を見上げてくる。
「いいね、寄って行こっか」
そう言えば、もう昼も過ぎている。
店内は学生で溢れていたけれど、若い娘同士が多い。
女も顔見知りがいるらしく、軽く挨拶しながら席に付けば。
(ののぅ……)
若いと、好奇心や遠慮もそれなりにある。
主に、異国感溢れるなかなかに見目麗しい男と狸擬き目当てで、席の周りに若い娘たちが集まってきた。
狸擬きは、
「わーふわふわぁ」
「えーなにこれ?」
「かわいー♪」
無遠慮に撫でられまくり。
本人ならぬ本狸は、
「ただ嵐が過ぎるのを待つのみ」
と目を閉じて達観しているし、男は、多分適当な嘘を交え、娘たちの問いかけに、作り笑顔でにこやかに答えている。
大学の近く、若い娘たちが好む、パンケーキの店。
事前にこうなるとは充分に予測できたのに、気付かなかった我等の敗因。