64粒目
狩りをする我等を待っている間、男は父親に、我のことを伝えてくれていたらしい。
男の念押しには、
「あぁ、勿論秘密は守るぞ。なんせ、俺の大事な息子の、命の恩人だからな!」
そして、
「兄さんも含め、3人で狩りをしたと言えば、まぁこの量なら驚かれて終わりだろう」
とも。
男も、形だけあの少しウエスタンに似た服に、防寒だけに特化した外套に身を包み、見た目だけは狩人の体を成している。
しかし。
(ぬ?)
この量ならば?
「のの?もう終わりの?」
まだまだ、これからではないのか。
「一度卸さないと、馬がこれ以上は動けない」
なんと。
我等の脳筋馬であれば、これの倍でも大喜びで走るだろうに。
(……いや、さすがに無理かの)
トナ鹿は大きい。
男に、巫女装束を隠すように頭からポンチョを被せられ、名残惜しく島の村へ向かいつつ。
「あれの、1体は、青の国のあの若造に送らねばの」
「ん?あぁ、そう言えば、送れとかと言われていたな」
「一杯ご馳走してくれたお礼の」
我と狸擬きと息子は、トナ鹿を卸す前に、吹雪で客のいない茶屋へ放り込まれた。
息子は我等のお守り。
紅茶を頼むと、店の男が、
「仲間が鹿を卸している?おぉ、この吹雪の中でよく入ったな」
と驚き、
「卸すのには少し時間がかかるだろう」
と我に、質はそうよくない紙と筆を貸してくれた。
退屈だろうから、お絵描きでもしていればいいと。
島ならば質は良くなくても、紙も安くはないだろうに。
店の男曰く、山に入り、トナ鹿を狩ってくれた礼だと。
我の代わりに、息子が恐縮して礼を伝えている。
「……ふん、ふん♪」
お絵描きは楽しい。
「見ての」
「うん。隣の彼を描いたのか、毛の膨らみ具合が上手だ」
「見ての」
「兎だな、特徴がよく出ている」
「……見ての?」
「深い器に乗った、さくらんぼの菓子だろうか」
息子は、我の男ですら難儀する、我の描いた絵を悉く当ててきた。
「フーン」
黙って紅茶を飲んでいた狸擬きも、
「何者ですか、この人間は」
と驚いている。
「これはの、パフェの」
「ぱふぇ?」
「茶の国の甘味の」
「森が広いと聞いたな」
「そうの。でもお主等には、山の多い青の国の方が向いておるの」
そう書いて見せれば。
ちらと目を見開く息子。
「青の国は、あまり狩りに積極的でないと聞いたけれど……?」
それも最近少し変わってきているから、行くならば、まず港街の組合へ行けばよいの、と、また文字で伝え。
あの父親曰く、逃げられたと言う母親とは、
「俺は、たまに会っている。母親も、狩りに夢中な旦那に拗ねているだけで、本当は、そう親父を嫌っているわけではない」
とのこと。
なんとも、どちらも面倒な性格をしているらしい。
息子はそうだなと笑い、
「……君が勧めるなら、青の国へ行ってみようと思う。せっかくだし、行く時は、母親も誘ってみようかな」
そうはにかむ表情は柔く、我の持つ地図を広げて、話していたけれど。
ふと疑問を思い出し、訊ねてみる。
「俺たちの、馬車の進みが早い?」
「の」
我等は到底追い付けない速度だと伝えると、
「舌を噛むから会話はないな」
ののぅ。
なるほど、早いわけだ。
「母親も乗せるのであれば、馬車は飛ばすでないの」
我の書いた文字に、
「?」
まさかの、飛ばしている自覚はないらしい。
速度は牛歩程度にしろと、とかく強く念押ししていると、
「おまたせ」
男と父親が戻ってきた。
1頭は、青の国のあの若造にトナ鹿が届くように手配したと。
気狂いトナ鹿のことは。
「それらしい鹿を追い込んだけれど、あえなく、崖下へ落ちていく姿を、息子が目撃した」
と言うことにしたらしい。
その言葉を、島の人間が信じる、信じないよりも。
長い事、奴に悩まされていたこともあり、
「そうだといい」
「いや、きっとそうだ」
と希望も含まれ、案外難なく受け入れられたと。
実際の気狂いトナ鹿は、もうとうに、狼たちに汚く食い散らかされているだろう。
「のの」
「どうした?」
弓銃での狩りが楽しくて、あのトナ鹿のツノの回収をすっかり忘れていた。
奴もオスであろう。
死しても尚、隈無く利用してやるのが、我なりの奴に対しての「気持ち」である。
「気狂いトナ鹿の回春剤の回収を忘れたの」
と告げれば、男の、とかく不味いものを食べた様な顔。
それは、また我が山へ入ることへか、言葉の選び方を間違えたことか。
「……」
どちらもか。
あやつがどうなったかの結果も知りたい。
もしかしたら、狼たちを懐柔して生き延びている可能性もある。
息子が、それなら目立たぬ様に、山の麓にまで馬車で送ろうと提案してくれ、三度山へ。
島の吹雪は更に強くなり。
「行ってくるの」
山を駆け上がりながら。
「すまぬの」
『夜にお酒を一杯所望します』
「一杯で済むのかの」
軽口を叩きつつ進み、辿り着く山深くの中腹には。
「……」
剥き出しの、僅かな欠片にも充たぬ肉と血のこびりついた骨、頭はすでに雪に埋もれ始め、眼球を除き、頭皮の皮はだらりと残っている。
そして、この吹雪でも鳥が数羽、名残をつついていたけれど。
我の気配に鋭く何かを感じたのか、離れた場所でも、逃げるように吹雪に紛れ飛んで消えて行く。
近くに落ちたツノの先を折っていると、
『……』
尻尾辺りを眺めている狸擬き。
「?」
『主様』
「なんの?」
『大変申し上げにくいのですが』
「ふぬ」
申すが良い。
『このトナ鹿、メスであります』
「……」
のーぅ。
こやつは自分のことを「僕」と言っていたけれど、言葉は所詮獣の言葉。
私、自分、俺、僕、我。
一人称は、人間の都合。
こやつが適当に自分を現していた言葉が「僕」であり。
我の耳は、我の獣の耳は、少なくとも、そう訳していた。
声も、か細い少年のものに思えたけれど、あの黒子だって女性とは思えない青年の声を放つ。
「ぬぬぬぅ……っ」
男に苦い顔をされながら、わざわざ来たのに。
最後の最後に、こやつにしてやられた気分。
「メスも売り物にはなります故」
我の不穏な空気に、狸擬きが宥めるように、我の回りをくるくる回る。
なんぞ、腹立たしさ故に、我がこいつをもう一度生き返らせて、再び殺すとでも思っているのだろうか。
我は破壊と再生の神などではない。
(……仕方なしの)
「……」
吹雪の中、大きく白い息を吐くと。
我は。
こやつに殺された旅人を思い、少しの間、目を閉じた。
そして。
むぅとしたまま山を降りるのも癪で、
「ふんっ」
『お見事です』
「ふんすっ」
『素晴らしい』
トナ鹿の群れを見つけては、オスのトナ鹿のツノの先に小豆をぶち当て、その先の尖りを回収した。
ツノはまた伸びるらしいから、折り放題である。
これらは、氷の島では卸さずに、現物を旅先での糧にする。
「大量、大量♪」
「フーン♪」
すっかりご機嫌で山を降り、荷馬車の中、親子と共に待っていた男に、気狂いトナ鹿はまさかのメスであったと拾ったツノを見せれば、男はさすがに苦笑い。
代わりに、
「これは、自分が買い取ってもいいか?」
と指を差してきたのは息子。
「の?」
こんなものタダでよいのと渡せば、
「加工してネックレスにしようと思う」
ありがとう、と、とても嬉しそうだ。
渡しておいてなんだけれど、それは人を突き殺した、息子自身の腹をも貫こうとしたツノであるが。
それでも、
「大丈夫だ、気にならない」
とツノをぎゅっと握る。
こやつも大概である。
2人に食事に誘われたけれど、我等は宿で食事を頼んでいるため、女将に食事だけ追加で頼み、食事の時間までは親子を部屋に招き。
「君と一緒に狩りをしたいけれど、到底足が追い付かないな」
「そもそもなっ、俺たちの出番はないだろうなっ!」
ガハハーッ!
と豪快に笑う父親。
「その、タヌキ?だったか、彼の仲間も、彼のように足が並外れて早いのか?」
「フーン」
元々逃げ足の早さに定評はありますが、この力は主様からの授け物です、と狸擬き。
男が、我についてはあまり答えられないとでも伝えたのか、2人は狸擬きに興味を向けている。
特に息子が、少し撫でてもいいかと訊ねると、狸擬きはたたっとベッド脇のテーブルから櫛を持ってくると、
「毛を梳かせ」
と息子に櫛を見せている。
優しく毛を梳かされ、ご満悦狸。
そういえば。
「息子は獣好きなのに、獣は一緒におらぬの?」
「出てった時にさぁ、母ちゃんが連れてっちまったんだよ」
鳥と狼だと。
したらば、再会は案外早そうである。
宿の夕食は、今夜も美味しいサーモンだったけれど、
「実はねぇ、明日には、トナ鹿が入りそうなんだよ」
女将が嬉しそうに教えてくれる。
「せっかくだしさ、急ぎの用がなければもう1泊してってよ」
とも。
急ぎの用はない。
今夜も美味しくサーモンを食べた後は、雪は止めど、吐息も凍りそうな寒空の中、男たちに付き合い、酒場へ向かう。
親子に、酒くらい奢らせてくれと誘われたのだ。
「お主も今日は頑張ったからの」
「フーン♪」
トナ鹿を卸した報酬は、半々にしたと男に伝えられた。
2人は、分不応だと遠慮したけれど、気狂いトナ鹿を仕留めた名を背負って貰うのだから、もっと多くてもいいくらいだ。
そう。
すでに、
「あんたたちかい?あの忌まわしいトナ鹿を崖にまで追い詰めたって狩人さんたちは」
と、すでにお堅い三つ揃いに着替えた我の男ではなく、見た目からして狩人な親子に飲み屋の店主に声を掛けられ、瞬時、詰まる息子と違い、
「おうよ!やってやったぜ!!」
声を張り上げるのは父親。
他の客たちもどよめき、歓声と拍手。
やんややんやと、飲めや唄えやの大騒ぎ。
我等はほどほどで、まだ飲み足りたいとぼやく狸擬きを男が小脇に抱えて、飲み屋を後にする。
早起きした我は、あいにく、もうおねむの時間なのだ。
快晴の翌朝。
朝から馬車を借りて洞窟へ行ってみたものの、崖から落ちた雪が積り、
「ぬぬ」
到底入れる状態にはあらず。
山も朝から人の気配を感じる。
早速、狩人たちが山へ入っているらしい。
あの親子は昨夜散々飲まされ、今日は狩りどころではなさそうだけれど。
我等は雪景色の島をあてどなく散歩し、港の方へ戻ると、やはり、明らかに流れる空気が違う。
活気のある、本来の島を彷彿とさせるもの。
「フーン」
「の?」
鷹が飛んできた。
「おはよう、長くあった沈鬱な空気が晴れて、島の鳥たちもみんな喜んでいるよ」
と。
ほうほう。
「僕が君のことを伝えるまでは、また新しい災厄が来たのかって怯えてる鳥もいたから、その災厄こそが、あのトナ鹿を狩ったんだって話したら驚いてたよ」
ぬぬ。
災厄には災厄を、か。
あの狩人親子たちは二日酔いで寝込んでいるかと思えば、朝から臨時の組合
から呼び出しを受けたり、忙しく動いているらしい。
「君たちはいつ赤の国へ戻る?」
「明日の」
そっか、僕は今日戻るから、と山を見上げると。
「数少ない真実を知る者として、お礼を言わせて欲しい」
ありがとう、と鷹に礼を言われた。
「どういたしましての」
腰に手を当て胸を張ると、なぜかおかしそうに笑われた。
夜。
あの狩人親子は、大掛かりには出来ないけれど、島の人間たちに感謝の印だと、食堂で食事と酒を振る舞われているらしい。
我等は。
「ぬー♪」
「フーン♪」
「おぉ……」
「お待たせ、たーんとお食べよ」
トナ鹿肉を、ドーンとステーキで出された。
ジワジワ良い音を立てて焼ける肉。
適度な噛み応えと肉の旨味。
狩って楽しく食べて美味しく。
(狩りとは良いものである)
狸擬きは、
「フーン♪」
肉には赤ワインなのです、と拘り狸。
「青の国のあの若造は、トナ鹿を喜ぶかの」
「喜ぶとは思う、ただ、どれだけ時間が掛かるかな……」
ふぬ。
「春には着くのではないかの」
多分。
女将に美味しい食事の礼を伝えて部屋に戻ると、少しフラフラしつつも、ご機嫌な狸擬きを男がひょいと抱えて風呂へ向かう。
「フンッ!?」
狸擬きが我を振り返る。
「山へ入ったろうの」
しかも昨日。
今日、酒をそうそうセーブさせなかったのも、おとなしく風呂場へ連れていくため。
「フーンッ!!」
騙されたと騒ぐけれど、別に、何一つ騙していない。