60粒目
おばばは、
「放牧場も広いし、他の馬もいる。数日ならば、馬もそう退屈はしないで過ごせるだろうよ」
愛想はなくとも、案外親切に教えてくれる。
「天候が荒れると舟は出ないし来ないからね、1泊2泊は余裕もっときな」
と、再び建物の中に入ると、
「氷の島へ行くのは、のっぴきならない理由なのかい?」
と、おばばが分厚い台紙に何か書き始めた。
「そうですね」
実際、どうなのだろう。
のっぴきならないのは、氷の島の方ではないのか。
「……旅人さんなら、噂くらい知ってるだろうよ」
知らなきゃもぐりだと、おばばはくくっと笑う。
「被害は、大きく出ているんですか?」
「いや、狩人たちもかなり警戒してる、ただその分、当然狩れる数はかなり減ってるね」
「最低、何人で山に入れるんでしょうか」
「2人だよ。……1人の時にやられたからね」
おばばの元々寄っている眉間に、更に皺が寄る。
「大人2人が基本だ、狼ならば、その頭数には入るんだけども」
机越しにひょいと狸擬きを見たおばばは、
「あんたは、狼ではなさそうしだねぇ……?」
大きく首を捻る。
「フンッ!?」
なんですとなんですと!!
と、4つ足高速地団駄で怒る狸擬きだけれど。
このもっさりな見た目からして、こいつが何の役に立つのかと思われても仕方ない。
「向こうには、怪我を治せる人間も泊まり込んでるよ」
藪から棒に狩人を放り込んでいるわけではないと。
「弓銃の矢が欲しいんですが」
「あぁ、あんたたちが抜けて来た大通りの1軒にあるよ。塩で錆びない様に扉はがっちり閉まってるけど、やってれば看板が出てる。閉まるのは早いから急ぎな」
親切に教えてくれつつ、おばばの片手は休まずに動き、どうやら、分厚い台帳に、我等の特徴を書いているらしい。
「……」
「悪いね。でも、氷の島へ行くなら、これは決まりなんだ。帰ってきたら破棄を約束するよ」
その話しぶりからして、気狂いトナ鹿の被害が出る前からの決まりごとなのだろう。
「ごくたまーに、探しに来るんだよ、家族が帰って来なくて、足取りを辿って来たって客がさ」
その稀に来る誰かの、家族の手掛かりのために、欠かさず島へ向かう人間の情報を書き留めているらしい。
ふんっと息を吐くおばばに男が煙草を差し出すと、
「……あぁ、じゃあ貰おうか」
1本引き抜くと、
「あんたたちは、話しぶりからしても、呑気に島の散策をするんじゃなくて、山に入るんだね」
「えぇ」
おばばは、まだ茶の国の三つ揃いのツイードに、厚手のかちりとした外套姿の男を、上から下まで見回し、
「ま、止めやしないよ」
独り言のような呟き。
「の、郵便鳥は飛べる距離のの?」
男に訊ねてもらうと、
「あぁ、よっぽどの嵐じゃなければ飛ばすし飛ぶよ」
組合とは関係なく、氷の島へ鳥を飛ばす仕事をしているものがいるらしい。
「馬舎の所がやってる」
ほうほう。
狸擬き伝に、鳥に、少し話を聞けないだろうか。
準備を整えてからまた来ますと建物を出て、組合を挟んだ、もう少し大きく立派な建物が、水の街へ向かう、大きなお船の切符売り場らしい。
だいぶ離れた場所に、今も大きなお船が停泊しているのが見える。
馬車で馬舎のある建物へ向かうと、
「のの」
「フーン?」
風に乗りつつも、馬舎の方へ高度を落としているのはカモメでなもく、小鳥でもなく。
「あれは、鷹であるの」
こちらでは、鷹も郵便鳥の仕事をしているらしい。
「フーン」
優雅に旋回して建物へ戻って行く鷹は、しかし確かに。
(ぬ……?)
建物の影に姿を消す前に、こちらを見ていた。
ーーー
向かった馬の預かり所では。
「馬たちは、とにかく走り回らせていれば、あとは、重い荷物でも運ばせればもっと喜びます」
良ければ仕事でもさせていてください、と男の要望に、
「か、変わったお馬さんでたちですね」
馬舎の若い娘は、
「任せろ!働くぜ!」
と鼻息荒いに馬たちに少し驚いた後。
それでも、
「足も立派ですねぇ、凄い、凄い」
と褒めてくれ、馬たちも若い娘の感嘆に、単純故にご機嫌に尻尾を揺らしてる。
そして、
「では、荷運びの馬を連れてきますね」
と、我等が阿保馬の代わりに荷運び要員として連れてこられたのは、最近、そう、青の国でも見たばかりの、
「ののぅ、小さいの」
ポニー。
狐色に白い長い鬣。
「フンフン」
狸擬きが早速ご挨拶をしてみるも。
「……」
やはり、頑なに馬とは言葉は通じず。
ただ、とてもおっとりとしており、狸擬きに鼻先を寄せ、挨拶を返してくれている。
「あの」
「?」
「この毛玉ちゃんも、こちらで預かりますか?」
毛玉。
あぁ、狸擬きのことか。
「フーンッ!?」
憤慨狸は地団駄を超えて、その場でぴょんこぴょんこと跳ね始めた。
(ふぬん)
でかい毛玉が勝手に跳ねているようにか見えない。
「あらら?どうしたの?怒っちゃった?」
困惑する若い娘に、男が彼は自分達と一緒に行くのでと笑いを堪えつつ伝え、プスッと笑う我等が馬たちとは対照的にポニーは、
「……」
我関せずと佇んでいる。
小さな見た目に反して大人である。
「ほれほれ落ち着けの、お主は我の立派な相棒であるからの」
内心は、よくその短足でそこまで高く跳ねるもののと思いつつ、上っ面な言葉でポンポン跳ねる狸を宥めていると、
「……氷の島へは、観光ですか?」
若い娘が、おずおずと男を見上げながら訊ね。
その瞳にあるのは、たまにでもなく遭遇する、男に向けるキラキラしたものではなく、そこにあるのは、ただ、小さな憂い。
「えぇ。……そうかな」
男も、少し間を挟み。
そうですか、と瞳を伏せた娘が、薄く開いた唇から、言葉が漏れるのを待ったけれど。
(ぬぬ……)
差し出せば話の切っ掛けになりそうな煙草も、目の前の若い娘は明らかに吸わなさそうであり。
「の」
斜め掛けの鞄から、
「目新しいものでなくてすまぬの」
と謝りつつ若い娘にビスケットを渡せば、
「え?私に?わぁ、いいの?」
甘党なのか存外嬉しそうに受け取ってくれ、
「えっとその、山の話は、聞いてますよね……?」
ちらと男を見上げる。
男が黙って頷くと、
「鹿に酷くされた人、うちに馬を預けてくれた旅人さんだったんです……」
遠い遠い場所からの狩人で、その時が最初で最後の島だったと。
「狩人さんの馬は、今もうちで預かってるんです」
と、小さな溜め息。
「今年はトナ鹿は不猟だってことになってるけど、話が広まったらお客様も来てくれなくなるし、でも、またあんな事になったらと思うと、積極的に狩人さんたちに来て欲しいとも頼めないから……」
誰しも、皆思いは同じ。
「あ、氷の島では、この話は聞かない方がいいと思います。旅人さんは特に、その、申し訳ないけれど、凄く警戒されてしまっていますから」
ふぬぬ。
旅人は、
「口伝て人」
としては、これ以上ない良くも悪くも、適任者たちであるしの。
未だ隣で憤慨している毛玉、ではなく狸擬きを引き連れて、馬と荷台は預け、歩いて弓銃の矢を買いに行く。
少しの坂を上がり、弓銃の看板を見つけ、扉を開ければ。
意外にも若い女が、弓銃を布で拭きながら、
「はーい、いらっしゃい」
と迎えてくれた。
男が、
「これに合う矢が欲しい」
と、小さな弓銃を見せれば、まずその小ささに驚いた若い女は、それでも、
「うんうん、いつでも使えるように手入れされているね」
いい物だよと褒めてくれ。
男がやはり持参した酒瓶を見せ、若い女に酒はどうかと思ったけれど。
「やっだ旅人さん、話が解るねぇ♪」
どうやら酒好きらしい。
笑顔で酒瓶を受け取り、酒瓶に頬擦りする有り様。
あまり大きくはない店内は、
(武器屋だけあって、選び放題の)
狭い店内の壁に、飾りきれないものは立て掛けられ、売られたものか、使い込まれたものも、多く飾られている。
若い女は、筒に纏められたものから、一番短い短い矢を取り、真剣な顔で弓銃と合わせてくれている。
そんな若い女と話す男を見て。
我は。
おばばや若い娘の話を聞き、我の男を、山へは近づかせないことに決めた。
気狂いトナ鹿は1人の人間を狙うと聞くし、人の予想を遥かに越える狡猾な性格をしている。
例え山中ではなく、山の麓にいても、我ではなく男を狙う可能性は高い。
そして男の一番得意とするナイフは、でかいトナ鹿への致命傷にはならない。
付け焼き刃で弓銃や弓を持たせても、いざという時に動けるかは、それは我の男に限らず、信用は置けない。
これに関しては、男からの反論はないと思う。
男は我を心配はすれど、足手まといになることも、とみに嫌う。
そう。
今までの狩りとは、勝手が違う。
「フーン?」
狭い店内をくるくる歩き、スンスコ鼻を鳴らしていた狸擬きが我の隣に戻ってきた。
「ぬぬん、そうの」
天井近くまで飾られた、端から端まで並ぶ武器を隈無く眺めたものの。
狸擬きが持てそうな小さな弓はなく。
男に、
「これくらの大きさの弓はないか聞いて欲しいの」
と両手をほんの少し広げて見せるも。
若い女には、それはもう矢も含め特注になるだろうと教えられる。
(ぬぬん)
それでも狸擬きは、今回も我の「足」となるし、弓はまた次の機会まで我慢して貰おう。
狸擬きもそれは分かっているのか、文句も言わず、大人しく我の隣に佇んでいる。
矢を収める筒はおまけしてもらい、若い女に見送られ店を出て、同じ道の並びの店先で、もふもふした防寒用の帽子を選んでいると。
「フーン」
「の?」
「フンフン」
主様に客が来ます、と狸擬き。
「おやの」
先刻の鷹が、スィーッと降りてきた。
建物の看板に留まり、身体を縦に振る。
「……」
「フーン?」
旅人なら氷の島の話は知っているはず、それでも行くのか、物好きな奴等だな、と、藪から棒に言われましたと。
更に、
「一緒にいるお前も、随分と変わっているな」
と言われましたと、フンスと複雑な顔をする狸。
のん。
それらの言葉には1つも否定もできず、ただ。
「そちらからわざわざ我等の前に現れたということは、何かしらの用があってのことであろうの」
と訊ねれば。
「うん。君たちが、その見た目からして、とても遠い所から来てそうだから。何か目新しいおやつでとも貰えないかと思って会いに来てみたんだ」
と、狸擬きに匹敵する即物的な鷹。
解りやすくて良いけれど。
それでも。
目新しい?
目新しいは。
「ぬぬん。残念ながらお主の求める甘味は、旅の途中で食べ尽くして、そうそうないのの」
せいぜい、おにぎりを少し握ってあるくらいか。
「おにぎり?」
と聞いたことのない食べ物に鷹が興味を示したため、馬舎の隣の荷台預かり場へ向かい。
「甘味ではないけれどの」
荷台で冷めたおにぎりを見せれば。
「!?」
鷹は目新しさに目をキラキラさせ、ガツガツと食べ始めた。
「うん、僕は鳥だけど、生まれた時から人といて、人に育てられてる。
人と同じ2本足でもあるしね、4つ足ではないから、4つ足の獣より、人の言葉の方が俄然、理解できるよ。
でもポニーたちは例外、同じ屋根の下で育ってるから、同僚って感じかな。
え?君の相棒?
風変わりな人間の子だね、感じるのはそれくらいだよ」
と。
(ふぬ?)
我に禍々しさなどは、全く感じないらしい。
「氷の島の異変は、もうずっと変だよね。人の緊張は絶えず感じてる。
変なトナ鹿は1頭だけだよ、でも、その鹿を避けて他の鹿も怯えて、ずっと変な動きしてる。
冬眠前は熊すらも避けてたよ。
それでその鹿を避けて、他の獣も普段より山の奥の方に行ってるから、狩人も奥に行かなきゃならない。
変なトナ鹿にはそれが都合がいいんだ。
そうやって山奥に誘い込んで、人を襲うからね。上から見てるとそんな感じ」
らしい。
「人は反撃しないのの?」
「トナ鹿の中でもごく標準な大きさ、これと行った特徴がないんだ。厄介なのは、気配消すことに長け、気づいたら後ろにいたりするんだ」
狩られないのは、他のトナ鹿より数十倍は慎重であり、更に他のトナ鹿と比べても、逃げ足の早さが尋常でないこと。
ぬぅ。
「清々しい程に、厄介な方に秀でているの」
人が山へ入る場合、人間の単体行動への監視は厳しいのかと訊ねれば。
「見張りの人がいるわけじゃないし、山に入れる場所はいくらでもあるから1人で入れるよ。
ただ、人は自発的に組んで山へ入ってる、1人は確実に狙われるからね」
と、空になった皿を名残惜しそうに見下ろす。
(単体での入山禁止は、組合の勝手に決めた決まりであると思っていたけれど)
そうではなく。
「1人」
が鬼門であるのだ。
見方を変えれば、狙いでもある。
我にとっても、気狂いトナ鹿にとっても。
「……」
懸念すべきは。
果たして、我と狸擬きは、
「1人」
として、認識されるでのであろうか。