59粒目
翌日は早朝。
まだ薄暗い、夜中と言っても過言でもない中、静かに馬車が出て行く音。
「……」
(あぁ……)
あの親子たちだ。
じっと耳を澄ませていると、
「どうした……?」
男を起こしてしまった。
「の、何でもないの」
男の胸に顔を埋めて、眠る。
気紛れに狩りをしている我等と違い、彼らは本職なのだ。
目が覚めた時にはすっかり明るく、
「珍しいな」
我が一番のお寝坊さんだった。
この街は道が狭く、抜けるだけなら時間がかかる、迂回して一旦茶畑への道に出る方がいいと、あの親子に教えて貰っていたため、街外れの通りからは外れて街を迂回し、赤の国を抜けて行く。
なんも代わり映えのしない茶畑を眺めながら、長い長い茶畑を進む。
狸擬きは欠伸をするとポンチョを頭から被り、ベンチで丸まり眠る。
あの2人を見習い、小さな村にも、街へ向かう脇道にも目をくれず、ひたすら進んでみたものの。
「……」
地図上ではまだ街を迂回する道も半ばで。
「……そろそろ、休憩しようか」
男が息を吐き。
「の」
「フーン」
村に毛が生えた程度、と言っては失礼な、きちんと茶屋と、宿屋まである集落を見掛けて、馬車を降りた。
「我等は、急ぐ旅は向いていないの……」
あの2人は、馬に荷を牽かせつつ、その馬を全速力で走らせているのか。
もしくは、空を飛ぶ魔法でも持っているのかと本気で考えるほどに、どんなに急いでも、夕刻に港街へ着ける選択肢は我等にはない。
「だな」
「フゥン……」
茶屋で男が天井を仰ぐ。
お主1人ならば、今日中の港街への到着は可能かと訊ねてみたけれど、
「いや、土地勘や荷物を差し引いても無理だな」
と苦笑い。
本当に、あの親子は一体どんな走り方をしているのだろう。
「いらっしゃい、どちらから?」
茶屋の女将にメニューを渡されながら聞かれ、茶の国の方からと男が答え、氷の島へ行くと伝えると、
「えぇ?ちょっと気をつけてね、嫌な話も聞くから」
と眉を寄せられる。
どうやらこの辺りまで来ると「噂」も伝わってくるらしい。
大きな噂ではなく、我等の様な旅人が立ち寄る場所なために、女将も小耳に挟んだ模様。
女将は、我にビスケットを出してくれながら、
「もしトナ鹿やお魚食べたいだけなら、無理して行かなくてもね、港近くの宿に泊まるといいわよ」
食事として出してくれるからと。
そのために港街へ泊まる客もいるとか。
細かくした茶葉を混ぜ込んだ女将のお手製ビスケットが美味で、助言の礼も込め、少し多めに持ち帰り用に買わせて貰い。
ビスケットを噛り、狸擬きの口にも放り込みながら、やがて先に見えてきたのは。
大きな、それでもまだ港街の1つ手前、赤の国では一番大きな、お城のある街の建物だった。
午後の日差しはあれど、乾いた風は冷たい。
我等にしては距離は稼げたと、街を歩く人に場所を訊ねつつ、宿へ向かえば。
こちらは2階建ての、横に広い平たい建物。
受付には若い男が1人。
馬と荷台は移して置きますとテキパキと説明してくれながら、
「もしかして、お茶を飲みに来ました?」
と問われた。
お茶?
ふぬ、赤の国は確かにお茶の国ではあるし飲んではいるけれど。
男が曖昧に頷くと、
「それなら、少し離れているけど、大通りの、大きな窓のお店がお勧めしますよ」
と、特に我を見てニコニコしながら教えてくれる。
(ふぬ?)
そんなに美味しいお茶なのだろうか。
ごゆっくり、と手を振られ。
首を傾げつつ、部屋に着くなり、
「ぬー……」
今日は早々と風呂に浸からせて貰う。
我等には我等のペースがあると、つくづく思う。
気狂いトナ鹿は気になるところだけど。
氷の島でも、人はだいぶ警戒しているだろうし。
山に入るのは、あの親子のような本職の狩人たち。
そうそう簡単には、やられないだろう。
お呼びの掛かった狩人たちとは違い、我等は向かっても無報酬。
気儘に行くのが、向いている。
パラパラと雪が舞う翌日。
国では一番大きな街中では、全身赤い服や外套を纏うおじじやおばばが歩道を闊歩し、若い娘は、これ見よがしに赤い石のネックレスを付け胸許で揺らしている。
「の、お城は近いのの?」
「あぁ、あそこだな」
「のの」
男が指を差した先に、尖った屋根が幾つも見え、屋根は赤いのが特徴か。
「後で行ってみようか」
「の」
「フーン」
とかく赤色に特化した、そしてチェック柄の小物が並ぶ店を冷やかしてみたり、石の並ぶ店では、赤い石だけ5割り増しで値段が張っているのを確認し。
「これ以上買ったら、荷台に寝る場所すらなくなるの!」
と、幼子用の赤いドレスを見掛けて店先で立ち止まる男を、狸擬きと必死に引き剥がし。
「本は3冊まで!」
「ぬーっ!!」
本屋で我が駄々をこねたり。
それでも。
「これくらいなら」
「の」
男共々、装飾品の店先に並んでいた、チェック柄のリボンカチューシャに一目惚れし、その場で頭に着けて貰ったり。
「♪」
「フンフン」
どこかしらの店から、ふわりと甘い匂いが漂い、狸擬きがおやつおやつと騒ぎ始め。
気付けば昼も過ぎている。
「そうの」
せっかくだしと、宿の青年に勧められた茶屋へ向かえば。
「ほほぉの……」
茶屋にしてはとても大きな店。
席に案内されながら、他の客のテーブルを眺めれば、皿が三段に積まれ、それぞれに、菓子やら何やらが細々と並んでいる。
「フーン?」
これは。
「アフタヌーンティー、であるの」
さすが茶の国、赤の国。
どの世界でも、人の考えることは似ているらしい。
宿のあの青年の、
「お茶を飲みに来ました?」
は、
「アフタヌーンティーを嗜みに来たのか」
と言う意味なのだろう。
男が席にやってきた店の人間に訊ねると、お城のお茶会を模したもので、最近のこの街の売り1つなのだそうだ。
なんとも。
(赤の国も来てみれば、魔法以外にも、気になるものはたくさんあるの)
安易に通り抜けようとしたことを反省する。
そう待つことなく運ばれてきたティースタンドとやらには、一番下の皿には、生ハムと思われる、塩辛く薄い肉が挟まれたサンドイッチ。
スコーンが2段目に置かれ、一番上には、くびれ梨のタルト、フルーツケーキ、ビスケットが乗っている。
「フーン?」
どれから食べればいいのですかと狸擬き。
「一番下から食べると聞いたけれどの」
周りの客たちは、案外好き勝手に食べたいものに手を伸ばしている。
「自由の」
我も、スコーンは温いうちに食べたい。
これでもかと大盤振る舞いに盛られた、もったりとしたクリームとジャムを乗せ、
「あーむぬ」
「フーフン」
口いっぱいに頬張り、間違いなく香り良きな紅茶で流し込めば。
「ぬふん♪」
「フーン♪」
至福の一時。
男はサンドイッチを頬張り、
「ん、うまい」
素朴なパンと生ハムの塩っからさが、案外紅茶とも良く合うと。
そして最近話題とやらのフルーツケーキは。
「……お?」
「フーン♪」
「ふぬ、大人の味の」
芳醇な酒の香りも、酒の染み込んだぐにぐにした果肉も、男と狸擬きは、
「うん、いいな」
「フーン」
これを作ってくださいと狸擬き。
気に入ったらしい。
「なんの、果実を漬け込むブランデー?とやらを買わねばならぬの」
青の国で、男や狸擬きが好んでいた酒かと思ったけれど、
「いや、こっちは果実酒になるな」
また違うと。
我は、くびれ梨のタルトが一番美味であり、そう言えば、街中でも、くびれ梨が多く売られていたことを思い出す。
今が旬なのだろう。
「買ってジャムにしたいの」
甘味は道中の楽しみの1つになる。
「じゃあ、瓶を買いたそうか」
「の」
紅茶を注ぎ、周りの客たちの、のんびりと楽しげな話し声やざわめきを聞きながら。
(これから、血生臭い狩りが待っているとは思えない優雅さであるの)
紅茶を啜る。
「ぬー、ぽんぽんいっぱいの」
午後のお茶、と言うことは、これで夕食はまた別で食べるのか。
「赤の国の人間はよく食べるのの」
腹ごなしに再び雪のやんだ街中を散策し、立派な城を眺め、くびれ梨を買い込み、宿に戻り、煮込む。
「フゥン♪」
甘い匂いです、とスンスン鼻を鳴らす狸擬き。
夜は本を広げ、男は日記を付け、狸擬きは、ストーブの前で、うとうと微睡んでいる。
あの親子は、もう氷の島の山へ入っているのだろうか。
成果はあっただろうか。
我が行く前に、もう気狂いトナ鹿を、仕留めているかもしれない。
「あふぬ」
欠伸が出てきた。
「明日は早いし、早めに寝ようか」
「の」
甘いくびれ梨の匂いに包まれながら、
「おやすみの」
「フーン」
眠る、赤の国。
目指す隣の港街は、我等が一泊したこの街とは、細い川で分断されているだけで、他の街のように茶畑を越えることもなく。
それでも、細い川を越えただけで、寒冷地仕様の厚手の外套や、馬用の厚手の羽織も売られるようになっている。
そして。
「微かに塩の臭いがします」
と狸擬きが呟いてから、少し下り坂になりつつある道を曲がっては抜け。
大きな道に出て、進むその先は、
「のの」
「風が強いな」
「フーン」
南の方の小洒落ていた港とは真逆。
こちらは寒さと飾り気のなさで、観光や"デートスポット"などにはほど遠い、伽藍と殺風景な港。
港に、はたまたお船に用がある者だけが、サクサクと馬車で進み、誰もが淡々とそれぞれの目的の場所へ向かっている。
男が馬車を停めたのは、組合と思われる建物の隣、小さなお舟の描かれた、塩害で草臥れた看板。
「ここだな」
男が街で買っていた酒を取り出し、建物の中へ入れば。
「……はい、こんにちは」
機嫌が悪い、のではなく、元からしかめっ面と思われる、陽に焼けたとても小柄なおばばが、男と、男に手を繋がれる我と、狸擬きと順繰りに視線を向けてきた。
頬杖を付いたまま、人数、何泊、荷の大きさはと聞かれていたけれど、男の、
「馬車は、乗らない?」
の困惑した問いかけに。
「氷の島へ行くのに、ただの旅人のためにそんなに大きな船は出していないよ。良くて小さな馬1頭がせいぜいだね」
と苦笑いをし。
それでも、男が挨拶がてらに差し出した酒瓶を見て、頬杖から顔を上げた。
確かに氷の島へ行くために停留してるお船は、
「お舟」
であり、
「お船」
ではない。
手漕ぎではなく万能石で動くけれど、見た目は「舟」でしかない。
そうか。
だからあの猟師の親子も、荷がとても少なかったのだ。
そして、馬は乗っても1頭のみだと。
我等が脳筋馬は、どちらも、そこそこに付き合いも長い。
どちらかを連れて行ったら、残された1頭は拗ねに拗ねるだろう。
受け取った酒をしげしげ眺めていたおばばは、うーんと眉を寄せる男に、
「よいしょ」
と呟くわりに案外身軽に立ち上がると、おいでと扉を開き外に出る。
「ほら、あそこの建物で馬たちを預かってるんだ。でもね、あそこではポニーも貸している、重い荷も牽けるし、舟にも島にも慣れている」
そう顎をしゃくる先に、他の建物に半分隠れた馬舎が見える。
おばばは、我等が脳筋馬の前に立つと、
「あんたたちの馬は、でかすぎるね」
呆れたように見上げているけれど、どうやらあまり褒められてはいない。
馬たちは馬たちで、脳筋馬とはいえ勘は鋭く、言葉も大半は理解している。
「自分達は留守番か」
「なのに他の馬を連れて行くのか」
と、ブルンッブルンッと鼻息荒く、不満を訴え始めたけれど。
「そうの」
実際の所。
(お主等が乗ったら、お舟は確実に沈むの)
それはとても、困るのだ。