46粒目
現れたのは、卸し業者の人間。
ののぅ。
女は成人前に見えるけれど、小柄で童顔なだけであり、実際男より1つ2つ年上なのだと言う。
そのやはり燃えるような赤毛の三つ編み女は、ビオラを摘みに来たのだと言う。
「お酒の色付けと、布の染料に使うんです」
元の世界では、酒の色付けで使うと聞いたことがないけれど、こちらではわりと"めじゃー"なことらしい。
あの若造の店で狸擬きが出されたあの水色の酒も、何かの花弁から抽出されたものなのだろうか。
「……偶然ですね、びっくりしました」
三つ編み女は胸手を当てているけれど、こちらもびっくりした。
しかし、花を摘むのに1人では大変だろうと手伝いを申し出ると、
「いいんですか?ありがとう」
それくらいはお安いご用である。
花弁を毟りながら、三つ編み女の話を聞く。
「年々、毒蛇の被害が増えていまして」
「理由は言うまでもなく、過度な獣信仰ですね」
はっきり言う。
「特にこの街は森が大きくて、なぜか土や環境が毒蛇にとても都合がいいらしくて、他の街の森や土地と比べて異常に多いんです」
「それでも、それらは言い訳で、国や街、私たちの怠慢なことは重々承知の上です」
「何とかして欲しいと要望は出していたんですが、毒蛇は私たち大人でも避けられない毒を持っている蛇が多くて、あまり無茶も言えない状況で、もどかしくはあったんです」
病気も怪我にも強いと言われる大人でも、命懸けと言うことか。
「ただ、どうやってか、まだ冬眠中の毒蛇たちを、あんな風に狩れる方がいる人が、この街に現れてくれたので」
「……駄目元で、でも正直、切実ではある依頼を出してみたんです」
三つ編み女は、花弁を毟りながら、淡々と事情を説明してくれた。
幼き見た目に大してやはり中身は年相応、感情や私情を挟まず、絶えず一歩引いたその俯瞰した物言いは、素直に好感が持てる。
そして、男が卸した蛇も、狩り立てほやほやな毒蛇だとは気付かれていた。
保存魔法があるとしても、
(鮮度も臭いも違うからの)
「成功報酬にはなってしまいますが、街や国にも現物の証拠を見せて、それなりの金額を引き摺り出すことをお約束いたしますので、依頼を受けていただけませんか?」
花弁を毟る手は休まずとも、真剣な顔だけは男の方を向いている。
(ふぬん)
至極真っ当な三つ編み女からの依頼に、ただ苦手、と言う感情のみで断れる、突っぱねる用な男ではなく。
「その……」
男が、何と言ったらいいか……としばらく言葉を選んでいたけれど。
「?」
結局。
「国に、目を付けられたくない?」
「えぇ……」
「……あなたたちは『お尋ね者』か何かなのですか?」
三つ編み女の花弁を毟る手が、初めて止まる。
丸眼鏡の中で不思議そうに瞬く、薄茶色の瞳。
「いえ、ただ、面倒事を背負いたくないんです」
男の苦笑いに。
「そういう、ものですか……?」
いまいちピンと来ないらしい。
まぁそうだろう。
男が、
「自分たちのことを吹聴しない約束をしていただけるのならば、依頼を引き受けます」
と、笑わない顔で女を見れば。
「……それでは、こちらへ卸す報酬のみになってしまい、難易度に対して到底釣り合いが取れなくなってしまいます」
「そこは、国や街へ、春先に毒蛇が減った事実に最もらしい理由をでっち上げてもらえたらと思います」
三つ編み女は、唇に毟った花弁を当て、目を伏せて長考していたけれど。
真剣な顔で、
「……分かりました、どちらもお約束します」
こくりと頷いて、男と握手をした。
蛇の発生で、近年、子供は特に森には入らないように言われており、我等の宿泊場の森は、稀に蛇の、特に毒蛇が居着かない森だと言われ、例外的に入ることを認められている森だそうだ。
だから女将も、リスを狩ったのかとニコニコしていたのだろう。
しかし。
「卸した毒蛇はあそこの森からです」
と男が答えれば。
三つ編み女の、大きな溜め息と、
「貴重な情報を感謝します」
礼を告げられる。
狸擬き曰く、この世界の毒蛇は強き故に数は多くない、強さに比例にし広大な縄張りを望むため、毒蛇同士でも争い、自ら好んで数を減らしに行っていると。
そのため、あの名ばかりの小さな森にいた毒蛇たちは、すでに我が大半は葬っているとも。
「大半」
「フーン」
わたくしの鼻先で感じる特に好戦的な毒蛇は、主様の手により葬られた様子、と。
そこら一面、花弁のなくなった丸裸なビオラたちを見下ろし、無感動に立ち上がると、男の許へ向かう。
男と三つ編み女は何かまだ話している。
「狩り方は秘密ですか。……では、同行もやめた方がいいですね」
「純粋に危ないので」
「わかりました。こちらからのせめてもの報酬として、蛇皮を受け取ってもらうことも出来ますが?」
「……んん」
男がぐっと詰まる。
蛇皮だけでも苦手と見た。
男は、自分の目の前にしゃがむ我を見て、
「……君に蛇皮はあまり似合わない気がするな」
と真剣な表情を我に向けてくる。
ぬぬ?
蛇皮を受け取るか迷っているのは我のためか。
狸擬きは、隣で大あくび。
狸擬きも、花弁毟りは飽きたらしい。
「お主の苦手なものは、我も身に付けたくないからの」
男が断り、報酬は、できたらコインではなく石の方でと頼んでいる。
「宝石の、色の指定はありますか?」
ほほう、宝石の色の指定までできるのか。
色に寄って大きさが変わるのだろう。
「赤でお願いします」
風向きが変わり、ビュッと冷たい風が吹き抜けて行く。
三つ編み女を誘い、荷台で休憩。
男と三つ編み女は珈琲。
我と狸擬きはカフェオレ。
「旅人さんというのは、食事なども大雑把だと思っていたので、美味しい珈琲にびっくりします」
旅の道具も凄いと驚かれているけれど、大半は男が卸し損ね、売り損ねている在庫である。
(まぁ、荷台を圧迫しているのは、我の本のせいも若干はあるけれど)
ほんの若干である。
手伝って貰えたお陰で、必要な分は集まったと嬉しそうだ。
仕事は、獣の卸しと解体だけれど、趣味で染色をしていると。
その三つ編み女は、特に目撃情報の盛んな場所などは前回お伝えした通りですと、何か質問があればと男が聞かれたため、
「の、の、お主の馬はとても小さいの」
と我が訊ねれば。
「ポニーです、色が可愛いでしょう?」
と。
確かに、茶色と白のまだら模様が可愛い。
「私は、せいぜい街中や郊外の移動だから、ポニー1頭で十分なんです」
何か相棒がいるのかと訊ねれば、
「狼が家に。……もう寒いから、家で待っててもらってるんです」
言葉に僅かに籠るのは、憂い。
のの。
「相棒を待たせているなら、あまりのんびりしているのもよくないの」
森の事も蛇のことも、男に聞けばいい。
荷台から降りると、
「無理を聞いてくれてありがとう」
くれぐれも無茶はしないで下さい、と三つ編み女がポニーを牽いて帰っていくのを見送り。
昨日までとは比べ物にならない静かな街を、馬車も極端に少ない大通りを進んで、あの娘の店の通りにまで着けば。
「おやの」
空き箱に乗って、街灯に灯りを点けているのは、あの若造だった。
もうすでに青い制服姿で髪も纏めている。
若造もこちらに気付き、
「何、仕事?」
と聞かれ、男がビオラを見に行っていたと答えると、
「……あんたら、本当にただの暇人なの?」
と呆れられつつ。
「……まぁ、その」
?
「暇なら、寄ってけば?」
と顎をしゃくられる。
ふふぬ。
我は、知っている。
こやつは、
「ツンデレ」
と言われる種族に属する者である。
ただの反抗期にも思えるけれど。
若造は静かで暗い、やっと街灯が点き始めた街を眺め、
「俺は、年に一度、街がこんな風に静かになるのは、そんなに嫌いじゃないんだ」
むしろ好きかもと笑う。
その気持ちは分かる。
店は開いたばかりで、我は男にカウンターに座らせられると、それでも、
「あぁ、こんばんは、今年もここは開いてるね」
とぽつりぽつりと、客はやってくる。
若造は、男と狸擬きに酒を出してくれながら、
「今年はうちの父親だけ、友達に誘われて行ってるんだよ」
おや。
「では、お主は店を任せられておるのの」
「兄貴と2人でだよ」
それでも嬉しそうに相好を崩すと、
「失礼」
客に呼ばれてカウンターから出て行く。
今日も1杯目は冷えた白ワインをカパーッと飲み干した狸擬きが、
「フゥン」
自分も男の飲むその琥珀色の酒が飲みたいですと。
「お主は酒をゴクゴクと、それこそ水のように飲むから向いてないのの」
男は舐めるようにしか飲まない。
「フーン」
そんなことはないと、カウンターを前足でポスポス叩く狸擬き。
「フンフン」
自分も新しい挑戦をしたいと。
「……」
それっぽいことを言っているだけで、知らぬ酒を飲みたいだけだろうの。
我のジト目に、狸擬きがフンスフンスと鼻息を荒くする。
「一杯くらいならいいんじゃないか?」
我と狸擬きのやりとりに、男が割って入る。
まぁ、二日酔いで苦しむのはこやつであるからの。
戻ってきた若造に、
「彼が、これと同じものを飲みたがっている」
と目の前のグラスと狸擬きを指差せば
「……これはカッパカパと流し込むもんじゃないからな」
と若造にすら念を押され、若造が氷を砕き。
「酒を嗜む動物なんて初めてみたよ……」
狸擬きの前に分厚いグラスをスマートに置けば。
「フーン♪」
一丁前に、グラスの中の氷を揺らす狸。
「この街には、いつまでいるんだ?」
ふぬぬ、そうの。
若造の問いかけに、男が我を見て、我が考えて答える前に、若造はまた客に呼ばれカウンターから出て行く。
「そうの……」
男は、考える我の頭を撫でながら、煙草を咥える。
「手伝いも終わったし、出発は数日後かな」
そう。
まず明日には、この街での楽しい楽しい毒蛇狩りが待っているのだ。
お楽しみは、これからなのだ。
狸擬きの天気予報ならぬ天気予定でも、この先3日は大崩れすることはないと。
「遅くても、3日後には」
カウンターに戻り、酒を作る若造は、
「え?早いな」
と。
てっきり、まだいるのかよと嫌な顔をされると思ったら、目の前の若造は、意外そうに、マドラーをグラスに差し込む指の動きを止めた。
「元々、こんなに長居する予定ではなかったんだ」
男の苦笑いに、あの若造がお熱な娘のことを、思い出したのだろう。
「……あぁ」
と、しかしその相槌には、若干、我等への同情が籠る。
若造は、チェリーやブドウをグラスに落とし、そこにリンゴジュース注いだサングリア風を我に出してくれた。
「のの♪」
見た目からしてとても愛らしい。
「ぬふん♪」
味も良き。
狸擬きも、新しい琥珀色の世界に、ご機嫌で尻尾を揺らしている。
「それで?」
の。
「あんたたちは、どこまで行くんだよ」
どこまで。
次はどこへ行くのかはよく聞かれるけれど、どこまで、はあまり聞かれない。
男が、2本目の煙草に火を点けながら、我の言葉を待つ。
決定権は、我にあり。
「そうの、行けるところまでかの」
男伝の我の言葉に、ハッと笑い、大袈裟な仕草で肩を竦めかけた若造は、
「……」
しかし我と目が合えば。
「……そうかよ」
と少しばつが悪そうに目を逸らす。
「まずは、氷の島に寄るか、水の街へ行くか迷っていて」
男が場を和ますように次の行き先を伝えながら、我のグラスから指でさくらんぼを摘まみ、我の口に運んでくる。
「あむぬ」
若造が、へぇ、氷の島か、と少し声のトーンを上げる。
「いいな、氷の島へ行くなら、トナ鹿の肉でも送ってくれよ」
氷の島は、山あり海ありで、どうやらここら辺に住む少年たちの、冒険心をくすぐる島らしい。
トナ鹿の肉も赤の国では流通しているけれど、こちらまではなかなか来ないと。
(ふぬふぬ)
氷の島からは、水の街まではの船などは出ておらず、一度赤の国に戻ることになるけれど、
「せっかくだし、行ってみようか」
「の」
「フーン♪」
厚手の防寒着を買わないとなと男。
「ぬぬ」
過保護な男のことだ、氷の島へ着く頃には、我はとことん重装備で、もっこもこの真ん丸にされていそうだ。
隣の達磨狸の様に。
「フン?」
「……身動きが取りにくくなりそうの」
客は増えず、静かな店で、やがて店に出てきた若造の兄も加わり、楽しく和やかに時間は過ぎ。
狸擬きは我等の言いつけ通り、チビチとビ琥珀色の酒を舐めている。
それはとっくの、3杯目だけれども。