45粒目
日々勤しむウエイトレス業務も、過ぎてみてればあっという間。
運動会を前日に控えたその日。
「中に入れなくても、外でも屋台がたくさんあってイベントもあるし、お祭りって感じで楽しいよ?行こうよー!」
と最後の客がご馳走さまと出て行くなり、娘に誘われたけれど。
「人混みは疲れるのの」
ダンディにも、
「私の伝を辿ってチケットを用意しましょう!」
と意気込んでくれたけれど、男が丁重に辞退した。
「んもー」
せっかくのお祭りなのに、と不満そうな娘を宥めながら、母親が我等の座るテーブルに、湯気の立つ厚手のグラタン皿を置いてくれた。
「ずいぶんとお待たせてしまって。うちの店の冬の名物、芽キャベツのグラタンです」
「ふのの……♪」
何度も客席に運び、知ってはいたけれど。
「美味しそうのであるの……♪」
芽キャベツと、厚切りの薫製肉と、ほくりとした芋に、ホワイトソースとたっぷりチーズ。
「……ぬふん♪」
芽キャベツは甘く、少し塩辛い薫製肉とよく合う。
芋もホワイトソースと絡み、
「フーン♪」
狸擬きも、美味しい美味しいと大喜びで食べている。
「じゃあ明日は仕事なの?」
娘に問われ、男は、えぇと曖昧に頷くけれど。
本当はなんの仕事の予定もない。
店に食材を運んできた馬車が停まり、娘が出て行くと。
「本当に世話になりました」
カウンターから父親が出てきて、改めて礼を言われた。
運動会が終われば、またのんびりした街に戻ると言う。
客がいなくなったせいか、2階からひょこりと狼が現れ、狸擬きの座る椅子の足許で腰を下ろす。
「そうだ、人混みが苦手ならビオラ畑へ行くのはどうでしょう」
と、父親の言葉に、母親もあらいいかもしれないわねと頷く。
ビオラ。
確か花のはずたけれど、どんな花だったか。
男が地図を広げると、男が蛇を卸した店より少し南。
「ここですね、高台で見晴らしが良くて、見に行く人は多いけれど、明日と明後日ははなんせ運動会ですから」
人がいないらしい。
大満足な食事を食べ終え、食材の詰められた箱を運ぶのを手伝ってから。
「いい経験が出来ました」
と男が挨拶すると。
「ね、出発する前に必ず挨拶に来てよね?」
が娘にぐっと詰め寄られ。
「な、なるべく……」
善処します、と作り笑いをする男に、頬を膨らませる娘。
娘を宥める両親にも見送られ、夕暮れ前に、明日と明後日は軒並み閉まるであろう店に駆け込み、食材を買い込み、白い息を吐きながら、帰路へ。
他の部屋にもほどほとに灯りの点いた宿の、我等の部屋の前に馬車を停めると、宿の女将が出てきた。
「?」
伝言を預かってると封筒を渡される。
何やら立派な封筒。
狸擬きがスンスン匂いを嗅ぎ、
「沢山の死んだ獣の臭いがします」
と。
(のの……)
部屋に入り、男が嫌そうに手紙を開くと、
「……あの卸し業者からだ。正式な依頼が来た」
「ふぬ?」
依頼はともかく、よく我等の居場所が分かったの。
我と狸擬きが首を傾げて見せれば。
「……俺たちは、君が思うよりも目立つんだよ」
男の溜め息。
ほほぅ。
しかし、それでも。
「蛇はまだまだ冬眠中の、なぜ依頼が来るのの?」
「んん?……確かにそうだな」
卸した蛇は、保存していたものと思われたか。
まぁ。
「嫌ならば断ればよいだけの」
路銀に困っているわけでなもない。
例え路銀なくても、炊飯器があれば事足りる。
「さっさと逃げても良いの」
両手を広げて、その場でくるくる回って見せれば、狸擬きもくるくると回る。
「そうだな」
男はそんな我等を見て、小さく笑うと、
「ビオラ畑へ行ってから考えよう」
我と狸擬きを抱えると、くるくると回った。
「ののぅ……」
「おぉ……」
「フーン♪」
翌日は曇り空の下。
崖のギリギリまでに、青紫の花が一面に咲き誇り、
「これは壮観の」
「あぁ、凄いな」
多少でもなく花を蹴散らしつつ走り、崖の先へ向かうと、
「こら、危ない」
馬を解放してる男の声が掛かる。
「のの」
崖から見渡す先は、まだらな草原と森が続き、遠くに大きな川と、川に浮かぶお船、更に遠くに茶色い街。
低い山々と、通り過ぎてきた、あの茶色の国が見える。
男にはもう遠すぎて、全く見えないらしい。
四つん這いになり崖下を覗けば、遥か下方に小さな川が流れている。
何とかして行けないだろうか。
男に止められて無理だろう。
今日は真冬の曇り空にしては気温が高く、紙飛行機を折って飛ばせば、狸擬きが大喜びで追い駆けていく。
紙飛行機としては少々異端な距離を飛び、すいっと転回し、やがて戻ってくるのは我の足許。
もう一度飛ばせば、冬でも飛んでいる蝶々が紙飛行機に並走し、それをまた狸擬きがテンテコ追い掛ける。
そのうち、狸擬きが自分で紙飛行機を飛ばし始めたため、我はまた崖の先へ向かうと。
「あまり近づくな」
男の過保護な言葉は聞き流し崖際に座り、ビオラを1本引き抜き、両手で茎を転がしながら、花弁にそっと息を吹き掛ける。
竹とんぼの要領でそのままふいっと飛ばせば、すぐに落下していくはずのビオラは、くるくると回りながら、くるくると風に乗り、その回転は弛めても、くるくると風に乗り、更に上空の風に乗っていく。
「のぅ」
「フーン」
いつの間にか隣に来ていた狸擬きも、じーっと風に乗るビオラを眺めている。
「……」
2人と1匹でどこまで行くのかと見上げていると、
「の」
どこからか、スイーッと飛んで来た鳥に咥えられて飛んで行ってしまった。
そう、いつかも、いつだったか。
そうだ、牧場村を目指していた時、だだっ広い草原で遊んでいたバドミントンの羽根も、鳥に取られてしまったのを思い出す。
男が煙草を取り出したため、マッチで男の煙草に火を点けてやり、我は狸擬きとビオラ畑を駆け回っていたけれど。
「フーン」
お腹が空きましたと狸擬き。
そうだ、朝兼昼は、ビオラ畑でピクニックにしようと、弁当として作ったものを詰めてきたのだ。
風はなく、雲の合間から陽も差してきた。
敷物を広げ、男が鍋ごと運んできたスープをコンロで温める。
「フンフンッ」
狸擬きがスープが温まるまで待たずに夢中になって食べるのは、タマゴサンド。
薄く切った薫製肉も挟んだ。
「んん、いいな」
男にも評判がいい。
具を混ぜ込んだ卵焼きと、薄く切った肉に野菜を巻いて蒸し焼きにしたおかず。
「フンフン♪」
風もなく、ピクニック日和であるし、運動会日和でもある。
あちらも盛り上がっているだろうか。
弁当を詰めた箱もスープの鍋も空っぽにすると、
「ぬー……♪」
「フーン……♪」
狸擬きと並んで敷物の上に寝転がる。
男が、我と狸擬きに荷台にある薄い布を掛けてくれた。
雲がゆっくり剥がれていくのを眺めていると、やがて狸擬きの寝息。
隣では、男が片膝を立てて煙草を吸っている。
長閑で呑気で、柔らかな風の音に混じり、今なら花たちの声まで聞こえそうだ。
「……?」
狸擬きの寝息につられてうとうとしていたけれど。
寝返りのタイミングで目が覚めた。
思ったよりぐっすり眠っていたのか、横たわり、こちらを向いて腕を立てて枕にしている男と目が合った。
「おはよう」
「……狸擬きがいないのの?」
隣に気配がない。
「散歩へ行ったよ」
雪隠だろうか。
ふぬ。
「……少し久しいの」
2人きりは。
「あぁ」
そして。
男に唾液を与えるのも。
少し、久しい。
「……生き返る」
男の呟きに、
「ふくく、お主は死んでたのの?」
問えば。
「最近は、夜しか君を抱き締められなかったからな」
のぅ。
我不足であるか。
ならばと男に抱っこされて、大きな大きなビオラ畑を歩く。
馬たちはわりと遠くまで走っている様けれど、我の気配が届くところまでにしか行かない。
狸擬きはいつの間にか、どうやってか大きく大きく迂回し、気づけば崖下まで降りていた。
「フーン♪」
崖下に小さく小さく見える狸擬きは、こちらを見上げて尻尾を振っている。
「ふぬん」
その場で鞄からメモ帳を取り出すと、紙で小さな箱を作り、こちらも鞄に忍ばせていた、朝から焼いたクラッカーにチェリージャムを挟んだビスケットを1つ、作った小箱に落とす。
箱に紐を通して持ち手にし、ビオラを引っこ抜いて花束にする。
指先に意識して力を、指先に血が流れるのを感じながら茎たちに糸を巻き付け、小箱の持ち手と結び、崖下へ落とせば。
「……」
ビオラの花束はゆっくりゆっくり回転しながら、風に揺れながらも、確実に狸擬きの元まで降りて行く。
「フーン♪」
落ちてくる小さな箱付きの花束を、崖下で駆け回りながら喜ぶ狸擬き。
「いいな」
「お主にはジャムを挟んでいないものを持ってきたのの」
「君からのプレゼントが羨ましい」
「お主は贅沢者の」
気づけば雲は流れ、冬の青空が広がっている。
狸擬きの元まで落ちた花束と、紙の箱に入ったビスケットに喜ぶ狸擬きは、その場にぺたりと座り込み、ビスケットをサクサク食べている。
男が我を抱き上げ、片手で煙草の入ったポケットを探った時。
風に乗り、微かな狸擬きの悲鳴のようなものが聞こえて来た。
「の?」
「ん?」
崖下を覗けば。
「のの」
どうやら、花束を作るのに、力を込めすぎたらしい。
紐はほどかれぬままの花たちが、しかしするりと紐を抜けると、思い思いに空を飛び始め。
「おぉ……」
好き好きに風に乗り、ふわりふわりと、四方に流れ始めた。
茶の国の方へ飛んで行くもの。
街の方へ飛んで行くもの。
崖上にいる我等の許まで上がり、そのまま我等の頭上を超えて空高くへ飛んで行くもの。
風の力にも頼らず、自由気ままに、花たちが舞っていく。
そのうち、どこかの土地に降り立ち、またそこに根付くのだろう。
そんなビオラたちを見送り、敷物まで戻り、お茶の用意をしていると、
「フーン」
大きく迂回しても尚あっという間に、狸擬きが戻ってきた。
「主様からのプレゼントは、皆どこかへ飛んで行ってしまいました」
と、残念狸。
「クラッカーはどうだったの?」
「フーン♪」
もっと食べたいですと。
我はチェリージャムを紅茶に落とし、クラッカーは、
「うんうん、これはとても好きだ」
と男からの評判もよく、我も軽い歯応えが新鮮なクラッカーを摘まんでいたけれど。
狸擬きが耳だけをチラと動かし。
ふぬ?
我も咀嚼を止めて、狸擬きの耳が向く方に耳を傾ければ。
「……誰か来るの」
「ん?」
男が訝しげに眉を寄せる。
運動会の日にわざわざこんな場所に現れる者。
「フーン」
更に耳を傾けると、馬は1台、荷台も小さく車輪もとかく軽い音。
旅の人間ではなく、街の人間だろう。
2人と1匹、我等とは真逆の道を眺めてると。
やがて現れたのは、とても小柄、ボリュームと癖のある、赤茶けた、しかし陽に透けると燃えているように見える、長い髪は三つ編み。
丸眼鏡が特徴的で、色白の肌にそばかすが少し、ふっくらした唇がチャーミングなその女は、こちらに気付き、やはりとても驚いた顔。
そして。
「……う」
隣では、男の低く詰まった短い呻き。
「の?」
知り合いかの。
「……例の卸業者の、熱心に蛇の説明をしてくれた人だ」