44粒目
「きゃー、可愛い、可愛い♪」
娘がはしゃぐのは朝の開店前。
なし崩しに運動会までの臨時の手伝いが決まり。
すると、店に着くなり娘に、
「はい、これ着けてみて」
と頭に乗せられたそれはよくメイドが着けているカチューシャ。
ホワイトブリムだったか。
母親からは、
「あらら、こっちもよく似合ってる、大事に残していて良かったわ」
娘の小さな頃に、娘のお手伝いのために縫ったという、フリルたっぷりのエプロンを装着させられた。
狸擬きには、狼がまだ小さな頃にお揃いで付けられていたと言う小振りなメイドカチューシャ。
『……』
狸擬きは、我とお揃いならなんでもいい、わけではないらしい。
姫の屋敷で付けられたヘッドドレス同様、酷く不服そうに、眉間に毛が寄っている。
案外お洒落にも拘り狸。
異世界を旅することで、小豆を研いでいただけの元いた世界とは、桁違いに色々な経験はしてきたけれど。
まさか。
「メイドを模したウエイトレスになる日が来るとは思わなかったの……」
「フーン」
自分もです、とご不満狸。
それでも大事なお給金のために決して外しはしない、案外大人狸。
男は、満面の笑みで我を見下ろし、口には出さずとも、可愛い可愛いが伝わり、今にも我を抱き上げたそうに、そわそわしているけれど。
今日も、すでに客が並んでいる。
狸擬きと顔を見合わせて溜め息を吐く間も無く、本日も早めに扉が開かれると同時に客が現れ、青の国での日々が、瞬く間に過ぎて行く。
店が繁盛しているのは、勿論我等のせいだけではなく、この店の食事の美味しさに純粋に惹かれ、連日訪れている客も珍しくないせいでもある。
パタパタとテーブルからテーブルへ、なぜか客にたちも、我と狸擬きのカチューシャやエプロン姿の評判がいい。
手が空けば踏み台代わりの空き箱に乗り、水場では洗い物を請け負い、足りない食材を切ったりもする。
男も出来るけれど、厨房にいるのが我なのは、
「小さいから邪魔にならなくていいのよー」
と母親。
なるほど。
夕刻になれば給仕の仕事からは解放され、2人と1匹、それぞれの勘に頼り、食事処を選んでみたり。
たまに店の客に、
「あの4つ目の小道の先の看板出てるお店がお勧めだよ」
と、男が教えてもらった店へ行ってみたり。
我等には十分に、ちょっとしたお祭り気分だ。
運動会が近付くにつれ、狼を伴う客は更に増え、運動会で何度も上位入賞してる狼が現れれば、やはりどこか精悍そうな顔付きをしている。
どの狼も、この店に入ってくる時点で我に反感を持ったり怖がる者はいないため、
「お待たせの」
「フーン♪」
『♪』
こちらも気にせずに仕事に励めるのは、快適かつ、とても有り難い。
そんな風に忙しくも淡々と小銭稼ぎの日々を過ごしていると。
運動会のために離れた街からやって来る客たちに混じり現れたのは。
「のの?」
「おぉ、これはこれは、意外にも早い再会になりましたね」
と、その肉厚な身体に空色の三つ揃いに、群青色の上質な外套を羽織った男は。
「フーン♪」
両肩にミミズクとふくろうを携え、
「いやはや、繁盛してますね」
と店を見回すのは、港街のダンディ。
凄い偶然である。
「いえいえ、宿に着いて街を歩いていましたら、2人がやたらとこの店の前で反応しまして」
とダンディが笑い、2羽もダンディの肩で喜びをダンスをしてくれる。
「今度は給仕のお仕事ですか」
とニヤリとダンディ。
「その、成り行きで……」
男の言葉に、ダンディは今度こそ、
「いやはや、なんとも『らしい』ですな」
と意味深に眉を上げる。
それでも、メイドカチューシャとエプロン姿の我を見れば、
「これはこれは、とても可愛らしい、よく似合っていますね」
とそつなく褒めてくれた後、更に隣に立つメイドカチューシャ狸を見て、
「……っ」
ポーカーフェイスを得意とするダンディですら、我慢が利かずに顔を伏せてくっくっと笑っている。
「フーンッ!!」
当然、ジダジダ地団駄狸。
席に案内しようと思ったけれど、並ぶ客はいなくとも満席。
ダンディもそれに気づくと、
「よかったら、お仕事終わりに食事でもしませんか?」
と誘われた。
男が喜んでと頷くと、
「いらっしゃいませ、あれ、お知り合いの方ですか?」
娘がやってきた。
「あぁ、いえ。満席な様なのでまた出直しますよ」
とダンディがダンディ然とさらりと踵を返しかければ。
「あーごめんなさい、また是非来てください。あ、もしお酒飲むなら、3つ先の、もうお酒の看板出てるお店がお勧めです!」
と、客に呼ばれた娘が早口で伝えてテーブルの間を抜けて行く。
ダンディは、
「では、そちらで待たせてもらいます」
とミミズクとフクロウを連れて扉から出ていく。
客はダンディが入ってきたのを潮に、徐々に引いて行き。
ずっと2階で待機している狼も、そろりそろりと降りてくる。
「ね、あの人、港街の組合の人だよね?」
言付け頼んだ時に対応してくれた人だと、娘も覚えていたらしい。
「ミミズクもフクロウも、すっごい可愛いね!」
知り合いなんだ?
仲良しなの?
と仕事終わりでも元気一杯で賑やかな娘を
「ほらほら。待ち合わせしてるのでしょう?」
母親が止めてくれる。
カチューシャとエプロンを外し、また明日と店を出れば。
馬車は店の前に停めさせてもらったまま、まだまだ賑やかに馬車が走る街の歩道を歩き、先の酒の絵の描かれた看板の店へ。
風に押されるように男が扉を開け中に入れば。
「……の」
「お?」
あくまでも"トッポイ振り"をした若造の働く店は、まだ空いているとはいえ、騒がしくもなく。
大衆居酒屋的な店を想像していたけれど。
少しお洒落をしたカップルがテーブルを囲み、静かに酒を楽しんでいる。
カウンターの壁にずらりと並ぶ酒瓶。
カウンターにいるダンディと、ミミズクとフクロウはダンディから木の実を与えられている。
そして、
「おやの?」
若干小柄とは言え、白いシャツに青いベストに青いネクタイ、青いきちりとしたパンツ姿の若造が、ぼわぼわの髪もきちりとオールバックにして、グラスに酒を注いでいた。
「見違えたの」
男にカウンターの椅子に座らせてもらうと、狸擬きはポーンッと椅子に飛び乗り、
「空腹です」
と若造の変化など心底どうでもよさそうに前足で腹をサスサス擦る。
実際、若造の変化などどうでもよいのだろう。
男が、すぐに食べられるものを頼むと、冷蔵箱から、豚の薄切りのハムの様なものや、ピクルスを出してくれる。
それを見た狸擬きは。
「フーン」
若造に、酒、酒を寄越せとフンフン訴え。
「……え、何?」
困惑する若造。
「適当な酒を頼むの」
男伝に頼めば、
「こいつ酒まで飲むのかよ……」
と、いいつつ冷えた白ワインを出してくれる。
「フーン♪」
男とダンディの前にも同じものが置かれ、我には、繊細なワイングラスで白ぶどうのジュース。
「……ぬぬ?とても美味の」
期待していなかったから尚更。
「それ、結構高いぞ」
我の表情に、若造はにやりと笑い、カパーッと飲み干した狸擬きの前に、2杯目の、今度は赤ワインをスマートに置く。
次に出されたのは、キノコのアヒージョ、炙ったパン。
茶の国からのソーセージ。
なんの肉かわからない赤ワイン煮込み。
男はダンディと話し、我は、
「ちみっちゃいのに、よく食うな……」
若造に呆れられる程、ひたすら食べる。
「こちらは忙しくて昼も食べてないのの」
疲れはしなけれど、ぽんぽんは減るのだ。
「あの店で臨時バイトだっけ?」
黙って頷けば、
「……へーぇ、暇なんだな、あんたら」
若造の皮肉など微塵にも通じない、
こやつは、ただただ、羨ましいのだろう。
想い人の店で働ける我等が。
昼間の姿とは掛け離れた、落ち着いた若造の立ち振舞いと物腰は、確かに、あのカジュアルな店には、何もかも合わない。
その若造の"合わせられない不器用さ"が、娘から見れば、尚更小間使いの立ち位置から変わらない理由なのだろうけれど。
それでも、娘の好みが大人の余裕ならば、この若造にもチャンスはあるはず。
「日進月歩の」
我の言葉は分からずとも、狸擬きと我のしたり顔に。
「なんだよ……」
若造は、何か変なものでも食べさせられた様な顔をし、しかしテーブル席の客に呼ばれれば、すぐに静かな笑みを作り、客の元へ向かう。
案外玄人である。
腹を満たしたミミズクとフクロウが、カウンターテーブルを歩いてくると、
「思わぬ再会が嬉しいです」
「♪」
ミミズクと、白フクロウも頭を上下させて喜びを現してくれる。
「我もの。離れてからまだ日は浅いけれど、そちらの街に何か変化はあったかの?」
そうですねと小首を傾げたミミズクは、
「運動会のために茶の国からの客が現れ、同時に組合にも人が増えてきました。私は、運動会の会場での、主に鳥たちの仲裁と、言伝の仕事を請け負い、彼と共にやってきました」
と。
てっきりダンディの旅のお供程度にしか思っていなかった。
「お主、凄いの」
組合では、まだ新人も新人なはず。
ミミズクは、
「いえいえ、他の鳥たちと争わないし争えない、この気弱な性格が、僕が選ばれた理由ですから」
と謙遜しているけれど。
ミミズクを抜擢したのはダンディなのだろうし、そのダンディの判断には正解しかない。
隣の白フクロウも誇らしそうだ。
ふぬぬ。
「お主よりも遥かに長生きのこやつより、お主の方が人が出来ているのは、いや、獣が出来ているのは何故かのぅ」
猛禽類と狸擬きの違いか。
こちらは所詮擬きでもあるし。
我の溜め息に。
「フーンッ」
なんですとなんですと!
と隣で不満そうに鼻息を荒くされたとしても。
「……お主は、またどこかへ飛ばされたいのの?」
次はどっかの森までを目標にするぞのと告げれば。
「……フゥン」
途端に大人しくなる。
「飛ばす、とは?」
ミミズクの問いかけに、こやつの失言により文字通り建物の上に放り投げたと答えれば、ミミズクとフクロウは、
『……♪』
『……♪』
猛禽類とはこんなに笑うのかと思う程、笑い。
(ののぅ?)
「フーン?」
狸擬きも不思議そうにしている。
「た、大変、し、失礼、しました。飛ぶのは私たちの専売特許だと思っていたので、実に、狸様がお空を飛ばれるとは、我等は一矢、射貫かれた気分になりまして」
と、また、くふくふと笑っている。
ほうほう。
猛禽類の笑いの急所は複雑で、そして謎である。
カウンターに戻ってきた若造は、狸擬きの空のグラスを見て、ちらと我の方を見てくる。
黙って頷いてみせれば、若造はカクテルグラスを置き、お任せでいいかと訊ねて来た。
もう一度頷いてみせれば、若造の無駄と淀みない動きの後に、狸擬きの前に置かれたのは、美しい水色と橙色のカクテル。
「ふのの……♪」
グラスの繊細さと相まって、非常に見目麗しい。
我と狸擬きだけでなく、ミミズクもフクロウも、男たちも、見事ですなと見惚れていると、若造は照れ臭そうに、そっぽを向く。
客が増えてくると、若造より遥かに年上の中年のマスター然とした男と、我の男と同じくらいの年の男が同じ青いベストとパンツで現れた。
どうやら若造の父と兄らしい。
どちらも身長は若造より高く、顔も似ているけれど、2人とも、表情はだいぶ穏やか。
若造の身長は母親似なのか、まだこれからなのか。
(若造は、まだ髭も生えてないしの……)
やってきた父親と兄に、お話はうかがっておりますと丁重に挨拶をされてから。
「お前は、このままこの方たちの相手を頼む」
的なことを父親に言われたらしく、若造は思いの外、嬉しそうに、うんうと頷く。
知人だろうが、珍妙な客だろうが、特定の客の相手をさせてもらえるのは、この店では、1人前に近づいている証拠なのだと言う。
男が、彼女にも何かカクテルをと若造に頼めば。
若造は我を見て、真剣な顔で悩み、やがて、我の前には、赤いチェリーが沈むカクテルを置いてくれた。
「のの……♪」
「君のその可憐な瞳の色を意識したそうだよ」
男に、少し悩ましげな表情で解説された。
ほほーう。
あの娘にもやってやればいいのに。
思いながらふと気になった。
「の、若造、お主は運動会には行かぬのの?」
と聞いてもらえば。
「少しは街に人が残った方がいいだろうし、うちは今は狼もいないから」
と。
そのため、街に残った人のためにも、この店も開けるらしい。
「今は何もいないのの?」
「小鳥2匹と暮らしてるそうだよ」
その言葉に反応するのは、ミミズクとフクロウ。
「うちのは組合の鳥達みたいに気は強くない。そんなに長時間飛べる鳥でもないから、その分性格が穏やかなんだよ、うちのは頭もいいしさ」
鳥の話だと、少し口許が弛む。
ダンディと男に、琥珀色の度数の高そうな酒を出してから、
「ところで、何でこいつは、あの時、店の外にいたんだ?」
と、狸擬きを指差してきた。
我が、両手を側頭部に人差し指を立て、ツノを模して見せながら。
「彼が、彼女のことを悪魔呼ばわりしたから、店の外に追い出したらしい」
と、そういえばそれは初耳の男が若造に話せば。
若造はおかしそうに笑い、
「あぁ、小悪魔か?」
と、クスッと笑い、思わずと言った、その邪気のない笑みを見せてくれたけれど。
その言葉に誰より反応したのは狸擬きであり。
「フーン!!」
とんでもないと狸擬き。
「お?」
「フンフンフン!!」
我が主様が小悪魔などと、なんと失礼な若造!主様は、悪魔などをとうに超越した、むしろ最悪の悪魔が何体いようがその場で膝を付きひれ伏す、漆黒の闇そのものであり、存在こそが獣を越えたおぞましき唯一の何かであるのです!!
と、我のために長々と演説をかましてれているけれど。
「……の。狸擬きの」
「フン?」
「……茶の国と青の国を隔てる川は、ほどほどの幅と深さがあったの」
「フーン?」
ありましたねと、狸擬き。
察しと勘と頭もすこぶるいいミミズクとフクロウは、我の笑みに、すでに置物の様に固まっている。
「……はは、安心するであるの。今度は、今度こそは、我のこの手で、正確に極寒であろう川まで、お主を飛ばしてやるからの」
と狸擬きの背中の毛を掴めば。
「……フッ!!フゥゥゥン!?」
狸擬きの悲鳴が、酒屋に響いた。
ーーー
結局、その日は。
ミミズクとフクロウの狸擬きへの情状酌量もあり、
「主様は人間です」
とひたすら唱えさせ、川までの空の旅はまたいつかそのうちと、一先ずの延期となった。