43粒目
「ねー、暇なら看板出しておいて!」
狸擬きと話す我を突っ立ったまま眺めている若造に、娘が遠慮なく指示し、
(あれの、娘は若造を"弟分"と言う名の小間使い的な目でしか見てないの)
若造が看板を持って外へ出ると、おとなく座っていた狼が、
「……」
狸擬きに何か伝え、我の足にはするりと身体を寄せて挨拶的なものをしてから、2階への階段を上がってく。
「の?」
「フーン」
狼は、自分は人見知り、狼知りをするため、店が開いている時は、2階で留守番をしてるそうですと。
相棒の娘とは真逆な性格は、案外相性が良いのかもしれない。
不憫な若造が看板を出して、そのまま姿を消すと入れ替わりに客が入ってきた。
(おやの?)
人気の店なのだろうか。
邪魔にならぬように、狸擬きも隣に座らせて、しばらくは軽快に客を捌く娘の姿を眺めていたけれど。
「……」
すぐに、娘が観音扉が開く度に、満席を伝えて謝る仕草や、店内を見回してかぶりを振る身振りに。
(ののぅ、人気どころか、大人気の……)
諦めずに、
「少し待つよ」
と言った客もおり、客が外に並べば、その並んだ客を見て、呼び水的にまた並ぶ客が現れ、客は当分途切れそうになく。
(ふぬん)
椅子から降りてカウンターの内側の厨房へ向かうと、
「あら、どうしたの?」
母親が忙しなく手を動かしながらも声を掛けてくれたため、
「……」
カウンターに並ぶ客用の、特に狼用の鈍い銀色の皿を指差せば。
「あらあら、お手伝いしてくれるの?」
じゃあ、これは10番テーブル、奥の端の席ね、分かるかしら?
と狸擬きの通訳がいるため頷き、銀盆を持ち、狸擬きと一緒にテーブルの間をテテテと抜けて行く。
(……の)
運んだのはいいけれど、すっかり失念していたあの失禁狼を思い出す。
不用意に狼に近づけば、店内で失禁、失神される可能性にまで思い至ったけれど。
物は試しと近付いてみれば、我の隣には脅威とは真逆のお気軽狸が存在しているせいか、もしくは1人と1匹揃えば中和でもされるのか。
「フーン♪」
お待たせした、と狸擬きの挨拶に、
『……♪』
客の足許にいる狼は、案外尻尾まで振って、気軽に挨拶をしてくれる。
ついでにテーブルの客にも声を掛けられるけれど、こちらはニッと笑って終わり。
狸擬きを伴い、カウンターへ向かい、狼たちに、水と乾燥肉と柔く茹でられた豆の入った皿を運ぶ。
客は狼連れが多いため、我の仕事も途切れることはなく、ただひたすら賑やかなテーブルの間をくるくる回る。
しかし。
(男が戻ってこないの)
馬車も多いし、進みが遅いのだろうか。
そしてまた開く観音扉。
徐々に狼の皿だけでなく、
「これ、4番テーブルにお願いできる?」
人の食事の配膳を頼まれ、
「んしょの」
狸擬きの背中にも乗せて運べば、
「わー本当に助かる!」
もう小走りな娘は、上っ面な礼ではなく、切実な感謝のこもった声ですれ違っていく。
猫の手も借りたい、ならぬ狸の手も借りたい繁盛っぷり。
普段からこの客の多さならば、よく3人っぽっちで店を回していけるものである。
絶え間なく開閉する観音扉がまた忙しなく開いたと思ったら、現れたのは、やっと我の男の姿。
店の繁盛具合に驚いている男は、更に空いたテーブルの椅子に膝を付いて、空き皿を重ねて運ぶ我の姿に目を見開き、男に気づいた娘が男に駆け寄り、手伝ってと拝む手振り。
我が頷いてみせれば、男は苦笑いでジャケットを脱ぐと腕捲りをし、出来上がった食事をサクサクと運び始める。
昼をとうに超えても客は途切れず、お茶の時間になっても、
「フーン」
またランチの注文ですね、と狸擬き。
「客が途切れないの」
狼連れの客が多く、しかし我と狸擬きにも、愛想よく尻尾を振ってくれる狼たちばかりだからいいけれど。
「……」
以前。
荷馬車で旅をしつつ、旅するパン屋やお菓子屋などを考えたこともあったけれど。
(案外、店を構えて食事処を開くのも、そう悪くもない気がするの)
間も無くお茶の時間も越え、室内からでも、冬の早い陽射しの陰りすら感じる頃。
最後の客が、おいしかったよと、連れの狼も尻尾を振って出て行けば。
「やっと終わったぁー……」
娘がカウンターでぐったりと座り込んだ。
「いつもこんなに混むんですか?」
エプロンを外しながら男が聞けば、
「ないない!運動会前だからまぁ多少は混むんだけど。運動会前はね、近所の常連さんが逆に遠慮して来なくなるから、本来ならトントンなはずなんだけどなぁ……?」
カウンターの内側で、小さな椅子に腰かけた娘の両親も、ふー、と天井を仰いでいる。
店は、普段は夕刻まではお茶を出して、夕食の前には店は閉めるらしい。
「あの、それで……」
と娘がおずおずと我等を当分に見てくる。
「?」
「その、約束のランチを出したかったんだけどね……」
材料が空っぽだと謝られた。
あれだけ客が来ればそうだろう。
むしろよく持ったものだ。
「また今度で大丈夫ですよ」
と、男が暇を申し出れば、男と我には、両親からきちんとお給金が支払われ。
「狸ちゃんは、ビスケットとコインどっちがいい?」
の娘からコインとビスケットを見せられれば。
「フーン♪」
ビスケット、と狸擬き。
「今日はありがとう、明日は絶対ご馳走するから!」
と意気込む娘一家に見送られ、馬車に乗り込めば。
途端に、
ぐー……
と大きく鳴るのは狸擬きの腹。
「……フーン」
前足で腹を押さえ、ひもじいですと訴えてくる。
「そうの、ぽんぽんが減ったの」
疲れはせぬが腹は減る。
こんな時、大きな街にいる利点の1つは、すぐに食事にありつけること、そして食事する店にも事欠かないこと。
今日は適当な店に入ってしまおうと、少し先の店から漂うパンの焼ける店の前に馬車を停め、席に着けば。
出されたそれは。
「のの?変わっておるの」
平たいパンに波形の焼き跡が付いたパンに、薫製肉とトマトとチーズ、スイートバジルの挟まった、パニニと言うホットサンドにかぶり付く。
「……ぬん、ふぬん♪」
「フーン♪」
「美味しいな」
サクリと食感がいい。
チーズの付いた指を舐め、
「そういえば、お主はやけに遅かったの」
追加で全員分のおかわりを頼む男を見上げれば。
男は、
「道が混んでいたのもあるけれど、蛇狩りを仕事にしている者だと勘違いされて、近隣の森の状況や地図を見せられていた……」
と若干うんざりした顔。
なるほど。
蛇が苦手な男には苦行でしかない。
「くふふ、それはお疲れ様の」
「でも、お陰さまでまた路銀が増えたよ」
蛇は、特に毒蛇はやはりだいぶ換金率が高い様子。
ものによっては宝石と交換になると。
「フーン♪」
また見つけましょうと狸擬き。
「そうの」
(苦い顔をする男の許可が出たらの)
それにしても。
「なぜ娘の店は、あんなに混んだのかの」
運動会の知名度が上がり、他国からも若干人は増えているとは聞いたけれど。
あくまでも青の国の小さなお祭りであるし、来てもほんの若干で、目立つほどでは到底ないとも。
運ばれてきたおかわりを食べていると、
「フーンフン」
それはですね、と狸擬きが声を上げた。
「の?」
「フンフン」
店の前を通り過ぎる狼たちが、主様の気配に気付き、立ち止まって店を眺めているため、相棒の人間たちが、何かあるのかと店に入って来たり、行列に並んだ模様です、と。
(なんと)
店が繁盛した原因は、我だったとは。
男も苦笑いし、
「君は客を呼び込む力があるんだな」
「ふふん♪」
ならば。
「我が店を開けば繁盛するかの」
案外、店を持つのも現実味があるのではないかの?
なんて考えてみたけれど。
「フーン」
いえ、主様の気配に、耳と尻尾を下げて、そそくさと逃げるように店の前を通り過ぎて行く狼も多数いた模様です、と狸擬き。
「ののーぅ」
どうやらそううまくは行かないらしい。
店の人間がやって来ると、
「そろそろ酒も出せる時間だけどどうする?」
と聞かれ、狸擬きが、
「フーン♪」
と答える前に、男がご馳走さまとコインを支払う。
「あの娘には、明日は店でご馳走すると言われたけれど、しばらくは近寄らぬ方がいいかの」
我を抱き上げる男に問うと、男も、
「そうだな……」
んん、と眉を寄せる。
フンフンと不満そうに後を付いて店を出るのは狸擬き。
それでも、あからさまに酒、酒と地団駄を踏まないのは、きっと、あまりわがままを言うと、また放り投げられるかもしれないと勉強したらしい。
その通りだけれど。
夕暮れの街を抜け、何だか慌ただしかった1日が、やっと終わって行く。
翌朝。
宿の部屋で、のんびりと朝食を取った後。
「蛇狩りはなしで」
と男に釘を刺され、2人と1匹で森の散策をしていると、先をテンテコとご機嫌に歩いていた狸擬きが、不意に立ち止まり、
「フーン?」
空を見上げる。
「の?」
狸予報だと今日はからっ風の晴天と聞いていたけれど、つられて空を見れば。
「ピーィ……♪」
ひよこの様に可憐な黄色い小鳥が、木々の枝をすり抜けて、軽やかに降りてくると、ポンッと狸擬きの背中に着地した。
足には金属の筒。
「……?」
金具の簡素な模様や薄さからして街の鳥。
男が筒から丸まった手紙を広げている間に、斜め掛けした鞄から、昨夜作っていた木の実のキャラメリゼを与えると、
「ピチ♪」
小鳥は喜び、狸擬きも口を開いているため、少し放り込んでやる。
「娘さんの店からだ」
「の?」
「『人手が足りない、手伝いに来てくれると助かる』と」
ぬぬ?
しかし時間はまだ開店前なはず。
男と顔を見合せ、
「とりあえず向かおうか」
と、小鳥には、返事は必要ないと伝えて空の金具を付けると。
「ピチチ」
ごきげんよう、と飛んで行く小鳥を見送り、荷馬車で娘の店へ向かえば。
開店前の店に入るなり。
「わー、早い!」
助かる!
とこちらに駆け寄る娘に拝まれた。
「いきなりごめんね、もうね、開店前からお客さん並んでて!」
確かに、すでに数人、狼たちと店の前に並んでいる客の姿があった。
朝から並ぶ客を娘たちは不思議に思い、なぜかと客に聞いて見れば、
「珍しい異国の娘と、知らない珍しい動物が接客をしていると聞いた」
「昨日、相棒がこの店を気にして立ち止まっていたから、気になって朝から来てみた」
「昨日たまたま立ち寄り料理が美味しかったからまた来た」
とのことで、もしかしたら半分位は、やはり、我と狸擬きのせいかもしれない。
ふと思い付き、男伝に、
「あの若造には、手伝いは頼まないのの?」
と聞いてくれと頼むも、
「ダメダメ、何度か手伝わせたんだけと、愛想なくてぶっきらぼうで、うちの店のカラーに合わなくて全然ダメだった。カクテル作るのは上手なんだけどね!」
あっはっは!
と笑うのは娘だけでなく娘の両親も揃って笑っている。
ののぅ。
今度あの若造に会ったらば、少しくらいは優しくしてやろうと思う。
そんなことを話している間にも、また新しく客が開店を待つ気配。
「お客さん待ってるし、早めに開けようか」
そんな娘の言葉には誰も反対はなく、看板が置かれ、また今日も忙しない1日が始まった。