42粒目
翌朝。
森の中。
「フーン♪」
主様、見てくださいと、木に登りご機嫌に尻尾を回す狸擬きに手を振ってやり。
(ぬぅ……)
片手に持った我のザルは、乾いたまま。
夜目は利くとはいえ、朝にいざ明るくなって橋まで近づけば、郊外とはいえどうにも立派な橋と川で、小豆を洗えるような場所ではなかった。
仕方なしに狸擬きの森の散策へ付き合い、
「フンフーン♪」
狸擬きは、木をズルズル滑り降りてくるのかと思ったら、ムササビのように4つ足を広げて我の目の前に降りてきた。
「……お主、凄いの」
パラシュートでも作って背負わせてみようか。
「フーン♪」
男は、朝から隣に泊まっていた客の、外れた幌の修繕を手伝っている。
森は小さく危険もないため、我と狸擬きだけの散策が許可されたのだ。
狸擬きは、何か面白いものはないかとスンスンと地面の枯れ草の中に鼻を突っ込みながら歩いていたけれど。
「フーン」
「の?」
「フンフン」
ここに蛇がいますね、と枯れ葉の下のそう大きくもない岩の辺りをスンスンと嗅ぐ。
蛇。
こちらは革製品も特に多い、蛇もなかなかではないのか。
「フーン」
強い毒性持ちな模様と狸擬き。
「冬眠中であろうし、多少動きは鈍かろうの」
お主は離れていればよいと伝えると、
「フーン?」
狩るのですか?
と狸擬き。
「お主が教えてくれたのだろうの」
「……フーン」
ただの報告に過ぎません、と半目になる。
「毒蛇等が、我等がこの先の行く先々の、美味なものに化けるかもしれぬの」
と嘯けば。
「フーン♪」
テンテコと我から離れて行く。
しかし、土を掘り返すのも、着ているアリス風ワンピースが汚れるし、その場で跳ねてみても、我の身体の軽さでは、冬眠中の蛇はきっと気付きもしない。
(ふぬん……)
ならば。
その場にしゃがんで、右手の手の平を、枯れ葉越しに地面に当て、自分が妖であることを強く意識しつつ、地面に押し付ければ。
離れた場所でも、狸擬きがぶわっと膨らむのが視界に入り。
「……の?」
手の平の下、地面の下がごそっと動いたと思ったら。
「ののっ?」
下から、何かに激しく突き上げられたかの勢いで、土を枯れ葉を撒き散らして、地上に現れたそれは。
その姿は。
「……ふぬ、美しいの」
毒蛇はどうしてこうも色鮮やかな蛇が多いのだろう。
目の前に対峙するのは、見事な翠玉色の皮を纏う蛇。
そして予想より遥かに、剥ぎがいがありそうな太さであり長さ。
冬眠から無理矢理起こされた蛇は、寝起きであれも、案外目覚めはいいらしい。
至近距離で対峙した我に、シャーッと大口を開き。
「堪忍の」
強めに小豆を2発飛ばしてやれば。
血と僅かな肉を纏った小豆が飛んで行き、直後にドサリと蛇が頭を落とす。
「確か、尻尾の方が丈夫と聞いたの」
蛇の尻尾を持って引きずりながら、こちらの様子を窺っている狸擬きに、
「もう数匹欲しいの」
と声を掛ければ。
「フンフン」
鼻先を枯れ葉に埋めるようにして、そこいらを歩き出す。
狸擬きの嗅覚を頼りに、冬眠中の蛇を起こしては殺め。
翠玉色に、橙色もいた。
1匹だけ、なんとも珍しい白黒もいた。
牛蛇とでも呼ぼうか。
「ふんふん♪」
豊作、豊作。
剥ぐのは卸し業者に任せよう。
両手で尻尾を掴みズルズル引き摺って宿の方へ向かうと、
「あぁ、今迎えに行こうと思ってい……」
両手で翠玉と橙色の蛇たちを引き摺る我に気付き、足と言葉を止める。
「……」
男は、狸擬きに視線を移し。
「!?……フーン!フーン!?」
自分は必死に止めました、全ては主様の独断にございます!
と、とんだ裏切り狸。
しかし男には当然通じず、
「……蛇は、苦手なんだよ」
大きな溜め息。
「我が箱に詰めるから、そのまま卸し業者の元へ持っていけばよいの」
蛇も鮮度が命。
しかし我等の持つ空き箱では、非常に立派な蛇たちは到底収まりきらず、宿でずだ袋を借りて詰めると、荷台に乗せる。
宿の女将に、卸し業者の店の場所を訊ねると、
「あら、森で何か狩ったの?」
リスか何か?凄いわねぇ、とニコニコして訊ねられ、男が曖昧に愛想笑いを浮かべる。
卸せる店は宿からは街の中心地を突っ切った反対側に位置し、
「君たちをあの娘さんのお店に置いて、蛇を卸してくる」
と。
まぁ異論はない。
まだ街の道には馬車が少なく、娘の店もまだ開店前だったけれど。
男が、
「自分は少し仕事へ行きたい、この娘と狸を預かって欲しい」
と言う申し出には快諾してくれ、男は大通りを消えて行った。
「何か飲む?」
と聞かれたけれど、忙しいであろう開店前の準備の邪魔はしたくない。
大丈夫だとかぶりを振って、店の中の、道沿い側の壁に並ぶ椅子によじ登ると、狸擬きも隣に座る。
どうやら寝坊助な狼が、家族の住居と思われる2階の階段からもたもた降りてくると、すぐにこちらに気付き、
「♪」
トトトとやってくる。
狼は狸擬きだけでなく、我にも尻尾を振って挨拶してくれる。
「おはようの」
『……?』
挨拶を返すも、少し不思議そうに、我の服、いや、手の匂いをスンスン嗅いで来た。
「の?……あぁ、蛇の」
手を洗ってなかった。
「!?」
その場で面白い程に飛び上がる狼。
「フーン」
狸擬きが狼に、朝から毒蛇狩りをしたのです、的な報告をしているけれど、狼と蛇はどちらが強いのだろうか。
個体にも寄るのだろうけれど、いつか生で戦いを観てみたいものだ。
目を閉じて、街の方に意識を向けるけれど、男の気配はもう薄い。
娘のこちらへ向かってくる足音に目を開けると、
「はーい、これどうぞ、読めるかな?」
絵本を持ってきてくれた。
鹿の絵が描かれた絵本。
「のの?」
よいのだろうか。
「お兄さんいないし、退屈でしょ」
なんとも有り難い。
伝わらない礼を伝えてから、早速ページを捲ると、狸擬きも、狼も覗き込んでくる。
山に住む、なかなかツノの生えない、ツノなし鹿の話。
その鹿は、ツノがないために仲間の中でもとても弱い鹿でした。
ツノなし鹿はそれがとても辛くて、自ら、仲間と距離を置くようになってしまいました。
湖でツノの生えない頭を眺めていると、大きな熊と出会いました。
熊は、ツノなし鹿の話を聞くと、ツノがなくても戦える方法を教えてあげようと、ツノなし鹿と一緒にいてくれることになりました。
夏から秋と、ツノなし鹿は、熊と共に過ごし。
やがて、熊の冬眠を見送りました。
そして、ツノなし鹿は、自分の仲間の元へ戻り、ツノのある鹿とは、真っ正面から戦わず、陽動をして脇腹に頭をぶつける戦いをして、ツノのある全ての鹿に勝ちました。
仲間は、ツノなし鹿の戦い方と、ツノなし鹿の、そのたゆまない努力を、たくさん褒めてくれて、一度は自分から去ったツノなし鹿を、優しく迎えてくれました。
仲間と冬を越え、やがて山にも遅い春が来ました。
熊がそろそろ冬眠から目覚めそうな頃、熊の大好きな木の実と果物を用意して巣穴の前で待っていると。
起きてきた熊は、
「とても立派なツノが生えたね」
と驚きました。
そうです、ツノのない鹿には、気が付けば、どの仲間よりも、大きく立派なツノが生えていたのでした。
めでたし、めでたし。
「ふぬ」
(ツノの生えたこの鹿は、これからどんな戦い方をするのかの)
場合によっては、隣の山まで主として君臨できる強さではないのか。
続きはないのかと思うけれど、ないのだろう。
「フーン?」
絵本を読み聞かせていた狸擬きは、自分にはツノは生えないでしょうかと、額に前足を当てる。
ぬぬん。
「狸にツノは、あまり聞いたことがないの」
狼も、自分の頭を気にしているため、
「お主はそうの、一角獣、鋭い1本のツノが似合いそうの」
と額に人差し指を当てて、こんな感じのと見せれば。
『♪』
嬉しそうに尻尾を振る。
ふと、ツノで思い出した。
「の、この世界には、鬼はおるのの?」
ツノと言えば鬼であろう。
「フン?」
『……?』
知らないし、鬼がそもそも存在しないらしい。
「フーン?」
『オニ』とは何ですか?
と聞かれ。
「ふぬ、そうの、こちらでは『悪魔』になるのかの」
正確には違うけれど。
狸擬きは、
「フンッ」
我が意を得たりと言わんばかりに、
「フンフン」
悪魔ならよく存じております、大変に身近におられます故と、なぜかじーっと我を見つめてくる。
ほぅ。
「……ほほぅ?」
ちらと狼を見れば。
「……!?」
ブンブンと残像が見える勢いでかぶりを振る狼。
「……ふぬ」
とりあえず隣に座る狸擬きの背中の毛を掴み。
「フン?」
掴んだまま椅子から飛び降り、椅子からボテッと落ちる狸擬きをそのま引き摺れば。
「……フンッ!?フンッ!?」
主様?主様?
と短い足をジタバタさせる狸擬きに構わず。
まだ閉じている観音扉を開くと。
「ほいの」
我は、青の街の空高くへ、
「フーーーンッ!?」
狸擬きを放り投げた。
忙しい娘たちは一連の出来事には気づかず、狼は我の足許でじっとしているけれど、なぜか少し震えている様にも見える。
絵本を読み返していると開店前の観音扉が開き、しかし顔を覗かせたのは男ではなく、昨日の若造。
そして。
若造の小脇に抱えられているのは、遠くまで飛ばしたはずの狸擬き。
「あのさ、なんか店の前で、こいつがスンスン鼻を鳴らして泣いてたんだけど……?」
放り投げてからしばらしくて、確かに店の外に戻ってきた気配はあったけれど、無視していたのだ。
しかし。
「もー、なに?ランチなら時間空けて遅くに来てっていつも言ってるでしょー?」
カウンターからせわしなく出てきた娘は、テーブルにメニューを並べつつ、若造には目も向けない。
当然、狸擬きにも気づかぬまま。
(ののぅ……)
忙しいのは分かるけれど。
娘のあまりにつれない態度に、さすがの我も、この若造には、不憫を超えて若干憐れみすらも覚える。
若造は、
「いや、違、だから、こいつが外で……」
と小脇に抱えた狸擬きを指差したけれど、そもそもランチ開店前の店の人間に声を掛けたのが間違いだったと、気付いたらしい。
大きく溜め息を吐くと、
「……これ、お前のだろ」
我の前に、狸擬きが置かれる。
『……』
ちらと視線だけを我に向けてくる狸擬きに。
「どこまで飛んだのの?」
訊ねれば。
「フーン」
向かいの大きな建物を3軒程越えまして、細い水路を挟み、更に建物の屋根を抜け、先の小道に着地しましたと。
(ふぬ……)
無自覚の温情か、大して飛ばなかった。
まぁ。
(我はとことん慈悲深く、優しいからの)
我ながら小さな手の平を眺めながらにぎにぎすると、
「!?」
『!?』
狸擬きだけでなく、狼もその場から、大きく大きく飛び退いた。