41粒目
若者の片手はポケットに。
少し色落ちした赤いキャスケットに、厚手のやはり黄色いダボダボした上着。
青色の大きめサイズのパンツに、茶色のブーツ。
マフラーは白く、
(何やら目が忙しいの)
パチパチ瞬きすると、狸擬きも何だか迷惑そうに目を細めている。
若者は、男と我と狸擬きを見てあからさまにたじろぎ、それでも黙ってポケットから手を引き抜いてから、ぺこりと頭を下げた。
最低限の礼儀はあるらしい。
母親が、
「娘の話していた例の旅人さんたちよ」
と若者に紹介してくれるも。
「……え?」
旅人?え?
と訝しげに眉を寄せる。
男が立ち上がり、仕事用の笑みを浮かべ、にこやかに挨拶しつつ若者の前に立つと、若者に右手を差し出している。
若者は戸惑いを隠さずに、男を少しばかり見上げながら握手をしているため、我も椅子から飛び降り、男の隣に立ち、若者に手を伸ばせば。
若者は、我に合わせてその場に屈むと、
「よ、よろしく……」
と、表情は若干硬いけれど、手を握ってくれる。
若者の手の平は案外固い。
そしていつの間にか我の隣にいた狸擬きも、
「フーン」
よろしくな若造と、早速目の前の若者を、若造を格下認定し、ついと前足を伸ばすと、
「お、おぉ……よろしく?」
若者は気圧されたように狸擬きの前足を握り。
「なぁ、……これ、何?」
と男を見上げた。
何とは。
「いや、だって、兎でもないし、……狼には似ても似つかないし」
そんな若造の困惑した呟きに。
「フッ!!フーンッ!?」
なんですかこの分を弁えない礼儀知らずな若造は!
と、当然お怒り狸。
男が狸ですと答えると、
「本当に狸!?」
えー!?存在してたのか!!
と、屈んだままの若造が、
「はー、すげーな」
まじまじと狸擬きと顔を付き合わせると。
「……」
狸擬きは眉間に毛を寄せ、前足で若造の鼻をぎゅっと押し返している。
あの娘には聞いていなかったのか、と男が訊ねれば、
「あー、いや、何か見間違えんだろうなって。話聞いても、昔に絵で見た狸とも、なんかちょっと違ったしさ」
ほほぅ。
娘の両親曰く、この若造は、近くに住む娘の幼馴染みで、酒屋と夜の飲み屋を兼ねた店の1人息子だと。
その若造が、我等を旅人だと疑った、のではなく驚いたのは。
「その格好がさ。旅人ってもっとこう、なんか、みんな雑な格好してるだろ?」
雑な。
(あぁ……)
男の、あのほんのりウエスタン的な格好などのことか。
確かに、丈夫さだけが売りであろうシャツやくたびれたチョッキ、腰に巻いていた鞄も、付喪神でも取り憑いてもおかしくないレベルだった。
それが今は、ツイードの三つ揃いに、青いネクタイ、胸許のポケットからから覗くのは青いハンカチ。
裾からは隣街を通り過ぎる際に、我が一目惚れして買った、水色のカフスが覗いている。
今は髪も丁寧に櫛を通し、確かに隙がない。
我の影響で、風呂の回数も増えた。
「風呂がある時は浸からないと落ち着かなくなってきた」
と、まめに入浴もしている。
ふぬ。
若造の言うことも一理ある。
「この格好は、茶の国に来てからですよ」
普段は他の旅人と同じで雑な格好です、と男が気さくに答えても。
「ふ、ふーん」
と、若造は、どこか少し、面白くなさそうな顔。
その面白くなさそうな顔のまま、
「その、あいつには、何度も何度も、あんたたちの話を聞かされてるからさ、なんかイメージと違ったなって」
ぬぬ?
あの娘は、我達のことをどんな風に、何を話しているのだ。
それでも男の、
「あぁ、とても仲がいいんですね」
の言葉には。
「ま、まぁな」
と今度はそっぽを向いて、けれど満更でもなさそうな横顔。
(ぬ?)
なんぞ、変な若造の。
その変な若造の、サイズのあってなさそうなだぶついた服は、お洒落なのか拘りなのかそれしか服がないのか。
聞いてみようかと思ったら、至極どうでよさそうにスンと鼻を鳴らしていた狸擬きが、耳をピクリと動かすと、
「フーン♪」
狼が帰ってきますと、尻尾を振り。
ものの数秒後に、賑やかな駆け足の音と共に、
「ただいまっ!!」
両腕に紙袋と、布袋を斜めに掛けた娘が戻って来た。
「うあっ!?……おっおかえり!」
妙な顔をしていた若造が、娘の登場に、パッと笑顔になり。
(のの?)
「お、重そうじゃん、持ってやるよ」
と娘に手を伸ばすも。
「え?いいよ、すぐそこだし」
きょとんとした娘がスタスタと向かうのはカウンターの奥。
「……」
そして、手持ち無沙汰そうに取り残される若造に。
テーブルを囲む父母の、あらあらおやおやといった表情に。
(……ふぬ?)
我も男と顔を見合せ、
(あぁ……)
なるほどの。
やっと合点が行く。
若造は幼馴染みの娘に「お熱」なのだ。
けれども。
さらりからりとした娘の反応からしても、どうやら、若造の一方通行、片思いらしい。
そもそも、娘のタイプかどうか以前に、娘は若造の気持ちに欠片も気付いてない様子。
相当な鈍ちんなのか、娘は。
そう言えば、あの小さなオリーブの島でも、あの娘は、
「恋人を作る気はない」
と確かに言っていた。
でも。
我は知っている。
娘が、
『あなたみたいな人なら考える』
と男に言ったことを、我は忘れていない。
狸擬きは、帰ってきた狼とまたするりと身体を寄せ、人の恋模様など微塵も興味はないと、楽しそうに狼とお喋りを始める。
荷物を置いてカウンターから出てきた娘は、男に一直線に向かい、ニコニコと大きな身振り手振りで話しかけ、若造の、またなんとも言えない顔。
不憫さは感じず、むしろなぜか愉快で、我はそんな若造の顔をじーっと見上げていると。
我の不躾な視線に気付き、若造とばちりと目が合えば。
「……っ!?」
ギクリと、酷く慌てたような狼狽したような、珍妙な顔をして、何か多分、
「俺も忙しいんだ」
的なことを言いながら、店から出て行ってしまった。
そんな若造に、娘は振り返りもせずに、ちらと手を上げただけ。
(のぅ……)
それだけ気心の知れた仲なのだろうけれど。
あの若造の恋は、ちみっちゃい我ですら、前途多難の相が見えるし、そして男は娘に、熱心に夕食に誘われている模様。
両親のデートの日は、夕食は家族で外食するのがお決まりなのだと。
「家族の団欒にお邪魔するのは……」
と男が遠慮しているけれど、娘の両親も、是非旅のお話を聞かせて欲しいと、そう世辞でもなさそうに誘われ。
狸擬きはもちろん、狼も大きく尻尾を振っているため、
「では、遠慮なく」
と、夕餉を共にすることになった。
連れていかれたのは、街の一番大きな通りに位置する、店構えも大きなレストラン。
夕陽が暮れる前でも、すでに1/3は席が埋まっている。
人気の店らしい。
「ここは大皿をシェアする感じ、鴨肉がおいしいよ」
と。
鴨肉とな。
頼むものはお任せし、酒は家族で嗜むらしく、
「フンフン」
狸擬きにも麦酒、ビールを頼んでもらう。
男も娘に勧められ、じゃあ1杯だけ、と人差し指を立てる。
我は林檎ジュースで軽く乾杯し、一緒に置かれた魚の酢漬けを、男に取り分けてもらう。
魚の旨味と酸味が、
(……美味♪)
クラッカーに、レバーやら何やら乗せられて運ばれて来たものは、特に狸擬きが好んで食べては。
「フーン♪」
我に空のグラスを見せては、ビールのおかわりをねだってくる。
狼は、塩分控えめクラッカーに、味の薄い肉が乗せられたものを、狸擬きが狼の口に運んでやっている。
ちょっとしたお兄さん気分なのだろうか。
テーブルでは男が主に、初めて娘に会った時の印象や、狼が狸擬きと遊んでくれた礼を伝えている。
「我等が見送った後、船に乗るまで、南の国にはどれくらいいたのか」
と訊ねると、
「んー、ずっと移動だったし、でも3日くらいかなぁ」
「の?」
たった3日。
我等がいかに寄り道ばかりしているかがよく解る。
テーブルに、大きな皿に円を描くように並ぶ鴨肉が置かれた。
それがたっぷり3皿。
ほんのり甘いソースが、鴨肉の濃い血の味を中和し、
「ぬん、とっても美味の」
適度な噛み応え。
これは、所謂、
「酒に合いそうな味」
と言うのだろうと思ったら、娘がすでにワインを人数分頼んでいた。
「フーン♪」
よく解っているではないか娘、と上から目線狸。
酒がなくとも鴨は美味であり。
(そこら辺にいる野生の鴨は勝手に生け捕りにしてもよいのだろうかの)
男に訊ねれば、
「多分、泥臭いんじゃないかな」
男の苦笑い。
ぬぬ、そうなのか。
男と話す我を見て、母親が、お決まりの、どこの国の子なのか、妹さんでいいのかしら?的なことを男に訊ねている。
ここまで遠くに来ると、男の灰色混じりの髪と、我の黒髪に血の繋がりを見出だすらしい。
ほんのり浅黒い肌も、日焼けとでも思われているのだろう。
男はさらりと頷き、赤の国のことを訊ねている。
「茶畑が多いですね、あとは森も多い」
青の国は山だけれど、赤の国は森が多いらしい。
茶の国のあの茶の森程ではないけれど、大きな森や、茶畑程度の低い山はいくつもあるらしい。
話だけ聞くと、長閑な田舎の印象。
娘は行ったことがないらしく、勿論、行ってみたいそうだけれど。
「そう、聞いて!ママもパパも、次に旅行に行くなら新婚旅行でしか許さないって言うの!」
あまりにナンセンスでお話にならない、と鼻に皺を寄せる娘。
青の国の未婚率は高いけれど、親の方は、皆がそうそう物分かりがいいわけでもないらしい。
「でも、お金貯めたら今度は勝手に行っちゃうけどね」
ペロッと舌を出して笑う。
母親は、もう、落ち着かない娘で困っちゃうわと笑い、父親は、
「私たちの二度目の新婚旅行にも付いてきかねないな」
とぼやきつつ、案外満更でもなさそうに酒を煽る。
そんな3人で笑い合う姿を見れば、夫婦仲だけでなく、家族仲もとてもいいのが解る。
レストランを後にして、馬車を置いたままの娘の店の前に戻ると。
「明日も来てね!明日はお店を開けるけど、今度こそご馳走させて!うちはランチと甘いものが売りだから!」
と、大きく手を振って見送られ。
父親がくれた街の詳細な地図を見て、すっかり陽の暮れた、馬車もさすがに減って来た街の大通りを走る。
「のの」
どうやら先に川があるらしく、明日は小豆を洗おうと決意し、橋を越え、建物の密度が下がってきた頃に、お目当ての宿の看板と灯りが見えた。