40粒目
予想外に長く滞在した港町と、白い珈琲の街で会った娘と狼のいる街を結ぶ隣街は、特筆すべきことはなく、ダンディ曰く、これといってお勧めしたい甘味もない街だと聞き、1日で抜けられる広さではあった。
そして特筆すべきことないと言いつつ、やはり初めての街は土地は目新しくはあり、2人と1匹、それぞれに興味のある店で場所で馬車を停めては、眺め、買い足し。
「美味の」
「フーン」
買い食いに勤しみ。
ちんたらしていたら、街を抜ける前に雪が降り始め、酷く吹雪始め、真ん中の街で足止めをくらった。
翌朝は宿の前の雪掻きを男が手伝い、あの群青狼と娘のいる街へ入ったのは、昼もだいぶ過ぎた頃だった。
こちらは組合の出張所があり、けれど国の中で、土地は一番大きな街だと聞いた。
「店はどっちだ……」
男が、組合で預かっていた娘からの地図を広げ、
「大通りではあるんだけどな……」
と呟くけれど、その大通りには馬車が多く、どこかしら、街の人間だけでなく、我等も含め、離れた場所から来たと思われる馬車も珍しくない。
「フーン」
「の?」
娘のいる店があったのかと思えば、狸擬きが反応したのは、屋台の揚げ芋。
そういえば昼を食べていない。
馬車から降りて、男がついでに屋台のじじに地図を見せて場所を聞き。
「ほれの」
「フンフン♪」
揚げ芋を頬張ってると、
「あーっ!!」
的な声と共に、雪がまだらに残るにも関わらず、石畳を勢いよく走ってくるのは、
「……のの?」
あの娘と、群青色の狼だった。
「フーン♪」
『……♪』
狸擬きと狼はするりと身体を寄せて再会を喜び、娘の、
「凄い偶然!!」
「やっと来た!」
「もう待ちくたびれたんだからね!」
的な笑顔の文句に、男が肩を竦めて、何か弁解のようなものをしている。
そして、我と狸擬きの獣の耳飾りの付いたポンチョ姿には、
「えー!可愛い可愛い!」
と大はしゃぎ。
「はて、こんなに賑やかな娘だったか」
と娘の揺れる長いポニーテールに目をやると。
「もうこの街に来ないで先に行っちゃったのかと思った!」
と娘は我等と共に馬車に乗り込むと、少しばかりギクリとすることを言う。
(状況によっては、通り過ぎる気満々であったからの)
「次はあの先を右に曲がって」
青い景色はこの街でも変わらず、馬車が多い。
「そろそろね、運動会だから」
「ぬ」
そうだ、ふわふわ頭にも聞いていたのに、すっかり失念していた。
しばらく進み、徒歩で随分遠くまで買い物に来るのだなと街を見回していると、
「あそこ、うちのお店」
青い建物の並ぶ中、青いのは青いけれど、白い観音扉に、窓には、青いステンドグラスが嵌められている。
(洒落ておるの……)
「今日はお休みなの」
そして両親はデートなのだと言う。
「なのに私はお使い頼まれてさ」
と、きゅっと眉を寄せるけれど、
「そのお陰で、あなたたちに会えたしね!」
馬車のベンチから飛び降りると、
「お店でお茶淹れるから、あ、馬車はそこで大丈夫」
店の場所は、メインの大通りではなく、道を外れた、2つ目3つ目の大通りと言うべきだろうか。
「もう宿は決まってる?まだ平気だけど、そろそろ馬車停められる宿は街の方から埋まっていくから気を付けてね」
観音扉に鍵は付いておらず、室内は明るい水色。
テーブルは白。
壁のランタンもまるっこく、若い娘が好みそうな店。
カウンターもあり、背の高い白い椅子が4脚程度。
「珈琲でいい?娘ちゃんはミルクかな?」
「フーン」
わたくしめはカフェオレがいいです、と遠慮しない狸。
男が、彼にはカフェオレをと少し遠慮がちに伝えるけれど、
「はーい、カフェオレね」
気にした様子もなく、カウンターの内側で、慣れた様子でカップを用意し、珈琲豆の入った容器を空ける。
「すっごいのんびりだったね、仕事?」
男が、まぁそうですと頷き。
娘に、南の国から、真っ直ぐに帰れたかと問えば。
「うん、順調だったよ。船でね、同じ国の子と同室になったの。それで凄く仲良くなって、昨日も遊びに来てくれたんだ」
同室。
なるほど2人部屋か。
「あ、でもね、1つ誤算があった」
誤算。
「そう、行きにね、茶の国用のシャツとパンツ用意して、行きはすんなりシャツもスカートも入ったのに、旅行で調子乗って食べ過ぎたみたいで、帰りはきつくて困っちゃった!」
と笑う。
よく食べる娘だとは思っていたけれど、あれは旅行中のタガが外れた状態だったらしい。
「あんなに歩いてたのに、太ったのはやっぱり船のせいだと思うんだけどね?」
喋りながらも手は休まずによく動く。
珈琲とカフェオレと牛の乳のカップを銀盆に乗せ、片手で軽々と運んで来る娘のその姿は、厚手のセーターにパンツ姿でも、日々の給仕の賜物か、堂に入っている。
「え?今の体型?もうとっくに戻ったよ!帰るなり休む間もなく働かされたからね!」
カラカラと笑いながら青い丸みを帯びたカップを置いてくれると、ポンチョを脱いだ我を見て、
「やっだ!その青いワンピースもすっごい可愛い!それに何より、その色!うちの国に対してのリスペクトがすごい!!」
(ふぬ?)
……りすぺくと?
リスペクトとはなんぞ。
言葉は知らぬけれど、少なくとも、娘の表情からして、どうやら好意的な言葉ではあるらしい。
そして狸擬きの座る椅子の横に、前足を立てて座る狼に、クスッと笑うと空いた椅子に座り。
「あっちの港街の組合へ行く度に、あなたたちが来ていないことを知って、この子、落ち込んで帰ってきてたから、会えてとっても嬉しいみたい」
それは度々申し訳ないと男が謝ると、
「他にもお使いがてらだから全然気にしないで。行く度に思うけど、こっちの方が大きいのに、栄えているのは港町の方なんだよね」
そうなのか。
「そうだよ。あ、そっか、まだ来たばかりだもんね」
こっちでのお仕事は捗った?
と聞かれ、男はそこそこに、と苦笑い。
「茶の国のお祭りは?もう終わったの?」
その前に出てきたの男の返事には。
「ええー!?なんか今回初めて動くって聞いたのに勿体なーい!」
と言われ、それほどのものなのかと思うけれど、それほどのものなのだろう。
「それで、うちの国どう?思ったより変でしょ?」
と頬杖をついて聞かれ、男の困った時の我頼み。
「建物が青くてとても愛らしい、お主の店は特にの」
と答えれば、
「えっ!そう!?そっかー、やっぱりわかっちゃう!?」
えへへと頭を左右に振って喜ぶと、ポニーテールもつられて揺れる。
「両親がね、建物を買ってから少しずつ頑張ったんだって」
建物のお洒落さはうちの国が一番かなって、ママも言ってたなと、思い出すように視線を天井に向けるも。
「あ、でも、あなたたちと会えた街も、真っ白で、海が綺麗で、夕陽はオレンジで綺麗だったよねぇ……」
思い出す様に目を閉じる。
ふぬ。
あのしばらくはいらぬと思ったオリーブのアイスクリームが少し懐かしい。
そして、せわしない娘は、どうしてか煙草を連想したらしい。
「あっごめん!灰皿忘れてた!」
と立ち上がったけれど。
「いや、これから宿を探したいから」
と男が断り。
「あっそうだよね、待って待って、案内するから」
と額に指を当ててううんと唸る。
狸擬きと顔を付き合わせていた狼が、ふと鼻先を上げ、観音扉の方を向き。
「♪」
緩く尻尾が振られ、狸擬きも、この店に向かってくる人間がいますと、鼻を鳴らす。
客かの。
しかし今日は休みと聞いている。
「?」
扉が開くと、
(おやの……)
小柄で目許が娘とそっくりな母親と、のっぽの温厚そうな男が、荷物を抱えて入ってくると、驚きつつも笑顔を浮かべてくれる。
「お外に馬車があったから。……あら、あなたたちが、娘がとってもお世話になったって旅人さんたちから」
と目尻の皺を寄せて、なんとも優しく微笑む。
「おぉ。いやいや、はじめまして、娘がお世話になりました」
男も立ち上がり、礼と挨拶とで何とも忙しい。
父親の方は、しかし挨拶もそこそこに椅子に座る狸擬きを見て、ほうほうほうと興味津々だ。
「ね、ね!?本当にお座りする狸ちゃんでしょ!?」
と娘がはしゃぎ、
「いやいや本当だ、長旅で疲れた夢だと信じて疑わなかったけれど、ほぉほぉ、珍しい」
いやはや毛量が凄まじい、暑い時期さぞかしはお辛いでしょうと、気に掛ける箇所が独特である。
「フーン」
そうでもないと狸擬き。
父親が首を傾げると、
「ね、この人たちを馬舎のある宿に案内してあげたいの」
娘が本題を思い出してくれた。
「あら。そうね、まだ街の宿も空いてると思うけど……」
「水場があった方がいいでしょうか?それとも、街中の背の高い宿の方がいいですかね?」
我等はこの街には長居するつもりはなく、我はどちらでもよかったけれど。
「水場がある宿は、郊外になりますが、近くに森があるから、狸さんは喜ぶかもしれません」
の父親の追加の情報に、
「フーン♪」
狸擬きが前足を上げ、あっさり決まる。
そして、
「おすすめしたい宿は、街から離れているので、今日ならまだ部屋が埋まることはありませんし、着いたばかりなら、尚更もう少しのんびりしてください」
と引き留められ。
母親が、娘に何か紙を渡している。
「ええっ!?またお使い!?」
「お店が休みの今日しか行けないでしょう?」
「もーっ!せっかく来てくれてるのにぃ!」
と地団駄を踏みかねない娘が、
「すぐに戻るから待ってて!」
と元気よく観音扉から出て行き、狼もたっと後ろを付いていく。
「あの通り、本当に騒がしい娘で……。旅の途中にもきっとご迷惑を掛けたでしょう?」
と、母親がため息と共に頭を下げる。
男がとんでもない、楽しい一時を過ごせましたと答えると、
「短い時間であったろうに、あなたたちの話がとても多くて、彼も、娘があなたたちの話をする度に、尻尾を振っているんですよ」
父親は、狼のことを彼と呼ぶらしい。
「……だからこそ。何度か、妻と共に、娘には言ったのです」
「?」
何を。
「……その方たちがここに来てくれることは、あまり期待しないように、と」
小さな微笑み。
「……」
「旅人さん、しかも行商人さんならば尚更、仕事にならない国にわざわざ来るとは思えないからと」
(ぬぬ……)
「でもその度に、娘は、
『あの人たちは絶対来るよ』
と、休みの日には、港街まで行って組合に言伝までして来たという始末で」
のの。
娘はお使いのついでと言っていたのに。
「もしや、娘の執念で、あなた方を呼び寄せてしまったのではないかとすら、私は思っているのですよ」
父親がふうと息を吐き、男はさすがに笑っている。
「船に乗るために、嵐の時期が過ぎるのを待っていたら、とても遅れてしまった」
と話せば。
「あぁ、あぁ。船に、そうか、そうでしたか」
父親は、なるほどなるほどと大きく頷き、
「あれは、荒れた海の船に乗るというのは、二度と見たくない『地獄』と言う代物でしたな」
この父親は、荒れた海のお船に乗ったことがあるらしい。
遅れて大正解ですよと、男の差し出す煙草を、小さな会釈と共に1本引き抜くと、灰皿を取るためか立ち上がる。
「この国は、茶の国や赤の国と比べても保守的で、あまりおもしろくない国でしょう」
母親のその問いかけは謙遜でも卑下でもなく、ただの事実を言葉にしているのが伝わってくる。
男は、天井に向かって煙を吐き出しながら、
「少なくともこの娘は、この国でとても楽しんでいる様ですよ」
と我の髪を撫でながら笑う。
そう。
この国は山がとても良い。
灰皿を持ってきた父親は、
「あぁ、それはいい」
子供が楽しいのはいいことだと、相好を崩している。
置かれた灰皿に灰を落とした男が、ふと母親の方にも煙草を向けると、母親は、あらと口許に指先を当ててから、
「1本だけ」
と引き抜き、それでも吸い慣れた仕草で煙草に火を点けている。
「今日はデートだったのですか?」
と男が訊ねれば、
「えぇ。定期的に2人で出掛けるようにしてるのですが、どうしても他の店を気にしてしまったり、小物なんかを見ても、この店に置けるかとすぐに考えてしまって」
デートらしくないんですよと、困ったように笑う。
「何でもかんでも取り入れて真似すればいいって話でもないんですが、やっぱり気になってしまうんですね」
仕事熱心である。
「それで、すぐに娘に諌められんです。
『うちはこのままでいいの!変なことしようとしてないで!』
って」
ほほぅ。
ミーハーな父親に対して、あの娘は案外堅実らしい。
けれど。
「あれの、あの娘っ子も、うちのカフェで取り入れられるメニューを探してる、的なことを言っていた気がするの」
「ん?そうだったか?」
男はすっかり忘れているらしい。
薄情者め。
父親の方は、
「そうですか。……あの娘は、旅行中でも、この店のことを思い出してくれていたんですねぇ」
と、しみじみと嬉しそうだ。
狼の運動会は、
「店を閉めて観戦に行きます」
とのこと。
その日だけは、この辺りの店は軒並み閉まるらしい。
あの群青狼は。
「他の狼がたくさんいるだけで萎縮してしまい、娘から離れません」
と笑う。
予選すらエントリーせずに、本戦を観に行くだけだと。
その気弱さで、よく娘に付いて旅に出たものだ。
「娘から、そろそろ旅に出ると聞いた時は、せいぜい赤の国や、氷の島程度かと思っていたら、店に来てくれるお客さんや、旅人の方に色々話を聞いていたらしくて、船で9日は掛かる南の方へ行くと言い出して。……いや、あの時は慌てました」
そんな遠くに行くなんてと、二度と会えない覚悟もありつつ送り出したと。
なんと、旅とはそこまでのものなのか。
理由の大半は、人為的なものではなく、主に事故の心配なのだろうけれど。
男が父親に、船ではどこまで行かれたのですかと訊ねると、
「西の大陸まで。新婚旅行です」
その行きの船で海が酷く荒れ、けれど母親は平然として介抱してくれていたと。
「それからもう妻には頭が上がりません」
と父親は笑い、母親は、もう、と笑いながら父親の肩を叩くふりをする。
仲睦まじくて何より。
「西の方はどうですか?」
そんな問いには、2人は顔を見合せ。
「水の街ですよ」
「とっても素敵なところ」
と同時に返事が来た。
水の街。
元いた世界の様に、水源に恵まれているのだろうか。
「もう随分前の話だけれど、もう一度くらいは、行ってみたいと思っていますよ」
と懐かしそうに遠い目をする。
どんな国なのだろうか。
「の」
氷の島はどうなのだと訊ねてもらうと、
「今は漁のために行く人が多いみたいですね。旅の人が旅の資金を貯めるために出稼ぎに行ったりもよく聞きます」
ふぬふぬ。
通訳をしてくれた狸擬きが、ふと観音扉に視線を向ける。
娘と狼が帰ってきたのかと思ったけれど、狸擬きの反応は薄い。
「?」
狸擬きと我の視線に、男も観音扉の方を見ると。
「……なんか馬車停まってるけど、今日休みじゃないの?」
と、男よりも若い、娘と同い年位に見える若者が、雑に扉を開けて入ってきた。