4粒目
残りの船旅は、至極順調。
黒子は、
「向こうでの酒代が出来た出来た」
と喜び、しかし船の中で使いきりそうな程飲んでいる。
その黒子に、部屋に来ないかと誘われたのは、夜。
部屋は同じ作りだけれど、ベッドは少し大きめのものが1台、ソファとテーブルは同じ。
紅茶を淹れてくれたけれど、黒子は紅茶は半分程度、残りは酒を注いでいる。
香りに目を細めて口を付けると。
「長い船旅の暇潰しにお話ししたかったから誘ってみただけ」
と、まぁ顔付きからして面倒な話でもなさそうだしと、案外丁寧に淹れられたお茶に口を付けると。
「僕は、寒い国の出身でね。
夏に来てくれる曲芸団の中の、特にあの大きな天幕の前でやっている、客寄せの紙芝居の方が好きでさ、10歳の誕生日の年に、曲芸団に頼み込んで、自分も連れていって欲しいと頼んだんだ」
「寒い国だけど、生活は困窮しているわけではなくて、宝石も採れるし、少なくとも僕たちの住んでいる場所では、冬に寒さで死人が出るなんてこともなかった。
ただ娯楽が少なくて、それが辛くてさ、わりと大きな村だっけど、出てきたんだ」
「ううん、違うな。本当は、結婚が嫌だった、これは外に出て知ったんだけど、僕のいた所では若干、色々と理解が遅くてね。
『結婚をしない』
と言う選択肢がないんだよ、それが家を出た大きな理由の1つ、うん、家で揉めるのも嫌だったから。
あぁもちろん、男女での結婚の話だよ。
ね?未だにそんなナンセンスな話がまかり通る田舎だったんだ。
村に来た曲芸団が旅立つ前日まではおとなしく過ごして、その日に荷物を纏めて曲芸団の元へ走ったよ」
「でもね、今思えば、多分バレていたと思う。所詮は子供のすることだしさ。それでも、引き留めなかった両親と姉たちには、今でも感謝してる」
「そう、うちは奇跡みたいに3人目の僕が生まれたんだよ。
だからかな、余計にあの家族には、浮わついた僕の存在は、ただただ面倒だったのかもしれない。大事に育ててはくれていたけれど。
だからこそ、どんな思惑があれども、その利害の一致は有り難かった」
「でも、1つ目の一座にはそう長く居なかったんだ、調子に乗って見境なく、うん、そう、相手もいる女の子たちに手を出しまくって、追い出された」
……最低である。
聞こえていないふりをしているため、顔には出さぬけれど。
代わりに狸擬きの半目を、黒子は小さく笑う。
「それで、団長の顔見知りの一座に引き取られて、そこで実力あるからって外で客寄せさせて貰って、しばらくは仲良くやってたんだけど、団長と結婚が決まっていた子と仲良くなっちゃって、また追い出されるようにして、今度は独立したんだ」
清々しい程に、一切の反省も成長もなし。
「うん、案外やって行けたよ、女の子は特に優しいから、泊まるだけじゃなくて色々と世話してくれるから、行き倒れることもなく済んでる」
女たちの涙を糧に、人生を謳歌している模様。
「君たちもいつか寒い国の方へ行くのかな?美味しいものも結構あるよ、室内で出来ることだから、料理も、勉強も熱心にしている」
ほう。
少し興味が湧く。
黒子は紅茶を飲み干すと、硬い干し肉を齧り。
「君たちの、旅の目的はなんだろう?」
自分の話は終わり、と言わんばかりに、黒子が相変わらず軽い口調で訊ねて来た。
我は男に抱っこをせがむと、草履を脱がされてから軽く抱き上げられ、膝に股がるように座らされる。
「その質問は、新しいお題目のネタ探しですか」
我の髪を撫でる男の問い掛けに、
「いいじゃん、まんま使うわけじゃないし」
本当にネタ探しらしい。
それでも男は、我が男の胸に頬をぺたりと寄せたためか。
「この子の、魔法を取得する方法を探して旅をしています」
と我を抱く手に力を込めて、
「全くの0なので」
答えると。
「……えっ!?ええ……!?」
今までで一番驚かれた。
「……あぁ、あぁ。……は、ははぁ、……なるほどねぇ」
そりゃあ、まぁ、長旅になるよねぇと、黒子はドプドプとカップに琥珀色の液体を注ぐ。
狸擬きの羨ましそうな視線。
「難しいですか?」
「元からない腕を探してくっつけるようなものかな」
「義手ですか」
「形だけのね、それも別に隠す人もいないから、あんまり作られていないでしょ」
なんで欲しい?と聞かれ、男に伝えると、
「便利だからだそうです」
男伝の言葉に、黒子はおかしそうに声を上げて笑う。
「だよね、まぁないとね」
そっかそっかぁ、としみじみ頷かれる。
黒子は、魔法を、
「4つもってるよ」
予想はしていたけれど、1人で旅をしているのだから、やはりそうなのだろう。
「1つくらい分けられればいいんだけどね」
おや。
「可愛い女の子は助けてあげたいし、恩を売りたい」
男が、またも大人げなく、腕の中の我の頭をぎゅっと胸に抱くけれど。
それよりも。
(分ける?)
分け与える。
男も何か思い付いたのか、ピクリと身体が動いた。
黒子は、これからも旅をしつつ、女の子たちをたぶらかして楽しく生きていくよと、悪びれもしない。
「……いつかは、生まれた国に立ち寄る気はあるのですか?」
男が、また我の髪を撫でながら訊ねる。
男も思い付いた考えは、ひとまず脇に置いておくことにしたらしい。
「んー、どうだろ、質問で返して悪いけど、君は?」
「ついこの間、戻ったばかりです」
「おっと、そうなんだ。君の国にもいつか行ってみたいな」
可愛い子が多そうと、酒を注ぐも、瓶は空。
「もう少しいい?」
と扉を指差し、酒を出すバーに誘われた。
狸擬きは、目の前のカクテルグラスに注がれた、何とも綺麗な紫色の酒に、
「フゥン……♪」
うっとりと目を輝かせている。
この狸擬きは今更ながら、色彩感覚も人並みに優れているらしい。
「この子のいた国はどこなんだい?」
「俺も知らないです」
「まさに異国情緒、だよね」
我の前には、桃色と白の2色のカクテル。
アルコールのないカクテルだと。
(ほうほう、これは愛らしいの……)
甘酸っぱい苺の香り。
味は苺と甘い牛の乳。
「♪」
男はシンプルで無骨なグラスに、琥珀色の液体と氷。
以前知り合った猟師が、今はこの子のいた場所まで旅をしていると男が話すと、興味津々で顔を近付けて来たけれど。
「どんどん人も街も減るから、あなたにはオススメは出来ない」
の言葉に、黒子はそっかぁと背凭れに凭れる。
そう、せいぜい、花の国程度までだろう。
黒子は、もっと上の方を回っていたと言い、
(上……?)
後で地図を見よう。
黒子は、木の実をつまみながらも、
「君がもう少し大人になった時が楽しみだなぁ」
我を見てにっこりと笑いつつ、隠さない色香を見せる。
大人げなく我の肩を抱く男と違い、黒子には、もう少し大きくならないと、我は色恋の対象外であるらしい。
「オススメの国はありますか?」
男が話を変える。
「オススメ?」
「甘味が豊富な所とか」
「あぁ、そうだな、どこだろ……」
頭を揺らし、どうやら、やっと酔ってきたらしい。
男が溜め息を吐いて、
「部屋に戻ろうか」
「の」
「フンス」
黒子を置いて部屋に帰った。
翌日。
今朝は何を食べようかと2人と1匹、残り少ないお船でのご飯を堪能しようと部屋を出ると。
「ねぇ!?酷くない!?女子を1人で放っておく!?」
黒子が隣の部屋から飛び出して来た。
「……」
「……」
『……』
ほほぅ、これが都合のいい時にだけ女子になる、という事例か。
「女子?」
声が聞こえたのか、隣の部屋から出てきた娘に首を傾げられ、
「い、いやっ!?この人、まーた娘ちゃんを1人で階段の手摺で遊ばせてたらしくてさぁ!」
あっはっはとわざとらしい笑い声。
「あらあら」
そう、誰1人として未だに黒子が女だと気づいていないのだ。
「お転婆はほどほどにですよ?」
男に手を繋がれた我を見て、娘がふふっと微笑む。
解せぬけれど、今は黙っておく。
男の言葉の勉強も順調で、我は文字を覚えた。
読める本も増え、船の小さな図書室にあった本を広げ、
「よるの、ふたりは、あつく、いきを、からませ」
「その、やわらかい、たわわな、ふたつの、ふくらみに」
狸擬きに読み聞かせていると、男に取り上げられた。
「の?」
なぜの。
「今日は絵の勉強をしようか?」
「の?」
「本は俺が選ぼう」
なにやら強引である。
まぁ良いけれど。
しかし納得行かないのは、狸擬きは、なにやらパース?遠近法とやらを教わっているのに、我は、
「今日は船を描こうか」
適当にお題を出されるだけなこと。
午後にはまた狸擬き主演の紙芝居の公演のあるその日。
早めの昼にしようかと食事に向かう途中。
船内のデッドスペースに置かれたテーブルで、ボトルシップに挑戦するキリリとした細身の女を見掛け、
(のの?)
立ち止まると。
女もこちらに気付き、
「ハァイ♪……あら、噂の黒髪姫ね」
と言っているらしい。
悪いニュアンスではないため、のこのこと近付くと、
「ふふ、これに興味があるの?」
「の」
男に抱き上げられて見せて貰う。
ののぅ。
「凄まじく精巧の」
「フーン」
狸擬きは勝手に椅子に上がり、じーっと鼻先を近付け、
「フーン」
凄い、自分もやりたい、と我を見上げてくるけれど。
「ぬぬ、馬車の荷台では、厳しいの」
と言うかこのお船ですら、凄まじく難解なことのように感じるけれど、女は慣れた様子でピンセットを摘まんでいる。
何やら話していたけれど、
「これから食事?あら、ならご一緒させて?」
と、てきぱきと片付け始める。
身長は高くすらりとした、艶やかな栗色の髪はボリュームとうねりがある。
娘よりは年上、男と同じくらいだろうか。
ちょっとしたお使いと仕事で、隣の国へ行ってた帰り道だと。
しかし。
(ぬぬん)
この栗色髪の女曰く。
我は、相変わらず、
「噂の姫」
らしい。
船は特に娯楽も少なく、人が固定されているため、小さなことでも話は広がりやすいと。
正確には、我自身より、
「芸をこなす狸の主」
として顔を知られているのだろう。
特に問題はなさそうだ。
「向こうでずっと子供のお守りしてたから、船から降りるまでが休暇なのよ」
らしい。
レストランでボリュームのあるステーキ肉を食べながら、
(ぬふん、美味の♪)
栗色女は、器用にカトラリーを使いステーキ肉をむぐむぐ食べる狸擬きを物珍しそうに眺めてる。
そして煙草を吸うらしく、更に男の煙草が珍しいらしい。
「1本いい?」
とねだっている。
そして。
(のの?)
栗色女は、マッチで火を点けている。
火が出ない体質なのだろうか。
我の疑問に男が訊ねると、
「マッチで付ける方が美味しい気がするの」
と。
(ほぅ)
「の、の」
「ん?」
男伝に女にマッチをねだると、
「?」
と首を傾げつつ、どうしたの?と手渡してくれる。
「煙草を咥えるの」
「んん?……あぁ、点けてくれるのか」
「の」
嬉しそうな男。
シュッと擦り、ボッと小さく点く火。
手で覆いながら、目を伏せ顔を寄せる男の煙草の先にマッチを近付ける。
煙草の先が赤くなり、満足そうに紫煙を天井に吐き出す男を横目で視界に収めながら、マッチを一振して消すと、栗色女に何か呟かれた。
狸擬き曰く、
「マッチに慣れてるわね」
と。
男が、この娘は火が使えないと答えたらしく、女の納得したような頷き。
ボトルシップはこの女の趣味で、夏の間、今まで我等もいた国で、甥っ子姪っ子の家庭教師の仕事をしていたと。
ほう。
詳しく話を聞こうと思ったら、
「フーン」
狸擬きが食べ終わるなり、自分はさっきの瓶のオモチャをもっと見たいとせがんで来た。
全く。
「わがまま狸の」
「フンッ!?」
まぁよいけれどと、男伝に頼んで貰うと、
「勿論いいわよ、食後はまた取り掛かるつもりだったから」
場所を変えましょうか、と灰皿に煙草を押し付けて立ち上がる。
わがままという単語に眉間の毛を寄せたまま、ポテポテ付いてくる狸擬きは、
「わたくしめは限りある時間の中で知的好奇心を満たすための日々選択を行い普段は主様に誠心誠意尽くしその中でほんの一時の欠片のような時間を自分の」
などと、うんたらかんたら、切々と早口で戯言をほざいてくる。
聞こえないふりをして、開放的な無人の喫茶室に入る。
カフェではなく、客が自由に寛げるスペース。
食後に合流した黒子と娘も興味津々でテーブルを囲み、栗色女の真横に陣取るのは狸擬き。
四角い革の鞄の中は、厚手の布が敷き詰められ、その中に瓶がみっちりと嵌められている。
長い鑷子、ピンセットを始め、中の船の部品がテーブルに並べられる。
「この狸ちゃん?は、人で言うといくつ位なの?」
と女に聞かれ、
「フンフン」
わたくしめは25歳くらいでしょうか?
と、なんともすっとぼけた発言をするため、
「知能はよくて5歳程度かの」
男伝に答えると、
「フンッ!?」
フーンフンフン!と怒る狸擬き。
「あら、本人は納得していないみたいね」
栗色女は身体を揺らして笑う。
女は髪をしっかり纏め直してからピンセットを手にすると、大人しく静観していた黒子に、
「ね、大人向けの演目はないの?」
と訊ねている。
「大人向けかぁ」
「ただの旅の話でも喜ばれるわよ」
と、小さな板を長いピンセットで摘み、瓶の注ぎ口から中に忍ばせる。
まだ半分程度の完成具合。
黒子は、
「バーでも短時間なら貸し切れるかな」
と考える顔。
娘も繊細な作業に息を潜めて眺めては、ほぅと感嘆の息を吐いている。
腕組みをした黒子は、人差し指をとんとんとリズミカルに動かし、長考を始め、仕事には熱心だと思うけれど、全てはそれによって飲める酒のためであろうことは、もはや明白。
狸擬きのお陰で予定より稼いでいるらしいけれど、飲む酒のグレードも明らかに上がっている。
「……」
いっそ投げ銭の報酬を毟りとった方がいいのだろうか。
嫌な予感でも通じたのか、黒子の人差し指の動きがピクリと止まった。