38粒目
店を出ると狸擬きが、
「フーン♪」
満腹ですと、満足そうに鼻を鳴らす。
大通りに出て、
「また、大学にも遊びに来て下さい」
と手を振るふわふわ頭に、
「フーン♪」
返事をするのは狸擬き。
狼たちに会えるからだろう。
そして我等も一仕事を終えれば。
「お風呂に浸かりたいの」
獣を担ぎ上げていたから、さすがに獣臭い。
「あぁ、そうしようか」
お疲れと労られ、
「ふふぬ♪」
男と手を繋いで歩き出すも、狸擬きの歩く速度が落ちるのは、間違いなく「風呂」の単語のせいだろう。
翌日。
狸擬きの狸予報が当たり、酷く天気が荒れ、狸擬きは気圧とやらのせいか、眠いのです、とベッドでひたすら眠り。
我はパンを焼き、男は地図を広げて書き込みつつ、日記とはまた違う記録を付けている。
まだまだ時間はかかりそうだ。
(……ふぬ)
記憶の本棚に入り、お目当ての本を探し、ページを捲る。
(小麦粉と、卵と……)
パンと似ているけれど、砂糖が若干多いかと、材料を広げ。
やがて地図を閉じた男にも手伝わせ、小麦粉を捏ねた生地で輪っかを作り、油でジュワジュワと揚げれば。
「狸擬きの、おやつの」
「フーン……?」
おやつの言葉に寝癖いっぱいで起きてきた狸擬きは、テーブルに置かれた揚げたてのドーナツに、
「フーンッ!?」
瞬時に目を覚まし、椅子に飛び乗ると、熱々に前足を伸ばし。
「フンフン♪フンフン♪」
美味しい美味しいと夢中になっている。
男は、
「お主には少し甘いかの?」
砂糖もたっぷりまぶしている。
「いや、とても美味しい」
珈琲と良く合うの言葉に、いつかは我もブラック珈琲を美味しいと思える日が来るのかと思いつつ、牛の乳たっぷりのカフェオレを飲む。
「フーン?」
今日はパンをたくさん焼いていますねと水場に積まれたパンを眺める狸擬き。
「そうの。礼や差し入れ分の」
美味しいおやつの後は、男が、我の髪の毛の結い方の"バリエーション"を増やす練習におとなしく付き合いつつ、地図を眺め。
「我はトナ鹿が気になるの」
氷の国、氷の島だったか。
「魔法の手懸かりは、あまりなさそうだけどな」
「ぬん」
「フーン」
トナ鹿の肉が食べたいですと狸擬き。
「そうの。でも」
島の山は、氷の島の人間たちの縄張りであろうか。
洞窟の花も気になるけれど。
男が気にしているのは、赤の国の外れから、船で7日程と言う大陸の方。
吹雪の収まった夕刻に、ミミズクが顔を出した。
「獣組合に行ってみましたが、現在、獣組合では、狼の配達の訓練中なのだそうです」
ほほぅ。
なんとなく面倒そうで、組合の隣でも避けていたけれど、基本は獣の繁殖や登録、保護などに特化した組合なために、旅人の我等はあまり関係がないと聞いた。
ミミズクは、我の作る食事は美味しい美味しいと食べてくれるけれど、
「長年、獲物を狩って食べていたので」
ダンディの部屋で与えられる生肉でも、充分に満足らしい。
「泊まっていくかの?」
『いえ、あの人間の方が心配するので』
美味しいご飯を御馳走様でしたと、夜の街を軽やかに飛んでいくのを見送る。
(そういえばミミズクもあのフクロウも、昼間に起きているの)
御主等は夜行性ではないかのかと、聞きそびれた。
風が雪雲を飛ばした、晴天の翌日。
我と狸擬きは二度目のリス狩りに勤しみ。
リスのずだ袋を預けがてら、ダンディにパンを渡し、あのふわふわ頭にもパンの差し入れがてら大学へ行けば、ちょうど狼の世話をしていたふわふわ頭と会え、袋の中のパンを見て大喜びで受け取ってくれる。
「今、少し食べてもいいですか!?」
と、嬉しそうにパンを取り出したものの。
狼たちが、パンを見てわらわらとふわふわ頭を囲み、そこにはなぜか狸擬きまで紛れている。
「ああっ、これは君たちのではないよ!」
とふわふわ頭がパンの袋を持って駆け出すと、狼たちも狸擬きも当然、楽しげにふわふわ頭を追い掛け。
しばしの追いかけっこの後に、ふわふわ頭は校舎内に逃げ込み、
「校内の研究室に置いてきました」
後で頂きますと苦笑い。
狼たちは狸擬きが持参したボールで遊び、我はふわふわ頭と話している男の隣で、
「フーン♪」
楽しい楽しい♪
とはしゃぐ狸擬きに手を振ってやるも。
「フーン」
こちらへ駆けてきた狸擬きに、主様も一緒にと誘われる。
「ふぬ?」
例の失禁狼は、今は定期的な街へのお散歩に連れ出されており不在だと。
(ふぬふぬ)
「では、我が追いかけようの」
靴を履いたままで大した速さでは走れないものの、全力で追い掛けてやれば、
「!?」
なぜか狼たちの緊張と緊迫具合が格段に上がる。
しつこく追い回してやると、やがて狼たちがバテ始めたため、我と狸擬きは、隣の馬舎まで歩き、ちらと覗いてみる。
放牧された馬たちは、皆一様にすらりと足が長く細く、どことなくツンと澄ましている気がする。
しかし、どこへ行っても、
(……馬とは言葉が通じないの)
それは場所が変われど変わらない。
簡易な柵をすり抜けて放牧場へ入り込み、フンフンと近くにいた馬に挨拶しながら近付いた狸擬きは。
『……』
馬も挨拶代わりか、狸擬きの鼻先をベロリと舐め、
「フーンッ!?」
狸擬きが悲鳴を上げた。
「……何をしておる」
澄ました見た目とは全く比例せず、こちらの馬も大概フレンドリーである。
「フンフンッ」
馬たちは初対面での距離がわかっていないのですと、鼻先を前足で擦りつつ歩く狸擬きと男の許へ戻る。
今朝はやはり薄暗い日の出直後からひたすらリスを狩り、ダンディ伝にリスを卸した時。
ダンディからは先日卸した大型の獣たちの報酬の一部を貰え、残りも、我等の出発までに卸し業者に用意させますのでと約束をしてくれた。
その報酬の1割を袋に詰め替えたものを、臨時の仕事の礼と、狩りの口止め料と適当な理由を付けて、男が、ずしりと重い袋をふわふわ頭に渡した。
当日にも男が数枚コインを渡していたけれど、あれは馬車の運転費でしかない。
今渡した分に、更に残りの追加分からもコインを渡せば、このふわふわ頭も、当分はまともな生活が出来るだろう。
散財するようなアホにも到底見えない。
ふわふわ頭は、
「え?え?」
と、男と袋の中を交互に眺めてから。
男が大きく肩を竦めた姿に、
「あ、あ、ありがとうございます……っ」
ぶわっと目に涙を溜めて、そのまま俯いて袋に顔を埋めてしまった。
さすがに男の口止め料などは、言い訳だと気付いたらしい。
(言い訳ではないのだけれど)
その細い身体は、体質ではなく食べられていないからだろうし、男が片手で持つ大袋を、両手で胸に抱えなくてはならないくらい、目の前のふわふわ頭は、力がないのだ。
親の応援と援助ありきのしかも他国の大学への進学に単身で1人、同じ境遇の仲間もおらず、研究はいつ成果を出せるかもわからず、わかりやすく人の役に立つものでもない、獣の国だからこそ許されている、狼の研究。
何の後ろ楯もなく、諦めようにも、家から許されているのは弟との手紙のやりとりのみ。
そう、このふわふわ頭に、帰る場所はない。
「……」
(むしろ……)
今までよく壊れなかったものだ。
あー走った走ったと枯れた芝生で思い思いにぐてりと横たわっていた狼たちが、狼舎の前で俯き、じっと動かなくなったふわふわ頭の異変に気付きやってくると、
「どうしたどうした?」
とふわふわ頭を囲む。
ついでにそれは食べ物かと、ふわふわ頭の抱える袋の匂いを嗅いでいる。
狼たちの世話しているからだけでなく、元々動物に好かれる体質なのだろう。
獣には贄か餌としてしか見られない我としては、少しばかり羨ましい。
「あぁ。なんでもないよ。もう大丈夫」
心配してくれてありがとうと、目の赤いふわふわ頭が狼たちを撫でると、自分も撫でろ、もっと撫でろと迫る狼たちに。
「あぁこらこら、撫でるのは順番、順番だよ、うわわっ……」
狼たちに囲まれて揉みくちゃにされてふわふわ頭はその場にひっくり返ったけれど、コインの入った袋を大事に抱えつつ、笑顔を見せているから、もう大丈夫だろう。
そんな姿を見ている男と我の隣に、ふいと並んだ狸擬きは。
「フーン」
と、若干冷めたフーンを聞かせてくる。
「の?」
「……フン」
このふわふわ頭を助けたのが、身内でもなく、この国でもなく、たまたまこの国を訊ねた旅人というのが皮肉ですねと。
珍しく痛烈狸。
「そう言ってやるなの」
それぞれの国の間で、我等には解らぬ3国の絡みなども、あるのだろうし。
しかし獣にはそんな事情は微塵も関係なく、我も半分は獣、半分は妖なれど、人を模しているせいか、ほんの少し、欠片位は、人の事情も理解できるつもりではある。
狼たちをあやしつつ立ち上がったふわふわ頭が、また男に何度も礼を告げている。
狸擬きが、散歩から帰ってくる失禁狼の気配を感じ取り、では用も済んだしと、鉢合わせて我を見てまた失禁される前に、そそくさと退散することにした。
いっそ清々しい程のからっ風が吹くのは、翌日の昼前。
ダンディに小鳥を使って呼び出され、指定された半個室のレストランにて。
「卸し業者が、獣の卸し主を良くも悪くも気にし始めました」
とこそりと教えてくれ、そろそろ逃げるついでにこの街から出発しないといけない時期になって来た。
予定より遥かに長居してしまったけれど、楽しい楽しい狩りも出来たし、よい山、いや、よい街であった。
ダンディは、国ほどではないけれど影響力のある組合から、山への積極的な狩りへの声明を出すことで、これから忙しくなりそうだと。
数日の間にこの街から出ると男が話せば、出発前に、是非食事をと、ダンディから申し出。
ならば、男が1人若者を招きたいと伝えると、笑顔で承諾してくれ。
「では私の部屋に来ませんか、腕を振るいますよ」
と、あのお洒落なアパルトメントに誘われた。
ダンディは料理は上手であるし、それは勿論嬉しくはあるけれど。
「……その」
ぬ?
「出来ましたら、なんと言うか、同じアパルトメントのよしみで……」
あの彼女も誘いたと思っているのですが、とダンディがチラチラ見るのは、我。
「……ぬぬぅ」
諸手を広げて歓迎こそしないけれど。
「ふん、よいの」
あの娘のお陰で、美味しいケーキが食べられ、リス狩りが出来たことには違いない。
苦々しい我の頷きに、
「美味しいものや甘いものもたくさん用意しますから」
ダンディがホッと安堵の息を吐き、それに反応するのは、
「フーン♪」
狸擬き。
出発に向けて、馬車の車輪を替え、万能石を買い足す。
街が続くため、そう神経質になることもないけれど、今までの経験で何があるか分からないからと男。
買い出しが済めば、あの美味しい珈琲味の胡桃のケーキを出してくれる店へ行き、
「あーむ♪」
「フーン♪」
胡桃のペーストが挟まった美味しいケーキを食べながら。
男からマダムに、
「ゼラチン」
の有無を聞いて貰ったけれど、焼き菓子が主なこの店では使っていないと。
ただ、存在はするらしい。
(ふぬふぬ)
これからは少しばかり意識してお菓子屋を訪ね、ゼラチンの有無を訊ねよう。
甘いものも買えるし、一石二鳥でしかない。
「ゼラチンを作っているか、卸している店を探した方が早いんじゃないか?」
「ぬぬ」
楽しい提案に水を差される。
「手に入れるまでの過程には、寄り道もとっても大事なことであるのの」
と、我なりの真理を口にすれば。
「……君は、案外口が回るな」
男の吐き出す煙草の煙が、四角く切り取られた箱庭の空へ消えて行った。
この街からの出発前日の昼。
ダンディのリクエストで、我は柔らかいパンを焼いた。
具なし、チーズ入り、木の実入り。
狸擬きは、娘の狼たちに会えるため、ご機嫌でテンテコと先を歩く夕刻。
組合の真裏であるし迷うことはないけれど、一応組合の前でふわふわ頭と待ち合わせると、ふわふわ頭が少しこざっぱりしていた。
「おやの」
「大学の女の子に切ってもらいました」
と照れ臭そうに、少し頭が寒いですと笑うふわふわ頭とダンディの部屋へ向かうと。
「いらっしゃい。あぁ、今日もとても可愛いらしい、素敵なドレスがとても似合っていますね」
と買ってもらった中では一番ドレッシーなワンピースを褒めて貰えた。
細かな水色のレースの上に、青いオーバースカートが覆い、とてもドレス感あるワンピース。
髪は耳の横で小さなお団子、後ろはさらりと流し、ドレスに合わせた愛らしくも大人しめなアレンジ。
「ぬふん♪」
先に来ていた娘は、自身の婚礼か誕生日かと思う程に、何やら賑やかな格好でこちらにやってくると、挨拶やら互いの紹介やらしているため。
我は狸擬きと狼たちの許へ向かい、窓際にいるミミズクとフクロウに挨拶する。
『そろそろ出発なのですね』
「そうの」
『……』
じっと我を見つめるミミズク。
黙っていると、水場から肉の焼けるいい匂いに、
「フーン……♪」
狸擬きがスンスンと鼻を鳴らす。
テーブルに所狭しとご馳走が並び、時間のかかりそうな煮込み料理などもあり。
「明日から忙しくなるので、今日は半日休みを取りました」
とダンディは余裕を見せてさらりと笑ってるけれど。
山への狩りや、やはりリスに関しては報酬額を上げることに決まったらしく、それにともない、組合は国や過激派との軋轢も増えるだろうし。
(これからが大変であるの)
まぁこのダンディなら、それらも易々と乗り越えてうまく纏め上げるのだろう。
人間たちと狸擬きは酒のグラスを手にし、我は葡萄ジュースで、乾杯する。
ふわふわ頭が、
「実は大学の狼が2頭、運動会への本戦への出場が決まったんですよ」
と嬉しそうに教えてくれる。
それは凄い。
娘も、ええっと驚いてるけれど、狼2頭は当然ダメだったと。
「他の狼たちに愛想振り撒いてばかりで、全然走ろうとしないんですよ」
と。
まぁ私も含め、友達はたくさん出来ましたけど、と酒を勢いよく流し込む。
「それなら、パフォーマンス部門がいいのかもしれませんね」
とふわふわ頭。
そんな部門もあるのか。
ダンスやチアリーディング的な立ち位置であろうか。
狼たちが花を付けて踊る姿を想像すれば、
(なかなかに愛らしいの)
煮込まれた肉の塊をあーむと口に含めば、隣の狸擬きは、
「フーン♪」
ワインを飲み、テーブルの上のお肉にフォークを伸ばし、
「フンフーン♪」
口に放り込んではご機嫌に尻尾を振る。
狼たちも今日は大きめの骨付き肉が与えられ、ミミズクとフクロウは、ダンディの座る肘掛けに並び、順番に肉を貰っている。
「パンが新鮮」
と娘が声を上げると、狼たちも鼻先を伸ばして興味を示している。
「どうしたの?」
珍しいと娘。
我の手捏ねであるから、多少美味しい匂いがするのだろう。
狸擬きはカッパカッパと酒を流し込んでいたため当然酔いが回るのも早く、ろくに通訳の仕事もせず、狼たちとフンフンと話し始め。
我は仕方なく、ダンディが用意してくれたさくらんぼのパイを頬張る。
必要な話ならば、後で男が教えてくれるだろう。
まもなく酔った娘が、多分、もうお別れなんて寂しいですよぅ的なことを言いながら泣き出し、男がハンカチを差し出そうとしたけれど、ハンカチはもう我の口許を散々拭ったお陰で汚れている。
代わりにふわふわ頭が、少しだけほつれたハンカチをさしだすと、酔った娘がふわふわ頭のハンカチで鼻をかみ。
「あーっ!?」
ふわふわ頭の悲鳴に、笑い声が弾けた。