37粒目
帰りがけに組合から用意された黄色い鳥は、
「お主も気が強いのの?」
我の問いかけに、
「ピーチチ♪」
「フーン」
狸擬き曰く、自分はそうでもないと思いますと。
そして、空を見上げると、青空をシュンッと飛んで行った小鳥を、
「ピチー」
今飛んで行ったあの鳥はとても気が強いです、と教えてくれる。
ほぅ。
「早朝から出るけれどお主の出番は、狩りが終わってからだから、そう忙しくはないはずの」
「ピチチ」
早起きは得意ですと。
ミミズクは、今夜もダンディの部屋に泊まるらしい。
すっかり懐いている。
男に髪を乾かされながら思い出した。
「ぬぬ、そうの、獣には縄張りがあったの」
失念していた。
我と言う餌がある中、どれだけ縄張りは有効なのか。
やはり狩った獣は引き摺るかと欠伸をすると、
「フーン」
主様と言う餌を前にして、縄張りも何もないと思いますと狸擬き。
ベッドで丸まるその中に黄色い鳥が埋まっている。
「ふぬ、そうかの」
夜の雪は、降ったり、止んだり。
「そう積もってもいないの」
ただ風は強い。
我にとって、それは吉か凶か。
『それもやはり些末な問題かと』
「ふぬ、そうの」
風で捲れた額に、男に唇を触れられる。
「すぐに戻るの」
今日は真っ直ぐに山の中へ駆けて行き、迂回しつつ斜面を上がって行く。
畑には近いけれど、この時間は人はいない。
代わりに、
『いました』
「早いの」
こちらは気配を消さないため、
「のの」
熊の方は特に変わった所もなく、
(普通に焦げ茶の熊の)
少しばかり大きくはあるけれど。
餌を探すのではなく、木に背中を擦り付けていた熊がこちらに気付き。
しばし対峙すれば。
「……」
熊は、小さな生き物と狸の姿にすぐに4つ足で地面に着くと、木々の間を抜けて駆けて来た。
振り切らぬ速度で狸擬きが山を駆け、男のいる馬車の麓まで降りてくると、
「……」
よくぞあの巨体であの速さを出せるもののと感心する速度で駆け降りてきた熊の額を狙って小豆を飛ばす。
脳髄を貫かれても尚、惰性で目の前まで駆けて来た熊が速度を落とし、よろけ、
ズンッ……
と倒れ込む。
「纏めて後で運ぼうの」
『はい』
再び山に入りを繰り返し、疲れ知らずの狸擬きは、山をターンッターンッと駆け抜けては、熊の前に姿を見せ、追い掛けさせる。
狸擬きには、さぞや楽しい楽しい追いかけっこなのだろう。
そして遅まきながら気付く。
熊たちは、正確には狸擬きではなく、我を追って来ている。
「……」
『主様』
「の?」
『これ以上は馬車に乗りきりません、そして乗り切ったとしても、馬が動きません』
あの脳筋馬でもか。
『力自慢の馬たちにも限界はあります故』
ふぬ。
とりあえず手前の熊の前足を掴み引き摺って行くと、男が荷台から降りてきた。
我のために荷台から踏み台を積んで階段を作ってくれたため、
「よいしょの」
運んでは積めて、運んでは積める。
「……あと何体ある?」
「残りはデカブツが4体の」
これからまだ鹿を狩ると言えば、男は天を仰ぐ。
そして、風に髪を靡かせる我をじっと見下ろしてから。
彼に協力を仰ごうと雪の舞う強風の中、男が街を振り返った。
「我等のしていることが露見するの」
「彼なら秘密は守ってくれるだろう」
まぁ、そうの。
狸擬きも異論はない様子。
金具を付けた黄色い鳥を、
「ピチチッ」
ダンディに向けて一足先に飛ばす。
お任せを、と小鳥は強風の中でも難なく飛び立ち、街へ消えて行く。
男が、ずしりと重くなった荷台に、フンッと張り切る馬たちを諌めつつ、
「では我はここで狩りを続けておるの」
我の見送りに、それでも男は、簡易かつ小さな天幕を立てると、中にコンロなどを置くと。
「戻るまではなるべくここにいて欲しい」
と言い置き、すぐに戻ると、脳筋馬たちと街の方へ走って行く。
『どうなさいますか?』
狸擬き。
「の?無論、行くの」
再び雪も舞い始めて、尚更いい塩梅なのだ。
『かしこまりました』
山へ、山へ。
吹雪く山に、艶やかな黒髪が舞う。
聞こえるはとかく幼き笑い声。
それを追うのは、よくぞここまで育ったと感嘆の吐息が漏れる大きな鹿。
鹿はその巨体に相応しい立派な角を、幼子の腹に突き立てんばかりに、山を駆ける。
それが罠とも露知らず。
誘うように流れる黒髪を追う鹿は。
気づけば山の麓。
目の前には、自分に背を向けていたはずの、人の幼子の姿を模した何かと、その何かに付き従う知らぬ獣の姿が、こちらを向いている。
「……」
足を弛めながらも、その「何か」の指先が小さく動いたことに気付いた時。
鹿は、生きている最後の瞳に、その姿を脳裏に焼き付け。
ただ、何一つ理解は出来ぬまま、その命を役目を終える。
「おやの?」
「偶然に会えたから、彼にも仕事として依頼し請け負ってもらった」
男とダンディに続く、3台目の馬車を操るのはふわふわ頭。
ここ青の国と赤の国を、行ったり来たりの行商人から、ほぼ善意で住人に届けられる手紙を、組合に預けに来ていたふわふわ頭と男が偶然かち合い。
ちょうどいいと空の馬車を運転して来てもらったと言う。
こちらでは主流かつ唯一無二と言ってもいい、歩く以外の重要な移動手段なため、馬車を操縦できる人間は珍しくないとか。
ダンディはともかく、ふわふわ頭もそう口は軽くはなさそうなため、だからこそ連れてきたのだろう。
ずるずると両手でそれぞれに熊を鹿を引き摺ってくる我を見て、吹雪の中で、ダンディとふわふわ頭が立ち尽くしている。
ふわふわ頭は、夢でも見ているかの様に、ふんと頭上に持ち上げても、ほぼ埋もれ、そのまま荷台に歩く我を、じっと、瞬きも忘れて姿を追ってくる。
そんなに珍しいかの。
「……ふぬ」
珍しいのだろう。
「……魔法?」
ふわふわ頭の言葉を狸擬きが訳してくれる。
そういえば、この世界の人間は、力に関する魔法はない。
まだ解明されない空の魔法、さすれば重力を操るのではないかと勝手に考えてるけれども、誰も使えていない。
立ち尽くしていたふわふわ頭は、目を擦り自らの頬をパシパシ叩き、夢ではないとやっと認識したらしく。
「凄……っ!凄いですね!」
その力の源は、どこから、そんなちっちゃな身体でと隣に並び歩きながら問いかけてくるけれど、面倒であるし聞こえないふりをする。
馬たちは、ダンディが足の太い荷運びに特化した馬たちを連れてきてくれたため。
「あと1体ずつはいけるかの」
男たちに荷台に階段を作って貰っては、熊を鹿を乗せ。
「あとどれくらいだ?」
「残りは鹿の、巨大なのはいないけれど、そこそこの大きさの」
「んん、乗り切るかな……」
鹿は角があるから運びやすい。
ずるずる運び持ち上げ、その間に男が天幕を閉じ、名残惜しく山を見送り、雪の中、街へ戻った。
「このまま卸し業者の元へ向かう、君は組合で待っていてくれるか?」
「の」
本格的に吹雪いてきた。
2階の個室に通され、ソファによじ登れば。
「ふぬん……」
昨日は平気だったのに、今日は、眠い。
狸擬きも欠伸をしている。
靴を脱いでごろりと横たわる狸擬きに凭れて、目を閉じると。
(……?)
なぜか、山が見えてくる。
元の世界の山ではなく、青のミルラーマでもなく、ついさっき狸擬きに乗り走り回っていた山。
数人の狩人。
吹雪で視界は悪く、獣の足跡も消えている。
けれど、山のざわつきまでは隠しきれず、狩人たちは顔を見合せ、
「……」
今日は出直そうとあっさり踵を返している。
(そうの……)
正しい選択である。
これは、狸擬きの力であろうか。
そうだ、卸した肉は少しくらい分けてもらえないだろうか。
そう言え、ば猪を見ない。
豚がいるのだからいるのだろうけれど、そもそもこちらの豚は、先祖がイノシシではないのかもしれない。
狸擬きに、
「イノシシとはなんですか?」
と、問いかけられた気がする。
我の心を読むな。
と、返事をする前に、すっと意識は途絶えた。
「お待たせ」
「……んのっ?」
男の声にビクッと目が覚めると、ダンディとふわふわ頭もいる。
「ぬん……」
もう戻ったのかと目を擦ると、
「フーン……?」
朝ですか、と狸擬きも欠伸をしながら目を覚ます。
「朝ではないの」
あふぬと欠伸をすると、ダンディの隣に、目の前に座るふわふわ頭と目が合ったけれど、やはり、
「物珍しい研究対象がいた」
的な好奇心いっぱいの瞳がこちらを見つめている。
その何事も俯瞰で物事を見る姿勢は嫌いではない。
卸した分の報酬は後日お支払致しますとダンディは緩く頭を下げてから、
「狩りの鍵は、この小さなお嬢さんの方だったのですね」
と、我を見つめてくる。
男は黙って、頭巾だけ外していた我の頭を撫でてくる。
撫でられながらダンディを見つめ返すと、
「山の様子はどうでしょうか?」
男伝に訊ねられ、まだむにゃむにゃしている狸擬きに問えば、
「フーン」
未だに獣は多いですと答えながら腹を擦る。
そう言えば我も空腹である。
男の答えに、ダンディは、
「そうですか」
と頷くけれど、想定の範囲内ではあるのだろう。
あの大きな山からすれば、あの程度、狩ったうちにも入らない。
「フーン」
ただ、積極的に人里へ降りようとする熊や鹿を特に選んだ、と、なんとも優秀な従獣ではないか。
ダンディはその言葉に、
「あぁ、それは大変に有り難い」
とまたも頭を下げてくれ、
「組合では、これから本格的に、狩りの声を上げて行きたいと思っています」
と、ダンディらしい低く渋い声を出す。
それがよいの。
「……ただ」
ただ?
「その前に、リスの狩りだけはもう一度助けて頂けると非常に有り難いのですが……」
と途端に小さくなる。
それは全く問題ない。
リスに関してはそのうち、組合の方から卸しの値段を跳ね上げるか、狩ったらプラスアルファを付ければいいだけ。
そして男たちが、またもなにやら話しを始めたけれど、それを遮るように、
グー……
と盛大に鳴ったのは狸擬きの腹。
「フーン……」
前足で腹を押さえ、我を越えて男を見上げている。
「話は後にしましょう」
とダンディが肩を揺らして笑い、男がふわふわ頭も一緒に食事をと誘っている。
組合にミミズクとフクロウがいないなと思ったら、2羽で隣の獣組合へ顔を出していると。
あの何代目だかのいかさま長命鳥に挨拶でもしているのだろうか。
組合から出れば、吹雪は止み、歩く人は少なくとも、街の馬車はパカパカと元気に走っている。
自分は少し溜まった仕事を片付けますと、そのダンディにおすすめされた、大通りからは外れた、2つ程奥の並びの店は、表通りでなくとも、店内は適度にざわつき賑わっている。
店に漂う匂いは香ばしい肉の香り。
(ステーキかの?)
男の客が多いのか、とりわけテーブルが高めで、店の人間がクッションを持ってきてくれる。
「豚の足だそうだよ」
豚足?
食べるところがあるのかと思ったら、足の根元でなく付け根から切り落とした、肉の塊。
噛みごたえがありそうだと思ったけれど、
「のん?」
とても柔らかい。
長時間低温で柔らかく焼き上げたものだと。
我等がいくらのんびりした旅をしていても、そこまで料理に時間は掛けられず、それらを考えてこの店を教えてくれたのだろうか。
あのダンディのことだ、それも考えすぎ、とは思えず。
(抜け目ないの、ダンディめ)
それでも感謝して豚足を頬張れば。
「ぬふん、大変に美味の♪」
「フーン♪」
ふわふわ頭も、目をぱちぱちさせて、美味しいですと笑顔になる。
皆無心で骨から肉を削ぎ、あらかた食べ終えると。
ふわふわ頭に、
「君の住んでいた場所は、どんな勉強が盛んなのですか?」
と問われた。
どんな勉強。
そもそも、住んでいた場所は山。
3日3晩歩いて着いた村や、霧の森を抜けた先の隣の村を思い出したけれど。
「そもそも我のいた山の中で学校はないし、村も識字率からして滅法低いの」
メニューも絵が普通だった。
「……えっ?」
絶句される。
「なんとか数字程度かの」
向こうでは文字は読めなくても何も珍しくはなかったけれど、こちらでは逆に字が読めて当たり前。
ふわふわ頭は、けれど、
「……あぁっ!!」
合点が行ったとばかりにうんうんと大きく頷き、
「山暮らしですか、だから狩りが上手だし、力持ちなんですね!!」
と、大変好意的に解釈してくれた。
まぁ間違ってはいない。
むしろ正しい。
ふわふわ頭は、
「世界は広いなぁ」
と遠い目をすると、食後に運ばれてきた珈琲に、砂糖を溶けないくらい落とす。
(ののぅ)
男がふわふわ頭自身ののこと訊ねると、
「ずっと魔法の勉強よりも、狼の勉強をしたくて。
青の国に勉強ができる大学があると知ったのは赤の国での中等部の時です。
仕事でたまたま学校に来ていた青の国の人に聞いて。
それからは青の国の大学で勉強がしたいと頭にはそれしかなくて。
赤の国からあの大学に駄目元で嘆願書を送ったんです。そしたら、本当に幸運にも、大学の方が、僕の意思を汲んでくれて通えることになりました」
それだけ聞けば、一路順風なのだけれど。
大学側は、まさか受け入れた親の援助や協力がないとは思ってもみなかったのだろう。
そして、まだ目立った成果の出ていない、それも他国の学生に積極的に支援もすることは出来ないことくらいは、我でも解り。
(ぬぬん……)
「僕は、勉強させてもらっている身なので、もっともっと頑張らないと思ってます」
と、狸擬きもたじろぐ砂糖入りの珈琲をぐっと飲み干す。
両親とは、こちらの大学を希望するまでは仲はよかったと言う。
弟だけは応援してくれ、手紙は尽きないと嬉しそうにはにかむ。
青の国までの片道切符は、ずっと貯めていたコインで川を渡ったと。
「赤の国に、帰る気はないのの?」
男伝の我の言葉に、微かに揺れた視線を落とすと。
「……いつか、大学に認めて貰えて、研究費や賃金を貰えるようになったら、旅行ついでに、こちらに遊びに来て欲しいと、家族に船のチケットを送りたいとは考えてます」
と、少し無理して笑みを浮かべる。
二度と帰るな、くらいは言われたのかもしれない。
あの適当極まりない、ちゃらんぽらんを絵に描いた黒子の様に、突き抜けていてもそれを盾にさえ出来れば、楽しく生きられるのだろうけれど、このふわふわ頭は、人より突き抜けていながらも、あまりにしがらみが多すぎる。
「……」
男も何か思うところがあるのか、煙草に火を点けぬまま、
「そろそろ行こうか」
と、我にポンチョを被せた。