35粒目
連日のようにダンディのいる組合へ向かい、今日は仕事の話ですと男が伝えると、ダンディは笑みを浮かべたまま、
「お二階へどうぞ」
と手の平を広げる。
2階はやはりこちらの国でも個室。
茶の国はお船であったけれど、こちらは鳥や狼の絵が飾られている。
個室の出番は多いのか、小さな水場まであり、ダンディが慣れた様子で珈琲を淹れている。
我と狸擬きとミミズクには、別の若い女が、りんごジュースを運んできてくれた。
ダンディと共にやってきたフクロウは、こちらに挨拶をしてから、ソファの背凭れに着地したミミズクにぴったりくっついている。
男の、リスを狩るため山へ入る許可が欲しいの言葉に、
「……それは、どなたからお聞きに?」
と苦笑い。
小耳に挟んだだけですと男は出所は曖昧に濁し、
「小さな子を留守番させてしまうことになるため、こちらからはあまりお声がけはしたくなかったんですが……」
なんと、なるほどそんな理由。
我のためであったか。
そう言えば、ダンディの部屋へお邪魔した時も、我へ用意された歓迎の品はやたら多かった。
ダンディにとっては幼子も、獣と同じくらい深い慈愛の対象らしい。
まぁそれでも。
(留守番するのは男の方であるしの)
思うだけで我は口にしていないのに、隣の男からの、余計なことは言うなと強い圧を感じる。
(むむ)
そもそも、我が何を言っても、
(伝わらないであろうの)
唇を尖らせると。
「ええと、リスの狩りはナイフ1本、だそうですが……?」
書類を眺めるダンディの困惑気味な声。
「えぇ」
「……んん。そうですか。茶の国からも特に問題の報告はありません、勿論許可は致します」
なんとも話の分かるダンディ。
けれど、
「組合を、通さない?」
書類に何か書き込んでいたダンディが、動きを止める。
「無理でしょうか」
「その理由はなんでしょう?」
警戒するように声が硬くなったけれど。
「あまり目立ちなくないのです」
男の淀まない言葉に。
「目立ちたくない?」
「名前と記録を、残したくないんです」
ダンディは、男、我、狸擬き、背凭れにいるミミズクを順番に見つめてから、
「……なるほど?」
それは……と、ダンディはダンディに眉を寄せる。
そんな渋みきった表情はよく似合う。
顎髭に手をやり、撫でては指先で引っ張るを繰り返した後。
「それですと、当然、無報酬になりますが……」
「構いません」
ただ卸し先があれば助かりますと男。
「そこは何とでもなりますが」
何とでもなるのか。
すごいの組合。
視線を書類に落とすものの、書類は見ていないダンディは、
「あなた方は、茶の国以降は、
『何もせず、ただこの国を通り過ぎた』
そういうことにしたいのですね」
「そうです」
その通りである。
「けれど、仕事はしたいと」
「はい」
短く無駄口は叩かない男に。
ダンディは膝を指で叩き、更に少し考えていたけれど。
「……分かりました。許可証をお持ちしましょう」
お待ちください、とダンディが部屋から出て行く。
「この国も、やはりリスの駆除は案外切羽詰まっていたのであるかの」
「あぁ、でも」
でも。
「彼は、自国の事は自分達で解決をしたいと思っていたんじゃないかな」
ほほぅ、プライドか。
「勿論、俺たちに自由にして欲しい気持ちもあっただろうけれど」
「そうの」
獸の国であるから、当然獣であるリスも愛すべき隣人なのだろうけれど。
そしてだからこそ、茶の国の様に、積極的にリスの「駆除」などとお触れを出せずにいるのだろう。
まぁ我等のリス狩りも、所詮一時凌ぎでしかないけれど、やらないよりかはましなはず。
戻ってきたダンディから許可証を受け取り、
「いつから?」
と聞かれる。
「明日です」
ならば、その間、組合の方で、彼女と狸さんを預かりましょうかとダンディが申し出てくれたけれど。
我と狸擬きがいなければ狩りが出来ぬ。
我は男にしがみついてかぶりを振ると、ダンディは小さく笑い、
「分かりました、では充分にお気を付けて」
ダンディと男が握手をし、今日は白フクロウはごねずに、案外あっさりと狸擬きの背中に乗るミミズクを見送っている。
(おやの?)
街を馬車で進み、茶の国同様、ずだ袋を買い込み、カゴを買って荷台に積む。
荷台に乗り男からずだ袋を受け取り、ほくほくと笑顔で荷台に積み上げる我に、男は、さも仕方なさそうに笑ってくれた。
そして翌朝はまだ暗い早朝。
また久々の巫女装束を身に纏うと、ポンチョを被せられる。
寝ぼけ眼の馬を繋ぎ、山の方へ向かう。
「なんと、雪の」
空からは雪が降り出してきた。
天は我等に味方する。
狸擬きが駆け回る足跡を消してくれる。
「山に人の気配はあるかの?」
「フーン」
山深くは分かりませんが、近辺はいない模様ですと狸擬き。
あの野っ原の方から山へ入ることにした。
沢はあったけれど、浅く馬でも余裕で越えられ、車輪も引っ掛かることなく抜けられるもの。
枯れ木が雪を纏いつつある山の麓に馬車を停めると。
「お主はストーブを点けて荷台で待っているのの」
「あぁ」
お約束の、額に唇で触れられるそれは、いつまで経ってもなかなか慣れない。
「今日はお主の仕事も多そうの」
「フーン」
お任せくださいと狸擬き。
ミミズクは、おとなしく山の方を見上げている。
「うんしょの」
狸擬きに股がると、
「頼むの」
「フーン♪」
狸擬きが走り出せば、ピリッと風が頬を刺してくる。
やはり早朝が狙い目で、巣穴から出てくるリスを、食事を始めたリスを、静かに木の枝に留まるミミズクを尻目に小豆を飛ばして行く。
(多いの)
途中、
「?」
我等を眺めていたミミズクの姿が見えなくなり、首を傾げると、
『リスを回収し、荷台の方へ運んでいる様子』
なんと。
「の、お主はあのミミズクをどう思う?」
『ミミズクの中でも特に聡く気性は穏やか、長生きなのは白い花のためだけではなく、至極慎重かつ冷静な判断力のある性格のためでありましょう』
ふぬ。
『しかし』
「の?」
狸擬きは足を弛めることなく、山の斜面を駆け上がると、
『あのミミズクには僅かながら、老いが見られます』
「……なんと」
小豆を飛ばしながらも、先を促せば。
『あのミミズク自身にも、自覚はあると思われます』
「どれくらいの?」
『本来のミミズクの寿命程度かと』
それは。
「やっと身体が成長を始めたと言うべきかの」
『そう思われます』
ヂッ!!
と断末魔を残して倒れるリス。
立て続けに数体に当てて倒しながらも。
「……怖くないのかの」
『?』
「寿命と言うものが」
『……主様は、その寿命が怖いからこそ、男に血を唾液を与えているのではございませぬか?』
「そうの……」
愚問極まりなし。
しかし、
「この国は、山の獣も若干甘やかし過ぎであるの」
『……どういたしましょう』
「ダンディには世話になっているからの、今はリスを狩って、その後に考えるの」
『かしこまりました』
「あれでまだ半分?」
「そうの、茶の国の3倍はいるの」
フライパンにバターを落とし、握ったおにぎりを並べる。
「フゥゥゥン……♪」
ジワジワ焼いて、軽く塩を振りつつ、
「熱いから気を付けるの」
くしゃくしゃにした紙に包んでやれば。
「フゥン……♪」
いただきますと噛みつく狸擬きは、
「フーン♪♪♪」
前に投げ出した後ろ足をパタパタさせて喜んでいる。
「正確には1/3の。元々殺生を好まない上に、声の大きな者に押されて、山へ入る者も確実に減っているらしいからの」
この山は、街に近いのに人の気配が少なすぎる。
蒼の山の様に山の主との契約があるわけでもなく、茶の国の様に積極的に狩りに出るわけでもない。
茶の国と同数は狩り、狸擬きとミミズクにも回収を頼み、荷台の外にはリスが押し込まれたずだ袋とカゴが並んでいる。
ミミズクは、初めての赤飯おにぎりを不思議そうに眺めてから啄み、
『味はほんのり甘いのですね、んん、慣れない食感です』
と首を傾げつつも、温かくて美味しいですと顔に米粒を付けつつ食べきった。
男は、これも凄くおいしいなと感想をくれつつも、悩む顔。
「我は明日も来たいの。明日は確実に警戒されるけれど、あやつらも食べるためには寝床から出てこないわけには行かぬからの」
2回目を焼くも、ミミズクはもうおなかいっぱいです、美味しかったですと言うため、我も食べてみたけれど。
「ふぬふぬ」
バターの油と塩が、赤飯に染み込んで。
(美味の……♪)
残りの赤飯おにぎりも、焼いたものが食べたいと、男と狸擬きからのリクエストで、全て焼きおにぎりにし、男は3つ目を食べ切ると、
「わかった」
思ったより深刻なことは男は勿論、ダンディも解っているのだろう。
だから許可が降りた。
「あれの、やはり空の馬車を借りたいの」
「リスを卸すついでに聞いてみようか」
「の」
雪はハラハラと山に降り、狸擬きの足音を消して行く。
ダンディは、
「なるほど、これは国に目を付けられますね」
荷台に積めず、またリスの詰められたずだ袋を外に引っ掻けてきたけれど。
我等が馬は、これ以上ない張り切りを見せて歩いてくれた。
組合の外、肩にフクロウを乗せたダンディは真顔で頷き、
「空の荷馬車を用意しましょう」
組合の裏に周り、ダンディが牽いてきた空の馬車に、リスの詰められたずだ袋と、詰めきれなかったリスの詰まったカゴを詰め替え。
ダンディはリス袋を乗せた馬車を卸業者の元まで運んでくれ、空になった荷馬車を、我等の宿まで運んでくれると言う。
ミミズクにお主はどうすると訊ねれば、フクロウと共に組合で留守番していますと。
仲が良くてなにより。
宿に戻る頃には陽はとうに上がり、昼に腹を空かせて来そうなふわふわ頭と、無論我等のためにも、早々と昼の準備をする。
狸擬きは早起きがたたり眠っているし、男も、
「悪い、俺も少し眠い」
珍しく二度寝。
(おやの)
「……」
肌着1枚で隣のベッドに男が横たわったことに気付いた狸擬きは、むくりと起き上がると、男の眠るベッドに飛び移り、男に寄り添い再び丸くなる。
(珍しいの)
我は1人、水場で淡々と下拵えをする。
パンも仕込みつつ、お昼のメニューは、刻んだ野菜と燻製肉のトマトスープに、薄い芋や玉葱に豆を混ぜてフライパンいっぱいに焼き色を付けたオムレツ、メインは鶏肉にすることにした。
下拵えをしながら、
(あれの、パンは一度クロワッサンを作ったみたいけれど、だいぶ手間隙かかりそうの)
「うんしょの」
男に頼んで荷台から出してもらっていた、今は水場の脇に鎮座している、とかく重く大きな鍋を慎重にコンロに乗せる。
雑に置くとコンロが潰れかねない。
あの若いふわふわ頭の男は、とにかく量が欲しかろうと、リスではなく鶏肉にした。
2羽に塩コショウをたっぷりまぶし、乾燥した香草を散らし、鍋に敷き詰める。
重い蓋をしてマッチで火を点け、ほぼ放置でいいのは楽でいい。
「悪い、ほとんど作らせてしまった」
男がシャツを羽織りつつ起きてきた。
「よいの。おはようの」
「あぁ、おはよう」
「お主も、少し山にでもあてられたかの」
「んん、どうなんだろう」
男も少し不可解な顔。
「フーン……」
いい匂いがします、と狸擬きもモダモダ起きてきた。
そして、
「ダンディが来ます」
と鼻先をドアに向ける。
男が出て行き、
「何かあったかの」
狸擬きに眠る男のことを訊ねてみるも。
「フーン」
早起きでしたので、と特に問題はないと。
(……ふぬ)
リスは問題なく卸せたこと、空の荷馬車を置いていくこと。
ダンディも一緒にと昼を誘ったけれど、
「んん、招かれたいのですが、仕事があるので」
と、とても残念そうに組合へ帰って行ったと、男が戻ってきた。
スープも煮込み、鶏にも火が通った頃。
「フーン」
ふわふわ頭がやってきました、と獣センサーで狸擬きが教えてくれた。