34粒目
「むぅぅ……」
「フーン」
狼に限らず、獣は個体によってだいぶ差があります。
主様を、
「小さな紛い者」
と思う獣もいれば、
「禍々しい邪の塊そのもの」
に見える獣もいますから、と、慰めにもならないことを伝えてくる狸擬き。
なんの、我は歩く厄災か何かか。
(あれの)
元の世界で言う、霊的なものが見えやすい見えにくい的なものであろうか。
ふわふわ頭は当然酷く慌て、ちょうど狼舎の掃除に来ていた若い女も、こちらの異常に気付き駆け寄ってくると、更に人を呼び、狼は大学の建物内へ運ばれて行った。
それを見送ると、我は少しばかり自棄になり、仲間の様子を窺う狼たちでも追い回してやろうと思ったら、
「おいで」
「……のぅ?」
男に猫の様に背後から抱き上げられた。
我の企みに感付いたらしい。
(勘のいい男め)
ふわふわ頭は行かなくていいのかと訊ねたけれど、
「病気に関しては全くなんです……」
と不甲斐ないと肩を落とす。
邪魔にならぬように見送るだけでも堅いと思うけれど。
少しして、先刻の繋ぎを来た女が戻ってくると、
「声を掛けていたらすぐに目を覚ました。もう若くない狼だから、寒さが少し応えたのかも、夜はもう少し寝床を温かくしましょう」
となったと。
そのまま召されずに済んでよかった。
死んでいたらさすがにばつが悪い。
お騒がせしましたとふわふわ頭。
明日の午後に、ふわふわ頭に毛皮を見せる約束をし、迎えに来ようかと男の提案に、さすがに自分の方がこの街には詳しいから大丈夫ですと、男が宿の場所と名前を伝えている。
これから研究と勉強に励むと言うふわふわ頭に見送られ、大学を後にし。
「何か甘いものを食べようか」
我を慰めるためにか、男が我をあやしつつ、街中の大通りへ向かえば、
「フーン♪」
喜ぶのは狸擬き。
今日はなぜか全く仕事にならない狸擬きの鼻の代わりに、男が、誰かに聞いてみようかと立ち止まった時。
「あーっ!」
的な女の声が聞こえ。
その声は。
(ぐぬぬぬぅ……)
なんぞ今日は我は厄日なのか。
男にお熱なあのおかっぱ頭の娘が、今日も狼2頭を引き連れて走ってきた。
仕事の帰りなのだと言う。
男が、甘いものの店を訊ねている様子。
娘はうんうんと大きく頷き、張り切って歩いて来た方向に歩き出す。
まぁあの香り高き紅茶の持ち主であるし、甘味に対しても味は期待できそうだ。
諦めて男にしがみつきつつ、先を歩く狼たちを見ていると、狼たちは、それぞれ我の視線に気付き、歩きつつ振り返り我と目が合うも、
「♪」
「~♪」
それぞれ、ニコニコと狼的な笑顔をくれる。
(ふぬん?)
娘がこっちですと大通りを外れて小道に入ると、先にあるのは小さな建物とケーキの看板。
テーブル席はなく、持ち帰りかと思ったら、
「裏にテラス席があるそうだよ」
周りの建物に囲まれ、この時間はちょうど陽が当たり暖かく、テラスでも寒くないと。
「ここのケーキ屋の方は、赤い国からこっちに来てる人なんです、ケーキも向こうのケーキなんですよ」
ほほぅ。
「味も間違いないです」
赤の国の甘味を先駆けて食べられるとは。
男が、追加で持ち帰りの焼き菓子を幾つか買ってくれている。
店を出て建物の隙間から裏に回ると、箱庭のような空間。
丸いテーブルはたった3つだけ。
妙に明るいのは、以前、この周りの土地もすべて同じ持ち主だった時に、この箱庭のような場所に面する建物の壁だけを、白く塗ったからだと。
今も冬の柔らかな陽射しをキラキラ反射させ、庭を囲む花壇には冬でも知らぬ花が咲き、
「秘密のお茶会みたいでしょ」
娘が小さく笑う。
店の裏側の扉から、ケーキと紅茶が運ばれてきた。
(茶色の……)
スポンジもクリームも薄茶色。
上に胡桃が乗っている。
娘はそう年を重ねていないマダムとは顔見知りらしく、男を紹介しつつも楽しげに話していたけれど。
新しい客の声が聞こえ、マダムはごゆっくりと中へ戻っていく。
「本当なら、ここのお店のオリジナルで、このケーキのクリームの間には、胡桃のペーストを挟んでいるんです」
ふぬ。
「でも今年はリスが多くて、胡桃を軒並みやられちゃってるんですって」
ほーぅ。
「……」
男は我と目を合わせてくれようとせず、娘の話にうんうんと頷いている。
(むむ)
「あ、でもなくても全然美味しいですからっ」
言われた通り、
(のの、珈琲の)
繊細なスポンジにも、バタークリームにも、珈琲が混ぜられているための茶色。
その微かなほろ苦さが、甘さを引き立て、
「ぬふん♪」
好奇心で近付いた狼に、白眼を剥かれてションベンを漏らされた挙げ句、座ったまま気絶された傷心も癒えていく。
狸擬きは勿論、ミミズクは猛禽類とは言え甘党な部分もあるらしく、顔をクリームまみれにしてがっついている。
狼たちは、獸用のビスケット。
男は半分程残したケーキを我の口に運んでから、ハンカチで我の口許を拭ってくる。
「ぬぬん」
娘はそんな甲斐甲斐しい男の姿をちらちらと眺めていたけれど。
「……」
狸擬きに視線を向け、
「あの、もし立ち入った質問だったら謝ります」
と前置きしてから、どうして狸がナイフとフォークを使うのかと真顔で聞かれた。
男は慣れた様子で、この娘のいた土地の狸で少し特殊だといつものように当たり障りのない答えをしたけれど。
娘は、半分くらいは納得した顔をし、残りはやはり若さのせいか、全ては飲み込めずに複雑な顔をしていたけれど。
「その」
「?」
「狸ちゃんの肉球を見せて貰いたい」
と。
ほう。
ナイフとフォークを器用に操る前足が気になるらしい。
「狸擬きの、どうする?」
普段なら好きにしろのと答えるけれど、ここは獸の国、狸擬きの意思を尊重してみようと思う。
「フーン?」
ケーキ屋のこちらも香り高き紅茶を、いっぱしに目を閉じて味わっていた狸擬きは、自分の肉球を見てから、ずいと娘に前足を1本突き出している。
ぐっと顔を寄せて覗き込んだ娘は、
「ああっ……!?」
悲鳴の様な声を上げ、
の?
「……えっ!やだ!!すっごい可愛い肉球!!」
の、のぅ。
煙草を咥える手を止めていた男も、苦笑いで煙草を咥え火を点ける。
そうだ、この娘も獸の国の住人だった。
「えー、これで持てるのがすごいっ!」
確かに、こやつはナイフでパンも切れるしの。
「フーン♪」
これは主様のお力のお陰なのですと、フンスと胸張る狸擬き。
(そうなのか)
しかし、若干爪が鋭い気がする。
すこぶる勘の鋭い狸擬きが、我の視線にきゅっと毛に爪先を埋もれさせ、娘が、
「?」
と首を傾げると、扉からマダムが姿を表し、主に男が声を掛けられている。
どうやら、小麦粉が運ばれてきたのだけれど、主人がいなくて力が足りない、お客様に頼むのは忍びないのだけれどお願い出来ないかしら?と力仕事を頼まれたらしく、男と、娘も身軽に立ち上がり、中へ消えて行く。
「の」
「フーン?」
「我の力と言ったけれど、お主は初めてあった時も、前足でおにぎりを持っていたの」
この狸擬きは初めから、ぺたりと枯葉の上に座り込んで、前足でモグモグと赤飯おにぎりを食べていた。
『あれはわたくしめが山の主であるが故にできた、主様を模倣した末芸でしかありません』
ふぬ。
『わたくしめは主様のお力により、徐々に力が付いたのです』
赤飯おにぎりか。
そんな狸擬きの言葉にミミズクは、
『お若いのですね!?』
その狸擬きの若い声に驚いている。
ミミズクよりは年上の声ではあるけれど。
獸同士でも、どうやらフーンフーンでは分からないらしい。
狼2頭も目をまん丸にして、椅子に座る狸擬きを見上げている。
そんな驚きの表情を見るのは、
「くふふっ」
少しばかり愉快ではある。
我は、仕事を終え戻ってきた男伝に娘に頼み、娘は勿論、狼たちも快諾してくれたため。
「わほー♪」
まぁ多少癪ではあったけれど、狼たちの胸の毛に顔を埋めさせてもらう。
我を怖がらぬ稀少な狼たちでもあるし。
「もふもふのふわふわの」
毛は、狸擬きとはまた少し違うやわこさ。
娘は、我が早速髪留めを使ってくれているのが嬉しい、と男に話しているらしい。
狸擬きは、まぁもふもふくらいならば、とそれでもいくらか不服そうに眉間に毛を寄せているけれど、我の、
「石鹸の良き香りの」
の呟きに、
「!!」
口笛でも吹きたそうに、我から身体ごと視線を逸らしている。
(ぬふん……♪)
そもそも主がそうであるから従獣も似るのか、狸擬きに負けじ劣らず単純な我は、美味しいケーキともふもふで、すっかり機嫌は直った。
ケーキ屋のマダムに挨拶して大通りに出ると、男は娘をアパルトメントまで送ると申し出たらしいけれど、
「まだ明るいし相棒たちもいるから大丈夫です」
と狼ちの頭を撫で、男は、それならばと娘に買った焼き菓子を1つ持たせ、娘はその場で飛び跳ねてから帰って行く。
少しばかり面白くないけれど美味しい店を紹介してくれた礼だ、仕方ない。
「俺たちも帰ろうか」
男が、我を抱き上げてスタスタと宿の方へ歩き出す。
(ぬぬ)
「の」
「……」
「我はお山へ行きたいの」
「……」
「まだ明るいの」
「……」
「リスのせいで胡桃が不作の」
「……」
顔に不自然な笑顔を張り付けて歩く男のコートの襟を引っ張れば。
「山に勝手に入るのはここもご法度だ」
むむ。
「ダンディは許可はいつでも出すと言っていたの」
胡桃の不作の話が、ダンディの耳に届いていないはずがない。
それでもダンディは、男が茶の国でこき使われたのだろうと渡された手紙などで判断し、我等を、ただの旅人として仕事を依頼することなく、この国に受け入れてくれた。
(あやつも)
相当な獸狂いではあるけれど、人並み以上に気ぃ使いである。
間違いなく、この大きな世界の人間ではある。
「我はリスの時は川などに落ちていないのの」
ブンブンと足を振れば。
「……俺は、君を必要以上に目立たせたくない」
「……の?」
まぁ、茶の国では、国の方まで我等のことは知られている。
男はそれをあまりでもなく、よく思っていない。
茶の国から出発しようとしたあの日。
わざわざ男が、元冒険者の組合長のいる組合まで戻ったのは、義理人情や誠意のためだけでは決してなく。
「……」
どれだけ自分達のことが、茶の国の中枢にまで記録されたかを確かめるためだ。
男の隣を、ミミズクを乗せてテコテコ歩く狸擬きも、呑気に街を眺めているふりをしながらも。
その今にも毛に埋もれそうな愛らしい耳だけは、こちらに向けている。
まぁ、男の言い分も解らなくはない。
それならば。
「ダンディに話して、そのことは秘密にしてもらえばよいの」
初見で見せたあの気遣いからしても。
それくらいならば、きっと難なくしてくれるだろう。
我等は報酬も別にいらぬ。
(リス肉は多少惜しいけれど)
我を抱っこする男の歩く速度が早まるのは、道を横断するため。
渡り切ると、
「リスの卸し先が問題になる」
と、路面馬車に乗る人たちの脇を通り過ぎて行く。
それは。
「駄目元でそれもダンディに何とかなるか聞けばよいの、ダメならば、まぁ、自分達でせっせと捌けばよいであろうの」
狸擬きも慣れればすぐにできるようになるだろう。
「どれだけかかると思っている」
男が思わずといった様に小さく笑い、3日もあればなんとかなるのではと思うけれど、甘いのだろうか。
再び大通りを渡りきった男が、速度を弛めて歩き出すと、事の詳細を狸擬きに聞いていたらしいミミズクが、少しそわそわしている。
「の?」
男に立ち止まってもらうと。
『リスの狩りは、自分も是非見物させてもらいたいです!』
と、狸擬きの背でふわふわと羽を広げ、ワクワクと好奇心を隠せていない。
それを男に伝えると、不意に、早くも陰り始めた冬の陽射しが、我等を照らしてくる。
その陽射しの眩しさに目を細めれば、それを笑みと捉えられたのか、男の根負けした大きな溜め息。
そして、
「……わかったよ」
と。
(ぬふん……♪)
我は今度こそ、笑みを浮かべる。
そう。
そうなのだ。
初めから。
「お転婆娘の我に惚れた時点で、お主の負けなのであるの」
「……」
天を仰ぐ男の白い溜め息が、獣の国に広がっていく。