30粒目
昼食は街中に戻り、この国の数少ない名物の川魚を食べ、固いパンを噛る。
狸擬きに急かされ、ダンディの案内で櫛の店へ行けば、大中小に形も何でもござれの櫛やブラシが並んでいる。
「壮観の」
ついでの様に人用と思われる櫛も売っているけれど、男があえて手に取らないのは、男が我を必要以上に「人」と意識しているためだろうか。
狸擬きは長考してブラシを選ぶと、
「フーン」
少し雪が降りそうですと狸擬き。
「おやの」
空を見上げる我と狸擬きに、ダンディが首を傾げ、男がダンディに天気が崩れそうですと伝えると、良ければまたうちに来ませんかとダンディに誘われた。
まだ話も聞きたいしと頷くと、次は路面馬車に乗ってみましょうかダンディ。
路面馬車。
「決まった道を走る馬車がいるのですよ」
バスのようなものか。
停車場所で待っていると、不意にダンディが声を掛けられ、声を掛けてきたのは、小柄な若い娘と狼が2頭。
狼たちは、どちらも上は青半分下は白い毛で覆われている。
アパルトメントの真ん中の部屋を挟んだ部屋の住人だと紹介しているけれど。
(の……)
その若い娘に驚いたのは、
(髪が、短いの……)
顎辺りのおかっぱ程度だけれど、それでもこの世界では短い。
今まで、どこの国でも田舎でも、女たちは髪が長かった。
それは年寄りでも幼子でも同じ。
多分我の髪も、この漆黒の髪色よりも、髪が短かったら、そっちの方で奇異に思われていたであろうと思う程、この世界は共通して女の髪は長い。
我の男が、黒子を男と信じて疑わなかったのも、あの短いショートカットのせいも多大にある。
狼たちは大柄で、2頭共緩く尻尾を振り、背中にフクロウを乗せた狸擬きに視線を向けている。
狸擬きは獣見知りを一切しないため、
「フーン」
挨拶しながら2頭の前に向かい、
「フンフーン♪」
緩く尻尾を振れば。
「……♪」
「……♪」
狼たちも、警戒はなく狸擬きにするりと身体を寄せ合い、和やかに挨拶している。
顔見知りのフクロウもいたから尚更警戒が解けやすいのだろう。
もしくは、脅威とは真逆の、ずんぐりむっくりな、狂暴性の欠片もない、緊張感のない見た目のせいもあるのかもしれない。
転がって移動するのかと思われそうな楕円なフォルム。
失礼なことを考えていると察したのか、狸擬きの、やはり鋭さのない片耳だけがこちらにピクピク反応している。
鋭いの。
気取られぬ様に人間たちに視線を移せば、
(ぬ……)
ぬぬ。
「……」
(また)
またであるか。
無意識に片眉が寄る。
そう。
それは、よーく見覚えのある、若い娘からの、我の男への眼差し。
男を見上げるその瞳は、瞳孔が開き、曇り空の下でも尚瞳はキラリと揺らめき、微かな頬の赤らみ。
微かに上擦った声、男への興味の尽きない問い掛け。
唇を尖らせると、我の不穏な空気を感じ取ったのは、
『……』
狸擬きの背中に留まるフクロウ。
我の頭の上まで飛んで来ると、ふわりと頭上に着地し、
『……?』
どうしましたか?
と訊ねてくれているらしいけれど、フクロウに頭を足場にされた我を見た人間たちの笑い声に、
(ぬーぅ……)
ますます眉を寄せると、
「どうした?」
ぶんむくれた我の前に男が屈んできたけれど。
我が不満の言葉を発する前に、乗り合い馬車の馬たちが、トコトコと走ってくるのが見えた。
路面馬車は、大きな荷台に板張りの椅子が取り付けられており、カーテンの様に幌が留められ、雨や雪が降ると下げられるのだと聞く。
フクロウは我の膝の上で、おとなしくしている。
「単馬で道を走る時は、試験と許可証が必要なんだそうだよ」
「ほう?」
馬の枷の少なさ故だろうか。
少し手前で降りて、ダンディお勧めのケーキ屋に寄り道。
当然のように、獣用のケーキの棚がある。
クリーム系よりもビスケットなどの焼き菓子が多いのが特徴か。
ケーキは持ち帰り、昨日に引き続き、ダンディの部屋に招かれたのはいいけれど。
「……ぬ、なぜ女も付いてくるのの」
狼たちはともかく。
「いや、まぁ、その、流れで」
すでに我の不穏さとその理由にも気づいている男は、
「ケーキを食べよう」
と誤魔化しつつあやしてくる。
アパルトメントに入る頃、雪はちらほら降りだしてた。
若い娘は、狼だけ部屋に入れると、
「茶葉があるので持ってきますね」
と部屋を出て行く。
ダンディの部屋には珈琲しかないと聞いたらしい。
男と我で狸擬きと狼の足を拭いてやると、ダンディが、
「実は昨日の帰りに、色々買ってきまして」
と、色鮮やかな飴の入ったガラスの入れ物、ジャムの挟まったビスケットの箱、檸檬の輪切りの入った檸檬のジャム。
それらは。
「遠い異国から我が国へやって来た可憐なお嬢さんへ、ささやかながら歓迎の印の、プレゼントです」
「……の」
なんとも、良き男、良きダンディではないか。
「んふー♪」
抱えて伝わらない礼を伝えると、
「フーン」
美味しそうですねと狸擬き。
「の♪」
狼たちも興味深げに眺め、ビスケットの匂いを嗅ぐついでに、我の匂いも嗅いでくる。
(この狼たちは我を見ても何とも思わないらしいの……)
男は、他の男からの我への貢ぎ物よりも、プレゼントで我の機嫌がよくなったことに安堵している模様。
娘が戻ってきたけれど、この短時間でよくぞと思う程、髪は櫛が入り、外にいた時の厚手の外套とパンツから、薄手のブラウスに薄い黄色のカーディガン、膝丈のスカートに着替えている。
「紅茶と、……これは狸君も食べるかな?」
と干し肉を見せられたけれど、
「……」
スン、と半目で鼻を鳴らす狸擬き。
「あれ、干し肉嫌い?」
「……」
買ってきたケーキがいいです、とだまんり狸。
ソファによじ登りおとなしくしていると、ケーキが運ばれてきた。
「こちらも数少ない我が国の名物なんですよ」
パイ生地に、カスタードクリームとバタークリームを挟んで切り分けられた四角いケーキ。
若い娘は、狸擬きの前に置かれるケーキや紅茶のカップに少し戸惑いつつ、狸擬きの隣にぺたりと座る狼たちの前に、干し肉の乗った皿を置く。
ダンディと並んで腰を下ろした娘が、ケーキにフォークをサクリと落とす狸擬きの姿に、
「……」
時間でも止まった様に固まっている。
「の、の」
「ん?」
そんな娘に、なぜお主の髪は短いのか聞いて欲しいの、と訊ねると。
男は少し詰まってから、ダンディに、
「女性への問いかけとして、失礼に当たらないか」
と訊ねている。
ダンディはううんと眉を寄せてから、あえて幼子の彼女からの質問だと前置きすれば、とこそこそ顔を寄せている。
男が、
「礼儀を欠いていたら申し訳ない」
と先に謝ってから、我の問いかけを投げ掛けると、狸擬きを凝縮していた若い娘は、きょとんとして、問い掛けた男と我を見てから、
「えぇ、えぇ。そうですよね、遠い国の方たちですもんね」
とうんうんと頷き、そう気を悪くした様子もなく。
「多分、この3国だけではないと思うんですけど、長い髪は女性の象徴なんです」
ふぬ。
「なんと言うか、そうですね。女性は髪を伸ばして当たり前で、誰も疑問にも思いません」
ふぬぬ。
「でもうちの国は、動物が相棒で、男女限らず、恋人はいりませんって人たちが少なからずいまして。特に女性は、それを分かりやすくアピールするために、最近はこうやって髪を短くしてるんです」
ほほぅ。
面白い。
では、この娘も。
「でも」
でも?
「その、好きな人ができると、髪を伸ばし始めるんです……」
私も、伸ばそうかな?
と、頬を染めて男に対して上目使いになる若い娘。
全く面白くない。
ケーキを頬張ったまま、苦虫を噛み潰したような顔をしているであろう我を見て、ダンディが肩を竦め、
「最近は、逆に髪を伸ばす男性も多く、自分もそうしようかと思っていまして」
口を開く。
男の場合は伸ばすことで、人の恋人はいらないとアピールの1つになるらしい。
ただ、国の直轄の人間が、積極的に国の発展を望まぬ主張をするのも、あまり芳しくないとも。
(確かにの)
話を聞く分には、色々と楽しい国である。
ゆらりと湯気の立つ紅茶を口に含めば。
「の?」
(ぬ、美味の)
とても香り良き。
若い娘を見ると、
「これは隣の、赤の国からの茶葉なんですよ、向こうは紅茶が主流で、茶畑も大きいんです」
ほうほう。
まさに「紅い国」で、あるの。
やはりさっさとこの国から出て赤い国へ行きたくなってきた。
そうだ、狼2頭は運動会に出るのかと訊ねてもらうと、
「一応は、でも予選落ちかな」
と笑う。
記念に参加、程度らしい。
その予選は明後日だと。
若い娘が男に、
「こちらにはいつまで?明日は何かご予定が?」
と、本人はさぞさりげなくなつもりでも、端から見ればとても分かりやすく、デートに誘うつもりらしい。
「失礼、彼には明日、組合で仕事を依頼していまして」
ダンディの気の利いた嘘に、娘は残念と肩を竦め、
「運動会は見に行きます?」
切り替えも早い。
「その予定だったのですが、そう簡単にチケットは手に入らなさそうなので」
予選まであるというし、この国の一大イベントなのだろうから、簡単には手に入らないであろう。
我の中で株が著しく上がったダンディが、おかわりのお茶を淹れましょうと立ち上がる。
ふと、下へ降りる階段が視界に入り、街中でも、
「あなたの相棒を描きます」
と、写真館的な建物を見掛けたのと思い出す。
このダンディの部屋の階段に飾ってあったのも、ああいう場所で描いてもらったのだろうか。
「そうらしい。でも、家まで出張して描いてもらう場合も珍しくないみたいだよ」
そう裕福な家でなくとも、獣と住むようになれば、思い出や記念にと、わりと需要も多いと。
ふぬぬ。
「絵の上手いお主も、仕事にしてみるかの?」
旅する絵描き。
旅するお菓子屋もいいけれど、絵描きもまた浪漫である。
男は、仕事になるだろうかとおかしそうに笑い、そんな横顔を眺める若い娘。
狼たちは、無害な狸擬きが気に入ったのか、しばらくして、
「私たちはそろそろ帰るよ」
の言葉にも、床にぺたりとすわる狸擬きの前に伏せのポーズで頑として動かない。
ダンディの、良ければ夕食を食べて行きませんかの誘いに、えっと驚き、躊躇しつつも、やはり、男がいるためか、
「じゃあ、その、お言葉に甘えて」
とウキウキしている。
けれど、その男の膝に股がり男にべったり張り付く我に、
「その、妹さん、でいいのかしら?」
とそれでも多少は遠慮がちに訊ね、男がそれを否定している。
若い娘は、なにやら事情がありそうで深追いしたいけれど、それを訊ねるにはまだ失礼に当たる関係だと、それくらいの常識と配慮は持ち合わせている様子。
ただ、
「とても綺麗な髪ね」
男のみぞおちに頬をくっつけて振り返る我と目が合えば、髪を褒めてもらえた。
ふふぬ。
世辞でも嬉しい。
「えっと、その」
「?」
「少し、弄ってもいい?」
指がワキワキしている。
我がより愛らしくなることに天井など存在しない男は、やはり我の意思など存在せずに頷き、若い娘が、
「ちょっと待っててね!」
と部屋から飛び出して行く。
「……?」
すぐに戻ってきた娘の両には、青いリボンや髪留め。
「子供の頃に使ってたのと、後は髪を切って使わなくなったから」
男の膝に股がる我の髪の髪を梳くと、三つ編みに青いリボンを絡めて行く。
この若い娘は、
「特に月齢の小さな狼たちの訓練士をしてるんですよ」
と。
「後は爪切り屋も兼ねてます、野生の子達でなく飼われている子はやっぱり伸びてしまいやすいので」
そういうものか。
狸擬きはどうだったかとちらと視線を向けると、短い足先を、毛にきゅっと隠している。
(むむ)
頭上からの細い三つ編みに、小さな青い花飾りを付けられ、男が、あぁ可愛いなと、娘の仕事の話よりも数倍熱心に頷いて、留め方を教わっている。
狼の1頭は、元々この若い娘が、誕生日に狼の繁殖している店から譲り受けた狼で、もう1頭は、兄が可愛がっていた狼だったと。
「兄は、赤の国から来た女性に惚れ込んで、赤の国へ行ってしまったんです。勿論、初めは兄が連れて行こうとしていたんですが、この子たちが、お互いに離れるのを寂しがってしまって、引き離すことは出来ないと言いまして」
そしてこの若い娘が、実家を出る時に2頭を連れてきたと。
「仕事場には連れて行きます、わりと子狼のお手本にもなってくれるんですよ」
と。
優秀な狼たちらしい。
今は、
(おやの)
狸擬きの腹を枕にして眠っているし、その狸擬きも、ぐーすか寝こけているけれど。
フクロウは、若い娘の持ってきたテーブルに散らばるアクセサリーに興味津々。
そんな姿をニコニコみていたダンディが、
「夕食の下準備をします」
と水場へ向かい、
「俺も手伝ってくるよ」
男の膝から下ろされる。
娘が、
「狼たちのご飯用意してきます」
と出て行くと、テーブルの上に立ちこちらを見ているフクロウとばちりと目が合っま。
『……』
「……」
「フーン……」
寝惚け眼の狸擬きが、
「今日行きました山の方で、あなたを気にしている自分の同胞がいた」
と伝えていると教えてくれた。
「のの?」
珍しいものが来た的な好奇心だろうか。
「フーン」
本物の長命の鳥の様ですと。
「……の?」