3粒目
翌日はお昼。
お船の客室にて。
「……珍しい黒髪に、見慣れないドレス姿の小さな女の子が、階段の手摺を滑り台代わりにして遊んでいたのをきっかけに、子供たちが、階段の手摺を滑り台代わりにした、非常に危険な遊びが流行っていると聞いた」
笑っているのに眉間に皺が寄っているのは、男。
「……わ、我を1人にしたお主が悪いの」
「……んん?」
(ののーぅ……)
更に眉がより、笑顔が怖い。
「……どこぞのお姫様が、従者1人とお供を連れて」
(の?)
「逃げているだとか、家出したなんてか話題にもなっているらしい」
男の大きな溜め息。
それはそれは。
「我等、噂の的の」
すっとぼけてみたけれども。
「おてんば姫は」
ぐっと顔を覗き込まれ。
「の?」
「君は、そんなに有名になりたいのかっ?」
不意に脇を抱えられて猫のように持ち上げられると。
「ぬっ?」
そのままその場でくるくる回られる。
「のぉぉっ……!?」
楽しい「あとらくしょん」にきゃっきゃっとはしゃぎ、やがて動きを止めた男にしがみつくと、
「全く……」
滑り台はせめて俺がいる時にしてくれ、と強めに胸に抱かれた。
大きな溜め息と共に。
「の」
では、と早速と、部屋を出ると、
「……君、さては反省していないな?」
の小言は聞こえないふりをし、階段へ向かうと。
今度は手摺に股がり、下に降りた男に向かい。
ススーッ
っと滑り、
「♪」
そのまま、手摺の下で腕を広げる男の胸にぽーんっと飛び込めば。
「……おっとぉ?」
大袈裟に仰け反られ。
「くふふっ」
男と顔を見合わせて笑っていると、
「……フーン」
お気楽でいいですね、とどこぞで劇の練習に勤しんでいた狸擬きが、黒子と共にトトトとやってきた。
「のの?」
おや。
紙で作った王冠を小さな片耳に乗せられている。
「王子様の?」
「騎士団長だそうだよ」
王子様は黒子らしい。
午後の本番に向けてリハーサルをするから、個室を借りている。
観て欲しいと。
紙で作られた剣は、なかなかに精巧。
1人、身一つで食べていけているだけはある。
狸擬きは、黒子の反対側、紙芝居の隣の高い台に乗り、黒子の台詞に合わせて、案外立派に動いている。
紙の剣を口に咥え、前足で振り回し、あわやコロリと転がり。
黒子と一緒に頭を下げる。
「大変に勇敢な騎士であったの」
「フーン♪」
男も手を叩き、黒子と何か話している。
「お主は緊張はせぬのの?」
「?」
しないらしい。
「フーン」
甲板の鳥の方が緊張しました、と。
ほほぅ。
まぁ命に直結しているからだろう。
我等は簡単には死なぬけれど。
大広間での紙芝居の準備を手伝っていると、船員たちが待ってる子供たちを並べてくれている。
「の、我は甘いものが食べたいの」
「終わってからな」
「もう観たの」
リハーサルだけれど。
男は少し驚いた顔で手を止める。
「?」
「君たちは、こう、クールな関係だな」
彼の晴れ舞台を見守りたくないのか?
と聞かれても。
「ふぬ。場所がどこであれ、何とも必死に短い手足を振りましてるの、くらいにしか思わぬの」
「フーンッ!!」
聞こえていたのか、台の上で足をジタバタさせている。
「ほれ今もの」
指を差せば、男だけでなく、言葉が通じぬ黒子すらも、肩を揺らしている。
「我はあやつの親でもなし、子でもなしの」
男は、あまり理解はしていない顔を見せた後。
「なら、俺が観たいから、付き合ってくれるか?」
向き直られ。
ふぬ。
それならば。
「勿論、よいの」
それでも。
「終わったよ」
「……ぬ?」
気付けば男の胸に凭れて、しっかり眠っていた。
狸擬きは、子供たちに囲まれて高い台の上から動けないでいる。
「ふぬ」
漏れかけていた涎を拭い、あふぬと欠伸をすると、その場で後ろ足をぐっと引いた狸擬きが、
「の?」
ポーンッ!
と飛ぶと目の前で着地し、男の後ろにささっと隠れる。
「ののぅ」
足の身さに反比例した跳脚力。
扉が開けば、子供たちを迎えに来た親たちも現れ、子供たちは皆笑顔だから、そこそこに上手くは行ったのだろう。
端で眺めていた娘もやってきたため。
「ご褒美のおにぎりはお茶の後でよいかの?」
「フゥン」
先がいいと。
さすがに優先するかと思ったけれど、男が娘に何か頼まれている。
「?」
「いや、何か夕食の時に、俺を紹介して欲しい人がいるから、会ってくれないかと頼まれしまった」
「ふぬ」
「個室で」
「ほほぅ」
非常に面倒そうではあるけれど、娘の、強いてはおじじの顔を潰すことになる故、断ることも出来ない。
「我はどうするのの?」
「勿論一緒だよ、こんな小さい子を1人には出来ないからな」
お茶は断り、部屋に戻ると、握っておいたおにぎりをテーブルに置いてやれば。
ソファにぽんと座った狸擬きは、
「フーン♪」
美味しそうに食べ始める。
そして、
「フーン」
ご主人様は寝ていました、と食べながら不満を訴えてくる。
「練習はしっかり観たの」
「フーンッ」
本番が大事なのです、と怒られる。
そんなものか。
まあまあとおにぎりを追加してやると、狸擬きはご機嫌に食べ切ると、
「夕食まで寝ます」
とあの布を敷いたベッドへ飛び上がり、布の上にゴロリと横になると、すぐにスヤスヤ眠りだした。
疲れたらしい。
(ほうほう)
狸擬きなりに、精一杯頑張っていたのだなと、布団を掛けてやり、そっと扉を閉じて部屋を出ると。
「の、我は甘味が食べたいの」
我はぎゅむりと男の首にしがみつくも。
男は、
「……」
「……?」
黙って狭い廊下を抜けると、客はこれ以上は入れない、人気のない端の階段下まで向かい。
「俺は、君の唾液が飲みたい」
と。
「……くふふ」
男を壁に寄り掛からせ、小指を口に含む。
「幼女をこんなところに連れ込んで、悪い男の」
男の唇に指先を当てると、
「あぁ、悪い男だ」
口の中に含まれる。
茶の時間はゆうに通り越し、気づけば食事の時間になっていた。
「フーン?」
「そうの、お主がお疲れねんねだったからの、おやつは我慢したの」
「フーン♪」
お優しき主様です、と我を抱っこする男の隣をトトトと歩きながら、ご機嫌でステップを踏む。
たまにすれ違う、多分紙芝居を見ていた子供に狸擬きが声を掛けられるも、狸擬きはスンと澄まして応えるだけ。
「明日もだっけ?」
「フーン」
明後日です、と狸擬き。
食事処、レストランでは船員がさりげなく客を見回しながら、さらりと愛想を振り撒きつつ通りすぎて行く。
船員は主に自分と同じタイプの、体格のいい男たちに視線を向けている。
鳥が消えた後に、壊れていた鍵で、鳥が消えたのは人為的なものだと結び付けたのだろう。
(ま、我は鍵開けの技術はないしの……)
道具もない。
いつかのために練習でもしておくかとレストランを通りすぎて奥の個室へ向かうと、娘の知り合いだか、知り合いになっただかの若い娘が、男を見て笑顔で立ち上がった。
家の位がそこそこに高い娘ではないのだろうか。
どこぞの馬の骨とも分からぬ男に、ホの字とは。
勿論、若い娘の両親もおり、ニコニコして迎えてくれる。
そして後から来た黒子にも気付き、両手を合わせて喜んでいる。
立ち見で紙芝居を観ていた家族ですねと、狸擬きが教えてくれる。
男は如才なく旅の話をし、我のことは、わけがあって、知り合いの所へ預けに行く途中だと話しているらしい。
黒子もカッパカッパと酒を煽りながらも、タダ酒の報酬分か、ご機嫌に話題を振りまいてくれ、暗にでもなく男の安堵する気配。
狸擬き同様、
(たまには役に立つの)
そんな黒子と目が合えば、心を読まれたのか、
「♪」
しかし、したり顔で、バチコーンッとウインクをされた。
夜半からはまた強い雨が降り出し。
「……フーン」
「の、眠れないのの?」
「フーン……」
昼寝し過ぎましたと、今夜は緩やかに揺れる床に踏ん張り、ベッドには上がろうとしない狸擬き。
「君は?」
「ふぬ、我も昼寝したからの……」
「なら、何か飲み物でも貰いに行こうか」
「の♪」
「フーン♪」
小さな喫茶室は夜半まで開いているため、客室を出て、一番端っこの茶屋へ向かうと、さすがに客はおらず。
男が、温かい牛の乳と、酒を垂らした紅茶を頼んでいる。
カウンターの中にいた40手前かと思われる男の店員が、盆にカップを乗せてやってくると、
「お邪魔しても?」
と席を指差し。
男がちらと眉をあげつつ、我も狸擬きも何も反応しないために頷くと、
「では、席代に」
とビスケットの入った皿を置いてくれた。
「♪」
狸擬きと共に手を伸ばすと、
「この船には、一期一会のお客様ばかり、と言うわけでもなく、移動手段でもあるため、割りと顔馴染みになるお客様も多いのです」
と口を開いた口髭男は、そっと目を細める。
ふぬ。
あのおじじの様にか。
「けれど、この年になってくると、またお会いできる方、もう二度とお会いすることはないお方だと、何となく察することがあります」
と。
男の、
「では俺たちには、もう会うことがないと思ったから、声を掛けて下さったんですか」
冗談めかした口振りに、
「いやそれが、全く勘が働きませんで、それが不思議で、お声を掛けさせて頂いた」
と肩を竦める。
「遠くまで行かれる?」
「その予定です」
なるほどと頷くと、
「いつもは、淡々と行っては戻るの繰り返しの船ですが、今回は、予期せぬ鳥の襲来、お客様の紙芝居の興行、お珍しいお客様」
と蜂蜜入りのホットミルクを飲む狸擬きに視線を向け、
「盛り沢山です」
と目を伏せて小さくて笑う。
「興行は珍しくないのでは?」
「狸様が役を果たされるのは大変に珍しい」
確かに。
と言うか、この口髭男、狸擬き目当てに同じ席に着いたのか。
男が煙草を差し出すと、
「あぁ、では1本だけ」
失礼と煙草を引き抜くと、珍しそうな顔で煙草を眺めてから咥える。
「鳥のお話はどこまで、ご存じで?」
美味そうに紫煙を吐き出し、ちらと男を見る。
「餌を取れない鳥たちが、諦めて船から降りたと聞きましたが……?」
首を傾げる男の返事に。
「それが」
口髭男は声を潜め、
「船員の1人が、不自然に海に落ちていく鳥の姿を見たと言ってるんです」
男の驚きは本物で。
男の方は、そう、
「目撃されていたこと」
事実に驚いているから不自然さはない。
「それは……?」
「何者かが、狙撃でもしたのかと」
「おぉ……」
男のにわかには信じられないと言った表情と、
「一体誰が?」
といった期待の眼差しに、口髭男も、うんうんと頷き、
「船乗りたちの間では、私たちも含め、未だ、その噂で持ち切りなんですよ」
と、楽しそうに目を細める。
ふぬん。
娯楽の観点で言ったら、船乗りなど、仕事とは言え更に少ないだろう。
ならば。
(一時の退屈しのぎ程度にはなれたかの)
ふふぬ。
なんとも、よき善行を積んでしまった。
男が、
「人魚は見たことはあるか?」
と訊ねている。
口髭男は、今度はちらと驚いた顔をしたけれど、小さな我の存在を思い出したのか、
「残念ながら、まだ」
と我を見て茶目っ気たっぷりに微笑み、かぶりを振る。
「海底のお城に住んでいると言われてますね」
と教えてくれていると、男が我に伝えてくれる。
城。
「人魚は、海のお姫様なのですよ」
ほうほう。
同じく眠れないらしい年配の客がやってきて、口髭男が、失礼と席を立つ。
狸擬きが大きく口を開いて欠伸をし、喫茶室を後にすると、
「すまぬの」
見られていたとは。
謝るも、
「あぁ、いや。船員たちが警戒している中、目撃がそれだけで済んでいるんだ、君たちは凄いよ」
「ふぬ?」
「フーン♪」
そうかの。
お船の窓が小さくて助かった。