19粒目
おじじに、部屋はそのままにしておくから、ゆっくり山を見てくればいいと有り難い言葉を貰い、蒼い山を目指す。
難しい道はなく、ひたすら轍に沿って進んで行けばいいと。
空は薄曇り。
「空気がカラッカラの」
郊外はやはりどこも変わらない畑や果樹園を越え、
「フーン」
おにぎり、が欲しいと狸擬き。
朝に握ってきたのだ。
「ふぬ、まだ少し温かいの」
「♪」
男にも食べさせ、
「少し久しいの」
この旅の感覚。
「そうだな」
男も白い息を大きく吐き出すと、煙草を取り出す。
「フーン?」
「の?おやつはまだ先の」
「フーン」
残念そうにポンチョにくるまるように首を竦め、広がるだだっ広い枯れ草の広がる高原を見渡す。
馬車は淡々と進み、空は晴れ間が広がり、
「城の方へ行ってないの」
「あぁ、青の国へ行く途中に寄ってみようか」
「の」
まだ1つの街にしかいない。
けれど。
「他の街のパフェを食べなくてはならぬの」
「フーン♪」
「でもそろそろ祭りで人が増えてくるぞ」
「のっ」
そうだった。
「急がねば」
山になど向かっている場合ではなかったのではないか。
「温泉にも、1つ甘い名物があるらしいよ」
「ぬぬ?」
温泉まんじゅうとやらであろうか。
いや、
(……まんじゅうは、違うかの)
「フーン」
空を金具を付けた鳥が飛んで行く。
「山をまで行くのかの」
「そうかもしれない」
しばらくまた淡々と進んでいると、
「フーン」
うとうとしていた狸擬きが、水の音がしますと。
「おやの」
それはもしかしなくても川であり。
「休憩にしようか」
「の♪」
「フーン♪」
馬車を停め、男が馬たちに水を飲ませている間に、我は、我に付いてやってきた狸擬きを踏み台にして荷台によじ登り、ザルを手にすると、浅瀬へ走る。
「あーずき洗おか、パーンケーキ食ーべよーか♪」
しゃきしゃきしゃき
しゃきしゃきしゃき
「あーずき洗おか、やーまへ行こーか♪」
しゃきしゃきしゃき
しゃきしゃきしゃき
ふふんふふん♪
ふふんふふん♪
「フーンフン♪フーンフン♪」
狸擬きのしゃきしゃきを眺め。
「んふー♪」
「フーン♪」
狭い荷台で、お茶を淹れて、
「初挑戦であるからの、あまり上手に焼けてなくても目こぼしせよの」
パウンドケーキ型で焼いたベイクドチーズケーキを切り分けて、洗い物を減らすためにそのまま指で摘み上げる。
「……ん。……美味い」
「……フン。フン、フーン♪」
男の顔にパッと笑みが浮かび、
「フゥン♪」
とても美味しいです、と尻尾をふわふわ揺らす狸擬き。
「チーズの風味が濃くてしっとりして、あぁ、凄く美味いな」
「フーン♪」
チーズケーキはそんなに好きではなかったですが、主様の作るチーズケーキは大好物になりそうですと狸擬き。
「ぬふぬ……♪」
どちらも大変に褒め上手であり、胸がこしょばゆい。
こしょばゆいまま、では我もと、切り分けたものを摘まんでみたけれど、
「ぬ、ぬぬん♪」
酒屋の隣の店で売っていた、高めの酒のつまみとして売られていたお高めチーズを贅沢に使ってしまった甲斐があったと言うもの。
「フーン」
もう一切れ食べたい、と爪先を咥える狸擬き。
「の?」
迷ったけれど、
「俺も」
と男が人差し指を立てたため、
「仕方ないの」
2人に切り分けてやり、我はおかわりの紅茶を注ぐ。
のんびり楽しいティータイムのあとは、再び先へ、先へ。
何もないと思っていたら、街と山の間に村があった。
大きな葡萄畑が広がっているけれど、もう収穫は終わっているらしく、人気は少ない。
「挨拶だけしておこうか」
「ふぬ」
葡萄畑を越えると、村が小さな見渡せるほどに小さな集落があり、
外にいた男や若い女が不思議そうに馬車で進んできた我等を見て足を停める。
男が馬車を停め、蒼の山へ向かう途中の旅人だと伝えると、小さいけれど、組合もあるという。
今までで一番小さな組合は、街からの出張所で、たった1人、眠そうなおばばが、あらお客様ねと、鳥を肩に乗せてやってきた。
男が、組合と村の方へと、少し多めのコインと小さな石を渡すと、
「確かに受け取りました、村の人間に代わってお礼を」
と男の手を握る。
我と狸擬きを見て小さく笑うと、
「親切がてらにもう1つお願い出来ませんか?」
と山の方への配達を頼まれた。
山の方へワインを運ぶ男の嫁が産気付いて、男も動くに動けないのだと。
「今日に限ってまだ街の方へ行ってたり、人がいなくてね」
運ぶくらいなら何のそのだ。
倉庫と思われる葡萄畑の近くの建物に向かい、おばばが樽を乗せるために人を呼んでくるよと言ってる様だけれど。
我がワインの樽を、
「よいしょの」
軽く持ち上げると、おばばが腰を抜かしそうな程に驚いている。
男が、荷台の前に踏み台を置いてくれているため、
「ふぬぬ」
すんなりと荷台に収められた。
「今はこんなものしかないけど」
とワインの瓶を3本もらい、当然大はしゃぎなのは狸擬き。
ワインの樽を卸す店のメモを受け取ると、おばばに見送られてまた先へ、先へ。
朝に出て着くのは夕刻辺りだと聞いていたけれど、とかく脳筋で丈夫さがだけが売りの我等が馬は足も早く、
「おやの」
「フーン」
陽はまだあるうちに、
「ようこそあおのやまへ」
と書かれた看板が見える村の入り口へ辿り着けた。
「のふー♪」
温泉に浸かれたのは、指定された村の店にワインを卸し、その証明は、支払いと共に向こうの鳥を飛ばすから安心して欲しいと。
村にある小さな案内所のおばばからは、
「小さく子がいるのなら、部屋にお風呂の付いているお部屋にしなさい」
と、ここでも過保護が蔓延っており。
(なんの……我のいたあの辺りが奇跡的に緩かっただけの?)
と疑いたくなるほど。
とはいえ個々が大事にされるこの世界。
大浴場などはなく、部屋風呂が一番広いと聞く。
大小の宿がある中で、なるべく風呂の大きな部屋と男が指定すると、
「わほー♪」
パチャパチャ泳げる広さの風呂の付いた部屋の、贅沢な宿を案内された。
(この間の予期せぬ寒中水泳は、ほぼ足の指先以外は意識を失い、泳ぐどころではなかったからの)
「ふんふん♪」
犬掻きで広い湯船を行ったり来たりをしながら、
「……」
間近に見えるもう影になった山に、意識を向ける。
宿に着くなり狸擬きが、
「フーン」
「の?」
「フンフーン」
山にいるであろう山の主に挨拶に行きたいと、宿に入るなり尻尾をくるくる回したのだ。
「よいの」
「フゥン」
手土産が必要と。
獣はチーズは好まぬだろうし、赤飯を炊くと、
「フーン?」
少しばかり、そわそわしてる模様と狸擬き。
「なんぞ?活火山かの」
山が噴火でもするのか。
「フンフン」
山の主が、ですと狸擬き。
「おやの」
部屋は風呂に重しを置いているためか、こじんまりとしており、2人掛けのソファーが山の方に向いて鎮座し、ベッドも2台がぴたりとくっついている。
雪隠れと手洗い場もあり、長年使い込まれた壁に添うテーブルと椅子も1脚。
(……なんと言うか)
「こう、新婚旅行で使われそうな部屋であるの」
「フーン?」
「あぁ、忙しく働いている若い人同士だとここが新婚旅行先になるそうだよ」
男が教えてくれる。
炊いた赤飯を握り、
「気を付けの」
「フーン♪」
狸擬きを見送ると、
「我もぽんぽんが減ったの」
「そうだな」
とは言え、食事の時間にはまだ早く、狸擬きで甘味を探しに行くのも忍びなく。
「俺は」
「の?」
「君の唾液で夕食まではもつ」
「くふふ」
仕方なしの。
我は自作のチーズケーキでも齧ろうかの。
それでも、宿の温泉も気になり、
「より食事を楽しむために温泉に浸かるってお腹を減らすの」
と、パチャパチャ泳ぎ。
我の髪を乾かしてから、俺も入ろうかなと男が服を脱いでいると、
「フーン」
スタタタと狸擬きが温泉の方から戻ってきた。
「早いの」
「フンフン」
「の?」
遠いお山の主である主様に挨拶がしたいと。
「ふぬ?」
男を見ると、
「……夕食までには戻るように」
渋々了承してくれた。
理解が早くて助かる。
村に人はまだいるけれど、男と共に山の方まで向かうと、誰もいない。
「ここまででよいの」
もう村の灯りも届かない。
「お主はお部屋で待ってて欲しいの」
「……」
狸擬きに股がり、山の中へ向かう。
ささくれた木々の生える山の山を、暗闇の山を登っていく。
山の村から見ると中腹程度の裏側に、
『……』
山の名の通りの、白い毛の少ない大きな大きな蒼狼が立っていた。
「お話はできるかの?」
『……』
『残念ながら、主様とは言葉は交わせない模様』
おやの。
「はじめましての」
しかし、
『♪』
ふれんどりーに尻尾を振ってくれ、
『あの不思議な食べ物をありがとうございました、と言っております』
「のの、どういたしましての」
『……』
『無駄に長生きのために最近は娯楽も少なく、主様がここにいる間、時間がある時にでも、少し話をしに来てくれたら嬉しいと』
おやの。
「お主はお外には出ぬのの?」
『……』
『あまりにも山に居すぎたため、外は怖いと思うようになってしまったと言ってます』
ほほう。
まぁこの大きな狼が1匹でその辺を駆け回っていたら、さすがに警戒はされそうだ。
「野良ではお主の毛色は初めて見るの」
『珍しいですか?と』
「ふぬ。お主のその美しい毛色は人の相棒としての狼しかみたことがないの」
それに、ここまで青いのも本当に珍しい。
「山に人は来るのかの」
と訊ねれば、
『用がなければ人は滅多に入ってくることはありません。ただ季節の変わり目の度に、必ず何か肉や野菜を、人が山の入り口に置いてくれています』
と。
ほう。
『私はその礼に、自分の制止を聞かない山の獣たちが、人里に降りて農作物や家畜を荒らす場合、遠吠えで村人に、獣が降りると合図を送っています』
村人は弓銃を構え、柵を頑丈にしてそれに備えると。
持ちつ持たれつらしい。
牧場の村でもそうだったけれど、こちらの村は、向こうの村よりも更に山には立ち入らぬことを決めているらしい。
ふぬふぬ。
ならば。
村人には、この蒼狼が山の主とは知られていない様であるし。
「の」
『?』
「一先ず、今日は我等と山を降りてみぬかの?」
『!?』
「1人だから怖いのであろう?」
「♪」
狸擬きも、そうしましょうそうしましょうとステップを踏む。
『……』
当然、躊躇する狼。
まぁ、そうであろう。
いきなりもいきなりだ。
「誘ってみただけの、気が向いたら、我等が村にいる間にでも一緒に降りてみればよいの」
「フーン♪」
『……』
もう少し話していたかったけれど、
ぐるるる……と鳴るのは狸擬きの腹。
先刻のおにぎりは全て蒼狼の腹の中と。
「すまぬ、我等は食事がまだのの」
夕食後の夜の外出は、男が渋るだろうし。
「明日の昼かの、また来るの」
と狸擬きに乗ると、
『……』
おや。
すらりと長い足を踏み出し付いてきた。
「のの?平気かの」
『……』
『大層強きお方が隣にいてくれると言うのですから、そうそう怖いのはないかと思いまして、と』
「ふぬふぬ」
さすが山の主だけはある。
話も早い。
『無理はするなのの』
『♪』
暗い山を駆け抜けて行く。
宿で待っていろと言ったのに、男は村と山の境目にある、古いベンチで煙草を吹かしていた。
「お帰り。……」
我と狸擬きを見て、ホッと安堵の息を吐いた後に、大きな蒼狼の姿に一瞬固まるも。
「一緒に食事をしようと思って、誘ってみたの」
我の言葉に。
「とても綺麗な毛の色だな。初めまして」
男は煙草の吸い殻を小袋にしまうと、すぐに順応して笑みを浮かべている。
我の男は、もう大抵のことでは驚かなくなってきている。
『……♪』
蒼狼は男にスリッと顔を寄せ挨拶をし、
(ぬぬ、よいの)
『主様には、畏れ多いのでしょう』
「ぬーぅ」
宿の者には、山の主か伝えるべきか迷ったけれど、面倒なことになりそうなため、
「こやつも我等の相棒で荷台で寝ていた」
ことにして、宿の食堂へ向かうと、狼は珍しくないため、あっさり受け入れられる。
ただ毛色だけは、
「すごい、真っ青!」
と驚かれている様子。
狸擬きは、狼と食べると床に座り込み、それでも食事は我等と同じにしてもらう。
狼は、あの奇妙な食感の食べ物を多めに頂いてしまったので、今は人の1人分で大丈夫だと。
この村の名物は温泉で蒸したソーセージ。
家畜は豚が多く、村人の主食も豚肉だと。
数種類の立派なソーセージに、蒸かされた芋がたんまり。
それに、なんだったか、ザワークラウトとやらもこんもりと盛られている。
そしてほぼ具なしのスープ。
それでも、狼には蒸かした芋が我等の3倍程は置かれ、喜んでいる。
「いただきますの」
早速、太いソーセージにフォークを突き刺してかぶり付けば。
「ぬふぬ♪」
プツリと腸が弾け肉汁がじゅわりと溢れ出し。
「ののぅ」
「フーン♪」
足許から、狸擬きのご機嫌な美味しいですが聞こえる。
狼も、これはたまに山に置かれますが、温かいとより美味しいですねと、喜んで食べている。
「この辛そうなのはあげるの」
男の皿に赤いソーセージを移し、視線を移せば、狼と狸擬きは楽しそうにおしゃべりしながら食べている。
(人を怖がっているわけではないのの)
『山からよく人を見ているし、その人間たちが定期的に食べ物をくれるため、悪くは思われていない、とは感じているので』
とのこと。
部屋に戻り、残りのチーズケーキを出してみると、
『♪』
他の狼と違い、チーズは苦手ではないらしい。
喜んで食べている。
『私は、あなたたちほどではないけれど、ほどほどに長く生きしている間、山の奥までは飽きるほど徘徊しました。
人里は、自分が知っているのは山から見えるこの村だけです。仲間はおらず、近いと思われる仲間は、灰色か茶色の狼たちですが、集団で行動しますし、基本はもっと山深くで生活していますから、普段からあまり関わりもなく』
『大きな熊と仲良くなることが多いですね。寿命でのお別れは、もう数知れず。今は仲良くしている熊が冬眠に入ってしまったので、あなたたちが来てくれてとても嬉しい』
『山の向こうですか?山が更に続き人はいませんね、大きな川を挟んでからは大きな森ですが、そちらは長年主は不在、特に問題はない様子、人の姿も一度も見たことはありません』
ほうほう。
こちらの国はお山も多いの。
(よい土地である)
その向こうは、さすがにわからないと。
「地図だとその向こうも山になってるな」
ほほぅ。
狸擬きを行かせてるかと思ったけれど、川があるというし無理か。
「お主も、毛は抜けぬのの?」
狸擬き伝に訊ねれば。
『抜けないらしいです』
ほうほう。
「ならば、湯に浸からずとも身体は洗えるの」
『!?』
何をされるのかと縮こまる狼を、外の洗い場へ連れていき男と2人がかりで洗う。
「ベッドが空いてるからの、折角だしベッドでねんねすればよいの」
そして寝かせるためにはさすがに身体を綺麗にしなければならない。
しかし。
「のの、案外泡が立つの」
扉から鼻先だけ覗かせている狸擬きが、
『水浴びは嫌いでないらしいです』
と、この寒空でも川で水浴びをしていると教えてくれる。
湯を流せば、狼は、
『……♪』
気持ちよさそうな顔をし、我と男を部屋に戻してから、
ブルルルルッ!!
と物凄い勢いで身体を揺らし水を飛ばす。
男に乾かしてもらい、
「わほー♪」
ほわほわになった狼の腹に顔を埋めていると、
「俺も風呂に入ってくるよ」
「の、お疲れの」
男が部屋から出ていく。
ジタバタする狸擬きを小脇に抱えて。
狼は、自分と同じ種族の狼の話だけでなく、街や他の森の話、人の話、食事の話、何にでも興味を持ち、楽しそうに小さく鼻を鳴らす。
山の主になることで、獣も若干知能が増すのか、さすれば好奇心も多岐に渡るのか。
『♪』
我と狸擬きの話に、男が補足で描いてくれ絵にも、綺麗な瞳を煌めかせて覗き込み、
『……』
「の?おねむの?」
頭をカクンッと落とし始めるため、そう問うてみるも。
ブンブンとかぶりを振って大丈夫だ、まだ話を聞きたいと薄目を開く。
「くふふ、まだ明日もあるの」
狸擬きが狼をベッドに誘い、自慢のハンカチを見せている。
『♪』
『♪』
我も隣のベッドで、男の腕の中で眠る。
深夜、寝返りを打った狼に狸擬きが潰されて、
『……!?』
もだもだと狼の下から這い出ていたのは覚えている。