15粒目
時は夕刻。
立派な劇場を見上げていると。
「あ、いたいた、やっほー」
男と、男と手を繋いだ我、その隣にお気に入りのポンチョを羽織り4つ足で立つ狸擬きを順繰りに見ながら、今日も黒一色の姿で呑気に手を振ってきた黒子は。
「……」
「……」
『……』
6つの冷めた視線に。
「いやいや待ってよ~!少しは気持ち解るでしょ!?」
解りはするが。
「散々利用して好意を告げられたら逃げるかの」
「屋敷にいて欲しいって言うから甘えさせて貰っていただけだよ~!」
我の言葉は、こやつには通じていないはずなのだけれど。
「そりゃ、気持ちは嬉しいけどさぁ」
あんないい子、手を出したら僕の心も痛むって言うかさぁと、通訳してくれる狸擬きすらも、フンスと呆れている。
「ただお主の好みでないだけであろうの」
「そうそう、もう少し気の強い娘がいいなぁ♪」
のぅ、やはり言葉が通じてるのか。
こんな奴と。
「じゃなくて!!責任とれないじゃん?」
「なら最初から居候しなければよかったじゃないか?」
男の呆れた声に、
「……だって、こっち、馬車で寝るのはさすがに寒いし?」
本気で一文無しだったらしい。
呆れてものも言えんとはまさにこの事。
(こんなドクズも存在する世界なのの……)
我の手を繋ぐ男や、あのこのドクズのために涙を流した娘の様な人間のお陰で、生き永らえているのだろう。
我は知っている。
「こういう輩と付き合うととこちらまで悪い影響を受けるの」
腐った蜜柑方式であると、行くのと男の手を引っ張れば。
「待って待って!」
両手を顔の前に合わせて頭を下げてくる。
「……なんの」
ここ劇場の建物の広場、我等ではなく、黒子の全身黒い服のせいで無駄に悪目立ちしているのだ。
「金なら貸さぬの」
黒子は、違う違うと、あの青の国の青年を改めて紹介して欲しいと。
「……」
あの清廉潔白な青年に、このろくでなしと必要以上に付き合いがあると思われたくない。
「彼女がそう言うので、悪いけれど」
男がさらりと断る。
「えー!?」
「抱っこの」
「あぁ、おいで」
男にぎゅむりとしがみつくと、
「……お主はすでに1つ約束を反故しているからの」
じっと黒子を見下ろせば。
「……そ、そうだね」
さすがにひきつった笑いで、茶化そうとはしない。
「そろそろ中に入ろう。劇が終わったら、また」
肩を竦めて頷く黒子から目を逸らし、だいぶ人の減った広場を歩き出す。
「とても丁寧に作られた劇場の」
「国の方で、汽車だけでなく、演劇にも力を入れたいそうだ」
「フーン♪」
ここはいい国です、と狸擬き。
中も大きなロビーには、絵画なども飾られているけれど、室内はやはり茶色で纏められている。
女性は髪留めやアクセサリーに赤や青の小さな飾りを付け、隣の国からだとささやかに主張している。
受付で男がチケットを見せると、にこやかに手の平を向けられる。
コートとポンチョを預け、
「フーン」
建物に重厚感がありますね、と蝶ネクタイを着けた狸擬きは、天井が高いですとひっくり返る勢いで見上げている。
我等の席はずらりと並んでいる、それでも前の方の席だったけれど。
「あれはお金持ちの席の?」
上の方にテーブルの席が並んでいる。
「そうだな」
ほうほう。
ああいう席では、ジュースなどを飲めたりするのだろうか。
狸擬きの隣の席の婦人は、ぽてりと座る狸擬きを見てほんのり驚いた顔をしているけれど、我と目が合えばふわりと微笑み、
「可愛い方ですね」
と褒めてくれているらしい。
「……」
人、人、人。
ざわめき。
動きがない中での人の「気」は特に纏わり付いてくる。
意識的に遮断しながら、客席が暗くなるのを待った。
「少し難しかったな」
「ぬ、すまぬ……」
「フーン」
椅子の寝心地はまあまあでしたと狸擬き。
そう、1人と1匹、開幕から少しは起きていたものの、閉幕まで寝こけていた。
愛だの恋だのよりも、我は血湧き肉躍る活劇を観たい。
(ぬん……)
やはりそういう意味では、そもそもが子供向けということもあるけれど、
「エンターテイナー」
としては、黒子は実力はあるのだろう。
劇場の外で、黒子がやってくるのを待ってやれば、
「いやー、夜の大人向けの紙芝居の参考になったよ」
と嬉々と駆けてきた。
「フンフンッ」
「え?今日の舞台より僕の紙芝居が楽しみ?いやー、嬉しいな」
勝手に台詞を当てるなと言いたいけれど。
実際、例え大人向きだと言っても、狸擬きは、こやつの解釈通り、
「お前の紙芝居を楽しみにしている」
と狸擬きは尻尾を振っているのだ。
日々、暇にかまけて街中をうろうろしているらしい黒子に、適当な店を案内してもらい、我等に対しての詫びなのか後ろめたさか、はたまた青年を紹介して欲しさ故か。
酒を我慢している黒子に、狸擬きが、
「こいつは偽者ですか……?」
とチラチラと窺っている。
気持ちは解る。
我等の中で酒を嗜まない黒子など黒子ではない。
男が、
「この先、互いに行く場所も変わってくだろうけれど、交流を続けて欲しい」
と黒子に伝える。
「いいよ、大歓迎」
あっさり頷く黒子は、
「僕の行く国の情報が欲しいんだね」
水を飲んで、物足りなさそうな顔。
「そう、魔法の情報だけでなくても、甘いもののことでもいい」
「任せて。そっちから届く鳥待ちになるけど」
こやつが大金を支払って鳥を飛ばすなど考えられぬからの。
まず運ばれてきたのは豚肉が焼かれたものが大量に皿に乗ったもの、小魚を揚げたフライ。
「あああ……」
黒子が絶望的な顔をするのは、なぜここに酒がないのだと言う、世にも下らない理由。
しかも。
「フーン♪」
「1杯だけだからの、ちゃんと味わって飲むのの」
「フンフーン♪」
目の前の獣には酒が振る舞われているのに、だ。
「ううう……」
テーブルに額を落として項垂れる黒子に、苦笑いしながら我に肉を取り分ける男。
「そうだ。あの青年を紹介してもいいけれど、見返りはなんだ?」
男の言葉に、黒子は、
「ううう……」
更に肩を落とす。
なにもないらしい。
話にならぬ。
こちらは肉も取り分けられたことだし。
では。
「いただきます」
「うん、いただきます」
「フーンフン」
2人と1匹で手を合わせると、
「それ、おまじない?」
と不思議そうな顔。
今は顎だけがテーブルについている。
そして狸擬きが美味そうに煽るワインを凝視し、涎まで垂らしかねん勢い。
「の、こやつは食べぬのの?」
「酒がないと食べられないそうだ」
重症だ。
「ここまで享楽的な奴は珍しい気がするの」
「あぁ、俺も初めて会ったよ」
世の中は広いなと男。
そして、どんなにポーズをしても酒は許可されないと察したらしく、長い腕が億劫そうに肉に伸びてきた。
「……君たちは、僕に何を求めるのさ」
美味しくなさそうに肉を噛む黒子は、唇を尖らせる。
そうの。
「もう少しまともな人間になることかの」
男伝の我の言葉に、
「手厳ししいね」
と言いつつにやりと笑う。
なんぞ。
「僕、強気な娘が好きだからさぁ」
ほぅ。
我の気は強いのか。
男を見ると、
「?」
と首を傾げたあとに、
「んぬぬ」
我の口を拭ってくる。
青年への紹介は、一度会っているため、正確には、
「会える算段を付けろ」
と要求しているのだ。
無論。
「それは保留で」
「うぅ、なんもいいことない……」
自業自得と言う言葉が、こやつ程に似合う者はそうそういまい。
翌日の朝食後。
遠くに見える山のてっぺんが白くなったその日は。
念願の茶の森へ再び向かうことになった。
茶狼も誘うと喜んでやってきた。
おじじが茶狼の頭を良かったなと撫で、今日は我等が荷台で行くため馬を出して貰い、狸擬きと茶狼は荷台に乗り込み、手を振るおじじに見送られ、秋晴れの街を抜けて行く。
秋晴れではあるけれど、街を歩く人間は、もう厚手の外套を羽織る者も少なくない。
森の手前の広場も人はほとんどおらず、せいぜい散歩のために通り過ぎる程度で、都合がいい。
男に荷台に乗せて貰うと、畳んで積んできた巫女装束身に纏い直していると、茶狼が、
「?」
と不思議そうに眺めてくる。
狸擬きが、
「フンフン、フンフン」
これから森の奥の山の方へ向かう。
他言無用で、と茶狼に伝えている模様。
小さな赤い背負い袋を背負い、荷台から飛び降りた狸擬きの背中に、
「よっとの」
飛び乗ると、男の不安を隠さない顔。
「すぐ戻るの」
「あぁ。……」
前髪越しに額に唇を当てられ、
(ぬ、ぬぬん……)
狸擬きの毛をぎゅっと掴むと、
「フーン」
行きます、と狸擬き。
「狼もいるのだからあまり飛ばすのの」
「フーン」
たっと走り出すと、狼もたたっと軽く付いてくる。
(ほうほう)
さすがに足が長いせいもあり早く、余裕で付いてくる。
木々の隙間をすり抜け、枯れ草を踏み、木の実を齧るリスを尻目に、森は深く深く。
山は獣の領域と人が決め立ち入らないため、獣の気配が濃いけれど。
「……」
正確には、
(「入れない」が近いのの)
すぐに険しい断崖が現れ、
「のぅ……」
ここからは、獣たちの領域。
我等を崖の上から見下ろすのは、
「……灰色狼たちの」
「フーン」
どうしますか?
と狸擬き。
「ここから当ててもの……」
それに今日の目当ては紫の石。
「フンフン」
大きく迂回すれば、この山へのとっかかりがありますと、狸擬きが進路を北に変えて走り出す。
茶狼は少しばかり灰色狼を見上げていたけれど、たたっと狸擬きに付いてくる。
狸擬きの少しばかりは、人間には余裕で半日以上はかかる程度の距離。
「お主は平気かの?」
斜め後ろを走る茶狼は、
「♪」
跳ねるように走り、大丈夫だと返事をくれる。
(本当に老狼かの……)
山の麓を登るようにぐるりと半周程度した所で、
「フーン」
狭く深い谷底は水が流れ。
「フンフン」
あちらに、と鼻先を向けられた先に、お誂え向きに倒れた大木が、向こう側の山の斜面と繋がっている。
そこから這い上がればいいと。
「お主は、この間はここまで来ていたのかの」
「フーン」
散歩です、と澄ましている。
「お主はどうする?ここで少し待つかの?」
当然あからさまに怯む茶狼を振り返るも。
「……」
果敢について来る模様。
「お主に何かあったらおじじに顔向け出来ぬの」
「……♪」
尻尾を振り、大丈夫ですと胸を張るため、
「ふぬ」
狸擬きの背中から降り、狸擬き、我、狼の順で、
「ふんぬ」
斜めになった大木によじ登り、立ち上がり。
草履も我の一部。
吸い付くように木の肌に貼り付くため、足の裏で大木に乗っているのと変わらない。
「……のっ?」
そう。
ただ。
鼻緒だけは、なぜか頑なに順応せず、相応に疲れ草臥れていく。
「……!?」
我の後ろにいる狼が、鼻緒の支えを失い、バランスを崩した我に飛び上がる。
そういえば左の鼻緒は長く替えていなかったなと、しかしこのタイミング。
自分の間の悪さに笑いそうになる。
この不安定な大木の上。
当然、目一杯力を掛けていた鼻緒が千切れ。
「のーぅ……?」
当然、極度に傾いた我の身体は。
「フンッ!?」
これからは、
(鼻緒はまめに変えぬとの……)
斜めになる景色と、振り返った狸擬きの目がますます真ん丸に、そして毛が笑える程に膨れる様子を最後に。
「のーぉ……!?」
我は、谷底に落ちた。