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136粒目

男が、

「そうだ、山へ入りたいのですが」

娘に問うたのは、帰りしな。

狸擬きは蝶々を追い、我は幼子を気取り小さな黄色い花を摘んでいたけれど、空腹を感じてきた。

男に訴えて馬車に乗り、男がそう娘に訊ねれば。

「え、えと、入山禁止は、つい昨日、解除されています」

今日はもう山の方は猟師たちが向かっているのであろうか。

「あ、あの、わたし」

ぬ?

「や、山なら」

山なら。

「わ、わたしも、こっちに来てから、山にはずっと入っているんですっ」

小さくか細く、体力など無さそうに見えるけれど。

「でも、その、あれから、山へ入るのは禁止されて、行けてなくて。でも、案内もできますっ」

と。

狩りを目的とする猟師などは、より山深くに潜れる村の外れまで向かい山に入るけれど、

「家の裏からも行けるんです」

馬車も通れない道だけれど、穏やかな山道で中腹程度まで行けるとも。

娘に案内を頼むことにし診療所まで戻れば、建物の外まで患者を見送っていた父親が、こちらに気付くと笑顔で手を振りながらやったきた。

娘さんの案内で山に登りたいのですがと男が許可を取れば、小さなお子さんの方は大丈夫かと、父親は我の心配してくれる。

「彼女はいざとなれば、彼に乗るので」

男が狸擬きに手の平を向ければ。

「い、いいなぁ……っ」

と娘が素で羨ましそうな呟き。

普段なら、

「フーン♪」

と得意気になるはずの狸擬きは、ただじっとしているだけ。

「と、とっても大人しいですよね?」

「ご主人たちに忠実そうで、頭も悪くなさそうだ」

父親にも娘にも褒められた狸擬きは。

それでもスンと澄ましていたけれど。

では明日、と、我等が借りている別荘に戻るなり。

「フーンッ!」

空腹であります!わたくしめはお腹が空きました!

「フンフンフーンッ!」

今にも背中とお腹がくっつきそうです!

とその場でくるくる回り、歩けば付いて回り腹が減った腹が減ったとうるさくて敵わない。

「空腹なのは我等も同じであるの」

「フゥンッ!」

いつもはしない獣の振りで神経を使っているのです!

とジダジダと前足地団駄を踏んで訴えて来るけれど。

「……獣のふりは、お主が勝手に始めたことであろうの」

それでも着替える前に水場へ向かい、街で買っていたメレンゲを焼いた菓子を、

「ほれの」

口に放り込んでやれば。

「フン?」

サクサクと音を立てて咀嚼し、

「フーン♪」

甘く軽い食感、とやっと大人しくなる。

追加でポンポン放り込んでやっていると、

「缶切りを忘れた」

と荷台の置かれた庭へ男が出て行く。

炊飯器が音を立てるまで、スープだけ作り、残りのおかずは全て缶詰。

そう。

男も少し気を張って疲れたと苦笑いをし、今日はおかずの方は、缶詰のみと雑に済ませることにした。

それでも、土地で缶詰の中身もだいぶ違ってくるし、

「これはなかなかに美味の」

「美味いけど、何の魚だ……?」

「フーン?」

分かりませんが美味しいですねと狸擬き。

無駄に広いキッチンのテーブルで食事を済ませると、主寝室しか掃除をしていないため、夜は狸擬きも同じベッドで眠る。

「フーン」

そして足許でなく我の隣にもさりと横たわるため。

「荷台と変わらぬの」

少し狭い。

薄暗くした部屋で、

「君の印象は、どうだった?」

男に問われた。

「こやつがやたらと警戒しているけれど、今の所、これと言ったものは感じぬの」

「そうか……」

男が息を吐く。

「案外、母親に飲ませたのは滋養強壮的な、害のないものだったのやもしれぬの」

「じゃあ、彼女の見た君の姿も」

「ふぬ。ただ、母親自身の目のよさ故かもしれぬの」

我の言葉に、男はそれでも。

「まだ油断は出来ない」

我の頭を抱えてくる。

(おやの)

随分と慎重であるの。

背中では、狸擬きが既に寝息を立てている。

獣のふりは、よっぽど疲れたのであろう。

獣の癖に。


翌朝。

朝一で診療所へ向かい、父親と家政婦に見送られ、山への道へ向かいつつ。

活動的な格好をした(むすめ)は、いかに動物たちが優れ利口かと、楽しそうに話してくれる。

男は、大学の話や、娘自身のことを問いつつ。

「討伐隊の方の治療も、積極的に(おこな)ったと聞きました」

そうさりげなく切り込んだのは、先導する娘が、足を止めて辺りを見回した時。

娘は、

「そ、そうなんです、とてもいい経験になりましたっ」

思い出したのか、ウキウキした様子で振り返った。

いい経験とな。

「あ、き、気の毒でした」

間違えちゃいましたとあわあわと慌てる。

ふぬ、間違えたか。

ふぅぅと大きく息を吐いた娘は、

「こ、こんな風に、いつも言葉選び間違えちゃうから、あまり話せなくて」

途端におどおどと指先を合わせる。

研究者気質、なのであろう。

狸擬きは獣らしく辺りを見回し、我も耳をそばだてれば。

(人の声に警戒し、早々と逃げている獣が多いの)

緩い斜面で立ったまま休憩し、更に上へ向かうと、まだ息が白くなる。

「……」

(おやの)

遠く、離れた場所。

娘の視線もあるから、まじまじとは(うかが)えないけれど。

(狼であるの……)

1頭。

色は灰色、四つ足は白。

あまりに遠く、気付いているのは我と狸擬きくらいであるか。

その狸擬きも、すっとぼけて先をうろうろしているし。

「あ、こ、ここから、湖が見えますよ」

振り返れば、昨日向かった湖が一望でき、雲から覗く陽射しが水面を照らしている。

平らな場所を探し、男が敷物を広げ、まだ岩肌に残っている雪を掬いコンロの上に置いた鍋に落として湯を沸かす。

狸擬きは、少し離れた場所で、大して美味しくもなさそうな葉を齧っては咀嚼している。

なかなかに獣のふりが堂に入ってるのと眺めていると、不意に対面にいる娘から、何か伝えられる。

「?」

「とても綺麗な髪と瞳だと褒められているよ」

おやの。

「お主の髪こそ、周囲から、羨望の眼差しで見られておるの」

木々の間から射し込む光に照らされれば、1本1本がその光そのものを纏ったように発光して見える娘の髪。

娘は、

「そ、そんな事、全然ないです」

私は猫っ毛だからと、耳の下で結ばれた髪の束を掴みかぶりを振りつつも、頬はほわりと薄紅に染まる。

そんな(むすめ)は男の淹れた珈琲を、我は続いて沸かしてくれた牛の乳を飲んでいると、

(のの?)

小さなリスが木から降りて来ると、娘の元へ近付いて来た。

何ならリスだけではなく、白い兎も、少し離れた場所でこちらをじっとこちらを窺っている。

こちらへ来ないのは、何となくでもなく、我を警戒しているためなのはうっすらと感じ。

娘は、

「わ、お出迎えに来てくれたの?」

慣れた様子で、リスの小さな頭を撫でたり、気付けば鹿の姿まで見えるではないか。

「動物に好かれるのですね……」

男が驚いた様に口を開いたのは、我に気付いた獣が死に物狂いで逃げる姿や、時には出会い頭に悪態を吐かれるからなのも多分にありそうだ。

「は、はい。どうしてか、その、少しだけ」

娘は謙遜しつつもはにかみ、膝に乗った2匹のリスに、鞄から取り出したビスケットを与えている。

「で、でも……」

でも?

「と、鳥さんにはどうしても嫌われてしまうみたいで、懐いてくれないんです」

少し寂しそうに空を見上げる。

(ふぬ?)

鳥を使役する人間は多いし、郵便鳥も数多く存在し、多くの鳥たちは人の言葉も理解し、上手く共存している。

それでも、鳥に関してだけは、郵便鳥でもそこいらを飛ぶ野生の鳥も、こんな風になついてくれないと。

ぬぬん。

(謎であるの……)

それでも。

鳥以外の獣が惹かれる何かが、この(むすめ)から滲み出ているのか。

我は意図せずとも敵意や警戒されるばかりであることを考えると。

(よいの、よいの)

大変に羨ましい。


あまりの羨ましさでむぅと唇を尖らしていたけれど。

「無条件に惹かれる」

それに似た言葉を、どこかで聞いた気がする。

ぬぬ?

どこで。

いや、誰であったか。

くるりくるりと頭の記憶を探ると。

そうだ。

(……水の街の栗毛の母親であったかの)

あれは、獣ではなく、人であったか。特に人の男を惑わすフェロモン的なものを、本人の自覚なしに振り撒いていた様子だけれども)

あれと似たようなものなのであろうか。

「フーン」

辺りをウロウロしていた狸擬きが、もさもさと戻ってきた。

そして、

「……」

立ち止まればおもむろに我と娘を見比べ、

「おやの」

我に寄り添ってくれた。

小動物に囲まれる娘に対し、我は避けられる一方であるからの。

そんな主を、気の毒に思ったのであろう。

ぼてりと我に引っ付くように横たわる狸擬きに、

「……あなたは、来てくれないんですね?」

その娘の呟きは、そう残念そうでも、寂しそうなものでもなく。

(……?)

なんぞ。

笑みの浮かばない、かと言って不満そうでもない。

ぬぬ。

そう、あれである。

(観察、経過を冷静に見定めている顔であるの……)

じっと無表情に狸擬きを見つめていた娘は、我等の視線に、

「あっ……!えと、や、やだ、またやっちゃったっ……」

ごめんなさいと、束ねた髪を掴み、顔に押し付けるように俯く。

「わ、わたし、こんな風に、何でも、観察しちゃう癖もあって……」

観察。

その言葉に間違いない。

けれど。

決して、それだけではない。

娘本人が呟いた言葉。

「来てくれないんですね?」

目の前の娘の中では、狸擬きが自分の方に寄り添う未来を見据えていた。

まだ出会ったばかりの、他者の従獣が。

自分の許に寄り添うことを、確信していた。

「……」

顔を隠しながらも、小さく結ばれる唇。

きっと、この(むすめ)にとって、小さな自信でもあるのだろう。

動物に好かれることが。

鳥たちには好かれずとも、この物珍しい獣も、自分に懐くと思っていたら、どうやらそうでもない。

娘からしたら、やはり面白くないのであろうか。

その割りに、大きく不満そうな顔は見せない。

淡々と、その事実を受け入れ、噛み砕いている。

大きな鳥が山の上を飛んで行き、瞬時、影が出来た。

狸擬きの前に飲みかけの牛の乳を出してやると、もさりと起き上がり、前足で持たずに器に鼻先を突っ込んでいる。

男が娘に懐く獣たちの姿をスケッチし、休憩を終えて更に上へ進んで行くその間も。

灰色の狼は、我等が山を降りるまで、付かず離れず、ずっと我等のことを窺っていた。


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