135粒目
その娘は。
聞いていた通り。
癖の強めの美しい“ホワイトブロンド”象牙色の前髪で、緑の瞳を隠している。
後ろ髪は長く腰近くまであるものを1つ結びにし、綺麗な髪色をし、せっかく洒落たワンピースを着ているのに、そのワンピースも着せられている感が強く、お洒落にはとんと関心がないらしい。
大変に小柄であり、ちらと覗く丸い瞳や小振りな唇は小動物を連想させ。
赤毛の母親のことも、小動物と形容したけれど。
この目の前の小娘と比べると、あちらは俊敏な小鹿。
この娘こそ、リスやネズミなどの、小動物の名に相応しい印象。
小さい身体を更に縮め、おどおどと指先を落ち着かなさげに組んでいるから尚更。
多くの人間から見て、脅威とは真逆に位置する庇護欲をそそるであろうその姿は。
それでも。
緑色の瞳から放たれる、好奇心と言う名の輝きは隠せず、視線は特に、我と狸擬きを忙しく行ったり来たり。
その娘の父親は、華がある、とは聞いていたけれど。
なるほど、例えるならば劇団で主演を張るような濃い顔をしており、年を重ね少し肉が付いていても、堂々と構える男には、それがまた新たな魅力になりえている。
娘が受け継いだ緑色の瞳も肌艶も、いきいきとしている。
我等のいる、村の診療所。
大きな2階建ての建物は、険しい群青色の山を背に、でんと鎮座していた。
我等のことは、
「優秀な調査隊の方にお会いできて光栄です」
表向きかもしれないけれど、組合とは違い、物珍しい客人として歓迎され。
「調査隊」
の言葉を男は否定せず、診療所とは違う2階の住居へ向かう扉から階段を上がると客間に通され、家政婦と思われる簡素なワンピースにエプロン姿の女が、お茶を運んできた。
父親に勧められたソファに我を座らせ、隣に腰を降ろした男が。
浮かべていた仕事用のその笑みを、微かにひきつらせたのは。
(おやの)
狸擬きが、獣のふりをしているからであり。
そう。
狸擬きはソファに飛び乗らず、我等の足許に四つん這いになり、家政婦の手に寄って目の前の床に置かれた水を、舌を出しておとなしく飲んでいるのだ。
なんと。
(これはこれはであるの)
仄かに緊張を見せる男に対し、我は、
「獣でござい」
と言わんばかりの狸擬きに、笑いが漏れそうになるのを堪えるのが大変である。
男の出した、青の国の大学の名は、ほんの一度だけ、名前を聞いたことがあると、父娘は頷き合う。
遠い遠い小さな国。
名前を聞いたことがあるだけでも凄いことだ。
「狼の研究が盛んだそうです」
男のそんな話に、
「そ、そうなのですかっ!」
おずおずと落ち着かなさげに父親の隣に座っていた娘は、途端に前のめりになっている。
我が男の裾を摘み口を挟めば、男は、
「あぁ、そうだった」
とさも失念していた体で、
「山の獣たちを守ろうと、山への立ち入りをやめたそうです」
「ま、まぁっ……!!」
今度はソファから跳ねる勢いで反応し、翠玉色の目を忙しく瞬きさせ、きらきらと潤ませている。
今、我のいるこの世界。
情報は、とみに遅い。
例え口伝てに本当の話が。
そう、
「青の国は、積極的に狩りを“行う”声明を、組合が上げ始めた」
ことが耳に入ったとしても。
少しばかり前に、その国に立ちよった我等から目の前で伝えられる、しかも自分たちに非常に耳障りのいい話なら、信じないわけがない。
「小さな国の国民の総意ですよ」
とりあえずそんな話ですり寄ろうと決めたのは我であり。
「はぁっ……す、素晴らしいです……っ!」
大きな感嘆の吐息を漏らすのは娘。
父親も、大きく頷くと満足気な表情で珈琲を啜る。
「青の国などへは、行ってみたいとは思わないのですか?」
男の問いかけには、
「き、気持ちは大きいです。でも、まだまだ、大学の研究だけで手一杯なので」
両手を広げた小柄な娘は、
「で、でも、獣を愛する国同士、仲良くなりたいですっ」
胸の前で指を絡め。
「……あ。す、すみません、興奮しちゃって」
我に返り、途端に小さくなる。
「全く、娘は好きなことになるとこの通りです」
父親が、それでも可愛くて仕方ないらしい娘の肩を抱く。
うつむきがちに、はにかむ娘。
そんな仲睦まじい2人に、
「最近、大型の熊の討伐があったと聞きました」
男が、懸念する顔を浮かべ。
「えぇ、えぇ。餌が不足していたのか、こんな人里にまで降りてきてしまい、国の方が動いて、ハンターを雇ってくれたんですよ」
父親が、整えられた太めの眉を寄せる。
「この村は、街の人たちの避暑地でもあるので、早めに対処しておきたかったのでしょう」
緩くかぶりを振り。
娘は複雑な顔で溜め息を吐くと、
「そ、早計過ぎますし、大袈裟だった気がします」
不満そうに唇を尖らす。
いや、大袈裟ではないだろう。
男共々、顔には出さぬけれど。
村の様子はどうだったか、しばらくは山への立ち入りが禁止になっていたなどの話を父親から聞いていると。
娘は、ちらちらと狸擬きに目を向けている。
「……」
それに気付いた狸擬きが、脚の短いテーブルを迂回して、トコトコと娘の元へ向かい。
「あぁ、とっても可愛い。ふわふわだし、とっても綺麗な毛並み」
娘がソファから立ち上がり、足許にやってきた狸擬きの背中に触れれば、狸擬きはおとなしく撫でられながらも。
「……」
何かを、じっと探っている。
一見、目を細めるその顔は、撫でられることに心地よさを覚えている様に見えるけれど。
男は、この診療所に運び込まれた討伐隊のことも、治療に関しても、何も、ただ一つとして聞かなかった。
そして、診療所兼この親子の自宅を暇する間に。
我等が優秀な調査隊だという、とんでもない嘘っぱちを、やはり否定することもなく。
「花の国と呼ばれる国から依頼されて、山にいる動物たちの種類や生態を調べたりしているんです」
寧ろそれに乗っかるような嘘まで吐いていた。
氷の島にトナ鹿なる獣がいる、角が鋭利でとても凛々しいと、娘が喜びそうな話を聞かせ。
その娘は、
「や、山の動物たちは、みんな可愛いです。あ、是非、湖にも行ってみて下さいっ」
くぐもった声でも、一生懸命伝えてくる。
この国は、
「湖がたくさんあるんです。娘は大学で、より川へ湖へ流れても、水辺の生き物の負担にならない石鹸の研究もしているんです」
狸擬きの前に屈んだまま照れた様にはにかむ娘は、
「あ、あの」
「?」
「わ、わたしでよかったら、湖へ案内しますっ」
と人見知りであろうに、初対面の我等に、そんな提案をしてくれた。
父親も、驚いて目を見開いている。
「いいんですか?」
男の遠慮がちな返事にも、
「は、はひ」
コクコクと頷く。
男が、村に適当な宿はあるかと訊ねれば。
宿は幾つかあるけれど、旅人は山の近くで野宿も珍しくないと。
「街とそう離れていないお陰でもあるのですが、食事なども街と同等のものが出されるため、少々高くなってしまうんです」
旅人や行商人はあまり泊まらず、宿に泊まるのは、行楽目的で来た者たちが多いと。
逆に言えば、野宿でも全く怪しまれることもない。
村に着いて知ったことだけれど、ここは村、村と言われる割りに、そこいらの辺鄙な街よりも店も建物も多い。
「お、お父様」
「ん?」
「こ、この春から新しく別荘をお貸ししようってお話がありました」
父親は、
「あぁそうだ、そうだ」
パンッと大きく手を叩くと、
「村に建てられた別荘を、持ち主が使っていない間に旅人の方に貸し出そうと案が出まして、すでに何軒かの持ち主が手を上げてくれているのですよ」
条件は掃除と、酷い模様替えなどをしないこと。
別荘の管理者がいるため、掃除も適度に行われていると。
「小さなお子さんもいるようですし、山の近くより安心でしょう」
父親が診療所を開ける時間になり、和やかに見送られた。
父親に教えて貰えた厩舎も兼ねた別荘の管理所では、
「あぁ、先生の紹介なら、すぐにお貸し出来ますよ」
診療所から案内されたの一言で、背筋の伸びた白髪頭のじじに、別荘の1つに案内された。
じじは単騎で先を進み、狸擬きは羨ましそうな顔。
どの建物も山の方を向き、庭も大きく、馬小屋のある別荘も珍しくない。
「出入りが多いなら、馬の干し草だけこちらからお渡ししますが」
借りられる別荘にも、馬小屋が建てられていると。
「お願いします」
案内されたその建物は、他と比べると小さく感じるけれど、中に入れば、
「デカいな」
「の」
「フーン……ブチュッ!!」
埃に反応した狸擬きのくしゃみ。
「あぁこれは失礼、そろそろ掃除をしようとしていた矢先でして」
狸擬きの鼻にハンカチを巻き付けてやると、
「ムーン」
先にトコトコと歩いて行く。
床にはうっすらと肉球の足跡。
まずは掃除からと、男にエプロンと三角巾を付けて貰い。
あの赤毛一家の住んでいた街の、へっぽこ組合から案内された貸家は、掃除が楽だったのと思い出すくらいには、別荘は広く大きく。
しばらくして干し草を運んできてくれたじじは、
「時期になる前に、村の子供や若者に掃除の仕事を頼むのですよ」
子供たちはお小遣い稼ぎが出来ると。
「この馬たちはどちらから?」
遠い岩の街と呼ばれる厩舎からと男が答えるのは、別荘の庭先。
掃除は使う部屋だけにしようと早々と諦め、庭に置かれたテーブルにコンロとカップを持ち出し、じじを誘ってお茶。
狸擬きは、馬と共に庭を駆け回りはしゃいでいる。
「なんとも、とてもいい馬たちですな」
「貸し出してくれた方からも、頑丈だとお墨付きは貰っています」
「ううん、頑丈とは、年若きレディに失礼ではないですかな?」
じじに窘められ、失礼と肩を竦める男。
じじにとって、あの頑丈で丈夫で自身を鍛える事が生き甲斐の脳筋馬たちは、可憐なレディに見えるらしい。
しっかりして見えるけれど、耄碌しているのか。
出発前に蹄鉄を変えた方がいいとじじに指摘され、そういえばいつぶりだったかと思う。
じじが、
「何かあったら遠慮なく声をかけてくれればいいよ」
と帰って行き、じじがいるために茶が飲めなかった狸擬きに、紅茶とビスケットを出してやり。
「フーン♪」
馬たちは、今は仲良く山を眺めている。
何か見えるのだろうか。
村では、山の方で天幕を張り自炊のつもりだったため、街の方で食材はたんまり詰めて来たけれど、村の方もわりと店も多く、不自由は無さそうであり。
埃にまみれたエプロンを外しドレスを着替えていると、窓から、トコトコと馬車が走って来るのが見えた。
「?」
あの先刻会ったばかりの、家政婦が運転する馬車には、診療所の父親と娘。
「娘が、あなたたちを湖に案内したいとうるさくて」
「お、お父様っ、私は、いつがいいでしょうかとお父様に訊ねただけですっ」
娘は、あの賑やかな3人娘の様に、我の男に一目惚れをしたわけでなはなく、純粋に湖を案内したいらしい。
狸擬きは、ビスケットを与えたお陰か、ご飯ご飯とそううるさくもないため。
「お願いしようか」
「の」
父親は、自分は仕事があるから一緒に行けないと残念そうに娘を軽く抱き寄せてから、家政婦と共に見送ってくれる。
いつもならば、馬車には、男、我、狸擬きと少し片寄った乗り方をしているけれど、今日は、我、男、狸擬き、娘で馬車に乗り。
娘の案内で湖の方まで走りつつ。
山から、ふわりと雪の匂いに混じり春の風。
「こ、これから向かう村に一番近い湖が、お隣の国と境にある湖の次に大きな湖なんです」
狸擬きの背中を撫でながら娘が教えてくれる。
狸擬きは、やはりおとなしく身を任せている。
娘は、人には人見知りするくせに、獣には距離を詰めるのが滅法早い様子。
段々と建物もなくなり、それでも馬車がすれ違える程に木々が切り拓かれた先に。
「おぉ……」
「おっきいの……」
山に囲まれた澄んだ湖面は、しかし奥は靄が広がり先は見通せない。
馬車から降り、我は黄色い花の咲く湖畔を狸擬きと駆け回っていると、男と娘は馬車の前で楽しそうに話している。
そんな2人から適当に距離を取り、やがて疲れた振りをして立ち止まり。
「どうの」
もさりと隣に立つ狸擬きに訊ねれば。
ちゃぱりちゃぱりと波打つ水面は、曇のまだらな空を映している。
「フーン」
獣のふりは面倒ですと狸擬き。
そう。
「なぜお主は、獣のふりをした」
いや、獣ではあるのだけれど。
「フーン」
何も、獣の勘です、と。
ふぬ。
獣の勘は侮れない。
「フーン」
賢さを自負するこのわたくしでも言語化は大変に難しく、ただあの場では、ああ振る舞った方が最善だと直感に従った次第でありますと、じっと我を見つめて来た。
焦げ茶色の丸い瞳で。
それは。
まぁ賢さ云々はさておき。
「お主にとっての最善なのか、我にとっての最善なのか」
「フーン」
どちらも、と狸擬き。
では。
「お主は、あの人間たちに、何を感じたのの」
「フゥン」
人の社会の中では恵まれた、比較的高い地位と環境にいる人間だと感じましたと。
「そうの」
細やかに補修のなされた立派な建物に庭。
しかと華のある堂々とした身形のいい男に、一方、おどおどした人見知りする娘。
しかし娘のその着ているものは、街を歩く娘たちの様な素朴なものではなく、質のいい生地で仕立てられたワンピース。
父親も、仕事着であろう白いシャツのボタン1つ取っても凝ったものであり、懐の深そうな品のある物腰。
幼き頃に父親を亡くした組合長の姉にとって、年こそ若干離れているものの、あの自信に満ちた男を慕い傾倒するのも、無理はないと思えた。
その父親の撫で付けられた髪は、まだ艶々した栗皮色をしていた。
離れた場所から眺めても、尚美しい娘の象牙色の髪は、母親から受け継いだ色であろうか。
「……」
討伐された熊の異常な行動の理由は狸擬きに頼るとして、あの娘の方は、どうやって探るべきか。
なぜ。
どうして。
一体なんの薬を、母親に飲ませたのか。
人ならざるものを見極める薬なのか。
さすればあの吸血鬼も、赤毛の母親と対面すれば、母親に短剣を向けられたのか。
あの診療所に忍び込むのは最終手段であるけれど、その可能性も、僅かばかり出てきた。
薬の知識など1つもないけれど、化け物の我と狸擬きの舌があれば、ほんの一舐めでもしてみれば、何か解るのではと甘いことを考えているのだけれども。
「……」
あの父親と我の男は、見た目の作りも生い立ちも性格も、全く違う。
あの娘に、我の男を慕わせる様に仕向け、何か聞き出すのは難しいかのと、狸擬きの頭を撫でてみるも。
(……ぬぬん)
例え娘が男を慕ったとしても、それは我自身が大変に面白くないからやめておこうと、我は、自身の心の狭さに、失笑するしかない。