130粒目
男が浮き島の話題を出してみれば、
「はいはーいっ!私、見たことありますよ!」
メモを真っ先に書いた娘が手を上がる。
(おやの)
「夜だったんで、見てる人は少なかったけど」
娘の見たその浮き島と思われる浮遊物は小さく、
「浮き島に何かあるんじゃなくて、何かの入り口なのかなって思いました」
入り口。
また面白い考えであるの。
話していたらあっという間に娘たちの出発の時間が来た。
馬車の乗り合い場まで見送れば。
「組合に伝言残してくれれば、必ず返事しますからっ!」
「私たちもなるべく急いで帰るので!」
「ご飯、本当に美味しかったですっ!」
髪飾りもありがとうと元気に手を振られ、そんな娘たちの乗る馬車が見えなくなるまで見送れば。
それでも娘たちの名残惜しさの余韻を強く感じ。
「お主はあやつらに好かれておるの」
むぅとしがみつけば。
「半分は食い気だと思うけどな」
男の苦笑いに。
「ぬぬん」
否定は出来ない。
我等は宿に帰りつつ、赤毛一家の修理屋を兼ねた住み処へ向かうと、父親が修理した馬車の車輪に、万能石を嵌めている所だった。
母親と息子は仲良く買い物らしい。
明日出発すると伝えると、
「もうですかっ?」
小さく飛び上がるも。
先を急ぐ用が出来ましてと男の言葉に、
「そうですか、寂しいですね……」
とても寂しそうに大きな溜め息を吐いて肩を落としてくれる。
それでも、嫁への依頼もいつも急であるだろうし、慣れてはいるのだろう。
馬車は不具合はないかと問われ、男が問題はないと答えている。
馬車には我の血札も底に貼り付けてあるし、あまり見られたくもない。
出発の前に挨拶に寄らせて貰いますと告げて借家へ戻る。
隣の国まではそう遠くないと聞くけれど。
「旅の楽しみは必要であるからの」
道中で摘まむ菓子を用意しなくては。
「フーン♪」
軽く片付けをしていた男が、
「……んん?」
水場の踏み台に立つ我の後ろを通る時、足を止めるほどに、
「ぬん、記憶違いではないはずなのだけれどの」
小鍋にどさりと落とされるのは、たんまりの砂糖とたんまりの練乳。
そこにバターに、余っていた生クリームも注けば。
「……ソースでも作るのか?」
怪訝な声。
「ファッジなるお菓子であるの」
「ファッジ?」
「の、この甘さの塊を煮詰めるのの」
15分程度、焦げ付かない様に絶えず混ぜねばならぬ。
「フーン」
自分もやりたいと狸擬き。
「底からこそげる様に混ぜるの」
「フーン」
とろりとした生地を、木べらでかき混ぜながらも、涎を垂らしそうな勢いで小鍋を覗き込んでいる。
「火傷するから完成まで我慢の」
狸擬きと交代しつつ鍋底をかき混ぜ、型に流せば。
「早いの」
少し待てば、冷蔵箱に仕舞わずとも、自然と固まった。
指で割り、
「ほれの」
すでに大きく口を開いて待機している狸擬きの口に放り込んでやる。
「フン?……フゥン♪」
舌の上でほろりとほろりと砕け、とても甘くとても美味でありますと、うっとり狸。
地図に何か書き込んでいた男の口にも運べば、
「……お。見た目より固くないんだな」
少し驚いた顔。
「疲れた時に効きそうだ」
ふぬ。
我も再び口を開いている狸擬きは無視して口に含めば、
「ぬぬ?」
百聞は一見に如かずとはこのこと。
見た目はキャラメルでも、口の中で塊はもろりとほぐれ、
「ぬん♪」
練乳と仄かなバターの風味、口の中に即席の幸せが訪れる。
「フーン」
もう一つ欲しいですと我のスカートの裾を引いてくる狸擬き。
「これは道中のおやつであるのの」
「フーンッ」
今も旅の最中でありますと屁理屈ばかり達者な狸。
「仕方ないの」
崩れた形の悪いものを放り込んでやり、
「♪」
残りは小瓶に分けて詰めて行く。
翌日。
大通りの前の赤毛一家の修理屋の建物の前に馬車を停めると、赤毛一家だけでなく、我等の出発を聞いたらしい、ふわふわ頭とサラサラ頭まで、見送りのためにわざわざ来てくれていた。
馬車から降りると、
「なぁなぁ、次はいつ帰ってくんの?」
と赤毛息子に呑気な顔で問われ、
「……んっ?」
男が赤毛の問いかけに、少し困った顔で、母親からの餞別の、なにやら性能がいいらしい万能石の入った袋を受けとれば。
「……ええと、まだ未定だな」
礼を言いつつ首を傾げる。
「みてい?」
息子はきょとんとした顔で、父親を振り返る。
(のの?)
どうやら息子は、我等があの借家に引っ越してきたと思い、この街を拠点に、また帰ってくると勘違いしていたらしい。
「えっ!?じゃあ、ここにはもう帰って来ないの……?」
「いや、そのうちに一度、彼女のいた土地に行きたいので、戻った際にこの街を通ることがあったら、是非ご挨拶させて下さい」
少し離れているけれど、我等の屋敷もあるしの。
「……」
今、初めて知る事実に茫然としてる赤毛に対し、
「森へ連れて行ってくれて、ありがとうごさいました」
「とっても楽しかったですっ」
と寂しげに笑いながらも、きちんと挨拶をしてくれるふわふわ頭とサラサラ頭に。
「餞別の」
我からは、昨夜のファッジを詰めた小瓶とスミレの砂糖漬けを渡す。
スミレの砂糖漬けはふわふわ頭の姉と、顔を合わせたことはないけれどサラサラ頭の妹にも。
「キャラメル?美味しそう」
「これ、絶対喜びますっ」
それは良かった。
赤毛の母親にも、一応。
「ほれの」
と砂糖漬けを渡してみる。
こんなんでも一応、外見だけは女であるしの。
母親は、
「こんなん腹の足しにもなりゃしないよ!」
と腹を抱えて笑うかに見えたけれど。
しかし、
「えっ!?あたしにもくれるのかいっ!?」
受け取ったスミレの砂糖漬けをしげしげと陽にかざして眺めた後。
「はぁぁっ!!女の子はやっぱり可愛いねぇっ!!」
砂糖漬けの小瓶を胸に抱いて身悶えた後。
「女の子もいい!!やっぱり今夜から2人目頑張ろ!!」
父親の腕をバンバン叩く。
聞きたくも知りたくもない頑張りの宣言された。
気まずそうに身体を小さくするのは父親。
男からは、少年3人に餞別として小さなナイフを渡している。
洒落た鞘に収まったもの。
扱い方は、彼女に聞いて欲しいと母親に丸投げ。
それでも母親は、
「はいよぉっ!あたしに任せな!!」
頼もしく何よりである。
「お世話になりっぱなしで、結局、何も返せずのままにお別れになってしまいました」
父親は酷く恐縮しているけれど、優しく面倒見と人のいい父親は、いつでも我等のことを気に掛けてくれていた。
怪しんですらいい我等を頼ることをしてくれ、我等を信頼し、子供のことも預けてくれたのだ。
男と父親が握手をしていると、
「な、なぁ、もう二度と会えないかもなの……?」
遅蒔きながら、やっと別れを理解したらしい息子の言葉に、
「旅人なんてそんなもんだよっ!!」
母親はカラカラ笑うけれど。
「だ、だって母さんは、いつでも帰ってくるじゃん!」
「そりゃあ私には、大事なあんたたちがいるからねぇ!!」
ふぬぬ。
なるほどである。
「旅人とはそういうものだ」
と理解している友人2人に対し、赤毛息子は身近に、肉親に旅人、冒険者がいるため、
「旅人とは二度と会えない人」
ではなく、
「旅人とは帰ってくるもの」
と特殊な認識をしていた模様。
お別れの間際でも、随分呑気に笑っているし、そこは母親似かと思ったけれども。
「え、やだ、やだよ。また、森に行こうよ」
また連れてってよと、途端に顔が歪み声が震え出し。
「なんだい、森でも他のとこでも、しばらくはあたしたちが連れてってやるから!」
母親が慰めても、
「兄さんたちも一緒がいいよぉ……っ」
声を上げてわんわん泣き始めた。
初めて対面したそこの小路でもそうだったけれど、子供に泣かれるのは、我等は、とても困る。
(ののぅ……)
そんな赤毛に釣られたのか、ふわふわ頭もサラサラ頭も、俯いて目許を拭ったり唇を噛んでいるし。
「まぁーったく泣き虫だねぇ、うちの息子はっ!」
誰に似たんだか!
と息子の肩を抱き寄せま母親は、父親を見上げ、
「はぁぁ……!あんたに似たんだねぇ!!」
大泣きする息子に釣られたのか、空を見上げて目を赤くしている夫に、さすがの母親も苦笑いしている。
「ま、なんかあったらさ、鳥でも飛ばしなよ。あんたたちには特に馬鹿息子が世話になったからねっ。一度だけは、他の依頼があっても、最優先で依頼を受けると約束するよ!」
おやの。
他国からも引っ張りだこであろう討伐隊からの優先権を貰えるとは。
「借りを借りっぱなしは嫌だからね!」
ニッと笑った母親は、
「それにさ、あんたたちにも解るだろ?あたしたちみたいなのはさぁっ!いつ」
と元気一杯に放っていた言葉を、
「……っとぉ!」
唐突に止め。
(?)
「……ええとそうっ、いつ冒険者をやめてもさっ、おかしくないからね!!」
アッハー!!
と額に手を当て、隣の父親が小さく溜め息を吐き。
(ののぅ……)
父親が、溜め息を吐く気持ちも解かった。
目の前のこの女は、
「いつ死んでもおかしくないからね!!」
そう言い掛けた。
冒険者や討伐隊の間では、お約束の様な、挨拶に近い言葉なのだろう。
さすがに愛息子の前では、自重出来たようだけれど。
それでも。
何があっても。
この女は、冒険者を辞めないであろう。
大事な夫と可愛い息子がいてもだ。
依頼が来れば、すぐさま、すっ飛んで行くのだろう。
「……またいつか」
「えぇ、お元気で」
馬車に乗り込むと、赤毛息子を除いた皆が手を振ってくれる。
赤毛息子は、父親の太ももにしがみつくように顔を埋めている。
小路で泣かれ、父親の元へ送った時と同じ様に。
「くふふ」
何とも。
最後まで、とても「らしい」ではないか。
昼前の、大通り。
そう人通りがないわけでもない道端で、
「可愛いあんたのお陰で、俄然2人目を頑張る気になれたよ!有り難うね!」
と大声で礼を言われ、さすがの我でも、若干いたたまれない気持ちにはなる。
この我でもそうなるのだ、男たちは、父親はもっと気まずいだろう。
「フーン」
半目狸。
母親の宣言に男も逃げるように馬車を出し、思わず笑ってしまうと、
「ありがとー!!」
赤毛息子の声が追い掛けてきた。
(のの?)
「全部、全部楽しかったーっ!!」
と。
「そうの」
幼き少年たちとの触れ合いは、少しばかり新鮮ではあった。
街を走る乗り合い馬車とすれ違いつつ、
「……」
あの別れ際の母親の、茶色い瞳を思い出す。
あの母親の目は、異常に良い。
その異常さのためか。
母親が言葉を止めた、あの瞬間。
我の、とかく浅い部分と、母親の異常さが、奇跡のように、端っこが共鳴した。
けれど。
それで交わることも、何かが変わることもなく。
ただ。
ただ、あの母親が。
自身が冒険者であり、冒険者である以上。
自分も、旅の途中で息耐えたいと、心の奥底で思っていることだけは、強く強く伝わってきた。
愛しい家族に看取られるよりも尚。
なんなら自分も、自分の両親のように、
「旅先で命を落とした」
のではなく。
いつまでも帰らない自分のことを、
「まだ遠くの見知らぬ土地を、楽しく気ままに旅しているのだ」
と、夫にも息子にも、そう思っていて欲しいのだ。
あの女は生まれながらにしての冒険者であるし、きっと、いつかその夢を、叶えるのだろう。
閑話休題
吸血鬼の紹介してくれた装飾品の店まで足を運んでみたけれど。
『仕入れのためしばらく休業』
の札が掛けられていた。
「ののん」
「フーン」
食べ物屋ではないため、残念ですねとさらりと流す狸擬き。
「そうの」
縁の有り無しの不思議。
縁とは、誰が、どんな風に決めているのであろう。
我自身なのか、そうではないのか。
解らぬものである。