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126粒目

「……母さん?」

どしたの?

と、訝しげに顔を上げて、声を掛ける息子。

「……」

母親の、その我から逸らさない強い視線と、柄に触れている指先。

男が我の手を握る手に少し力を籠めると。

「なぁっ、母さんっ、母さんってば!」

もどかしげに息子が声を上げると、

「……あ?……あ、あぁ?」

母親は、数度、パチパチと瞬きした後。

「具合でも悪いの?」

不安気な息子の問い掛けに、

「なんでもないよ、悪い、悪い」

柄から指を離し、大きく息を吐き出すと。

「なんだろうね……。んん、ちょっと疲れてんのかな」

無理やり笑顔を作った母親は、パンパンッと、強めに自身の頬を叩くと、

「全くダメだねっ、早くあんたに会いたくて早朝から馬車を飛ばして来たからね、少し寝不足だみたいだよ!」

再びニカッと笑みを浮かべ白い歯を見せ、我の隣でもさりと佇む狸擬きを見れば。

「あっは!!なんだい、その獣は!?」

毛量が凄いねぇ!あんたたち、随分と寒いところから来てるのかい?

と不思議そうな顔。

我はともかく、男は雪国出身の顔立ちではない。

続けて何か問い掛けようと口を開いた母親は、けれど仲間と思わしき男に呼ばれ、

「何ー!?ったくぅ、せわしないったらありゃしない!!」

ちょっと待っててな!と、息子に言い置き母親が行ってしまうと、息子は、そう寂しそうでもなく、

「あれがね、俺の母さん」

えへへと笑顔でやってきた。

「かっこいいお母さんだな」

男の感想に、

「だろぉっ!?」

母さんかっこいいんだ!と嬉しそうにその場で跳び跳ね、男に母親の話を聞かせている。

あの母親は、そう目立つ武器などは持っておらず、目に留ったのは、せいぜいあの腰に付けている短剣くらい。

狸擬きが、組合の前に立つ母親をじっと目で追っている。

「……何か解るかの」

視線を向けずにそっと問えば。

「フーン」

不甲斐ない事に、まだ何も感知出来ておりません、と小さく鼻を鳴らす。

それでも、今もじっと、瞳、鼻、耳の3感を研ぎ澄ませている。

獣である狸擬きすら難儀させる、母親のその、何か、は。

第六感、直感的なものか。

(……いや、違うの)

人間であれば、我を化け物と見抜ける者はそうそういない。

では、あやつは。

(何者の……?)

人外か。

「とにかく早く帰って旦那にも会いたいし、風呂にも浸かりたいんだから早くしてよねっ!」

とよく通る母親の声はこちらまで届く。

赤毛は、母親の馬車に乗って帰ると言う。

我等はせっかくここまで来たし、少し街を回ってみるつもりだと男が伝えると、

「うんっわかった!あんがと!また後で!」

少年は、母親の元へ走って行きつつも、振り返ってまで手を振ってくれる。

母親の、早く帰らせろの圧が効いたのか、そう待たずして、母親と息子の乗る馬車を先頭に、数台列なる馬車を、逆方向に向かう馬車もついでに見送り。

ざわざわしていた組合の前が、途端に伽藍とすれば。

「……」

男は、一見そうとは分からない作り笑いをしまいにした。

それでも、

「ちょうど昼になるな」

素の笑みを浮かべ、我を抱き上げてから、何か食べようかと辺りを見回す。

組合の前に馬車を置かせてもらい、

「フンフン」

本日もわたくしめが美味しいお店を見付けましょうと、歩く食い意地が先導し。

大通りを抜け、細い水路の橋を渡り。

人通りはそう多くない水路沿いの1軒。

店主と思わしき男が看板を出している店先へ、狸擬きはトトトと向かうと、

「フーン?」

もう店は開くのか人間、と訊ねている。

店主は、

「……うおっ!?」

と狸擬きの姿に少し驚いた後。

後からやってくる我等の姿に、あぁ旅人さんたちかと笑い、

「うちはね、スネ肉の煮込みが売りだよ」

愛想よく扉を開いてくれる。

小さな店は、昼間のせいか灯りも落とし、薄暗いけれど。

「肉は鍋に煮込んであるからな。すぐに出せるのも売りだ」

と本当にあっという間に、シチューとパンが運ばれてきた。

「パンは好きに炙ってくれ」

と皿に山盛り。

「ぬふん、トロトロの♪」

スネ肉のシチューは、男が炙ってくれた硬いパンによく合う。

「フーン♪」

「うん、うまいな」

皆でシチューをおかわりをすると、運んできた店主が、

「すまん、悪いんだが、ちょっと留守番頼めないか?」

とエプロンを外しつつやってきた。

「?」

「子供が熱を出してて、嫁が看病してるんだけど気になってな」

と、扉の向こうを振り返る。

初対面の我等に留守番を頼む、頼める平和な世界であり、街。

男が構わないと頷くと、

「客が来たら、店主はすぐに戻ると伝えてくれればいいから」

と出て行ってしまい。

残されたのは、2人と1匹。

おかわりも美味しく食べ切れば。

こじんまりとした人気のないこの場所は、内緒話にはうってつけであり。

「……彼の母親、あの彼女は、なぜあれ程に君を警戒した?」

我と狸擬きに視線を向けながら男が煙草を咥えたため、マッチを擦ってやる。

『あれは、あの人間本来の力ではありません』

と狸擬きが口を開いた。

おやの。

どうやら、当分客は来ないと見た。

男が、ちらと眉を上げる。

女の力ではない。

やはり、ただの人間では、我を人外だと察することは到底不可能。

しかし。

「ではあの女は、我に、何を見たのかの」

思い出せば笑える程に一触即発の臨戦態勢であったけれど。

『それはわたくしにも分かりかねます』

狸擬きは小首を傾げると。

『ただ、わたくしと主様、力の差は歴然とは言え、我等がそれぞれに山と森の“主”であることには違いなく。けれど、あの人間は、わたくしには何の反応も示しませんでした』

「ふぬ、そうの」

隣の男を始め、この世界の人間たちは、山や森の主の存在を、敬うことはあれど、忌諱すべき存在とは考えてはいない。

それは、あの母親も同じなはず。

では。

やはり、我そのものに、何かを感じた。

『あの女に元々あるのは、観察眼だと思われます』

観察眼。

『視力のいい鳥獣たちには到底及びませんが、元々の人間の持つ能力と合わせますと、相当に優秀な部類に入ります』

目か。

でも、あれは。

「ただの観察眼ではなかったの」

警戒、脅威、覚悟。

ろくな視線ではない。

『こちらも推測でしかありませんが、後天的、薬の様なものではないかと思われます』

薬。

「薬?」

黙って聞いていた男も、口を開いた。

『主様に“何か”を見ていたのはほんの僅かな間。一時的に、身体の力を跳ね上げる様なものではないかと』

それは。

「薬と言えど、森に生える毒キノコ的なものかの」

いや、人には万能薬となる白い花でも噛ったか。

『白い花は、通常の人間が飲んでも何も変わりません』

人間の身体には、あくまでも平常時を下回った時のみに効果を発揮するものだと。

ほほう。

『他の植物にしても、あの人間があそこまで“視える”状態になるには、嘔吐昏倒する程度に食べなければ無理でしょう』

ふぬ。

「では」

『人間の手で作られた“何か”かと思われます』

それを狸擬きは「薬」と称した。

ふぬぬ。

ならばそれは。

「“ドーピング”とやらに近いのかの」

「ドーピング?」

男が復唱し、煙を吐き出す。

「正式な試合の場などで、禁忌の薬を使い、一時的な身体能力などを上げる行為の」

男が眉を寄せる。

我のいた世界では、それなりにまかり通っていた行為であると伝えれば、天井を向いて大きな溜め息。

『推測が正しいとして、あの女は、それをどこで手に入れたのでしょうか?』

「そうの」

一瞬とは言え、我に「何か」が視えたらしい。

ろくでもないものが。

(ふぬん……)

あの母親に、どう訊ねればよいものか。

あの時。

あの母親自身も、酷く戸惑っていた。

何かが見えたことに戸惑ってはいたけれど、我を不審がる様子は見られなかった。

それもまた不自然ではある。

狸擬きは「推測」と言うけれど、ほぼ正解であるだろう。

あの母親の体内の薬?的なものの効果は、どれだけ続くのか。

今も飲んでいるのか。

薬の効能も気になる。

どこで手に入れたのかも。

隣の男も、じっと考えている。

しばし、それぞれの思考に沈んでいると、耳をピクリとさせた狸擬きが、

「フーン」

客の気配です、と鼻を鳴らす。

「おやの」

扉が開けば、扉の鐘が小さく鳴る。

客は老夫婦であったけれど、男の言伝てに、

「あらそうなのね」

「あぁ、ありがとう」

とニコニコと頷き合い、カウンターへ向かう。

常連なのだろう。

少しして店主が戻った来た。

「悪い、悪い。嫁にも早く戻れって怒られたよ」

と頭を掻くけれど、

「子供の熱も下がって、もう大丈夫そうだった」

そして、留守番のお礼だと、少しまけてくれた。


その後。

我等は、隣街の借家へ戻りながらも、あの母親には、どう切り出すかと長々と話し合った。

立場的には、この街どころか、国からしても、地位も信頼もある母親が数段上である。

下手なことは出来ない。

する気もないけれど。

男は特に我の事を考え、とんと慎重になり、我の案にはあまり賛成もしてくれず。

結局、答えは出ずに向かえた翌日は早朝。

「ハァーイッ!うちの馬鹿息子が思った以上に世話になってたみたいだねっ!!」

と朝も早くから、そう、小鳥がやっと(さえず)りだす時間に、赤毛の母親が単体で押し掛けてきた。

ろくに鍵も掛けていない我等も悪いけれど、母親の声に飛び起きた男が、我を抱えて階段を降りると。

母親は笑顔でズカズカと中に入ってくるなり、大きな布袋に詰まった大量の芋を床に、ワインを3本、テーブルにドカドカ置かれた。

「フンッ♪」

母親の襲撃に男と同様に飛び起き、モダモダと我等に続いて階段を降り、ふらふらと寝ぼけ眼だった狸擬きは。

しかし、ワインの瓶を見るなり途端に目を覚まし、

「フーン♪」

気が利くではないか声のうるさい女、と母親の周りをくるくる回る。

母親は、寝巻きの我等に、

「なんだい!?旅人の癖にずいぶんと寝坊助だねぇ!?」

何がおかしいのか、アッハー!と声を上げて笑う。

「冒険者ではないので……」

我を抱っこしたままの男が、袋の中の芋の量に驚いている。

「向こうの土地でももて余すくらいあるからって、タダで貰ってきたんだよ!」

向こうの土地。

西ではなく、更に先。

「あっちはね、奥は山だよ、山!!名前からして奥山岳だからね!」

狸擬きは母親の周りを回る足を止め、両手に腰に手を当てる母親を、今度は足許から観察している。

我も、男にしがみつきつつ母親を注視するも。

(……何も感じないの)

無論、母親からの警戒の視線も感じない。

男が、

「珈琲を淹れますが……?」

と一応形だけ誘うと、

「飲む飲む!!」

勢いよく椅子を引いてどかりと腰を降ろした。

(ののぅ)

男は我をクッションを重ねた椅子に座らせると水場に立ち、狸擬きは芋の入った袋に鼻先を寄せ、

「フーン」

知らない土地の土の匂いがします、と母親の隣の椅子に飛び乗る。

「……あんた、何て言う獣なの?」

「フーン」

わたくしめは、人間たちには狸と呼ばれている生き物だ、声だけでなく動作もうるさい女、と答える狸擬きに。

「へー!!私はね、改めてだけど、あの馬鹿息子の母親だよ!どうせあんたも、物珍しさで息子に絡まれて大変だったでしょ!ごめんね!」

笑顔で謝りつつ、狸擬きに右手を差し出している。

「フーン」

そうでもない、と狸擬きが右前足を差し出せば。

「何!?あんた、握手も出来んの!?はーっ!?よーく仕込まれてるねぇ!!」

先に右手を出したのはお主であろう。

狸擬きの前足を握り、ブンブンと振った後は、

「あんたもさぁ!風変わりなお人形さんみたいだねぇっ!!」

対面に座る我を、じぃーっと、無遠慮にも程がある視線で見つめてくる。

不快にならないのは、その表情にも言葉にも、悪意も嫌味もないため。

あるのは、ただ強い好奇心。

(ぬぬん)

女は、自身の好奇心が満たされるまで我を眺めると。

「はぁーっ!!やっぱり女の子も可愛いねぇ!2人目頑張ろうかなぁ!!」

と、今度は大袈裟に身悶えてみせる。

どうやら恥じらいは山か川にでも捨ててきたらしい。

身悶えながら、ハッとし、

「あっそうだ、あんたもだよ!うちの馬鹿息子に、何か失礼なこと言われたりしてないっ!?」

平気である。

ただ一方的に謎に怖がられただけである。

「もししてたらね、いや、あのアホのことだ、きっとしてるだろうからね!帰ったら私が力一杯に叱っとくから!ごめんね!!」

(ののぅ)

息子はとんだとばっちりだ。

まぁ常日頃の行いのせいと思えば仕方ない。

「うちはもうねぇっ、なんせ父親が甘いからさぁ!」

と腕を組み、全くもうさぁっ!と溜め息を吐くけれど、あの父親は、大概に常識的な人間である。

少なくとも、早朝に人様の借宿にズカズカ押し掛けて来るお主よりは。

初めてこの女の住み処でもあるあの家へ行った時。

女手の気配がないと思ったけれど、我の勘は正しかった。

確かに、見た目こそ女ではあるけれど、これは中身は男だ。

それはともかく。

旦那は別として、大事な息子は放っておいていいのか。

「平気、平気!!夜に気の済むまで喋らせたからね!満足したのか親子揃ってまーだ寝てるよ!」

我等もまだ寝ていたのだけれども。

男が珈琲と、我と狸擬きには、甘いカフェオレを淹れてくれた。

「んーいい香り!!」

朝から贅沢だねぇ!

と、湯気に目を細め。

男が煙草を差し出すと、

「あー貰う貰う、家では吸えなくてさぁ!」

あの父親は、煙草の香りが苦手なのだと。

珍しい。

そう言えば、男が勧めた煙草も遠慮していた。

奥ゆかしいのではなく、吸えなかったのか。

そして、こんな女に。

男も、遠回しな問いや気遣いは無駄だと察したのか。

男が直球で、

「失礼ですが、最近、薬や、それに類するものを飲んでいませんか?」

と、控え目に煙を吐き出してから問うと。

「薬!?あぁ、飲んだ飲んだよ!何!?あんたたちも会ったの?」

と、かくもあっさり返事が来た。

(会った?)

それも気になるけれど。

男は、自身の単刀直入な問いに対して、予想以上に直球な答えが来たため、

「……ええと」

たじろぐのは男の方。

「その、何か。薬の匂いがしたと、……彼女が」

男が躊躇したのち、小さく呟く。

男と話し合って、問われた時にこの返しは決めていた。

男は無論、渋っていたけれど。

我の異質な見た目は、こんな時には、非常に役に立つのだ。

「変なものが視える、感じる」

などと(うそぶ)いても、

「この見た目だし、あってもおかしくない、いやさもありなん」

で納得されるし、特に我の紅い瞳は、このまっすぐな黒髪よりも、遥かに異質。

そして。

柔軟を越えて何でもありの考えの冒険者なら尚更に。

「はぁー!?そうなん!?凄いねぇ、あんた!!」

と、母親は前のめりに我を見つめてくる。

それでも。

こんな風に改めて我を見つめても尚。

目の前のこの女は、今も身に付けている腰の短剣に、手を、指先を触れることはない。

母親は、その小柄な身体を、再びどかりと背凭れに凭せかけると。

「いやぁさぁ、討伐の終わりに仲間が怪我しちゃってね。村に診療所があって、そこに駆け込んだんだ」

しばらく絶対安静だと(それでもたった5日)、仲間がベッドにくくりつけられたため、母親たちはその間、村で、主に力仕事を手伝いつつ、診療所を営む男の家に世話になっていたと。

「そこでさ、よーく効く薬作ってるってのが、そこの娘だったんだよ」


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