123粒目
翌朝。
せっかくいい天気だしと、テラスに寝室の小さなテーブルを出し、赤飯おにぎりとスープでの朝食後。
カフェオレを淹れて運び、2人と1匹、並んでぼんやりしていると。
「フーン?」
少し離れた場所から、カツカツと何か、硬いのものが当たる音が聞こえますと狸擬き。
我より好奇心旺盛な狸擬きは、耳をピクピク傾けている。
我も耳を傾けてみるも、
「……?」
(不規則……何か、弾かれる音であるの)
機械などではない。
音は修理屋の方から。
男に伝えると、
「なんだろうな?」
片付けもそこそこに行ってみると、
「フーン?」
赤毛の息子と無謀にも森まで行こうとしていた悪友と思われる少年2人が、小路の先、修理屋の前で独楽を回していた。
「ほうほう」
この世界にも独楽があるのか。
軸は金属。
投げ独楽だったか、喧嘩独楽だったか。
大きな厚手の木の板が地面に置かれ、板は中心に向かい丸く浅く抉られ、何度も擦られたり埋められた跡がある。
紐をくるくる巻いた少年たちは、何か声を掛け合い、同時に独楽を投げている。
1人は茶色のふわふわ頭、1人は金髪のサラサラ頭。
「フーンッ?」
何をしてるのだ小僧たち、と狸擬きがテンテコ駆けていくと、
「ん?……うわぁっ?」
「……ひぇっ!?」
2人とも、突如現れた見知らぬ獣の姿に飛び上がるも。
「フーン?」
狸擬きは、少年たちには見向きもせず、激しく互いを弾き合う独楽たちに、鼻先を寄せ、じぃっと見入っているせいもあり。
「……あ、これ?これはね、コマだよ」
「コマ同士が弾き合って、飛ばしたり倒した方が勝ち」
と親切に教えてくれている。
建物から赤毛が出てくると、遅れてやってきた我と男に気付き、
「あ、兄さんたちじゃん」
我等の姿を見ても、怯えることもなく。
男の、
「そんなコマもあるんだな」
興味深げな表情に、
「うん、父さんのお下がりだけど」
「僕も」
「僕は持ってなくて買って貰ったんだ」
それぞれ、年季の入ったコマと新しい独楽を我等に見せてくれる。
皆、紐だけは新しくしている様子。
赤毛が、
「この中で俺が一番弱いんだぁ」
と笑いながらコマに糸を巻き始める。
「お主は知っておるのの?」
男に問えば、
「いや、俺のところは、もっと丸くて、指で捻るものしかなかったな」
軸も、金属ではなく木だったと。
(ふぬぬ)
「だいぶ違うの」
子供たちの独楽をじーっと眺めていた狸擬きは、
「フーン」
自分もこれで遊んでみたいですと、こちらを振り返ってきた。
「探してみるかの」
おもちゃ屋にあるのかと思案していると、
「あの、えっと、君も、遊んでみる?」
金髪のサラサラ頭が、我に独楽を見せてくれた。
「のの?」
紳士ではないか。
「ありがとうの」
遊ぶかは別として、手に取らせて貰おうと受けとると、
「フーン」
狸擬きが2本足で立ち、自分も触りたいと、ぬっと前足を伸ばして来た。
ぎょっとする少年2人に対し、もう何も驚かないと悟った様な表情をするのは赤毛の息子。
我は大人なので、男伝に許可を取り、狸擬きに又借しをしてやれば。
「フーン♪」
まじまじと眺めてから、おもむろに板の前に立った。
なんと。
独楽の転がし方も知らない癖に図々しい。
それでも、親切なふわふわ頭が、
「あ、ええとね、この上の棒に紐をひっかけて」
「フンフン」
「下の棒の方から巻いて、コマに巻き付けていくんだよ」
丁寧に教えてくれる。
「フンフン」
「あ、そうそう、上手だね」
狸擬きが、少年たちに教わりながら慎重に独楽に紐を巻き付けていると。
聞き慣れぬ声を聞き付けたのか、
「?……あぁどうもどうも、いらっしゃい」
赤毛の父親が、建物からぬっと顔を覗かせ、我等の姿に笑顔を見せてくれた。
男が、野菜の礼を伝えつつ、父親と何か話しているのだけれど。
通訳となる狸擬きが、
「投げ方はね、紐の先を指の間に……指?」
少年の言葉を、独楽の遊び方を我に伝えてくるため。
「フンス」
我の聞きたい大人2人の会話が聞き取れない。
「フーン」
爪があるから平気だと引っ掻ける狸擬きに、
「あ、凄いね。そしたら、こう、横にね、板に向かって、……投げるっ」
少年の独楽が飛べば、糸も流れるように伸び、独楽は板の上で高速で滑り出し。
「フンッ!?」
と驚く狸擬きも、早速、短い前足を大きく振り、
「フーンッ!!」
投げてはみるものの。
独楽も糸も、緩い放物線を描き。
独楽だけは、何とか土俵に乗りはしたものの。
「フン?」
ふらふらとおぼつかない独楽は、あっという間に、先にくるくる回っていた独楽とぶつかるなり、見事に弾き飛ばされた。
「フーンッ!?」
狸擬きが2本足のまま飛び上がり、笑いが弾ける。
「お主は、まずは投げる練習からであるの」
「フーン」
狸擬きが素振りを始め、
「君もやってみる?」
ふわふわ頭が、独楽を差し出してくれたけれど。
(ぬぬん)
気持ちは大変に嬉しいけれど、我が独楽を持っても、ろくなことにはならないのは、火を見るより明らか。
我が独楽を回せば、独楽はそのまま自由を求めて空を飛んで行く未来しか見えず。
気持ちだけ受けとると伝えたいけれど言葉も通じぬ。
男を振り返れば、
「……」
男にも、やはり独楽が大空へ飛んで行く未来が見えたのだろう。
もしくは我が投げた独楽が石壁にめり込む映像か。
どちらにせよ、我に独楽を持たせてはいけないことは想像に難くないことは察した様子。
上手い理由を付け、少年に礼を伝えてから、我を抱き上げてくれた。
少年たちは、獣とは言え新しい闖入者のお陰で、どうやら盛り上がってる。
父親はそそくさと仕事に戻り、狸擬きが何とか少年たちと、赤毛と互角の勝負が出来るようになった頃。
昼の鐘が鳴り、少年2人は、手を振りながら帰って行った。
我等も貸し家に戻りながら、昼はなくてもとよいかのと話していたのに。
「フーン」
遊んだらお腹が空きましたと、腹時計を鳴らしてくるのは狸擬き。
これから用意すれば、我も男も空腹を感じそうだ。
アスパラを焼いて薄い燻製肉も焼き、卵は茹で、癖の少ないチーズと蜂蜜を合わせる。
狸擬きが楽しそうに卵をテーブルに叩き付けては、殻を剥いている。
「の?赤毛の母親は、冒険者のの?」
男が、赤毛の父親から聞いたと教えてくれた。
「そうらしい」
なんと。
母親は死別でも離婚でもなかった。
「もうすぐ帰ってくるとも聞いたよ」
逞しいの。
少し固いパンを焼いて、アスパラと燻製肉、卵は潰して塩っ気の強いチーズと共に挟み。
蜂蜜と柔らかいチーズを合わせたものにオレンジのジャムを塗りたくれば。
思いの外。
「たくさん出来てしまったの」
夕食として取っておいてもいいけれど。
独楽で遊ばせて貰った礼に、もう昼を済ませたかもしれないけれど、赤毛親子の元へ向かへば。
「昼はこれからなんです。春先は旅人が増えるせいで仕事も増えていまして」
これからやっと昼休憩が取れる時間だったと油を拭う赤毛の父親。
それならばちょうどいい。
男が、遊んでくれた礼にとサンドイッチを差し出せば、
「おおっ」
俺はともかく、息子には何かしら与えないとと思っていたのでとても助かりますと喜んでくれた。
その息子は。
「父さん、石、買ってきたよ」
と麻の袋を片手に帰ってきたところだった。
息子の言う石は宝石ではなく、車輪に嵌めるあの万能石だろう。
そして、
「なー、腹減った」
とぼやく息子は、父親の受け取ったサンドイッチを見るなり、
「なにこれ!?うまそう!くれんの!?やったー!!」
その場でぴょんぴょん跳び跳ねている。
おやの。
存外に素直で可愛いではないか。
サンドイッチの詰めた箱を覗き込む2人に手を振り、我等はそのまま街中を散策。
男が、店先で見掛けた珈琲の粉砕器、洒落たコーヒーミルに目を留め、
「……いいな」
いやでももうあるしな、と長考のち、包装してもらうのを待ち。
文具屋を探し、便箋やインクを買い足す。
隣に並んだ押し花の栞を見掛け眺めていると、店の女に、何か話し掛けられた。
「?」
狸擬きは興味はないですと早々と店から出て、街の人通りを眺めているため、便利な通訳がいない。
「それはスミレの花だそうだよ」
代わりに男が教えてくれる。
ほう。
「森の方に花畑があって、今の時期に、そこで摘んできたものだそうだ」
店の女の手作りらしい。
我は栞に興味があるのではなく、栞を使う本を思い出していたのだけれど。
「今も、ちょうど花が咲いているらしいよ」
森。
あれか、あの少年たちが行こうとしていた森であろうか。
店の女はニコニコしている。
(ふぬ)
まぁ小振りな栞ならば、手紙を送る金筒にも入る。
花弁の色も青であるし、ダンディと、狼の青年へも送ろうと便箋と共に買い。
店を出ると、
「フーン」
森へ行きたいですと狸擬き。
外にいても、聞き耳はしっかり立てていた様子。
森の主としては、森の規模に関係なく、森の名が付く場所は気になるらしい。
男にお伺いを立てれば、
「行ってみようか」
「フーン♪」
こんなに従獣に甘い主は、そうそういないのではないだろうか。
街で用を済ませれば、再び、こじんまりした貸し家へ帰る。
男は、ダンディにだけでなく、あの黒子にも手紙を書いている。
黒子に関しては、ただの生存確認のためだろう。
(あれはいつ女に刺されて死んでいてもおかしくないからの)
我はダンディ宛にフクロウとミミズクを描く。
黒子には、我からは何の用もない。
狸擬きは、蝙蝠を描いている。
「相変わらず上手であるの」
「フーン♪」
「ふぬ」
しかし我も。
我ながら上手く描けた。
「見て見ての」
男に見せれば。
「……ん?あぁ、ええと、その、うん。とても上手だ」
何が、とは決して言わないのが男の賢い部分であり、狡い部分でもある。
一方。
「フーン?」
我の描いたミミズクとフクロウを見て、一回転する勢いで首を傾げ、
「フゥゥゥン……?」
頭から湯気でも出しそうな勢いで、眉間に皺を寄せて考えているのは狸擬き。
(もしや)
我の絵が下手なのではなく、この1人と1匹の目がおかしいのではないか。
手紙は組合からではなく、この街にも郵便鳥を飛ばしている郵便屋が存在しているため、数日中にそちらへ持って行くと言う。
我はそのまま狸擬きとお絵描きに勤しみ、男が新しいコーヒーミルで豆を挽いていると。
外から、何やら呼び掛ける声が聞こえてきた。
「フーン」
赤毛の父親と、足音からして息子ですねと狸擬き。
「おやの」
扉を開けば。
「とても助かりました、何より美味しかったです。礼になるものが、こんなものしかなくて申し訳ない」
と、サンドイッチを詰めていた空箱には塊の肉を、袋に野菜を詰めて持ってきてくれた。
「フーン♪」
肉に反応する狸擬き。
何とも、飾らないにも程があるお返しだけれど、食材は買い足さなかったため、非常に有り難い。
寧ろ、料理をする人間だと見なされ、余計な手間を掛けなかったのもしれない。
赤毛息子も、
「すげー美味しかった」
とニッコニコしながら、礼を告げてきたため。
(ふーぬ)
「の」
男のパンツのポケット部分を引っ張り、どうした?と身を屈めてくる男に提案すれば。
「あぁ、そうだな」
男は、君がいいならと頷き、
「明日、乗り合い馬車で森の方へ向かう予定なのですが、よかったら息子さんたちも一緒に、森の方まで連れて行きましょうか」
と、父親に伝えている。
「ホントッ!?」
飛び上がるのは隣の息子。
父親は当然、
「いやいやっそんな図々しいことを頼めませんっ」
と慌てているけれど。
「森!?いつ!?明日!?行くっ!?」
当の息子がこれだ。
男に縋りつかんばかりの勢いに。
「……あああ全く、遠慮がなくて申し訳ない……っ」
父親は息子を引き剥がしつつ、肉厚な肩を小さくしている。
「彼を森へ連れて行きたいので、ついでの様なものです、気にしないで下さい」
「フーン」
ついでに連れて行ってやると上から狸。
連れていくのはお主ではない。
お主も連れて行ってもらう側であろうが。
男が、友達の都合はどうだろうと問えば。
「2人に聞いてくる!!」
狸擬きもびっくりな早さで駆け出して行った。
明日なのは、
「フーン」
明後日からは、若干天気が安定しませんと狸予報があったため。
息子がいなくなれば、
「本音は本当に有り難い、助かります」
と苦笑い。
森に、大きな獣や蛇など、子供らに危険なものはいないかと男が問えば、
「獣も蛇も、いや、小さいのならいるかもですが、聞きませんね」
そんなに大きな森ではなく、沢があり、のどかな場所だと。
(ほぅ)
沢。
沢とな。
ならば、明日はザルを持っていかなければ。
「ザル?」
「ザルだ」
「ザルだね」
翌日。
我が片手に持ったザルを見て、3人の少年の頭に、仲良く、
「なぜ?」
のマークが浮かんでいる。
けれど、すぐにほわほわ頭の少年が、
「今日も可愛いドレスだね」
と茶色のドレスを褒めてくれた。
「ぬん♪」
胸を張ると、
「あぁ、ちょうど馬車が来たな」
男がわざとらしく声を上げ、すかさず我を抱き上げて来た。
待ち合わせをした大通りの一角。
大きな乗り合い馬車ではなく、小振りで尚且つ扉のある馬車が走ってきた。
馬の首に掛けられた飾りが青いものは、個人所有の馬車でなく、客乗せ馬車だと聞いている。
「えっ?あれに乗んのっ?」
「あれ、お金持ちの乗る奴だよ!」
「僕たち、売られるの……?」
どこで仕入れるそのホラ知識。
「乗り合い馬車は混んでいると、次を待つことになるから」
それに、小さな馬車だと行き先も融通が利く。
男が手を上げると馬車は停まり、御者の男が、どこまでかと訊ねている。
男が森まで行きたいと答えると、
「この馬車は、基本は街中を回っているんだ」
だから森へ向かうための、乗り合い馬車が出ている街外れまで送ろうと、ベンチから降りて、扉を開けてくれた。
真っ先に乗り込んだ狸擬きは端の席を陣取り、真ん中に我、続いて男が座ると、うきうきと続いて乗り込んだ少年たちが向かいに座る。
馬車が進むだけで大はしゃぎだ。
(ぬぬん)
それにしても。
森へは、馬車を乗り継いで行く距離を。
その距離を、こやつらは歩いて行こうとしたのかと、それはあまりに無謀ではないかと思えば。
サラサラ金髪頭が、
「2つ目の馬車乗り場までは、歩いて行こうって話してたんです」
と教えてくれるけれど。
それでも無謀であろう。
この3人は幼馴染みで、いつも3人まとめて、赤毛の父親に怒られていると悪びれずに笑う。
(のぅ)
こやつらを初めて見た時。
赤毛の父親から逃げていた姿が記憶に新しいけれど、あれは彼等にとっては、日常茶飯事、まさにただの日常であるらしい。
赤毛の父親に、少しばかり同情する。
今日は仕事の邪魔する3馬鹿もいないため、少しは作業が捗るのではないだろうか。
しばらくは、3人のまとまりのない話を聞いていたけれど。
「な、兄さんたちは、どんなとこ旅して来たの?」
赤毛の問いに、サラサラ頭もふわふわ頭も、ワクワクと目を輝かせている。
男が、少年たちに聞かせてもいいような、他愛ない旅の話を聞かせている。
それは、村から村へ向かう途中。
村と村の距離が思った以上にあり、食料が尽き、初めて獣に、兎にナイフを投げた話。
「うまく当たらなくて、兎の足に当たったんだ」
少年たちは勿論、狸擬きも、べたりと窓に肉球を押し付けて景色を眺めているものの、耳だけはこちらに向けている。
「動けなくなった兎に、生きている獣に、初めてナイフを突き立てたよ」
ひゅっと息を飲むのは赤毛。
「肉は無事に手に入った。……でも」
でも。
「それで終わりではなかったんだ」
「な、なんで?」
3人の喉がゴクリと鳴る。
「……血の臭いに釣られて、大きな蛇がやってきたんだ」