12粒目
今年は妙に雨が多いなとやってきた宿のおじじが、宿にいてばかりでは幼子の我が退屈するだろうと、
「近いしここもなかなかにうまいぞ」
と言いながら何かメモを男に渡してくれている。
「の?焼き林檎の?」
「あぁ、街と言うより国の名物だそうだよ」
今は旬なため尚更おいしいと。
ほうほうと思っていたら、おじじがもう1枚メモを見せてる。
「の?」
「お使いを頼まれた」
なるほど。
どうやらおじじが外に出るのが億劫らしい。
しかとこの男は、おじじ等に頼まれ事をされる男よの。
近くの乗り合い馬車の停留場まで向かうと、ちょうど馬車がやってきたところだった。
男が運転手にコインを支払い、男に抱っこされて乗り込む。
雨のせいか客は少なく、後ろの席に背の高いマダム1人。
背筋を伸ばし髪もきっちり纏めキリリとしてるけれど、それでも目が合えば笑って手を振ってくれる。
手を振り返すと男は通路の反対に腰掛け。
狸擬きは男の足許に4つ足で立っている。
一応、足が濡れているのを気にしているらしい。
「どちらまでかしら?」
マダムに問われ、
「ここです」
男がメモを見せると、
「ここは美味しい店よ。今日は雨降りだから、そう並ばずに食べられると思う」
のぅ、並ぶくらいなのか。
「今日はどちらかに、お出かけですか?」
男の控えめな問い掛けに、
「えぇ、休暇でね、赤の国へ行くの」
ほぅ。
そう言えば足許には、四角い箱のような大きな鞄が鎮座している。
マダムは男にぎゅむりとしがみつく我を見て、
「可愛いわねぇ」
懐かしいわと穏やかな眼差しになるところを見ると、もう子育ては終わった辺りなのだろう。
「常々、自立をなさいとは言っていたのだけれど、自立し過ぎて、学校を卒業するなり旅人になってしまったの」
おや。
「それで最近、やっと赤の国まで戻ってきたって言うから、旅行がてら迎えに行くのよ」
自由が過ぎるわと、それでも嬉しそうに目を伏せる。
「でもね、お祭りまでには戻る予定だから、忙しい旅になりそう」
年に一度の祭りは一大事なのだろうかと思ったけれど、
「今年はね、とうとう、汽車が動くらしいのよ」
声を潜めて教えてくれた。
ほーうほう。
これは、祭りよりだいぶ先にこの国を出た方がよさそうだ。
乗り合い馬車を降り、ほんの一時の出会いのマダムに手を振り見送ると、焼き林檎の店は、甘い香りが漂っているため、すぐに見付かった。
2階建ての高くない建物は言うまでもなく茶色。
並ぶ人間はおらず、しかし店内は半分以上客で埋まっている。
老若男女ではあるけれど、やはり若干若い女が多め。
椅子に腰かけた狸擬きの足を男が拭い、
「フーン」
もう少し優しく……と狸擬きの訴えは男には届かず。
先に開いたメニューはそう多くなく、男が注文してくれる。
「フンフン」
この男は主様に触れる時はもっと優しいのに、自分に触る時は雑なのですと不満を訴える狸擬き。
面倒なので男には伝えないでいると、
「フーンッ」
テーブルを肉球で叩き始めた。
それを周りの客が物珍しげに眺めている。
「なんて?」
どうやら自分への不満だと気づいた男が、我に通訳を求めてきた。
「扱いが雑とご機嫌斜めの」
「おっとそうか」
「雨のせいで腹の虫の居所が悪いのだろうの」
気にしなくてよい戯言のと続けると、フーンフン!と踊り出しかねん勢いでジタバタ椅子の上で暴れ出したけれど。
先に運ばれてきた紅茶が置かれると、
「……」
途端に大人しくなる。
「ののぅ」
目の前に置かれた赤いカップの愛らしさもさることながら、
「ふぬん♪」
甘く芳しい林檎の風味。
「アップルティ」
だと教えて貰う。
「ほぅ」
とても香りよき。
香味紅茶というのだったか、味もまろやか美味。
更に少しして運ばれてきた焼きリンゴとやらは。
「の?」
予想していた丸焼きではなく、皮は剥かれ、芯を硬い筒でくり貫かれ、薄目のドーナツのような形になった林檎を砂糖で焼き、更にアルコールの飛んだブランデーと、コクのあるバターの風味。
それに、アイスクリームが惜しみ無くたっぷり添えられている。
口に含めば、
「ぬぬー♪」
「フーン♪」
微かな酸味と圧倒的なじゅわりとした甘味に重なる風味たち。
「ののーぅ……」
これが美味しくないわけがなく。
狸擬きもすっかりご機嫌で尻尾を振っている。
最後の1口を掬うと、
「おかわりの♪」
「フーン♪」
「んん」
男は当然渋るけれど。
我と狸擬きの、おかわりするまではここからは立たないという強い意思を感じたのか、
「仕方ない」
溜め息を吐いて微苦笑しながら、おかわりを頼んでくれる。
男は珈琲を追加して、煙草に火を点ける。
おかわりで運ばれてきた焼きリンゴとアイスクリームを男がメモ帳に手早くスケッチし、
「の」
「ん」
我の手で口許に運ばれた焼きリンゴとアイスクリームの乗ったスプーンを咥える。
「んん、美味しいな」
そうであろうのと頷き。
頷きつつ、
「……」
動きを止めた我に、男がどうしたと声を掛け掛けてくる。
「のの」
どこでどう、何が切っ掛けなのか、記憶が、泥濘の底にあった記憶の1つが、掻き回されて、浮き上がってくる。
『……美味しくはなさそうの』
自分の呟きと共に、捲られるページだけれど、捲られる前のそのページもしっかり記憶にある。
「どうした?大丈夫か?」
男の少しばかり硬い声に。
「のの、すまぬ、大丈夫の」
優先順位の低い、所謂、頭の中の本棚に収まりきらない記憶が現れたのだ。
「フーン?」
主様?
と狸擬きも、食べる前足を止めて首を傾げてくる。
「あれの、林檎の酵母の作り方を思い出したの」
「フン?」
「酵母?」
「そうの、ヨーグルトがなくなっても、パンは作れそうの」
「あぁ、林檎でも酵母ができるのか」
「フーン♪」
帰ったら早速試してみようではないか。
買い物を済ませ宿に戻ってくると、雨はやみ曇り空。
狼が尻尾を振って待っていた。
馬たちは馬舎に収まり、狸擬きのリクエストで、放牧場で遊ばせていいかと男伝におじじに訊ねると、
「勿論」
と快諾してくれる。
男の投げるフリスビーを、我と狸擬きと狼で追う。
ただ、徐々に男の手許を見て起動を読み始めた我が裸足になって走り、
「ふぬんっ」
連続して取るようになると、
「フンフンッ!!」
主様ばかりズルいと狸擬きからの抗議が入り。
「のの、仕方なしの」
男と交互に投げてやれば、より起動が読めずに楽しいらしい。
「の」
ふと思い付いた。
「ん?」
「ブーメランの半分をナイフにして投げれば、狩りの時に効率が良いのではないかの」
「……戻ってきたブーメランを掴むと手がなくなるな」
「の?持ち手の方を掴めばいいだけの?」
出来ぬのか。
「……たまに君は、男子の様な発想をするな」
言葉には出さないだけで、男子の前に、
「酷くアホな」
が枕詞でくっついていた気がする。
「ぬぅ」
男の飛ばすフリスビーの外側に、
「……」
少し力を込めて小豆を飛ばして起動を変えてやると、
「フンッ!?」
「!?」
フリスビーを見上げてわたわたする1匹と1頭が楽しい。
しかし。
「フーン!!」
難しいです!
とその場で地団駄を踏んで抗議される。
(わがまま狸め)
一体誰に似たのやら。
不意に宿の方から声がし、
「ちょっと待っててくれ」
男が駆けていき、
「客かの?」
フリスビーの代わりにボールを投げてやると、
「のの?」
ボールに向かって突如現れた青い狼がたたっと駆けて行く。
あの青年の相棒の青狼。
「♪」
1匹と1頭は青狼を歓迎し、ボールを転がしながら仲良く遊び始めた。
男と青年もやってきたけれど、
(のの……)
この間とは別の柄の三つ揃え。
細かなチェック柄になっている。
この青年も、この国の者でもないのに、なかなかに着道楽の。
不躾な我の視線にも一向に構わず、ニコニコと手を振りながらやってきた。
「遊びに来てくれたそうだよ」
ほほう。
「正確には、彼が俺たちのことを話すと、相棒がとても反応して尻尾を振るため気になったそうだ」
ふぬ?
2頭と1匹はきゃっきゃと楽しそうにボールを追っている。
青年は、狼も泊まれる宿に泊まってると言うけれど、身形からしても、さぞやいい宿に泊まっているのだろう。
そして、
「広場で、面白い見世物屋がいるそうで」
小さな子供向けらしいですよ、と青年はわざわざそれを伝えに来てくれたらしい。
しかし男の苦笑いと我のスンと冷めた顔に、
「知っていましたか?お耳が早い」
やはり黒子のことらしい。
知り合いだけれど、少し癖のある方で、と男のオブラートどころか布団にくるんだ言い回しに、青年は、
「なるほど……?」
と戸惑いを隠さず、けれど我の苦虫を噛み潰したような顔に、
「相性が合わない人なのかな」
と口許に握った手を当てて上品に笑う。
少し男と話していた青年は、しかし上着を脱ぐと柵に掛け、
「のの?」
ボールを追いかける獣たちに混じり、足でボールを蹴り始めた。
2頭と1匹は、青年の乱入に更に大興奮でボールを追いかけ、
(おーおー、元気の)
「抱っこの」
両手を伸ばして抱っこして貰うと、
「全く、従者にとんだタダ働きをさせてしもうたの」
黒子へのタダ働きは、実は未だに根に持っている。
むしろ今日の売上くらい毟りとってもいいのではとすらも思っている。
どうせ酒に消えるのだ。
が。
「んん……?」
なんぞ、その歯切れの悪さ。
もしや。
「あやつの肩を持つのの?」
むぅと唇を尖らすと、
「違う」
「ではなんの」
「……君のものは全て俺がプレゼントしたい」
「……ぬ」
ぬぅ。
(そう来たか)
まぁ確かに、こやつが本気で我のために黒子から賃金を毟る必要があれば、笑顔で服すら剥ぎ取るだろうからの。
では。
「あやつへはやはり無償奉仕か」
自分の見る目のなさに改めて腹が立つ。
「いや、情報を貰おう」
「の?」
「あの人も旅人だ、色々な場所へ向かうだろう。魔法を探していることも話している、だからその情報を送って貰おう」
「……ふぬ」
仕方ない。
「ではの」
フーンフーン♪
と楽しいですと駆け回る狸擬きに手を振りながら。
「我の鞄、お主が見繕ってくれの」
要求すれば。
「あぁ、喜んで」
我たちもボール遊びに参戦することにした。
おじじも誘い、青年の案内で黒子のいる広場へ向かうと、ちょうど黒子が店を広げ始めたところだった。
こちらに気付くと、特に狸擬きの姿に、わかりやすくはしゃぎながら走ってくる
今夜飲める酒の量が増えるのが確定したからだろう。
「あれ?劇場前に会えたね」
と片手で抱えていた自前のベンチを真ん中の特等席に並べると、
「ささっ、こちらへどうぞどうぞお狸様」
と狸擬きを誘導している。
そして両脇に狼が並ぶものだから、それだけで人目を惹く。
「……やはり少しは分け前を貰ってもいいのではないのかの」
「んん」
そう、狸擬きのおやつ代くらいは。