119粒目
「本当は珈琲より紅茶派なんだけどメニューにはないわねぇ」
と、運ばれて来た珈琲のカップの持ち手を摘まむ。
「おやの」
少し親近感が沸く。
「あら、あなたも紅茶派?」
嬉しいわと目を細める吸血鬼は、我等の風貌から、我等が旅人なことはとうに察しており、
「実はね、私も旅の途中なのよ」
珈琲に口を付け、口を付けるだけでなく、しっかりと喉に流し込んでいる。
食事もするらしい。
そして、旅の途中と。
獲物でも探しているのか。
「この子の伴侶を探しているの」
狸擬きが、運ばれてきたジェラート夢中なため、今は主人の肩に留まる白蝙蝠を指で撫で、主人が人差し指を横に伸ばせば、くるりと指に捕まるようにぶら下がる。
この白蝙蝠が特殊なだけで、他の蝙蝠たちは、こんな風に主の肩に留まったり平らに立つことは無理なのだと。
我も苺のジェラートを口に含み、
「味見の」
顔を上げて男の口に運べば、
「ん、美味しい」
スプーンに薄くまぶされた我の唾液に、うっとりとした表情を隠そうともしない。
これで機嫌が直るなら安いものだ。
しかし。
「伴侶との?」
「少し強い個体でないと、無理みたいなの」
目の前のこの吸血鬼の女を慕う、別の蝙蝠たちと繁殖行為をしても、メスの方の腹の中で、子が育たないのだと。
ふぬん。
「例えば、番となる相手にお主の血を混ぜても駄目の?」
「それもね、やっぱり強い個体を見付けてからの話になるのよ」
ふーぬ。
吸血鬼は、私はまだ旅を始めたばかりなのだけれどね、とむちむちの長い足を組み直し、背凭れに身体を預けた時。
ふと珍しく、我のあまり良くない記憶力が仕事をした。
『貴族の方が、お嫁さんを探して旅を始めたらしいです』
そう、蛇男の与太話を思い出したのだ。
「あれの、貴族の嫁探しとはお主のことの?」
訊ねてみれば。
「貴族の嫁探し?あらら、街にはそんな噂が広がっているのね」
渦中の貴族こと吸血鬼は、色気たっぷりに微笑むだけ。
そして微笑んだまま周りをちらと見回した後。
「ねぇ、私の泊まってる宿に来ない?」
と誘われた。
「の?」
吸血鬼はちらと辺りを見回し、特に殿方たちからの熱視線に、微苦笑してみせる。
そこにいるだけで人間たちを魅了する吸血鬼の存在に、珍妙な我等が同じテーブルに付いていれば、確かに、嫌でも悪目立ちする。
足を止めてまでこちらを眺めている者たちもいる有り様。
「お土産も沢山積んできているのよ」
お土産の言葉にまんまと釣られ、
「フーン♪」
行きたいですと返事をするのは狸擬き。
少しばかり渋る男の膝の上で、
「の、我も行きたいの」
尻で跳ねれば。
「こーら」
レディはお転婆禁止、と、なんとも男女差別である。
「むぅ」
「……ねぇ、あなたは、この子の従者ではないの?」
我を嗜める男に、吸血鬼が不思議そうに首を傾げる。
「従者など名ばかり、こやつは我の保護者の」
吸血鬼が泊まっている宿に案内されつつ、この男に拾われたと話せば、
「あらぁ、わたしももっと早くあなたに出会っていたかったわ」
そうしたら、あなたの従者になれたかもしれないわ、と大袈裟に肩を落とす。
劇団員にでもなれそうだ。
それより気になるのは。
「の、我がお主に血を与えたら、お主は我の従者になるのの?」
男に抱っこされながら問えば。
「そうねぇ、私の力なんか、あなたに比べたらあまりに微弱だから」
だから?
「今あなたに血を与えられても、私はこの肉体を失い、無へ還るだけね」
と、無に還ることには、砂粒程にも怯えず、ピンヒールでも石畳を優雅に歩く女は、やはり人外である。
「それにしても、あなた。よく馴染んだわねぇ」
関心半分呆れ半分の表情で男を、チラと振り返り。
その振り返りつつの流し目のような視線だけでも、その辺の人の男ならば、それだけで胸を撃ち抜かれそうな色気がある。
対面した時に、この醸し出す色気に気付けなかったのは、この女は、あれでも緊張していたのだ。
我に対し、色気をただ漏らす余裕もない程に。
それでも声を掛けてきたのは、人外故の好奇心が勝ったのであろう。
無に還ることを、死を恐れぬものの強み。
我が、
「男には唾液から慣らしたの」
と答えたけれど、
「フーン」
白蝙蝠を背中に乗せた狸擬きに、おにぎりからですと訂正が入った。
「ふぬ、そうであるの」
「おにぎり?」
聞き慣れない単語に、白蝙蝠と共に首を傾げられる。
「フーン」
そうです、おにぎりでしっかり慣らしてからの主様の体液でございます、と、どうやら大事なことの様で、フンフンと鼻息が荒い。
吸血鬼がここよと足を止めた宿は、とかく立派な5階建てのお宿であったけれど。
「随分と広いのぅ」
「2階は、客室が2部屋しかないのよ」
「ののっ?」
探索すれば、寝室だけでも2部屋ある。
続いて覗かせて貰った風呂も大変に豪華であり。
狸擬きは、
「フーン」
この広さならば、追いかけっこが捗りそうですと、尻尾フリフリ。
そうの。
人様の泊まる宿ではさすがに自重するけれど。
一通りの探索を終えた頃、吸血鬼が宿の人間に頼んでいた紅茶が運ばれてきた。
「ねぇ、さっきの、おにぎり、とはなんなのかしら?」
豪奢なソファに腰掛け、男がまたも我を膝に乗せるため、我は、自身の膝の上にソーサーとカップを持つ。
これはもう行儀がいいのか悪いのかわからぬのと、湯気に目を細めれば、吸血鬼に興味津々で訊ねられた。
「赤飯おにぎりであるの。我の体内から出る豆と、我のいた国での主食を一緒に炊き上げたものの」
吸血鬼は真剣な顔で頷きつつ、やはりこちらの土地でも、
「豆が出る身体」
と言うのは、さっぱり馴染みがないらしい。
「……それは、何豆なのかしら?」
真剣かつ深刻な顔の質問に、さすがに男も、小さく笑っている。
小豆のと答えても、
「全く解らない、自分の無知を恥じるわ」
と、無駄に反省させてしまった。
「の、お主はどこにいたのの?」
「この国と先の国の、あってないような国境近くの、孤立した崖の上に建てられた城よ」
城。
人目には付かぬ場所であり、城には飛んで行くくらいしか方法がないと。
大昔にあった地震で大きな崖崩れが起こり、なぜが城の建つ崖だけは被害をまのがれていた。
孤立した城は、永いこと打ち捨てられていたけれど、その城を、たまたまこの吸血鬼が見掛け、ちゃっかり住み着いたのだと。
「不思議よねぇ、周りの崖の深さを考えると、城だって崩れておかしくないはずなのに、残っていたのよ」
城は無傷のまま、石造りのため劣化も遅く、吸血鬼が見付けたと時には、どちらの国の人々も、辺境な土地故に、その城の存在すら誰1人として知らず、所有者もとうにいなさそうだったからいいだろうと、長いこと根城にしていたと。
城まで、橋を架けたのかと思えば、
「普段は見せないけど、私、羽があるから必要ないのよ」
「のの?」
羽とな。
「よいの、よいの」
羽は大変に羨ましい。
しかし。
「では、客人はどうやって招くのの?」
「向こうの国の辺鄙な土地に別荘に建てているから、お客様は、そちらにお招きするの」
城に人を招くことはないと。
どうやら“プライベート”をとても大事にする性格と見た。
同じ紅茶派でもあるし、案外、気が合いそうである。
「でもねぇ」
でも?
「あなたたちと出会って、わたし、初めて我が城に客人を招きたいと思ったわ」
じっと見つめられ、それは光栄であるのとじっと見返せば。
「……そうね。蝙蝠たちを使って蝙蝠橋を掛けさせて、その上を歩いてもらって、そしたら何とか渡れるかしら……?」
我等を招きたいと思う、その気持ちは非常に嬉しいけれど。
蝙蝠橋などという蝙蝠たちに取っては拷問の様な仕打ちは、とても賛成できぬ。
「いつかの再会の折りに、別荘の方にでも招待してくれれば嬉しいの」
純粋にどんな建物なのか興味もある。
「是非来て。あぁ、どうしてわたしは、あなた方と交差する旅路を選んでしまったのかしら」
頬に手を当て、伏し目がちな瞳に長い睫毛を被せて、大きな溜め息。
そんな大袈裟な仕草は、身振り仕草がいちいち大きかった、あの黒子にも匹敵するけれど。
違うのは、あやつのは演技。
こちらは、素であるため、嫌味がない。
しかし。
「くふふ、交差しなければ、我等は出会えなかったろうの」
「あら、それもそうね。それに今からでも、旅の方角を変えてもいいわよね」
ちらと意味ありげな我への上目遣いに、男が、我の腹に添えた手に柔く力を込める。
ふぬ。
「の、お主は」
「何かしら?」
「やはり年若き処女の生き血を好むのの?」
若干意識して、目の前の吸血鬼が紅茶を啜る時を狙ったけれど、予想より遥かに盛大に紅茶を吹き出してくれた。
「……フーン」
主様、お戯れもほどほどに、と狸擬きが眉間に毛を寄せる。
直前で顔を背けた吸血鬼が吹き出した紅茶が、蝙蝠と話すために吸血鬼の隣にいた狸擬きにかかったのだ。
「……」
男は、珍しく我のことを嗜めない。
むしろ気が晴れたくらいに思っていそうだ。
この吸血鬼には、特に何もされていないのに。
我に興味を示すことが、すでに面白くないのだろう。
我の男も大概に大人げない。
「……んん。大変に失礼したわ」
取り出したハンカチで、狸擬きの毛を拭いてくれながら。
「まぁそうね、柔く甘い香りのする女性の血は確かに美味しいけどね、
『おこぼで若い女の子』
って言う、限定的かつ排他的な嗜好は持ち合わせてないのよ」
ほうほう。
人ならば、選り取り見取り選び放題の節操なしと言ったところか。
ならば。
「血を吸ったものは、お主の眷属にはならぬのの?」
「ならないわ。私なんて、せいぜい蝙蝠が無条件で従事してくれるくらいよ」
吸血鬼なんてその程度よ、と肩を竦め、再び肉感的な足を組み直すけれど。
「それは充分に凄いの」
我など、おにぎりでやっといらぬ狸擬きが釣れた程度である。
感心する反面、羨ましさで唇を尖らせる我に、
「うっふふ、案外表情がコロコロ変わって可愛いのねぇ」
ソファの背に片肘を掛けて頬杖を付き、身体を揺らす女。
その吸血鬼は、身体こそリラックスさせているけれど、ほんの若干、獲物を狙うようにその碧眼の目を光らせるため。
我を膝に乗せた男の、大変に面白くないと言った空気がひしひしと伝わってくる。
「お主の仲間はおるのの?」
「いるわ、でも残り僅かよ」
そもそもの生殖活動本能が希薄であるため、静かに絶滅に向かってると。
「人と吸血鬼のどちらの血も混ざった者たちも、少しはいるみたいだけどね。彼等は血も吸わないし、人よりほんの少し長生きなだけで、蝙蝠の使役も出来ないのよ」
それも自然の摂理だから仕方ないわね、と、気にする様子もない。
「でも」
でも?
「あなたとなら、楽しく自分達の血を残すことも考えられたかもしれないわ」
ゆっくり瞬きされ、またも意味ありげに見つめられる。
普通の人間なら、その眼差しで、イチコロのコロリンなのだろう。
男の身体がビクリと揺れ、我の身体も釣られて揺れる。
揺れたのは、男の警戒が最大になったからであり、吸血鬼に魅了されたわけではない。
(ぬん?)
血を残す、と女は言った。
人の性別で見れば、目の前のこやつは女。
どうやって孕み、いや、孕ませるのか。
血でも混ぜてこねくり合わせるのか。
何かを媒体にでもするのか。
興味は尽きぬけれど、男からの圧が、強い。
我の身体はもう男の両手に抱き潰される勢いであるため。
「お主は、どこを目指すのの?」
仕方なく話題を変える。
「蝙蝠が多く住む土地があるみたいなの。水の街から、船に乗って行ってみるつもり」
ほほう。
やはり洞窟が多いのだろうか。
地図を見せてくれた。
水の街から、海を渡り、方角的には南へ。
大きな大陸がある。
「ここにね、大きな洞窟があって、蝙蝠がたくさんいるんですって」
指を差すのはちょうど土地の真ん中。
「よい伴侶が見付かるとよいの」
狸擬きと話していた白蝙蝠はこちらを振り向き、小さく跳ねる。
「旅の始めにあなたみたいな子と出会えたのだから、きっと見付かるわ」
幸先がとってもいいもの、と微笑む吸血鬼は、
「え?私が凄く苦手なもの?特にないわねぇ」
強いて言うなら不潔かしら?
と。
やはり、我の知識として知る吸血鬼とはだいぶ違う。
「そうそう、お土産を渡すわ」
その吸血鬼は跳ねるように立ち上がると、
「路銀用に腐る程持ってきてるのよ」
大きな革の鞄から、
「城のある崖の奥の洞窟でいくらでも採れるの」
と、乳白色と紫の混じった石をゴロゴロ貰えた。
「のの、これは愛らしいの」
「女性用のアクセサリーに加工したり、少し大きいものはそのまま、家の棚に飾ったりね、人気みたいよ」
余る程あるからと遠慮しないでと男の鞄にどんどん詰められる。
これは、何か礼をしたいと思うけれど、こやつは何一つ不自由していなさそうであるし。
石を掴んだまま悩んでいると、
「もしお礼を考えているなら、鳥便で繋がりたいわ」
のぅ。
心を読まれた。
そして、鳥便とな。
「蝙蝠便よ、どうかしら?」
費用は勿論わたし持ち、と悪戯っ子の瞳でずいと迫られる。
「どうの?」
男を振り返れば。
「……貰いっぱなしも悪いからな」
渋々、了承してくれた。
「西の国?には行かなかったわ、海はあまり得意じゃないのよ」
あなたは海水も平気なの?やっぱり凄いのねぇ、となぜか感心される。
「西に行くなら水着も買うのよね?なら水着用にもう少し持っていきなさい」
また石が追加された。
世話焼きである。
「水着はそんなに高いものの?」
「そうね、海のドレスみたいなものよ」
ほうほう。
「あとはこれ」
革の手帳に挟まれた、小さな名刺の様なものを貰えた。
「?」
吸血鬼が裏に何か文字を書き、
「このアクセサリーたちを買ったお店よ」
襟元を指差す。
「ののん」
「この名刺を出せば融通してくれるから、是非足を運んでみて」
男には天敵のようなものなのだろけれど、我にとっては、大変に好印象な化け物である。