117粒目
一応、そろそろ薬草の街からは出るため、狸擬きの背に乗り山の方へ入れば。
「の、人里の森の獣が、山へ行き来することはないのの?」
「フーン」
ありませんと狸擬き。
どちらも、非常に強い、結界に近い縄張りがあるようなものですと。
ふぬ。
『わ、来てくれたんですね』
リスが出迎えてくれた。
山の敷地に異物が入ればすぐに気付くらしい。
カモシカもやはりその巨体からは想像もできぬ身軽さで山を降りてきた。
『菓子を、ありがとう』
と。
「ぬん。今日もお土産があるのの」
背負ってきた背負い袋を外し、
「我の焼いたビスケットの」
大きめの布袋に詰めたビスケットをカモシカに見せれば、
『おおお……っ』
その見た目の威厳はどこへ行ったか、見せた途端に、涎を垂らした。
これだけ大きいと涎の1滴もしかと大きいものであるのと眺めていると、
『……いや失敬、我を忘れた』
やはり大きな舌で口許を拭う。
『おぉ、これは麗しの姫様』
御機嫌如何ですかと、蜘蛛もやってきた。
「おやの」
『アメと言う再びの御馳走をありがとうございました』
礼を伝えられたけれど。
「あれは狸擬きの好意であるの」
フンスと胸を張る狸擬き。
リスには、寝床で使えるかもしれないと小さく畳んだ布を、蜘蛛には飴を渡せば。
それぞれ、とても喜んでくれていた。
そうだ。
我からも1つ、用件があったのだ。
「の、この山には交友派の鳥はおらぬかの」
我の問いに、
『いる。待ってろ』
カモシカが、と何度か低い仲間を呼ぶような声を上げれば。
「……のっ?」
そう待つこともなく、小鳥ではなく、勇ましい見た目の鷹が2羽、くるくると旋回しながら降りてきた。
「ののぅ」
『珍しいですか?』
リスに問われ。
「郵便鳥は皆小柄であったからの」
見た目の凛々しさとは反し、
『……♪』
『……♪』
我の前に降り立つと、ご機嫌に羽を広げて挨拶してくれる。
「?」
「フーン」
狸擬き曰く、山の騒動を抑えてくれた礼を述べてくれていると。
「どういたしましての」
狸擬きが、
「フンフン、フンフン」
少し離れた山の麓の村にいる熊村長の話をし、寂しがり屋で友達を欲しがっていると話せば。
鷹たちは顔を見合せ、すぐに飛び立って行く。
「フーン」
任せろ、とのことですと。
何とも頼もしい。
リスは、
『お友達になれるでしょうか……?』
おずおずと手を合わせながらも、離れた土地の山の主に興味を持っている。
どちらもお山の主同士、気の小ささからしても、仲良くなれるのではないだろうか。
「あちらは、とんと小さなお山ではあるけれどの、力はほどほどにあるの」
『ほぅ』
興味を示すのは、ビスケットを貪り食うカモシカ。
自分の仲間たちは、誰もこういったものには興味を示さないからと、袋に顔を突っ込んでもりもりと食べている。
カモシカの身体の大きさを考え、味よりも量を多く作ろうと、砂糖もバターも控え目の、食感は固めのビスケットは。
『ううぬ、この歯応えが堪らない』
と大好評である。
「の、空を飛べる鳥たちは、このお山から里へ行くのことはあるのの?」
地で生きる者からすれば、自由度が桁違いである。
『いいえ、里の上空は飛びますが、里に降りることはありません』
里の郵便鳥も、やはり目に見えない縄張りがあるのか、上空を抜けることはあれど、降りては来ないと。
ほう。
「の、鷹の彼らには、礼は何がよいかの」
お使いに対して何か用意しなくては。
『鷹たちには、肉の美味いリスが一番の好物ですな』
とカモシカ。
のーぅ。
こちらで何か別の礼を考えよう。
『たび、をされる前に、もう一度、ご挨拶をさせて下さい』
と蜘蛛。
「そうの。でもしばらくは東の国にいるから、いつでも来られるの」
どうやら地図に描かれているよりも、東の国もこの山も、大きい。
「男が寂しがっているから戻らねばいかぬの」
我だけ戻っても良いけれど、崖を越えるには狸擬きが必要である。
(ふぬ)
ふと思い付いた。
「の、棒高跳びの要領で向こうに飛び越えれられぬかの?」
「フン?」
『?』
『?』
『?』
狸擬きを始め、首を傾げられたため。
「こう、崖に向かって走りつつ、しなる棒を地面に突き立てて、反発力で向こう側に飛ぶのの」
我なら軽いし軽く飛べるのではと思ったのだけれど。
「フーンッ!!」
ご乱心ですか主様と狸擬きに続き、
『いやいやいや危険が過ぎる!?』
『おとなしくこの方に乗って下さい!!』
『さすがは山姫様、突飛なことを仰有いますねぇ』
その場にいる全員から、許可が降りなかった。
狸擬きの背に乗り、崖の手前へ向かえば、木に寄りかかり、煙草を吹かす男が崖の向こう側に見える。
煙草を吹かすだけでも絵になる、相変わらずいい男である。
狸擬きがポーンッと軽々と崖を飛び越えれば、男がこちらに気付いたため、男に駆け寄る狸擬きの背中から、
「ふんのっ」
やはり勢いよく飛び付けば。
「……うおっとぉっ!?……こら、危ない」
抱き止められつつ、何度嗜められても。
「んふー♪」
べったりしがみついて頬を擦り寄せれば。
仕方なさそうに、頭を撫でてくれる。
森の外に待たせていた荷馬車に乗り込み、乗馬体験の行われていた広場へ向かえば。
「……あぁ、本当にもう行かれるんですね」
一見白く見えるものの、着古してくすんだ薄茶色のシャツとパンツ、エプロン姿の白髪男が待っていてくれた。
「ミルクレープではないけれどの」
「とても嬉しいですよ」
焼いたパンを渡し、ついでに手紙を渡せば。
「僕にですか?」
「の」
「あぁ、ありがとうございます、大事に読みますね」
きっと、子供たちからの手紙は、貰い慣れているのだろう。
大事そうに、シャツの方のポケットにしまってくれる。
白髪男には、薬草の精霊の言伝てを、男伝の口頭ではなく、文字で伝えることにした。
我だけが体験していることであるし、白髪男の、白髪男自身が、忘れさせられている記憶を、我等とは言え人前で抉じ開けさせるのも。
配慮が、そう、“デリカシー”がないと思ったのだ。
男は、宿で白髪男に手紙を書く我に、
「いいな」
と我からの手紙を欲しがり。
「フーン」
狸擬きは、白髪男宛にミルクレープを描いていた。
薬草の精霊の言葉を、記憶した一字一句を全て書き写したつもりだけれど。
「必ず、最後まで読むようにの」
“生を全うしたら迎えに来る”の1文で自害されては敵わぬ。
「勿論です」
生真面目に頷く白髪男は、
「……あなたたちがいたこの数日間で、僕も、もう少し、自分の世界を広げてみたいと思いました」
空を見上げる。
おやの。
薬草の精霊が願っていた、白髪男が伴侶を探し家庭を持ち、血を途切れさせずに子孫を残す気にでもなったのかと思えば。
「今までは、薬草の事しか目に入らなかったんです。薬草は、人の役にも立てるし、街の大きな収益にもなっていますし」
薬草の匂いを纏う風がふわりと抜けて行く。
「街の皆は勿論、子供たちも、勉強に実験にと日々頑張ってくれているお陰で、そう不自由なく暮らすこともでき、東の山にも、感謝は絶えません」
ふぬ。
「でもこれからは」
これからは?
「薬草を育てつつ、鑑賞用の花たちにも、力を入れようと思えたんです!!」
力強く握られる拳と決意に満ちた顔。
「……のっ!?」
薬草の匂いを纏う穏やかな風も、パタリとやんだ。
(ののぅ……)
天晴れな程の、薬草馬鹿を改め植物馬鹿である。
「もう好きにするの」
スンと冷めた我の視線にも、白髪男は全く気付かず、
「特に、可憐な白い花たちを咲かせたいと思ったんです」
あぁ、なるほど。
祭りで女性は皆白いドレスを着ていたし、
“いんすぴれーしょん”
とやらを受けたのであろうか。
興味の幅が広がるのはよいことであると頷くと、なぜか白髪男にじっと見下ろされた。
「……?」
何の、と首を傾げれば、しかし、白髪男が口を開く前に、
「そろそろ行かないとな」
男がおいでと我を抱き上げてくる。
「の?」
男は、
「またいつか」
左腕に我を抱き、白髪男に右手を差し出している。
「あ、あぁ。もう時間ですか」
はたと目を覚ましたような白髪男は、
「……また」
と、口にしたけれど、言葉を止めてしまう。
「?」
「……し、失礼。その……別れは、とても辛いものですね」
俯きがちになり、無理に微笑む唇が、微かに震えている。
「の」
案外、涙脆いたちである。
そんな白髪男に、我も男の腕の中から右手を伸ばすと、
「あぁ、まるで小さな萌芽の様な手だ。大きくなった時には、もう私のことなど忘れてしまっているかもしれませんね……」
そう呟いて、差し出した右手を、両手で包まれた。
泣くのを堪え、必死で目を見開く白髪男の顔に、
「それは、どうであろうの」
と、伝わらぬ言葉を溢すしかない。
それでも。
木々の寿命は長い。
こやつも案外、変わらぬ我等の姿を、驚かずに受け入れてくれそうではある。
「フーン」
またな変人と狸擬きが挨拶し、馬車に乗る。
街中を抜けるのではなく、街から外れた薬草畑の道を周りながら。
(ぬん……)
我からの手紙を読んだ白髪男の反応を想像すると、少し楽しい気分になる。
こちらも東の山の恩恵はとくとあるはずだけれどと首を傾げていた隣街は、
「野菜の街だそうだよ」
「ほうほうのほう」
なんと言うか、こう、摂理にかない上手く回っている。
隣街も、薬草の街と変わらず、意識してどこからも東のお山を眺められるように高い建物は建てず、建物の窓も東を向いている。
こちらの祭りは収穫祭となり、秋頃に催されるらしい。
宿は思ったより街中にあり、畑に携わる多くの人間たちはより畑に近い場所に住むため、結果宿が街中になってしまうと。
荷台は宿の庭に置けため、少し離れた厩舎に馬だけを預け、
「うちの街の野菜は美味しいよ」
宿では、名物である野菜たっぷりの夕食を出された。
「フーン……」
お肉が少ないです、とひもじそうなのは狸擬き。
我も、美味しいとは思うけれど、野菜は付け合わせ程度でいい。
男も、食べ盛りは越えているけれど、まだまだ肉の欲しいお年頃。
この街では、どう考えても魔法の手掛かりは得られなさそうでもあり、
「明日には出ようか」
「の」
夜は降り出してきた、この街では特に恵みになるであろう雨の音を聴きながら、眠る。
翌朝。
「ピーチーチーッ」
ここを開けろ、と泣く子も黙る気の強い郵便鳥が、嘴で窓をコツコツとつつく音で起こされた。
「んん?誰だ……?」
郵便鳥ではあるけれど、足首の筒はあの花の国の豪奢なものではないし、郵便鳥ではあるけれど黄緑色であり、弾丸桃鳥でもない。
「?」
男が受け取った手紙の宛名は、
「翡翠をまとう黒髪のあなたへ」
とある。
「……君宛だ」
そう。
前日別れたばかりの、白髪男からだった。
中身は手紙と、筒に入る程度の、ほんの小さな小さな陶器の小瓶が薄い布に巻かれていた。
中はちゃぷんと微かな音がするため、液体と思われる。
『まずは
手紙をありがとうございました
読んだ瞬間
自分は薬草のあの彼女のことを思い出し
大袈裟ではなく茫然自失となり
気付いたら数時間が経っていました』
『なぜ忘れていたかも
それは彼女の力によるものだと知り
1日経った今でもとても複雑な気分です
僕がまともな人生を送れるようにとの彼女なりの配慮も
僕の性格上の問題もあり半分以上は意味がなかったようです』
『ただ彼女のことを覚えていたら僕は彼女に会うために
禁忌である魔術などにも躊躇なく手を出していたかもしれません
なのでやはり彼女の選択は正しかったのでしょう』
『僕が今もこうやって
少なくとも自分の中では冷静に筆を取れているのは
ーあなたが一体何者であるのかー
それにも気を取られているからです』
『安心してください
詮索する気などありません
なぜならば
それはきっと
東の山へ入ることと同義の
決して踏み込んではいけない領域なのでしょうから』
『この手紙はいてもたってもいられず
この気持ちを吐き出すためもありますが
改めての感謝も伝えたかったからです
ありがとう
この一言に尽きます』
『僕はいつかあなた方がこの街に戻ってきてくれた時は
何も聞かずに歓迎します』
『そして
もしあなた方に何かあった時
私はどんなにあなた方に非があったとしても
私もこの街も
迷わずあなた方を受け入れ守りましょう
約束します』
微かに薬草の匂いのする手紙。
狸擬きはスンスンスンスンと忙しく小瓶の匂いを嗅いでは小首を傾げている。
手紙をくれたのも、気持ちも無論嬉しい。
が。
あの白髪男、一体、我等が何をしでかすと思っているのか。
白髪男なりの最大限の感謝を表しているのであろうだろうけれど、やはりどこかずれている。
「ぬ?」
2枚目もあった。
『追伸を2つ程
1つは
1滴でも垂らせば不味い酒が飲めるようになる様に調合した薬があり
偶然の産物で出来たものですが
それはこの街でも僕しか作れないものです
薬草そのものも貴重なものでありまして
当然高く売れます
僕はそれをたまに売り
売ったお金で鳥便を依頼し手紙を送るので
たまにはあなた方からも手紙を送ってくれたら
僕はいっそう
薬草の彼女の言う“健やかな日々”を送れそうです
2つ目は
あなたの白いドレス姿を見てから
純粋に愛でるための可憐な花たちに興味が沸きました
この街に相応しい
白い花たちを咲かせてみたいと思ったんです
これも
僕なりの世界の広げ方です
いつか
僕の咲かせた花たちを眺めに来てください』
我宛の手紙であるから、手紙の内容を気にしながら煙草を吹かす男には読ませないけれど。
「あの男に、手紙のやりとりをしたいと頼まれたの」
それだけ告げると、
「君とか?」
眉間に皺を寄せて我を抱き上げてくる。
「のの。お主が近況を送ればよいのの」
「まぁ」
それならいい、と男。
男には、薬草の精霊の話はしていないため、あの白髪男が、
“我に関心と興味がある”
と勘違いしている。
あの白髪男にはもう、自身の寿命の際のお迎えを心待にしてる程の想い人がいる。
いや、人ではないか。
あの薬草の精霊のことを、男に話しても構わないのだろうけれど、また首を手を突っ込んだのかと思われるのも癪で、話していない。
それでも、男の懐疑的な視線に、さすがの我でも溜め息が漏れる。
そう。
我の、この身体が大層ちんまき故に、人の庇護欲をそそられ、可愛い可愛いと愛でられているだけであり、本気で我のことを好いているのは、まこと酔狂なこの男くらいである。
そう。
ただの親の欲目ならぬ男の欲目であることを、いい加減自覚して欲しい。
「それで?」
「の?」
「……何が書いてあった?」
低い声と、なんとも言えぬ、苦虫を10匹くらい噛み潰したよう顔に。
「くふふ、狸擬きにでも聞けばよいの」
と、手紙をじーっと眺める狸擬きを振り返れば。
「フンフン」
読めませんと、全く悪びれない狸。
「お主は文字はあまり熱心に覚えようとしないからの」
半分くらいは解りますと。
半分。
「フーン」
お菓子や食べ物の文字は書かれていませんでしたと狸擬き。
「のん」
覚えている文字に偏りがありすぎる。
男はそれでも真剣に狸擬きのフーンを聞き取ろうとしているし。
そして、
「フンス」
酒、の文字は読み取れましたと、何なら得意気ですらある狸。
「……我の従獣を名乗るならば、文字くらい覚えて、もう少し我の役に立つの」
と手紙を取り上げれば。
「フッ!!フーンッ!?」
今の言葉は聞き捨てなりません!とプンスコ狸。
「悔しかったら文字を覚えるの」
「フーンッ!」
主と従獣でなんとも程度の低い小競り合いをしていると。
「これは何だ?」
小瓶を摘まんで眺める男に、不味い酒が美味く飲める秘薬であるの、と答えようとしたけれど。
狸擬きがすぐさま、それを使ってみたい酒に垂らしてみたいと大騒ぎするのは目に見えている。
「ええと、それはの」
「うん」
「ひ……」
「ひ?」
「……び、媚薬であるの」
男が煙草の煙に盛大に噎せた。