表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
116/134

116粒目

祭りは2日目の夜が一番盛り上がるらしいけれど、山や森の賑やかさとは違う。

「人の賑やかさは、もうぽんぽんいっぱいであるの」

夜は宿で何か作ろうと話し、買い物のために、街中へ向かう。

一番大きな広場通りではなく、1つ外れた通りで買い物を済ませ。

「夜にミルクレープ用の、キャラメルクリームだけでも作っておこうかの」

我の呟きに、

「フーン♪」

手伝いますと張り切り狸。

では宿へ帰ろうのと踵を返しかけた時。

(ぬぬ?)

「フーン?」

我と狸擬きが同時に足を止め。

「……どうした?」

我の手を繋ぐ男の声に、僅かな緊張が走る。

大きな広場の方で、人のざわめきの気配。

あまり、よいものではない。

「何か起ておるのの」

男に抱っこせがみ向かうと、広場の真ん中で、頭に花冠を乗せた黒いお馬が、ブルンブルンと、ご機嫌斜めに荒ぶっている。

馬は、背後にも2頭程いるけれど、その馬の荒ぶりに当てられ、落ち着かない様子。

馬たちは、隣街の馬だと。

お祭りの時のお祝いの一環で、隣街の馬が、贈り物を乗せた荷を牽いてやってくるのだと。

(ふぬ)

けれども、どうやら。

黒い馬は初めての仕事、慣れないここまでの道程と人の多さ、更に緊張で取り乱しだいぶ情緒が不安定になっている様子。

御者たちが宥めようとも、耳に入っていない。

消耗するどころか、黒馬は段々と息を荒くし、地面を蹴るような仕草。

「のぅ」

これは良くない。

「フーン」

周りの緊張が伝わり、尚更動揺が酷くなっていますと。

悪循環である。

「このまま暴れられでもしたら迷惑の」

「フーン」

どうしますか主様、と狸擬きが見上げてくる。

そうの。

手綱を握る御者たちも、抑えが効かず逃げ腰になってしまっているし。

「すまぬが、お主が先に立ってくれるかの」

「フーン」

お任せくださいと狸擬き。

「俺はどうする?」

「このまま我を抱いて、少しばかり近付いて欲しいの」

馬に近付く狸擬きを止める(てい)での、とこそりと囁けば、狸擬きは、荒ぶる黒馬の前にテコテコと向かい。

遠巻きに眺めている街の人間たちは、しかし狸擬きが黒馬と対峙すると、少しでないどよめきが起きる。

立派な黒馬と比べると、狸としては破格の大きさとはいえ、やはり、

(ちんまいのぅ)

今にも暴れだしそうな黒馬を、じっと見上げる狸擬き。

一方の黒馬はもう、狸擬きの存在にすら、気付けてもいない。

周りからは、危ないよと声が掛けられている様子。

「……」

我は、すっと力を抜く。

男の腕の中、黒馬を眺め、黒馬を意識してふっと息を吐けば、まず我の放つ気配と吐息に、狸擬きの毛がぶわりと大きく膨らみ、それを見た人々に緊張が走る。

我を胸に抱く男の身体もギクリと固まり、

(すまぬの、少しばかり我慢してくれの)

そのまま、黒馬をじっと見つめると。

『……ッ』

今にも暴走しそうな黒馬は、風に乗り漂う、きっとろくでもない我の気配と、長く吐き出す吐息に、ビクリと固まり。

まだまだ呼吸は荒いものの、先刻とは違う動揺を見せ始めた。

逃げ腰だった御者も、手綱を握り直している。

地面を蹴るような荒ぶりもなくなり、キョロキョロと辺りを見回し始め、少し離れた場所にいる我と、ちらと目が合えば、

『……』

途端に目が泳ぎ、間もなくしゅんと頭を落し、片耳に引っ掛かっていた花冠が地面に落ちた。

(落ち着いた様であるの)

興奮を恐怖で押さえ付ける無理矢理な力業ではあるけれど。

街が祭りがめちゃくちゃになるよりいいであろう。

御者たちと、街の人々からも、安堵の溜め息が漏れ出し。

また馬を刺激してしまわないようにと、皆、大きくははしゃがないものの。

「あぁよかった、よかった」

「ねぇ、あれはなんていう名前の子なの?」

「もふもふちゃん、凄いわ」

「やるなぁ、茶色の毛玉」

広がる安堵の空気と小さな拍手。

「フーン」

自分が話題になっていることなど露知らず、盛大に毛を膨らませたまま狸擬きが戻ってきた。

「凄いの、大活躍の」

「フーン」

全ては主様のお力ですと、それでも嬉しそうに尻尾をくるくる回す狸擬きは。

「フーン」

主様、男の顔色が、と男を見上げる。

「の?」

「……」

男は笑みを浮かべているけれども、とんでもなくひきつっているし、顔に血の気が全くない。

「ののっ?」

「だ、大丈夫だ、ちょっと血が下がっているだけだ」

と確かに、我を抱く腕も、しっかりと強すぎる程に固まったまま。

「フーン」

主様のお力をその距離で感じさせられたのですから、当然でしょうと狸擬き。

「フンフン」

しかし、今も主様を抱えたまま直立し、意識まで保てているのですから、その男には、わたくしめでも敬意を表しますと。

おやの。

狸擬きにそこまで言わせるとは。

男がギクシャクしながら踵を返し、その場から何とか離れると、

「凄いな、あんたの連れは」

「馬にも乗ってたよね。この子、馬の使い手なの?」

(ののぅ)

しかし、あっという間に街の人間に囲まれた。

続いてやってきた御者にも、礼を言われる。

男の、かなりギクシャクした返答には、旅人だから言葉が片言で通じにくいのだろうと取られ、少なからず男が抱っこする我にも向けられる好奇心の瞳。

どうやら、街の人間たちは、少しばかり毛色の違う我等のことが、気にはなっていたらしいけれど、話しかけるきっかけもなく、更に我等が積極的に街の人々と交流をしないため、遠慮も含め、遠巻きにされていた様子。

そのため、ここぞとばかりに声を掛けてきたのだ。

話すくらいは別に構わぬけれど、頃合いと間が悪すぎる。

大丈夫かのと案じていると、けれど、男は、悪い意味ではなく、多くの人の好奇心や好意や感謝の「気」に当てられ、徐々に顔色が、我を痛いくらいに抱く腕の力も、少しずつ弱まってきた。

「フーン」

狸擬きの方は、いつの間にか、お礼だよと、大きな布に投げられた菓子やら飴やらを包んだものを、首から掛けられ結ばれている。

馬も落ち着きを取り戻し、改めての祭典が行われようとしているため、我等は辞退し、一先ず、人気は少ないであろう、乗馬の行われていた広場へ向かった。


少し小さめな広場は、すでに伽藍とし、あるのは、賑やかだった名残だけ。

人も、1人もいない。

やはり人がいない場所は、

(落ち着くの……)

男は我をベンチに座らせてから、男も隣に腰を降ろすと。

狸擬きは我の隣に飛び乗り、首に巻かれていた布を解いている。

中に放られた礼の1つ1つを前足に取っては眺め、

「フーン♪」

我に見せてくる。

「おや、よかったの」

「フーン」

コインもありますと。

おや。

「それは、お主のものの」

「フーン♪」

嬉しいですと尻尾を振る狸擬きに、

「ふぬ。そのコインは、何に使うのの?」

問うて見れば。

「フンフン」

ミルクレープに添える追加のクリームが欲しいですと。

「の、ののぅ」

食に対する執着は味覚も含め、やはり我より強い。

「フゥン」

コインは預かっていてくださいとこちらに渡してきた狸擬きは、再びガサゴソと菓子を検分してから。

「フーン?」

これを、東の山のカモシカに分けてもいいですかと訊ねてきた。

「のの?」

「フーン」

カモシカに、人の食べ物を少し分けてもらえないかと頼まれていたのですと。

「ぬ……?」

なぜにと疑問が浮かぶも。

あぁ、そうだ。

琥珀を採っている時に、我が考えなしに安易に与えてしまったせいか。

「あれの、人の食べ物欲しさに、あやつがこちらに降りて来たりはせぬかの」

「フーン」

あれは獣にしては非常に聡く賢い生き物。

主様のいる今は、山の祭りの様なものですから、大丈夫でしょうと。

「ふぬ」

リスと蜘蛛にも分けてやるのと伝えれば、

「フーン」

承知、とトコトコとお山の方へ駆けて行く。

「……彼は?」

「山へ行ったの」

まだ消耗している様子の男は、どうやら、我の血が混じっていても、それとこれとは別らしい。

煙草も取り出さず、大きく息を吐き出しているため、

「の」

ぱくりと指を咥えて唾液をまぶし、ほれのと口許へ運べば。

ちらと見開かれる瞳。

「気付け薬の」

「……あぁ」

手首をやんわり掴まれ、少し弛んだ唇に、指を食われる。

「どうの?」

「甘い」

「……」

気は戻ったか、との意味で聞いたのだけれど。

男の唾液のまぶされた指を口に含み、また男の口許へ運べば。

「あぁ……」

ねぶられる前に、男の熱い吐息がかかる。

先刻まで、我の気を、我に触れながら受けたお陰で、吐息すら冷たいものを吐き出しそうな勢いだったのに。

今は、我の唾液で気力を取り戻す不可思議さ。

「……」

男が満足するまで唾液を与えると。

射し込んできた西陽に、眩しそうに目を細めた男は、

「……君の片鱗に触れられた気がするよ」

我の手を、自身の頬に添えた。

ほう。

「どうだったの?」

問えば。

「……気が狂いかけた」

のん。

「あの場で、叫ぶのを堪えるだけでいっぱいいっぱいだった」

ののん。

してたら大惨事であったの。

「俺の中の君の血と唾液が、それを押さえ込んでいたよ」

我が仕事をしたようで何より。

「あぁ。心から助かったと思ったよ」

本当にの。

我ながらいい仕事をした。

「……あとは」

あとは?

「……君を、絶対に怒らせないようにしようと強く思った」

心からと思われるその切実な表情に、

「ぬっふ!」

堪らず吹き出してしまった。


翌日は。

「フンフンフーンッ!!」

宿の扉の前。

こんにちはとやってきた白髪男に、

「フーンッ!」

なんだお前は帰れ帰れと、いっぱしの威嚇狸。

「うぅ。何だか嫌われてしまったようで……」

「フーン!」

ミルクレープをかっさらっていた罪は重い大罪重罪であると、未だ根に持つ狸擬きに、

「これでどうか……」

と白髪男が両手に抱えた袋を床に置き、ごそごそと酒の瓶を取り出せば。

「フンッ?」

「……どうでしょう?」

「……フーン」

仕方ない、酒に免じて、と渋々扉の前から退く狸擬き。

椅子を勧めれば。

「ミルクレープ、とても美味しく頂きました」

白髪男は余韻でうっとりとした顔を見せた後、大きな紙袋をテーブルに置く。

ミルクレープは1人で食べたのかと問えば、

「勿論」

と、ニッコニコのいい笑顔。

(ぬぬん……)

現世ではどうにも、こやつと世話焼き娘との縁はとことんないらしい。

テーブルに並べられたのは、乾燥果実、紐で纏められた月桂樹を始め、香草に薬草。

何やら鮮やかな花弁と砂糖の詰められた瓶詰め、何かの種の入った袋、ゴマ入りのビスケット、スコーンに似たゴツゴツした焼き菓子など。

「手伝いをしてくれている助手に、旅人さんたちに礼をしたいが何もないと相談したら、薬草があるだろうと怒られまして」

怒られたか。

「薬草など珍しくないだろうと思っていたのですが、旅人さんには少しは珍しいはずだと指摘されまして。そういえばそうだと、思い至りました次第です」

そうの。

やはり薬草のこと以外は、色々と、だいぶすっぽ抜けている模様。

それでも白髪男は大きく首を傾げ、

「なんでしょうね、言われてみればその通りなんですが。なぜか、とても近い、親しい匂いがして、あなたたちを、とても近いご近所さんだなと錯覚してしまうんです」

のの。

狸擬きも、耳をチラと動かし、微かながら警戒をしている。

こやつは、獣に匹敵するその鼻腔の鋭さで、狸擬きだけでなく、我が東の山に足を踏み入れたその名残すら嗅ぎ取り、我等を、同胞の者の様な錯覚に晒されていたのかもしれない。

大層質(しつ)のいい薬草に溢れたこの街で、ろくな礼も出来ないと学舎を案内されたのも、そのせいなのだろう。

そして遅くなりましたが、もろもろのお礼ですと、紙袋から取り出され並べたられた物で、テーブルの半分以上が埋まった。

男が、いやいやこんなに頂けませんと慌てているけれど、

「ここの辺は私が作っているものすし、他の品も、この街から近隣の国へも卸しているものですので、どうぞ遠慮なく」

「いや……」

それでも男がこんなには躊躇していると、

「隣街の黒馬の興奮も止めていただいた、街からのお礼も含まれているのですよ」

おやの。

どうやらあの場にいた誰かから、話を聞いたらしい。

結構な騒ぎであったしの。

すると、黒馬の興奮を止めたことになっている狸擬きが、無遠慮に瓶詰めの蓋を開き、

「フーン?」

鼻先を寄せている。

「そればバジルの葉とクコの実を潰したものです」

パスタに合いますと。

「フーン♪」

とても美味しそうである。

他にも使えそうなものや、旅先でいい物々交換になりそうなものも多い。

(ぬぬん)

これは、これだけ頂いてしまったら、お礼のお礼をしなければならないであろう。

狸擬きも、

「フーン」

仕方ありません、と、本音はただの食べたさ故に、冷蔵箱の前に向かう。

朝から仕込んでいたキャラメリゼされたミルクレープを出せば。

「おっおおお……!?」

これまで出会った人の、特に男たちも、ほどほどな甘党は多く存在し、珍しくもなかったけれど。

「これは……!」

ゴクリと大きく喉仏を上下させる白髪男は。

「すみません、先にスケッチを少しさせてくださいっ」

甘党の口と研究者の目が忙しい。

「紅茶を淹れるからゆっくりでよいの」

男は珈琲がいいと言うため豆を挽かせ、

「狸擬き、切り分けるの」

ナイフを渡せば。

「フン?……フーン」

ナイフとミルクレープをそれぞれ眺めては、せわしなく耳をピクピクさせているため。

「きちんと等分に切るのの」

一応、忠告をしてみれば。

「フンッ!?」

そんないじましい真似はいたしません!と椅子の上で後ろの2本足で地団駄ステップを踏むけれど。

ただでさえ太い尻尾が、更に不自然に膨らんでいるではないか。

ミルクレープをスケッチをする白髪男に、丸いケーキを等分に切れる切り方を狸擬きが教わっている。

「フンフン」

なるほどなるほどと狸擬き。

どう切るのか、我も後で訊ねよう。

珈琲と紅茶を淹れてテーブルに着き、お茶の時間とする。

「これは、これはいいです、とても美味しいっ!」

「フーン♪」

果物たっぷりも美味でしたが、これも堪りませんと狸擬き。

柔らかな生地が濃い目のキャラメルクリームに馴染み、たまに感じる、仄かな甘苦いキャラメリゼの食感の違いが、また良き。

「美味しいよ、君は凄いな」

男にも、頭を撫でられつつ褒められたけれど。

「……ぬ?……ぬん」

我の知識でも発想でもなく、元の世界の他人様の知識であるから、褒められても、こう、ズルをしている様で、少しばかり心の居心地が悪い。

(「美味しい」にだけは、しっかりと頷けるのだけれどの)


「いや、知識として知っていることと、実際に作れることはまた別だ」

後で男に伝えてみれば、そんな返事をもらえた。

ぬぬん?

「そうかの」

「あぁ。俺も住んでいた場所で食べていた甘いものは、見た目も味も知っている。でも知っているだけで、俺は作れない」

ぬん。

「君は、ちゃんと凄いよ」

ふぬ。

「フーン」

そうです、主様は凄いのです、といつでもどこでも我を崇拝狸。

男が言うならば、きっとそうなのであろう。


白髪男は、研究室と街中を彷徨(うろつ)いていない時は、我等の宿にいると即座に把握され、あの後、間も無く世話焼き娘の来襲により、ズルズルと引き摺られて帰って行った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ