116粒目
祭りは2日目の夜が一番盛り上がるらしいけれど、山や森の賑やかさとは違う。
「人の賑やかさは、もうぽんぽんいっぱいであるの」
夜は宿で何か作ろうと話し、買い物のために、街中へ向かう。
一番大きな広場通りではなく、1つ外れた通りで買い物を済ませ。
「夜にミルクレープ用の、キャラメルクリームだけでも作っておこうかの」
我の呟きに、
「フーン♪」
手伝いますと張り切り狸。
では宿へ帰ろうのと踵を返しかけた時。
(ぬぬ?)
「フーン?」
我と狸擬きが同時に足を止め。
「……どうした?」
我の手を繋ぐ男の声に、僅かな緊張が走る。
大きな広場の方で、人のざわめきの気配。
あまり、よいものではない。
「何か起ておるのの」
男に抱っこせがみ向かうと、広場の真ん中で、頭に花冠を乗せた黒いお馬が、ブルンブルンと、ご機嫌斜めに荒ぶっている。
馬は、背後にも2頭程いるけれど、その馬の荒ぶりに当てられ、落ち着かない様子。
馬たちは、隣街の馬だと。
お祭りの時のお祝いの一環で、隣街の馬が、贈り物を乗せた荷を牽いてやってくるのだと。
(ふぬ)
けれども、どうやら。
黒い馬は初めての仕事、慣れないここまでの道程と人の多さ、更に緊張で取り乱しだいぶ情緒が不安定になっている様子。
御者たちが宥めようとも、耳に入っていない。
消耗するどころか、黒馬は段々と息を荒くし、地面を蹴るような仕草。
「のぅ」
これは良くない。
「フーン」
周りの緊張が伝わり、尚更動揺が酷くなっていますと。
悪循環である。
「このまま暴れられでもしたら迷惑の」
「フーン」
どうしますか主様、と狸擬きが見上げてくる。
そうの。
手綱を握る御者たちも、抑えが効かず逃げ腰になってしまっているし。
「すまぬが、お主が先に立ってくれるかの」
「フーン」
お任せくださいと狸擬き。
「俺はどうする?」
「このまま我を抱いて、少しばかり近付いて欲しいの」
馬に近付く狸擬きを止める体での、とこそりと囁けば、狸擬きは、荒ぶる黒馬の前にテコテコと向かい。
遠巻きに眺めている街の人間たちは、しかし狸擬きが黒馬と対峙すると、少しでないどよめきが起きる。
立派な黒馬と比べると、狸としては破格の大きさとはいえ、やはり、
(ちんまいのぅ)
今にも暴れだしそうな黒馬を、じっと見上げる狸擬き。
一方の黒馬はもう、狸擬きの存在にすら、気付けてもいない。
周りからは、危ないよと声が掛けられている様子。
「……」
我は、すっと力を抜く。
男の腕の中、黒馬を眺め、黒馬を意識してふっと息を吐けば、まず我の放つ気配と吐息に、狸擬きの毛がぶわりと大きく膨らみ、それを見た人々に緊張が走る。
我を胸に抱く男の身体もギクリと固まり、
(すまぬの、少しばかり我慢してくれの)
そのまま、黒馬をじっと見つめると。
『……ッ』
今にも暴走しそうな黒馬は、風に乗り漂う、きっとろくでもない我の気配と、長く吐き出す吐息に、ビクリと固まり。
まだまだ呼吸は荒いものの、先刻とは違う動揺を見せ始めた。
逃げ腰だった御者も、手綱を握り直している。
地面を蹴るような荒ぶりもなくなり、キョロキョロと辺りを見回し始め、少し離れた場所にいる我と、ちらと目が合えば、
『……』
途端に目が泳ぎ、間もなくしゅんと頭を落し、片耳に引っ掛かっていた花冠が地面に落ちた。
(落ち着いた様であるの)
興奮を恐怖で押さえ付ける無理矢理な力業ではあるけれど。
街が祭りがめちゃくちゃになるよりいいであろう。
御者たちと、街の人々からも、安堵の溜め息が漏れ出し。
また馬を刺激してしまわないようにと、皆、大きくははしゃがないものの。
「あぁよかった、よかった」
「ねぇ、あれはなんていう名前の子なの?」
「もふもふちゃん、凄いわ」
「やるなぁ、茶色の毛玉」
広がる安堵の空気と小さな拍手。
「フーン」
自分が話題になっていることなど露知らず、盛大に毛を膨らませたまま狸擬きが戻ってきた。
「凄いの、大活躍の」
「フーン」
全ては主様のお力ですと、それでも嬉しそうに尻尾をくるくる回す狸擬きは。
「フーン」
主様、男の顔色が、と男を見上げる。
「の?」
「……」
男は笑みを浮かべているけれども、とんでもなくひきつっているし、顔に血の気が全くない。
「ののっ?」
「だ、大丈夫だ、ちょっと血が下がっているだけだ」
と確かに、我を抱く腕も、しっかりと強すぎる程に固まったまま。
「フーン」
主様のお力をその距離で感じさせられたのですから、当然でしょうと狸擬き。
「フンフン」
しかし、今も主様を抱えたまま直立し、意識まで保てているのですから、その男には、わたくしめでも敬意を表しますと。
おやの。
狸擬きにそこまで言わせるとは。
男がギクシャクしながら踵を返し、その場から何とか離れると、
「凄いな、あんたの連れは」
「馬にも乗ってたよね。この子、馬の使い手なの?」
(ののぅ)
しかし、あっという間に街の人間に囲まれた。
続いてやってきた御者にも、礼を言われる。
男の、かなりギクシャクした返答には、旅人だから言葉が片言で通じにくいのだろうと取られ、少なからず男が抱っこする我にも向けられる好奇心の瞳。
どうやら、街の人間たちは、少しばかり毛色の違う我等のことが、気にはなっていたらしいけれど、話しかけるきっかけもなく、更に我等が積極的に街の人々と交流をしないため、遠慮も含め、遠巻きにされていた様子。
そのため、ここぞとばかりに声を掛けてきたのだ。
話すくらいは別に構わぬけれど、頃合いと間が悪すぎる。
大丈夫かのと案じていると、けれど、男は、悪い意味ではなく、多くの人の好奇心や好意や感謝の「気」に当てられ、徐々に顔色が、我を痛いくらいに抱く腕の力も、少しずつ弱まってきた。
「フーン」
狸擬きの方は、いつの間にか、お礼だよと、大きな布に投げられた菓子やら飴やらを包んだものを、首から掛けられ結ばれている。
馬も落ち着きを取り戻し、改めての祭典が行われようとしているため、我等は辞退し、一先ず、人気は少ないであろう、乗馬の行われていた広場へ向かった。
少し小さめな広場は、すでに伽藍とし、あるのは、賑やかだった名残だけ。
人も、1人もいない。
やはり人がいない場所は、
(落ち着くの……)
男は我をベンチに座らせてから、男も隣に腰を降ろすと。
狸擬きは我の隣に飛び乗り、首に巻かれていた布を解いている。
中に放られた礼の1つ1つを前足に取っては眺め、
「フーン♪」
我に見せてくる。
「おや、よかったの」
「フーン」
コインもありますと。
おや。
「それは、お主のものの」
「フーン♪」
嬉しいですと尻尾を振る狸擬きに、
「ふぬ。そのコインは、何に使うのの?」
問うて見れば。
「フンフン」
ミルクレープに添える追加のクリームが欲しいですと。
「の、ののぅ」
食に対する執着は味覚も含め、やはり我より強い。
「フゥン」
コインは預かっていてくださいとこちらに渡してきた狸擬きは、再びガサゴソと菓子を検分してから。
「フーン?」
これを、東の山のカモシカに分けてもいいですかと訊ねてきた。
「のの?」
「フーン」
カモシカに、人の食べ物を少し分けてもらえないかと頼まれていたのですと。
「ぬ……?」
なぜにと疑問が浮かぶも。
あぁ、そうだ。
琥珀を採っている時に、我が考えなしに安易に与えてしまったせいか。
「あれの、人の食べ物欲しさに、あやつがこちらに降りて来たりはせぬかの」
「フーン」
あれは獣にしては非常に聡く賢い生き物。
主様のいる今は、山の祭りの様なものですから、大丈夫でしょうと。
「ふぬ」
リスと蜘蛛にも分けてやるのと伝えれば、
「フーン」
承知、とトコトコとお山の方へ駆けて行く。
「……彼は?」
「山へ行ったの」
まだ消耗している様子の男は、どうやら、我の血が混じっていても、それとこれとは別らしい。
煙草も取り出さず、大きく息を吐き出しているため、
「の」
ぱくりと指を咥えて唾液をまぶし、ほれのと口許へ運べば。
ちらと見開かれる瞳。
「気付け薬の」
「……あぁ」
手首をやんわり掴まれ、少し弛んだ唇に、指を食われる。
「どうの?」
「甘い」
「……」
気は戻ったか、との意味で聞いたのだけれど。
男の唾液のまぶされた指を口に含み、また男の口許へ運べば。
「あぁ……」
ねぶられる前に、男の熱い吐息がかかる。
先刻まで、我の気を、我に触れながら受けたお陰で、吐息すら冷たいものを吐き出しそうな勢いだったのに。
今は、我の唾液で気力を取り戻す不可思議さ。
「……」
男が満足するまで唾液を与えると。
射し込んできた西陽に、眩しそうに目を細めた男は、
「……君の片鱗に触れられた気がするよ」
我の手を、自身の頬に添えた。
ほう。
「どうだったの?」
問えば。
「……気が狂いかけた」
のん。
「あの場で、叫ぶのを堪えるだけでいっぱいいっぱいだった」
ののん。
してたら大惨事であったの。
「俺の中の君の血と唾液が、それを押さえ込んでいたよ」
我が仕事をしたようで何より。
「あぁ。心から助かったと思ったよ」
本当にの。
我ながらいい仕事をした。
「……あとは」
あとは?
「……君を、絶対に怒らせないようにしようと強く思った」
心からと思われるその切実な表情に、
「ぬっふ!」
堪らず吹き出してしまった。
翌日は。
「フンフンフーンッ!!」
宿の扉の前。
こんにちはとやってきた白髪男に、
「フーンッ!」
なんだお前は帰れ帰れと、いっぱしの威嚇狸。
「うぅ。何だか嫌われてしまったようで……」
「フーン!」
ミルクレープをかっさらっていた罪は重い大罪重罪であると、未だ根に持つ狸擬きに、
「これでどうか……」
と白髪男が両手に抱えた袋を床に置き、ごそごそと酒の瓶を取り出せば。
「フンッ?」
「……どうでしょう?」
「……フーン」
仕方ない、酒に免じて、と渋々扉の前から退く狸擬き。
椅子を勧めれば。
「ミルクレープ、とても美味しく頂きました」
白髪男は余韻でうっとりとした顔を見せた後、大きな紙袋をテーブルに置く。
ミルクレープは1人で食べたのかと問えば、
「勿論」
と、ニッコニコのいい笑顔。
(ぬぬん……)
現世ではどうにも、こやつと世話焼き娘との縁はとことんないらしい。
テーブルに並べられたのは、乾燥果実、紐で纏められた月桂樹を始め、香草に薬草。
何やら鮮やかな花弁と砂糖の詰められた瓶詰め、何かの種の入った袋、ゴマ入りのビスケット、スコーンに似たゴツゴツした焼き菓子など。
「手伝いをしてくれている助手に、旅人さんたちに礼をしたいが何もないと相談したら、薬草があるだろうと怒られまして」
怒られたか。
「薬草など珍しくないだろうと思っていたのですが、旅人さんには少しは珍しいはずだと指摘されまして。そういえばそうだと、思い至りました次第です」
そうの。
やはり薬草のこと以外は、色々と、だいぶすっぽ抜けている模様。
それでも白髪男は大きく首を傾げ、
「なんでしょうね、言われてみればその通りなんですが。なぜか、とても近い、親しい匂いがして、あなたたちを、とても近いご近所さんだなと錯覚してしまうんです」
のの。
狸擬きも、耳をチラと動かし、微かながら警戒をしている。
こやつは、獣に匹敵するその鼻腔の鋭さで、狸擬きだけでなく、我が東の山に足を踏み入れたその名残すら嗅ぎ取り、我等を、同胞の者の様な錯覚に晒されていたのかもしれない。
大層質のいい薬草に溢れたこの街で、ろくな礼も出来ないと学舎を案内されたのも、そのせいなのだろう。
そして遅くなりましたが、もろもろのお礼ですと、紙袋から取り出され並べたられた物で、テーブルの半分以上が埋まった。
男が、いやいやこんなに頂けませんと慌てているけれど、
「ここの辺は私が作っているものすし、他の品も、この街から近隣の国へも卸しているものですので、どうぞ遠慮なく」
「いや……」
それでも男がこんなには躊躇していると、
「隣街の黒馬の興奮も止めていただいた、街からのお礼も含まれているのですよ」
おやの。
どうやらあの場にいた誰かから、話を聞いたらしい。
結構な騒ぎであったしの。
すると、黒馬の興奮を止めたことになっている狸擬きが、無遠慮に瓶詰めの蓋を開き、
「フーン?」
鼻先を寄せている。
「そればバジルの葉とクコの実を潰したものです」
パスタに合いますと。
「フーン♪」
とても美味しそうである。
他にも使えそうなものや、旅先でいい物々交換になりそうなものも多い。
(ぬぬん)
これは、これだけ頂いてしまったら、お礼のお礼をしなければならないであろう。
狸擬きも、
「フーン」
仕方ありません、と、本音はただの食べたさ故に、冷蔵箱の前に向かう。
朝から仕込んでいたキャラメリゼされたミルクレープを出せば。
「おっおおお……!?」
これまで出会った人の、特に男たちも、ほどほどな甘党は多く存在し、珍しくもなかったけれど。
「これは……!」
ゴクリと大きく喉仏を上下させる白髪男は。
「すみません、先にスケッチを少しさせてくださいっ」
甘党の口と研究者の目が忙しい。
「紅茶を淹れるからゆっくりでよいの」
男は珈琲がいいと言うため豆を挽かせ、
「狸擬き、切り分けるの」
ナイフを渡せば。
「フン?……フーン」
ナイフとミルクレープをそれぞれ眺めては、せわしなく耳をピクピクさせているため。
「きちんと等分に切るのの」
一応、忠告をしてみれば。
「フンッ!?」
そんないじましい真似はいたしません!と椅子の上で後ろの2本足で地団駄ステップを踏むけれど。
ただでさえ太い尻尾が、更に不自然に膨らんでいるではないか。
ミルクレープをスケッチをする白髪男に、丸いケーキを等分に切れる切り方を狸擬きが教わっている。
「フンフン」
なるほどなるほどと狸擬き。
どう切るのか、我も後で訊ねよう。
珈琲と紅茶を淹れてテーブルに着き、お茶の時間とする。
「これは、これはいいです、とても美味しいっ!」
「フーン♪」
果物たっぷりも美味でしたが、これも堪りませんと狸擬き。
柔らかな生地が濃い目のキャラメルクリームに馴染み、たまに感じる、仄かな甘苦いキャラメリゼの食感の違いが、また良き。
「美味しいよ、君は凄いな」
男にも、頭を撫でられつつ褒められたけれど。
「……ぬ?……ぬん」
我の知識でも発想でもなく、元の世界の他人様の知識であるから、褒められても、こう、ズルをしている様で、少しばかり心の居心地が悪い。
(「美味しい」にだけは、しっかりと頷けるのだけれどの)
「いや、知識として知っていることと、実際に作れることはまた別だ」
後で男に伝えてみれば、そんな返事をもらえた。
ぬぬん?
「そうかの」
「あぁ。俺も住んでいた場所で食べていた甘いものは、見た目も味も知っている。でも知っているだけで、俺は作れない」
ぬん。
「君は、ちゃんと凄いよ」
ふぬ。
「フーン」
そうです、主様は凄いのです、といつでもどこでも我を崇拝狸。
男が言うならば、きっとそうなのであろう。
白髪男は、研究室と街中を彷徨いていない時は、我等の宿にいると即座に把握され、あの後、間も無く世話焼き娘の来襲により、ズルズルと引き摺られて帰って行った。