115粒目
白髪男には、朝からなんであるか、と思ったけれど、寝坊していたのは我だった。
そして昨夜は食事をしなかったせいでぽんぽんも減っている。
(ぬん……)
今朝はできたら、赤飯おにぎりが食べたい。
けれど。
白髪男がいる。
「……」
迷うのは一瞬。
この白髪男は他人に言いふらすような男ではなさそうであるし。
「よいしょの」
炊飯器を水場に上げれば。
「!?」
そう、ただただ、研究者の好奇心、その一心で、中を覗き込んでくるばかり。
すでに米は水に浸されているため、袋から小豆を落とせば、
「……!?」
今度は知らぬ豆に夢中になる。
身振り手振りで、これを欲しい、分けてくれないかと訴えられたけれど、かぶりを振ってスイッチを押す。
「……」
未練たらたらに小豆の入った袋を眺める白髪男から袋を奪い、
「狸擬きの」
「フーン」
狸擬きが袋を咥え、寝室へ隠しに行く。
「あれは、なんと言う豆なのですか?」
男伝に問われ、
「小豆の」
我の答えにも、
「あ、ず、き?」
と不思議そうな顔をして首を傾げる。
こちらの世界で、どこぞの土から生えた来たものならば問題ないけれど、我の小豆は若干特殊である。
例え1粒でも勝手に植えられ芽が出たら、どんな面倒事が起きるか。
想像もしたくない。
しかし。
(……ふぬ)
屋敷の一部で栽培してみるか。
いや、もしかたら「我」が生まれるやもしれぬ。
さすがの我でも、想像だけでも恐ろしい。
やめておくことにする。
少しして、シュンシュンと湯気を噴き出し始める炊飯器にまた興味津々な白髪男はそのままに、男はスープを、我は男のリクエストで卵焼きを焼く。
戻ってきた狸擬きが踏み台に上がり、フォークなどを右前足で抱えてテーブルへ運ぶと、白髪男も、自分も何か手伝いを、と炊飯器から顔を上げる。
「そうの」
追加の卵を割って軽く混ぜるのと伝えると、案外器用にこなしている。
料理をするのか。
我の持つ箸にも興味津々なために、箸は問題なかろうと持たせてみる。
実際、ただの長細い棒でしかないため。
「……?」
どんなにためつすがめつされても、どうにもならない。
箸の持ち方を見せてやれば、
「!?」
自分の指を、我の箸を持つ形にしようと格闘し始める。
案外薬草以外にも探求心があるらしい。
白髪男の、しぶとく落ちない紫色に染まった指先を持つ手を見て、
「の」
「ん?」
「この世界にも、緑の手、茶色の手はあるのかの」
と、男と狸擬きに問えば。
「???」
「フーン?」
そういった言葉は存在しないらしい。
植物を育てるのが上手な人を緑の手、下手な人を茶色の手と言うらしいと話せば、男は、
「初めて聞いたな」
へえと面白そうな顔をし、白髪男も、
「大変に興味深い話ですね」
ずいと迫ってくる。
男が笑顔のまま、さりげなく我の肩を抱くけれど。
(こやつの関心は薬草と薬草の精霊にしかないから問題ないの)
「フーン」
わたくしの手は茶色です、と自分の前足を眺める狸擬き。
「くふふ、見た目の色の話ではないの。育てた植物の色であるの」
「俺は、植物を育てたことは一度もない」
「フーン」
わたくしもたまに葉を齧るくらいですと。
無論、我もない。
まじまじと自分の手の平を眺める白髪男は、言うまでもなく、極上の、輝きすら放つ緑の手なのだろう。
なんせ、薬草の女神の加護を持つ男なのだから。
「とても楽しい経験をさせて貰えて感激です」
赤飯おにぎりを食べる行為を、楽しい経験と白髪男は言う。
感想の切り口が独特である。
狸擬きと奪い合うように赤飯おにぎりを食べるその白髪男は、実際の所、どれくらい、薬草の精霊のことを覚えているのか。
表面には出ていなくても、過去の記憶の器には、しっかり欠片として残されている。
「あとで、お主が特に世話をしている薬草畑を見たい」
と伝えて貰うと、
「あぁ勿論です。薬草ばかりなので華やかさはないですが、皆、健気に育ってくれているので、ご案内します」
ニコニコと相好を崩す。
「フーン」
スープを飲み干した狸擬きが、冷蔵箱に鼻先を向ける。
そうの。
その前に、ミルクレープを作らなければ。
軽く片付けてから、クレープの生地を作り焼き、白髪男に生クリームを泡立てさせ、男には果物を薄く切ってもらう。
「フンフン」
狸擬きがクリームを伸ばした生地の上に、果物を乗せていく。
狸手はともかく、
(人手があると早いの)
予想外に、あっという間に出来た。
落ち着くまで冷蔵箱に仕舞い、冷蔵箱を未練がましく振り返る狸擬きを促し外へ出ると。
ふと道の向こうから、あの、余計なお世話で我が勝手に少々不憫に感じている世話焼き娘が、バタバタ駆けてくるのが見えた。
白髪男の姿に気付くと、何か声を上げている。
「?」
「こんなところにいた!探しましたよ先生!!」
の叫びに。
2人と1匹で白髪男を見れば。
「あ!?」
あ?
「そうでした!!隣街から来た方たちへの、薬草に付いての講義があったんです!」
こんな白髪男でも、どうやらそれなりに忙しい身らしい。
なのに朝からミルクレープの材料を持って、我等の宿にまで押し掛けて来たのか。
狸擬きもびっくりの自由さである。
「もー!急いでくださいっ」
世話焼き娘に腕を取られ、引き摺られながら、
「あああ……っ!あのですね!!」
こちらを振り返る。
なんの。
「す、少しでいいので、あれを取っておいて貰えませんか!!」
1切れでもいいので!
と切実さが極まった声を上げられる。
男が、了解したと手を上げると、安堵した表情で手を振りつつ、街中へ引き摺られて行く急ぐ白髪男を見送り。
薬草畑の案内はなくなった。
「俺たちはどうしようか」
「我は、森へ行きたいの」
本日も祭りのため、森に人はいない。
男が聞いた様子でも、今日は森に向かう行事もないと。
天気も気候も穏やか。
少しばかり歩くけれど、散歩がてら街を抜け、森へ向かうと。
「狸擬きの」
「フーン?」
「場所はどこでもよい、ここから一番近い崖へ案内して欲しいの」
そう声を掛ければ、
「フーン」
畏まりました、と先を歩く。
森へ入るなり男が我を抱っこして来たため、狸擬きはなるべく男の歩きやすい獣道を始めとした道を進み。
向かう先は、狸擬きでも簡単に飛び越せる崖の方ではなく、
「この先危険、入るな」
と書かれたまだ替えたばかりの看板の立つ、更に南側へ向かい。
「……どこまで行く」
男が怪訝な声を出す。
「のん、少しばかり崖下を眺めたいだけの」
看板を通り越し、もさもさ歩く狸擬きに続き、山の方へ近付いていけば。
草が生えない岩場の先に、
「おぉ……」
「なかなかに凄いの」
山の方までどれ程あるだろうか。
剥き出しの岩肌。
膝を付いて、隣の狸擬きと共に崖下を覗き込んで見るも、やはり何も見えず。
「ぬぬん……」
ならばと耳に意識を集中させて神経を研ぎ澄ませても尚。
(……無、であるの)
不自然な程に。
もう少し深く、感覚を研ぎ澄ませようとした時。
『あら、あら、いけませんよ』
昨夜話したばかりの薬草の精霊の残滓であるはずの声が、ふわりと上から降ってきた。
(のの?)
「気が済んだか?」
顔を上げると、男に背中からひょいと抱えられた。
「のん」
正直、まだ覗き足りないけれど。
今降ってきた薬草の精霊の声は、幻聴ではなかった。
狸擬きは、もうとっくに、嫌そうに崖から離れているし。
本来なら眠っているはずの精霊に忠告される程には、危険な場所。
正体が何であるかは、からっきしに分からぬけれど、解るのは、あの黒い靄とは、全くの別物であること。
それが分かっただけでも、良しとしよう。
森の中に戻り、男と共に枝を拾い。
我と男は、ちゃんばらごっこに励む。
我の要望に他ならぬけれど、男も案外、渋らずに頷いてくれた。
狸擬きは審判。
「フーン」
狸擬きが鼻を慣らし、ピンッと尻尾を上げたのを合図に、
「ふんっ」
我は、動かぬ男に立ち向かう。
男は、剣術の経験はほとんどないと言うけれど、
(よく見ておるのぅ)
動かない代わりに、我の足先の方向、腕の動き、我の視線までをも観察し、
「ふぬぬっ!」
駆けて跳ねて枝を振り上げ叩きつけても、防がれる。
我の足で簡単に登れそうな優しい木々は見当たらず、代わりに男が向かってきたため、受け流して避ける。
「……おっ」
我は力ではなく、我自身の軽さを生かすべきであろうと、我から距離を取った男に、今度は我が駆け寄り男の足を狙うも、
「おっ……!」
地面に突き立てるように下ろした枝に止められる。
「ぬんっ」
勢いで飛び退きつつ。
「ほいのっ」
枝先を向けて男に飛ばせども。
「うおっ!?」
間一髪で、弾かれてしまう。
「のっ!?」
少しは怯ませられると思ったのに。
そこらに落ちてる適当な枝を拾い、無駄な部分折ると、その握った枝に力を込めつつ、再び男に走り寄れば。
「お転婆はそこまでだ」
叩きつける枝を正面から受けられた直後。
男に、我の持った枝を片手で掴まれた。
「んのっ!?」
枝を掴んだ男は、そのまま枝を持った手を捻り。
枝を強く持っていた我は、
「……のっ!!」
呆気なく、枝ごとくるりと半回転し、草の上に転がされた。
「フーンッ!」
勝負あり、と狸擬きが高く上げていた尻尾を振り下ろす。
「ぬーっ!!」
どうにもこうにも、完敗である。
「大丈夫か?」
抱き起こされて、髪にドレスに付いた草を、男に優しく落とされる。
「……お主は、か弱いレディにも容赦がないの」
摘まんだ葉を放る男は、
「そうだな」
身体を揺らして笑う。
我が、力ではなくあの場で、軽さに重点を置いた点から始まり、新しく持った枝には必ず力を込めること、それは、枝がほぼ我の一部になっていること。
そしてその枝には、当然強く握る我の身体もくっついてくること。
それらを全て、我の男には見抜かれていた。
「むぅぅ」
全く面白くない。
我が目一杯頬を膨らますと、
「日々、君のことを従者として観察しているからな」
褒めて欲しいくらいだと、むくれながら両手を伸ばす我を抱き上げてくる。
「……フーン?」
狸擬きが、山の方に鼻先を向けている。
「の?」
東の山から、狼の遠吠えが聞こえる。
「フンフン」
知り合った狼たちに、一緒に遊ぼうと呼ばれておりますと狸擬き。
狼。
穏健派の狼たちなのであろう。
「お主のその、こみにゅけーしょん能力、だけは感心するの」
「フーン」
獣たちは、わたくしめを含め皆単純でありますので、とテコテコと崖幅の狭い方へ駆けていく狸擬きの尻を見送り。
赤ん坊でもあやす様に、男が木漏れ日の森を歩きながら。
「君のいた山も、近隣の村などに、ここの山のような恩恵があったりするのか?」
そんな事を訊ねられた。
「の?全くないの。むしろあまりに優しくないため、人が寄り付かぬお山であるの。ここのお山が、特異であり過ぎるの」
「彼のいた森の方は?」
「の?聞かぬの、なんせ主があのへっぽこ狸であるからの」
なんの期待も出来ぬ。
東の山の方から、
「フーンッ!!」
と抗議のフーンが聞こえてきた気がする。
まぁ気のせいであろう。
「そうか」
男は、何か別のことを思案している表情。
「の?」
「ん?いや、やっぱり、君のいた山を、見てみたいなと思ったんだ」
「猟師も書いていたと思うけれど、あそこはただの人に優しくないお山であるの」
青のミルラーマの“青の”も、山が美しい青さを誇るわけでもなく、無駄に大きく凶暴な青熊が跋扈していたせいであるし。
「それでもだよ」
そういうものか。
赤い木の実を見掛け、手を伸ばしもぎる。
「あむぬ。……ふぬ」
とても甘い。
男の口にも放り込んでいると。
ふと草影にリスの姿を見掛け、首を伸ばし、男の肩越しに、
「ほいの」
リスの横っ面に小豆を飛ばしつつ。
(東の山の主に会った時に、反射で小豆を飛ばさないようにしなくてはの)
気を付けなくてはのと思いつつ、倒れたリスの元へ向かってもらう。
「いつ見ても凄いな」
男には関心されるけれど。
「我は、これくらいしか出来ぬからの」
抱っこから降ろして貰えば。
「君は、自分を低く見積もりすぎだ」
呆れたような溜め息混じりの返事が来る。
「自分を高く見積もってもろくなことはないの」
実際、出来ないことの方が遥かに多い。
「未だに、火の1つも出せぬしの」
指を立てても、何も出ない。
しかし。
「美味しそうなリスであるの」
街の管轄の森だけれど、リスの数匹くらいはいいだろう。
森の中で、今度は男とリスの数を競い、
「ぬふー♪」
我は5匹、男は3匹。
狸擬きは、楽しそうに狼たちと森を駆け回っている気配がするため、先に2人で宿に戻り、ドレスを脱いで宿の庭先で解体していると。
「フーン?」
血の臭いがします、と狸擬きが戻ってきた。
「おや、早いお帰りであるの」
「フーン」
そろそろ、ミルクレープとやらが食べ頃なのではと思いましてと。
おやつの時間は絶対な狸。
「そうの」
でも、材料を買ってきてくれた白髪男抜きで食べるわけにも行かない。
「フーン」
ならばわたくしめが連れてきます、と庭から街中へスタコラ駆けて行く。
「新しい甘味に対しての情熱が凄いの」
血を油を流してから、部屋の中に戻ると。
「君の作ったものだからだろう」
俺も楽しみだよ、と皿を並べる男。
「ぬん♪」
再び着替えて湯を沸かしていると、
「フーン♪」
狸擬きが、1匹で戻ってきた。
「?」
それから少しの間、砂時計の砂が落ちきる頃。
「ひ、久々に……はっ……走ったら……わ、脇腹が……ぐぅぅ……っ」
ゼーハーしながら、白髪男がやってきた。
ちょうど、講義が終わった時だったと言う。
狸擬きのお迎えの姿に、旅人の客人への対応があるからと、ここぞとばかりに逃げてきたと。
白髪男は、今はきちんと黒い服を着ている。
誰かのお古なのか、若干色褪せてはいるけれど。
まだ大きく息を乱している白髪男は、世話焼き娘が迎えに来た時も、走らず引き摺られていたくせに、ミルクレープと言う見知らぬ甘味のためには走るのか。
そして、冷蔵箱から出されテーブルに置かれた、生地とクリームがしっとりと馴染んだミルクレープに、
「おおっ」
脇腹を押さえつつ、狸擬きと共に顔を近付けている。
紅茶を淹れ、切り分けると。
「断面が細かい、美しい地層のようだ」
「フーン」
果物が宝石の様です、と狸擬き。
そんな狸擬きは、切り分けたケーキを眺めるのもほどほどに、フォークを挿し込み、大きく切り分け、口に放り込む。
「……フーフン、フン」
ムグムグ咀嚼すると、
「……フゥゥゥン♪」
大変に美味です、とうっとり恍惚狸。
白髪男も、
「うん!うんうんっ!!」
目を見開き、狸擬きと大きく頷き合いながら、頬を弛ませているところを見ると、美味しいらしい。
我の男は、食べる前に手早くスケッチしている。
我も、フォークを押し込むと、むにむにと力が掛かるのが楽しい。
「あーむぬ」
クレープとは温い(ぬくい)もの、と思っていたけれど、
「冷えたのもなかなか美味であるの……むぬぬ」
伸びてきた男の手で口許を拭われる。
「フーン」
おかわりと皿を持ち上げる狸擬き。
「早いの」
隣の白髪男の皿も空。
それぞれの皿に切り分けたもの乗せてやると、勢いよくフォークを差し込む。
男も、
「美味しいな、食べ応えもある」
「そうの」
薄いクレープの1切れとはいえ、何層にも重なっている。
白髪男に、仕事は終わりかと訊ねれば、
「いえ、隣街の学舎の先生たちが来てくれているので、戻ったら挨拶をしなければならなくて」
祭りでも、近隣から客人の来ない初日だけは、目を瞑ってもらっていたらしい。
これでも学園長の肩書きがある人間であるしの。
「とても面倒臭いです」
と憂鬱そうに溜め息を吐くため、残った2切れを、客人であり材料を持ち込んだ白髪男に持たれせば。
「お礼は必ずしますので」
途端にホクホクした笑みを隠さずに、ミルクレープを詰めた箱を抱えて帰って行った。
一方。
「……フーン」
酷くご不満顔なのは狸擬き。
またも、白髪男におやつを取られたと、眉間に毛を寄せている。
「では次は、キャラメルソースにでもしてみるかの」
「フンッ!?」
「そうの。表面は、男に火と風魔法で表面をキャラメリゼしてもらうのも良いの」
「フーン♪」
途端にご機嫌狸。
「フンフン」
いつですか、今日ですか明日ですかとせっかち狸。
「ぬぬん、そうの」
到着したその日に東の山のあれやこれやで、そのまま街にお邪魔させてもらっているけれど。
「の、ここには、いつまでいるのの?」
洗い物をしながら男に問えば。
「そうだな」
男も考える顔。
少なくとも、こやつにキャラメルのミルクレープは作ってやらぬといかん。
正確には、我も食べたい。
「じゃあ、明後日辺りかな」
「ふぬ」
例えこの街を出ても、東の山は、まだまだ近い。