108粒目
「悪い、待たせた」
「のの、こんな場所まですまぬの」
狸擬きの案内で、ランタン片手にやってきた男は、我等が森へ入っている間に、
「馬車を出してきたよ」
「おやの」
預けたばかりであったのに。
馬車で森の手前まで走って来てくれたと。
「それは有り難いの」
1つに纏めた狼たちの屍は。
「どうしたものかの」
この街の人間は、山は獣の領域とし、一切立ち入らぬ場所となっている。
その山に住む狼を、
「人の領域にある森に侵入し、尚且つ人を襲おうとし、そして道理も通じぬため屠った」
と言えども。
それが、全くの余所者の仕業、ともなれば、あまりよくは思われないであろうし、なぜその過程に至ったかと、話さなければならなくなる。
そう言えば。
「街の者たちは、こちらに様子は見に来ないのの?」
狼が出たと言うのに、気配がない。
「厩舎の方で聞いたけれど、夜は森も限りなく山の領域に近付く。
この国の、特に山に近い1つであるこの街も、夜はよっぽどでないと、森には近づかない、入らないそうだよ」
人が襲われかけたと言うのに、徹底しておるの。
それはよっぽとのこと、有事ではないのか。
男もさすがに少し怪訝な横顔を見せ、
「夕刻からは、自己責任なんだそうだ」
と。
この土地の、獣の山と人里の、力関係が見えてきた気がする。
「まぁ今宵の我等には、非常に都合のいい話であるけれどの」
1匹残らずの狼たちは。
「解体だけ済ませたら、街で話を聞いて、厳しそうなら他の国で卸そうか」
「の」
荷馬車を停めた近くに沢が流れていると言う。
2往復で何とか狼たちを回収できた。
沢で小豆を研ぎたいけれど、狼たちの解体が先である。
狸擬きは、森を、崖の方を眺め、
「フンフン」
少しばかり散歩をば、とモサモサ消えて行った。
この数の狼、時間も掛かりそうだから放っておく。
「多いな」
「ぬん」
もし今後も、この数の狼が出る様であれば、街が、いや国が、さすがに放ってはおかないだろう。
なんぞ、山で狼の異常発生でもしたのだろうか。
万に一もないけれど、もし人里へ降りてきたのが、
「我の影響」
だとしとも、あまりにも動きが早すぎる。
それよりも、小鳥の話していた、山のざわつき。
あれが関係していそうだけれど。
とかく男の腕が早く、我は主に皮を剥ぎ、狸擬きはどこまで行ったのか、気配も薄い。
「子の狼は、毛も更に柔らかい、高く卸せそうだ」
「それはよいの」
屋敷を買って、懐も少し心許ない。
そう言えば、我ながら、
「子は見逃す」
など、頭の片隅にも浮かばなかった。
男もその辺りは、子狼の毛を撫でて満足そうにしているから、気にしないのであろう。
黙々と作業をこなし、毛皮を川で洗い、男が荷台の外に設置した物干しに剥いだ毛皮たちを吊るすと。
「後は乾かすだけだから」
「の♪」
我は、ザルを持って毛皮を洗っていた沢へ再び小走りで向かい。
「ぬふん♪」
ザルを流れる水に浸し、
「あーずき……♪」
と、小豆を研ごうとした途端。
「フーン」
狸擬きがモサモサと戻ってきた。
「……むむ。なんの」
我を、我とする、
「アイデンティティ」
である小豆洗いをするところだったのに。
『失礼致しました。取り急ぎお伝えしたい事柄が』
「……なんの」
『向かいの山の主が、つい先日、長き眠りに就いたそうなのです』
長き眠り。
「あぁ、死んだのの」
『新しい主は、力もなきまだ年若き小リス。そのため、山で長い間守られていた、
“崖を境に、山は獣の領分、それより先の、森を含む平地は人の領分”
との決まりが、崩れた模様』
なるほど。
それで気の逸った阿保どもが、こちらへやってきたと。
「森と山を分ける崖の幅は大きいのの?」
『いえ、場所によっては、わたくしでも飛べ越せるほどに狭い場所もあります』
それはとても狭いの。
「フーンッ」
わたくしめは跳ねる力はそこそこですとお怒り狸。
「それで?」
『薄暮、人の領域、森へ向かうために降りた狼たちの気配が、瞬く間になくなり、
“何者かに討伐された“
と山の方に大きな動揺が見られます』
何者、とな。
『言うまでもありませんが、
“人間にやられた“
との誤解が生まれると、多少厄介かと思われます』
はて。
「我の力は、山へ伝わってないのの?」
隠さなかったつもりだけれど。
『主様が“人間に依頼された”と考える、思慮の浅い獣も少なくありません故』
ふぬ。
そうの。
我もこやつも含め、獣はあまり堅くない。
「お主は、この森と山を分ける崖を、我を乗せて飛び越せるかの」
『愚問に御座います』
そうの。
明日出直すか迷ったけれど、獣の多くは夜行性。
男の許へ戻り、狸擬きの山の話を伝えると、
「……俺はどうすればいい?」
この物分かりのよさは、称賛に値する。
内の半分は諦めなのだろうけれど。
「お主は組合などへ向かって、少し話を聞いてきて欲しいの」
狼の毛皮の卸しも含め。
「わかった」
「ナイフを貸して欲しいの」
「……」
渋々、差し出してくれるため、スカートとパニエに覆われた太股に巻き付ける。
「では狸擬き、頼むの」
「フーン」
股がれば、狸擬きはすぐに助走的な走りを始め、
「フーン」
極端に崖幅の狭い場所があり、狼たちもそちらからやってきた模様と。
1メートル程度であろうか。
この程度ならば、人も橋でも掛ければ余裕で行き来出来る。
それをしないのは、遠い昔にでも、人と、山の主の間で、何かしらの決まりごとでもあったのだろうか。
先刻のアホ共の暴走から思うに、この土地の人間たちの方は、長年、決まりを守っている。
けれど、未遂で済んだとはいえ、人が襲われかけた事実は存在している。
それでも、
「仕方ない」
の空気は解せぬ。
そしてその辺りは、山の方は、山の主は、どう落とし前を付けるのか。
狸擬きは我を乗せたままでも軽く崖を飛び越えると、それだけで、ふわりと、空気が変わる。
それは。
そう。
(のの……)
獣の領域。
髪の先まで、ピリピリと何かに染まり上がる感覚。
我を乗せる狸擬きが、ふと足を止め。
どうしたのの、と問う前に。
『はじめまして』
木の実しか食わぬ故に大層美味な小リスが、ちょこりと、山の手前で待っていた。
『どうして自分が山の主になったのか、自分でもわかりません』
『力もなければ、大きくもありません、ご覧の通り、とても小さい』
『私はこの山に生まれてから、まだやっと1つの季節を過ごしたばかりの若輩者なのです』
『山に住まう生き物たちは、当然、私などを恐れるはずもなく。
私の言葉はおろか、他の獣たちの制止も聞かず、先刻の様に、人様の領域である、崖を越えた森の方へ向かってしまいました』
小さなリスは、吐き出す溜め息も小さい。
『狼たちが禁を破り、他のものたちが森へ止めに入る寸前、あなた様が現れてくれたお陰で』
『他の獣たちが、人の領域に足を踏み入れることなく済みました』
小リスは小さな前足を合わせ、瞳を閉じてからそんな事を呟くように教えてくれ、ちらと大きな尻尾を振る。
リスなりの礼らしい。
(ふぬ)
「お主が山の主として選ばれたのは、その自らをも俯瞰出来る視野と知能故であろうの」
脳みその大きさとは比例しない模様。
大事なのは皺の数だったか。
『そうでしょうか……?』
「あの阿保な狼たちでは、どう転んでもこの山の主は務まらないであろうからの」
我の鼻で笑ったその言葉に、
『……その』
小リスは少し気まずそうに頭を下げ。
『……お恥ずかしながら、その“阿保なもの”たちが、この山には、少なからずいるのです』
のぅ。
今までは、大きな大きな鷲が、山の主だったと。
逞しい嘴と鋭い爪と飛翔力、それに、いつでも、
『圧倒的な強さと、統率力がありました』
なるほどそれに比べたら、この我の肩にも乗れそうな子リスに、何が出来ると。
「の、人間たちは、こちらの山には入らぬの?」
『はい。たまに、人間の大人たちが崖の方まで眺めに来ますが、こちらの山の様子を観察し、大きな変化がないか確かめに来る程度です』
互いに干渉は最低限だと。
土地により、干渉具合は様々である。
ここは、山に入らずとも、人が平地のみで生活を営める恵まれた土地である。
そしてこの度、先に禁を破ったのは、山の獣。
『……』
言葉にはしなかったけれど、何かを察したか、小さな身体をますます小さくさせる小リス。
「フーン」
主様、と狸擬きが、するりと身体を寄せて来た。
狸擬きは狸擬きで一応森の主でもある。
どちらも力なき主同士、共感、いや、同情でもしたのか。
(ふぬん)
「しかしの。縁もなき他所の山の主が、他所様の土地の事情に首を突っ込んでよいものかの」
狸擬きの頭を撫でると、
『……私を山の主とした何かしらの力が、あなた様をここに呼んでくれたのだと、私は思っております』
そう答えるのは、まだ生まれてから一度の春夏秋冬を体験したばかりの小リス。
その小リスの言う、
「何かしらの力」
は、
(この小リス自身のものかもしれぬの)
わざわざ言葉にはせぬけれども。
「殺生は?」
『その強大すぎるお力故、さぞや厳しく、難しいのは存じております。
それでも、できれば、少々の手加減なさっていただければ幸いです』
ぬん。
こやつにとっては、どんなにド阿保共でも、同じ山の仲間たちであるしの。
では。
「狼たちはすまなかったの」
あやつらはすでに毛皮にまで成り果てている。
『……あの方たちは、自業自得です』
と言うものの、しゅんと肩を落とす。
「優しいの」
『とんでもない。ただただ、弱いのです。山の主には、これ以上なく不向きです』
そうの。
本当に、なんの、誰の、山の気紛れか。
小リスに、この大きな山々の中で、一番高い場所まで案内して貰う。
地形的にいびつではあるけれど、案内された場所は、ちょうど山塊の真ん中で具合がいい。
木々も、まるでそこだけ誂えたかのように、平らで何も生えていない。
我は。
そう昔でもなく、ついぞ最近、あの氷の島でもしたように。
大きく息を吸い込むと。
「我は!ここより遥か遠き山、青のミルラーマからやってきた余所者である!」
「この度、この山の主となった子リスに代わり、宣言する!」
「山の主が変われど、今までの通り、深い崖を境界とし、人と獣、平地と山の区切りを付ける!」
「それに意を唱えるもの!それも否定せぬ!」
「ただし!その力を持ってして、この我に、力で証明してみせよ!!」
小さい人の形をした幼子の口からの言葉は、人里までには無論届かぬものの、思ったよりは、遥かに大きく、深い山の奥にまで届いた。
そして、意識して身体に言葉に力を込めたせいか。
『主様』
「の?」
『……』
「ののぅ」
すぐそばにいた小リスは、背後でひっくり返っていた。
「……しかし、殺すなとはまた難しいの」
主に狼たちと、猪と思われる獣たちが、憤っているらしい。
どちらも小豆を飛ばせば、頭には軽く貫通するし殺してしまう。
足などの機動力を奪う部位を狙うのも、山では遠くない死に導くことには違いない。
素手でひっぱたけば、ひっぱたいた部分が消えてしまう。
(ぬん……)
「フーン」
「そうの」
手頃な太い枝を拾う。
ほんのお遊びだとしても、蛇男が枝を突き合わせてくれたお陰で、蛇男の真似っこで、少しは枝を振れるはず。
そう、うまく行けば、昏倒させられる。
狸擬きに股がり、走り出す狸擬きの毛を左手で掴みつつ、ふっと力を抜けば。
近くから遠くから、我の言葉に反応した獣たちの気配が、幾多数多。
「くふふっ」
長い夜になりそうである。
ーーー
無論。
初めは無理だった。
「のっ!」
『フンッ!?』
一振で狼の頭がなくなり、連携を組んだものたちを凪払えば数体がまとめて背後の木に叩き付けられ、昏倒ではなく、絶命した。
山には、大きめな個体の一部には、鹿や、鹿に似たものたちも数多くいたけれど、その鹿と、鹿に似たものたちは、そもそも我に歯向かう気もなく、怯えて固まっているだけ。
その中には、ちらと、毛にまみれたカモシカの様な大きな獣も見えた。
『穏便派です、わたくしの力も是非』
と木の枝からぶら下がり、ふわりと飛ぶように降りてきたのは、
「のぅ?」
熊村長のいる森でも利用させて貰った大きな蜘蛛。
森に馴染む漆黒と緑の2色。
子リスより少し小さいくらいか。
『わたしたちのような力もなく小さな生き物は、今の現状のままを望んでいるので、味方だと思ってくださって間違いありません』
それは助かるの。
「ではの」
蜘蛛を掴み、力を籠めれば、果敢にやってきた大型の狼を巻き取り、
「……ッ!?」
「ほいの」
低い木の枝に吊るしてやる。
「見せしめの」
我の足となる狸擬きも、大きな大きな山々の稜線を楽しそうに駆け抜けて行く。
数体程吊るすと、
『すぐ先に仲間がいます、わたしはそろそろ糸切れ、仲間に引導を渡します』
「大変に感謝するの」
『とんでもございません、忘れられない楽しい経験が積めました』
狸擬きが速度を落とすと、目の前にやはり似た模様の蜘蛛がするりと落ちてきた。
「初めましての」
糸切れの蜘蛛を木の枝に添え、足をパッと広げる蜘蛛を掴めば。
『~♪』
こちらはお喋りは出来なさそうだけれど、蜘蛛たちは賢く、するべき仕事も把握してる。
掴んだ右手に力を込め、こちらに突進してくる大きな、イノシシに似た多毛な獣に蜘蛛の尻を向けてやれば。
「のっ!」
『!?』
「フンッ!?」
糸の強度が強すぎ、細やかに分断された。
血が、肉片が、頬に白いドレスに掠る。
『主様、お力が強くなられております』
自重を願いますと狸擬き。
「難しいことを容易く言うなの」
深く続く山の中に、血の臭いが流れ始め、夜の山は、更にざわめいていく。