106粒目
「すみません、だいぶお待たせしてしまいました」
ロビーに向かえば、まだ少し息を切らせている本の男が謝りながらやってきたけれど。
「おやの?」
「フンッ?」
短く切り揃えられた髪に、整えられた髭。
「一張羅です」
と、目にも鮮やかな青いスーツで現れた。
「驚く程に人が変わったの」
顔を覆う髪がなくなれば、思ったより太く凛々しい眉に、大きな青い瞳、色の濃い唇は際立ち、何とも、凛然とした顔立ちの若者であった。
野暮ったい上着を羽織っていた時とは別人の様。
「フーン」
わたくしめも毛でも切れば少し変わるでしょうかと、本の男の変身に、興味津々の狸擬き。
「ぬぬん、そうの」
獣の毛を刈るのは、とりみんぐ、とやらになるのか。
青の国にはそれらしい店も多くあったけれど。
「フーン♪」
わたくしめがさっぱりとしたら、まるで狼と見間違えられてしまうかもしれませんね、と、自身の妄想の姿にうっとりしつつ、通されたレストランの椅子に飛び乗る狸擬き。
(のぅ……)
以前も、
「自分は身体こそ大きくなれば、青狼の様に見えるのです!」
と妄言を吐いていたけれど。
あれも冗談ではなく、本気だったのか。
「ずんぐりむっくりの権化」
の様な姿をしているくせに。
同じイヌ科でも、こやつは狼とはだいぶ違うのと思いつつ、そういえば、この世界に犬は存在しない。
ならば、こやつは何科になるのであろう。
青の国でなら、その辺の分類もなされていたのであろうか。
いや、青の国でも、すでに狸擬きの存在は首を傾げられていた。
この世界では、犬の役目を狼が果たしていることが多い。
犬がいないのだから、きっと、もしあるとすれば、オオカミ科という分類になってるのだろう。
視界の端では、男と本の男は、メニューを眺め、酒を注文している。
我が、我ながらあまりよいとは言えないおつむで狸擬きを眺めつつ長考していたせいか。
「フーン」
こちらは若干、温暖な気候な様子ですねと狸擬き。
「ふぬ?」
唐突にどうした。
「フンフン」
なのでわたくしたちは、この毛量からしても、もう少し寒い土地を好む獣なのかもしれませんと狸擬き。
狸擬きは、こちらでの自分の仲間の存在を、その小さなおつむで思索していた様子。
ふぬ。
「確かにそうの。その無駄に多い毛量は、こちらの温暖な気候では必要なさそうであるしの」
「フンッ!?」
我の返事に、椅子から軽く飛び上がった狸擬きは、
「フーンッ!」
無駄とはなんでございますか!この毛1本、毛先ですら、貴重かつ希少な奇跡の結晶のような代物であります!
と、とんだ戯れ言をほざく狸。
今しがた「毛を切れば」と自分で口にしていたではないか。
「フーンッ!」
それはものの喩えというもので御座います!
と、2本の前足をジタバタさせていたお短気狸は。
けれど。
「お待たせいたしました」
運ばれてきた酒、洒落たカクテル的なものに、
「フンッ?」
即座に目を奪われ。
「フーン♪」
途端に大人しくなる。
何なら、
「フゥン……♪」
とても美味しいです、とご機嫌にすらなっている。
「それはよかったの」
やはり酒と言う代物は、大変に便利な道具である。
我も、酒の含まれぬオレンジ色のカクテルで乾杯し、
「ぬん♪」
パスタに肉にとボリュームたっぷりな夕食。
始めこそ少し畏まっていた本の男も、酒が入り少し緊張も溶けたのか、我の唇を拭う男の問いかけに、
「そうですね、両親と入れ替りで旅に出てみたい気持ちはありますけど」
1人で旅は寂しいかな、と考えるように首を傾げる。
「昼間は、お客さんと話したりすることも多いので」
それなりに繁盛している模様。
本の男は声を潜め、
「たまに、お城の方からのお使いで買いに来られる方もいらっしゃいますよ」
内緒ですけど、と小さく笑い。
それは、誰の代理なのかが気になる所。
そんな本の男は、やはりあの旅人が気になるため、明日にでも組合へ行ってみると言う。
我等も、いつまでも若執事の好意に甘えるわけにも行かず、明日にでも街を出ようかと決めていたため。
「そうですか。……せっかく出会えたのに寂しいです。でも、次はもっと楽しい本を仕入れておくので、またうちにも寄ってください」
それは楽しみである。
次に来た時は卑猥な本の1冊くらい、読める許可を、男から貰えていればいいけれど。
「とても楽しく、貴重な時間を過ごせました」
「こちらこそ」
宿から遠くなっても、何度も振り向いては大きく手を振るほろ酔いの男を見送っていると。
城の方から、夜道を爽快に走ってきた馬車が目の前に停まり。
「あぁ、お食事はもうお済みでしたか」
若執事が、執事の格好で降りてきた。
男が、
「ちょうどよかった。そろそろ出発しようと思っていたので、ご挨拶をしたかったのです」
さすがに、この若執事に挨拶なしで出て行く不義理をする気はなく、宿の人間にでも頼んで、呼び足して貰おうかと話していたのだ。
男の言葉に、若執事には、
「えっ!?もうですか!?」
目を見開いて驚かれたけれど。
「もうですか」
ではない。
我等は、お主の要望でこの街に滞在していたのだ。
「休みの日に、街の案内をしたいと考えていたのですが……」
城での業務に忙しいであろう中での貴重な休日を、我等などに使うな。
寧ろ。
「貴重なお休みなのですから、修道院の彼女をデートに誘うといいですよ」
そう、男の言う通りである。
「……い!?いやいや!ですから!それは違うんですよっ!!」
馬車から降りて来た時はキリリとしていた癖に、今はもう街灯の下でも分かるくらい、耳を真っ赤にしてる。
周りの、 馬車の運転手や、宿の門番の物珍しげな視線に、
「え、ええと。そ、それで。その、いつ、ご出発なさるのですか?」
ゴホッとわざとらしい咳払いの後に問われた。
「明日の昼には」
「明日……ですか」
執事は眉を寄せ、ううんと考える顔。
見送りをしたい気はある、しかし、やはり城での仕事はたんまり溜まっているのであろう。
どうにも律儀かつ真面目、そして義理堅い男である。
このままでは仕事をほっぽり出して見送りに来かねんため、
「色々と、詫び以上のお礼を頂き、感謝しかありません」
男が、見送りはいらないと改めて右手を差し出せば。
「……こちらこそ。色々と、勉強になりました。本当に」
本当に、を強調された。
そんな若執事は、屈んで柔らかく微笑みながら、我にも手を伸ばしてくれる。
「あの川辺で、あなたたちに出会えてよかったです」
「の」
我も珍しい体験を出来た。
狸擬きも、右前足をズイと出し、
「フーン」
もっと気張れ若造、といつでもどこでも上から狸。
「……いつか。いつかまたお会いする機会を頂けたら、次は、城の案内をさせて下さい」
仕事用の作り笑顔はとうに消え、泣き笑いの表情で、そんな約束をしてくれた。
きっと、次に会える時には、もう少し出世しているであろう若執事が出来るはずの、最大のもてなし、なのであろう。
それはとても面倒そうだけれど、無論顔には出さずに頷く男。
一方。
「フーンッ!」
次とは言わず今からでも案内しろ!
と騒ぎ出したのは狸擬き。
要はミーハーなのだ。
ミーハー狸。
若執事は、別件でも用があり街に降りて来たと聞いていたため、
「おやすみなさい、またいつか」
「ありがとうございました」
若執事が頭を下げ、男が、城へ連れて行けとジタバタ騒がしい狸擬きを小脇に抱え、片手で我の手を繋ぐ。
数段の階段を上がり、宿の大きな扉まで向かい、扉が開かれ振り返ると。
「……」
若執事は、まだ深く、頭を下げ続けていた。
翌朝は、雲一つない快晴。
「おっ!?なんだ!!今日はまた違う男を連れて来たのか!?」
狸擬きの催促で武器屋へ行ってみれば、今日は店内で売り物の手入れをしていた店主が、ガッハッハーと笑いながら出迎えてくれた。
「いいぞ!!いい女は、男をとっかえひっかえしてなんぼだからな!!」
開口一番のご挨拶に、我を抱っこする男の笑みが引きつっている。
狸擬きは、
「フーン」
やはりこれはとても素敵なものですと、ハリボテの剣の前に向かい、たちまち夢中で眺め始める。
そんな、一目散にハリボテに駆け寄り、まん丸お目目をキラキラさせる狸擬きの姿に。
「……はっはぁ、あれはなぁ」
敵わねぇなぁと呟く店主は。
「まぁあの通り『見た目だけ』だけどな。城に献上してる奴の作品なんだよ」
その「奴」とは店主の友人でもあり、店主が冒険者を辞め、しばらくは街に腰を落ち着けて店でも開くと言ったら、俺の作品を飾れと持ってきてくれたものだと。
城に献上、飾られることを目的とする、それを仕事とするものの作品であれば、それはなるほど、素人、いや素狸が惹かれるのも無理はない。
「フゥン……♪」
その狸擬きは、ぺたりとその場に座り込み、しみじみと柄に鞘に見惚れているため。
仕方ない。
気が済むまで眺めさせることにし、その間に。
男が、この街に向かう道中で我と話していた、靴の踵に、先端でもいい、刃物を仕込むことは可能かと、店主に訊ねてくれた。
我の男も何だかんだ興味があるのだのと、内心ホクホクしていると。
「とんでもねぇ事を考えるな……」
以前は獣を狩って生計を立てていた店主にすら、身体を引く程に、たじろがれた。
それでも、やはり現武器屋としては興味はあるらしい。
「なるほど、足をブン回すタイミングで出るのか」
「えぇ」
「んんん、そうだなぁ」
煤まみれの天井を見上げた店主は、眉を寄せつつ、しばらく口許をへの字にしていたけれど。
「まずは靴屋だよな。あとは、ええとどこだ、面倒なギミックが必要だから器用な時計屋、いや玩具屋でもいいな、それと特注のナイフを作る鍛冶屋が必要になるな」
店主が短く太い指を折っていく。
ふぬぬ。
店主の話では、どこかにじっくり腰を据えた上で、理解があり尚腕の立つ技術者たちを探し、建物、必要な設備と道具を揃え、更に我等は風呂敷に目一杯の宝石を積めたものを報酬として、何袋か用意せねばならぬ様である。
どうやら、先は長い。
「兄さんは、接近戦を好むのか?」
男を、上から下までまじまじと眺める店主。
「いえ、とんでもない。俺は行商人なので」
ニコニコと手を振る男。
「ああん?行商人が靴にナイフを仕込むのか」
ニヤリと意味ありげな目付きをされ、深読みされている様子。
それでも、
「そんなにデカいのは仕込めないな」
「手入れも大変そうですよね」
「そうなんだよ、そこなんだよなぁ」
バラせば強度がな、重さが、と男たちが盛り上がってると。
「フーン」
狸擬きが、満足したのか、こちらへやってきたかに思えた。
が。
「フゥン」
主様、わたくしめは、あの見目麗しい剣の、隣の剣が欲しいです、とねだってきた。
「の?」
あのお飾りは諦めるから、隣の剣を買えとな。
男に伝えると、
「んん……そうだな」
そう。
そもそも、金額云々ではなく。
(狸擬きには圧倒的にもて余す長さ)
男と顔を見合わせていると、
「あ!?どうした!?」
店主がぐいっと割り込んで来た。
男が、彼があれを欲しがっているのですと伝えると、
「おんっ!?」
狸擬きと剣を見比べ、更に、男と我の視線を受け。
「……うっ」
先刻とはまた違うたじろぎを見せた、のち。
「あー……んー……それはだなぁ」
と、神妙な顔を作る店主。
「フン?」
この目の前の、とてつもなく無遠慮、かつ、
「デリカシー」
「空気を読む」
などの言葉は、その脳内の辞書には存在しないと思われた店主は。
けれど、
「……」
キラキラと期待に満ちた狸擬きの眼差しと、それとは真逆の、
「うまいこと誤魔化して欲しい」
「適当な言い訳で諦めさせろ」
の我等の視線を受け。
「……それ、それはなぁ」
ボサボサな髭をなぞると。
「先約がな、そう、予約が入っているんだ」
「フーン?」
予約ですか、とまんまと食い付く狸。
「以前、3人組の冒険者のうち、2人の仲間が獣に襲われちまってな。その2人を犠牲にして、なんとか1人、逃げ仰せたものの、それ以来、狩りに怖じけづいた情けない野郎が。
『いつかまた取り戻しに来るから、それまで預かっておいてくれ』
ってな、保管を頼まれたものなんだよ」
と、太い指で煙草に火を点ける。
その話が、どこまで本当なのかは分からないけれど。
確かに、使い込まれた跡はある。
見た目は地味だけれど、使い勝手は良さそうだ。
若干、小柄な人間が使っていたと思われる刃渡りの長さ。
狸擬きは、その話を信じたのか、そうでないのか、
「フゥン」
腰抜けのお下がりなど欲しくないですと、あっさり引いた。
内心で男共々に息を吐けば。
「金と時間は滅法かかるけどな、ド派手なものを、特注で作ってもらえばいいだけの話だぞっ!」
「フンッ!?」
余計な入れ知恵をされた。
「後は、まぁこれくらいの長さだな、お前さんの力が一番発揮できるのは」
店主が店内を見回し、手に取ったのは、やはり、狸擬きの欲しがる、理想とする剣には、半分にも満たない長さのものだったけれど。
「フーン……」
元冒険者の言葉は、説得力があるせいか、
「フンフン」
参考にすると、飽きもせずに他の防具を眺め始めた。
「ハーブなんかも売ってるんですね」
男は、意外そうに並べられた薬草を眺める。
「わりと売れるぞ、獣の肉の臭み消しに使うな」
「あぁ、いいな」
ハーブと、投げナイフ用のナイフを数本買い足せば。
「あんたたちとは、またどこか。そうだな。遠い旅先ででも、再会したいもんだな」
店主はニカッと笑い、店の外まで出て来てくれた。
男が、店主に礼を伝えつつ。
ここが、あの旅人が事切れた広場と、そんなに離れていないため、思い出したのだろう。
もしかしたら知り合いかもしれないからと、あの広場で亡くなった旅人の話をすれば。
「はあああっ!?なんだと!!あのジジイが!?」
外なのに、周りの建物が振動する程の音量で驚かれた。
狸擬きなど、その場から大きく飛び退いている。
「そのじじいはうちの仕事相手だ!!今回も初日に来て、帰り際に挨拶に寄ってくれるんだがな……っ」
なんてこったい、と額を押さえると、
「ちょっと組合行ってくる、情報を感謝する!!」
とドッタンドッタン駆けて行ってしまった。
「ののぅ……」
店はいいのだろうか。
1人でやっているみたいだけれど。
「……」
扉に引っ掛けてある、鈍い青色い札が表になっているため、ひっくり返して裏にし、塗装の剥げかけた赤色の札にしておいた。
「旅人の彼にとっては、広場の仕事は、おまけみたいなものだったんだろうな」
「そうの」
武器屋に荷を卸し、数日広場で木彫りを広げ、やってくる顔見知りに挨拶を、近況報告などをし、こちらでも仕入れをして、帰っていたのだろう。
あの旅人の亡骸もその行く末も、あの店主に任せておけば大丈夫そうだ。
小さな気掛りもなくなり、我等は街を突っ切るように、街外れの厩舎へ向かへば。
「なんだ、出発か?」
「なんだ、走るのか?」
とすでに鼻息荒い我等が馬たちは、
「2頭共に力持ちで賢いため、大変に助かりました」
男が毎回、どこの厩舎でも、力仕事があれば馬たちを使って欲しいと伝えているため、馬たちは、見知らぬ厩舎でも働いていることが多い。
見た目からして、しかと丈夫で逞しそうに見えるため。
言ってしまえば、図太く繊細さの欠片も見えない、明らかに力仕事ために生まれてきた様な姿のため、厩舎の人間たちも、客の馬だとしても使いやすいらしい。
旅をしている最中で、明らかに足が太くなっているし。
厩舎の人間たちは、
「また来てな」
「寂しいなぁ」
当然、我等ではなく馬たちに縋り、泣く泣くお別れをしている。
男に馬車に乗せられ。
「まだ街の?」
「この国の街をもう幾つか越えて、川を越えると、東の国の領土に入るらしい」
ほほぅ、川とな。
ぶんぶん足を振ると、
「少し先を急ごうか」
頭を撫でられる。
「の♪」
「フーン♪」
我等2人と1匹。
次は。
東の国へ。