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103粒目

我等のいる温室のような茶屋は、他のテーブルとの間に、小さな蔓の絡まる仕切りがあり。

我等はより多く花の咲いた壁際に通されていたためか。

隣の婦人たちが席を立つと、

「……1本だけ、お恵みをいただけませんか?」

シスターは、男の取り出した煙草を、控え目に指差し。

清純でおこぼな見た目から、

「感謝しますわ」

白い手袋を外し煙草に火を灯せば。

「……あぁ、おいし」

こう、一筋縄ではいかなさそうな、大人の女の笑みを浮かべる。

そして、この我等の目の前に座るシスターは、

「私は孤児ではないのです、隣街には、家族が住んでいるんです」

それは、自ら望んで神に支えるために、神に身を捧げたかと思えば。

「いえ、お手付きのない花嫁候補として、シスターはその条件を限りなく満たしているので、伴侶を探す殿方の目に留まりやすいんです」

少なくともこの辺りの国では、と声を落とし、意味ありげに瞬きをして頷く。

「他の国では分からないですけど、この国は、国が修道院を立ち上げているから、お祭りや儀式の時など、修道女の私たちが、お手伝いやお使いで城の方へ行く機会も、とても多いんです」

そんな折に、城に支える人間に見初められることも珍しくないと。

(ふーぬふぬ)

大変に興味深いと聞き入っていると、シスターとぱちりと目が合い。

「あら、ダメね、ごめんなさい。こんな小さな子の前で、こんな話をしてしまって」

紫煙を吐き出しながら、その慌てた表情と仕草は本物だけれど。

「今更である」

「フーン」

そうだ面白い続けろ、と狸擬き。

シスターは、苦笑いする男とは真逆、下世話な好奇心丸出しの我と狸擬きの視線に、輪郭の緩やかな片眉をちらと上げ、

「本当に『お姉さん』なのね」

我をしげしげと眺めると。

「もしかして、見た目よりだいぶ若く見えるタイプなのかしら?」

だとしたら羨ましいわ、と、鋭いところを突いてくる。

男に2本目を勧められ、

「とても嬉しい、あなたにご加護がありますように」

と煙草を咥えたシスターは。

「……ここからは少し遠い、水の街の修道院は、お姉様に話に聞いた限りですけど。真摯に神様に支えているシスターたちばかりみたいですわ」

自嘲気味に、唇を上げて見せる。

表向きは、どこもそうであろう。

しかと賢明な男は、それには曖昧に首を傾げるに留め。

この今も唇を窄めて紫煙を吐き出すシスターの視線で、この国を街を俯瞰してみれば。

あの発情シスターは、あの若執事の好意に気付き応えさえすれば、このシスターが目指す、

「玉の輿」

に乗れるのであろう。

どうやら身分の違い云々に関しては、この世界、そううるさくもなさそうであるし。

「……」

残念なのは、あの発情シスターは、そんなものは1つも求めてなさそうなこと。

隣の席に案内されそうな客の気配に、シスターは咥えていた煙草を、名残惜しげに、すっと灰皿に押し付けた。


「楽しい一時を、有り難う御座いました」

茶屋の前で、楚々と膝を()り、お辞儀をして去っていくシスターを、

「こちらこその」

見送れば。

その清楚に淑やかに歩く姿を、街の男たちが目で追っている。

「フーン」

まだ薔薇の花の香りが鼻腔に残りますと、前足で鼻先を擦る狸擬き。

「そうの」

男は煙草で消えたと。

ふぬ。

煙草と言うものは、何かと便利であるの。


買った本のうち1冊はお宿へ、残りの2冊を荷台に置きに向かうと。

「フーン」

先日煮詰めていたオレンジのジャムが食べたいですと荷台に乗り込んできた。

口直しか。

隣の街で仕込んだため、すぐに取り出せる場所にはある。

ただ、スプーンを取り出すのも手間で、瓶の蓋を開き、指で掬って舐めさせてやれば、

「……フゥン♪」

少量でも満足そうに目を閉じる。

ついでに我もと掬って舐めれば、

「ぬふん♪」

手前味噌ながら美味。

「俺にも一口」

嗜めるどころか、男も顔を寄せてきた。

「くふふ」

男にもジャムを舐めさせ、

「夕食はどうするのの?」

訊ねれば。

「宿で取らないと、宿の方に不満があると取られてしまうかもしれない」

若執事の名で借りてるのだからそれもそうか。

大人しく宿に戻り。

あの蛇男はいつ頃来るだろうかと想いを馳せ。

夜は、案外悪くない、オレンジソースの掛かった豚肉のステーキを食べ、部屋に戻れば、ソファに沈み、本を広げる。

男は昼間に街中で買った地図を広げ、他の地図と照らし合わせている。

「フーン」

ほどなくして、ベッドで食休みをしていた狸擬きが、遊んで欲しいですとやってきたため。

「そうの」

本を閉じ、部屋を見回す。

この部屋は、部屋としては、とかく広い。

我や狸擬きが駆け回れる程に。

しかし、狸擬きの出せる速度を鑑みると、狭いし、障害物が邪魔になる。

だからこそ。

「追いかけっこでもするかの」

我が追い付きやすくもなる。

「フーン♪」

します、しますとハリキリ狸。

靴と靴下を脱ぎ、その場で跳ねると。

狸擬きが、

「フンフーン」

トトトと4つ足で駆け出し、我も即座に駆け出して両腕を伸ばしても。

「のっ」

「フン♪」

するりと交わされる。

「のの」

初めは、石造りの丈夫かつ頑丈な建物であるしと、男も苦笑いで地図に向き直っていたけれど。

「フーンッ!」

「なんの!」

飾り棚に飛び上がる狸擬きに、こちらは椅子に飛び乗り、飛び狸擬きを捕獲しようとするも。

「フンッ!」

ビュンッ!

と茶色の塊が視界をすり抜ける。

「このの!!」

幅跳びの様にローテーブルを飛び越え、壁を蹴り上げて腕を伸ばしても、狸擬きの尻尾の先すら掴み損ねる始末。

「フン♪フン♪」

窓の前でこちらに尻を向け、尻尾フリフリ狸。

「ぬぬっ」

男の、こらと諌める声は聞こえるけれど、これは、主として負けられない戦いなのである。

そう、意地である。

「フーン♪」

寝室へ飛び込む狸擬きを追い、急角度で曲がり出て行かれれば全く追い付けず。

「フンフーン♪」

(むむ)

テーブルの向こうで、再び小走りに横切る様に走り出した狸擬きの、前足ギリギリに小豆を飛ばす。

「フンッ!?」

その前足の1本をくの字にしながら、ぐりんっとこちらに顔を向けてくる狸擬き。

「の?どうしたのの?早く逃げるがよいの」

足を進めながら、耳の先の毛に擦るように小豆を飛ばせば。

「フンッ!?……フンフーンッ!!」

慌てて耳をぺたりと下げつつ、それは卑怯でありますと抗議狸。

「何が卑怯であるか」

あれだけ軽快に逃げ回っていた狸擬きは、小豆弾に、途端に逃げ場もなくなり、

「フゥーン……」

壁に尻尾を押し付ける様に縮こまっている。

そんな従獣に、

「くふふ、これでおしまいの」

近付いて両腕を伸ばした瞬間。

「お転婆も、おしまいだ」

いつの間にか背後にいた男に、

「のっ?」

抱え上げられた。


「ここはどこだ?」

「……広い石造りの建物の」

「ここは、どこだ?」

ずいっと迫られ、

「……お宿の」

「そうだ」

狸擬きと共に、淑女の振る舞いがうんたら、従獣としてうんたらとお小言をくらい。

(むー……)

今夜は怒られ仲間である従獣のベッドで寝てやろうかと唇を尖らせていても。

「……ぬふー」

贅沢に設置された清潔な風呂場で風呂に浸かり、

「のー♪」

男に髪を乾かされれば。

「おやすみ」

「おやすみの」

そんなことはすっかり忘れて、男から額に接吻を受け、

「……」

胸をほんのりこそばゆくしながら、男と共に、眠る。



翌朝は快晴。

「ピチチッ」

テラスに降り立った小鳥に、ここを開けろと窓をコツコツされて起こされた。

「……の?」

「あぁ、彼からだ」

蛇男か。

「『お客が大事な忘れ物をしたため、それを届けに向かう』との理由を作ったと書いてあるよ」

ののぅ。

今朝も宿のテラスで、美味しい食事を摂らせて貰い。

男に髪を結われ、待ち合わせの街中の広場まで向かうと、

「フーンッ!?」

蛇男は、まさかの単騎で現れた。

格好も、厚手のシャツに厚手のパンツにブーツと、印象が全く違う。

「フンフンッ」

狸擬きが、馬の周りをグルグル周り始め、

「ええと……?」

蛇男が挨拶もそこそこに、彼は如何いたしましたか?

と我と男を交互に見つめてくる。

「フーンッ」

馬に乗りたい乗りたいと、凛々しいキャラメル色のお馬に大興奮狸。

「ええと、その、馬に乗せて欲しいと……」

我の訳に、男が申し訳なさそうに伝えると、

「お安いご用ですよ」

心の広い蛇男は、馬の周りをくるくる駆け回る狸擬きを片手でひょいと片手で抱き上げる。

「フンッ?」

さすがに男児2人を育てているだけあり、ちょこまかしたものを捕獲するのは得意とみた。

そして、

「よっ」

狸擬きを抱えたまま軽々と馬に乗れば。

蛇男の跨がる鞍の前にぽんと置かれ、

「フゥゥゥン……ッ」

感極まる狸擬き。

しかし。

「あやつはよく嫌がらぬの」

ツンと澄ましつつも、狸擬きを拒否しない足の長く細い馬。

我の疑問に、

「馬は、彼を乗り手でなく、乗り主の荷の1つと思っているのかもしれない」

男がこそりと声を潜め、

「ののぅ」

(なるほどの)

そんなことは露知らず、

「フーン♪」

主様、見てくれていますかと御機嫌に前足を振る狸擬き。

「見ておるの」

まぁ知らぬが花である。

手を振り返せば、気のいい蛇男は、そのまま広場の周りの通りを一周してくれ。

「フーンフン♪」

このご恩はきっと主様が返すでしょうと、狸擬きが蛇男に何か勝手なことを言いながら降りてきた。

何より、蛇男は、狸擬きを馬に乗せるためにここまで馬を飛ばして来たわけではない。

男は恐縮しているけれど、蛇男は、

「いえいえ、こちらの支所に顔を出す用事も作ったので気にしないで下さい」

と、気にした様子もない。

代わりに、ニコニコして我に両腕を伸ばしてくる。

「の」

礼の代わりに抱っこされると、

「今日はまた一段と可愛らしい」

三つ編みにした髪を耳の上で団子にされているけれど、可愛い可愛いと大好評だ。

我を抱っこする蛇男の代わりに男が馬を引き。

狸擬きは男の隣を歩きながら、チラチラと馬を見上げている。

そんな狸擬きも、我等が逞しき脳筋馬には、そうそう乗りたがらない。

あの馬たちは、見た目からしても、荷引きに徹しているからだろう。

(こちらの本の世界であれど、足の太いロバに近い馬に乗った騎士など、とんと見ないしの……)

獣の世界でも、やはり見た目は大事なのか。

蛇男の支店への顔出しに付き合い、蛇男の妻と子供たちへの土産物を一緒に選びつつ。

「あぁ、そうでした」

細い水路に添って並ぶ茶屋のテラス席に腰を下ろせば、蛇男は我を膝に乗せる。

「私の友人の、剣術の師である彼なのですが」

雑男か。

「2日前、でしたか。身体の調子がすこぶるいいんだと、わざわざ我が家まで押し掛ける勢いで来て教えられましてですね」

ふぬ。

小豆茶が効いたらしい。

男も頷き、小さく首を傾げると、

「心当たりを訊ねたら、前後に、冒険者の男たちから、塩気の効いた知らない豆を貰ったこと。翌日に、あなた方の差し入れのサンドイッチとお茶を頂いたと」

ふぬ。

男が、

「冒険者からもらった豆が効いたのでは?」

と煙草を取り出しつつすっとぼけて見せれば。

蛇男は。

男、蛇男の隣に座る狸擬き、膝に抱いている自分を見上げる我に、順繰りに視線を向けた後。

「……そうですか」

蛇男は、えぇ、えぇと我が意を得たりと言わんばかりに大きく息を吐き出すと。

「では、そういうことにしておきます」

ニコニコと、我の顎を、この世界にはいない、猫にするようにくすぐる。

運ばれてきたカフェオレに、蛇男が茶色い砂糖を落とし。

東の国にはどれくらい滞在するのか、西の方にはと男と話し始め。

蛇男は我を抱いているせいから煙草は咥えず。

今年も西の海へ向かうと言う蛇男の夏休みは、それでも早くとも数ヶ月は先。

数ヶ月。

我等はその頃には、のんびりな旅路であれど、きっと、もっと先へ進んでいるはず。

「そうですか。……あぁ、次にお会いできるのはいつになるのでしょう」

膝に抱く我をぎゅうと抱きしめてくる。

ののん。

我は何やら愛されておるの。

悪い気はしないけれど、対面に座る我の男の笑顔がひきつっているから程程にして欲しい。

先の村に買った家があるから、遠からず帰ると男が伝えると、

「お早いお帰りをお待ちしております」

蛇男の溜め息と共に、

「ピチッ」

またも小鳥が飛んで来た。

今日は千客万来である。

しかしこちらは、白と黄緑色の、蛇男曰く、主に街中を飛び回る郵便鳥だと。

男の前に降り立ち、小さな金筒には。

「執事の彼からだ」

詫びと礼の品を、荷台のある厩舎の方へ運んだと。

「のの?」

荷物になるため、わざわざ街外れの厩舎の荷置き場まで運んでくれたらしい。

執事はそのまま、我等を泊めている宿の方に向かう可能性が高い。

「困ったな」

さすがに待ちぼうけは失礼に当たるけれど、目の前には、単騎でわざわざ隣街から訪れてくれた蛇男がいる。

蛇男は、

「では、彼女と彼は、私が預かりましょう」

急ぐでしょうから馬もどうぞと、純粋な笑顔もなぜか狡猾に見える蛇男に、男は、瞬時、逡巡したものの。

蛇男がわざわざ会いに来たのは、ほぼ「我に」と言っても過言ではない。

「……すみません、助かります」

男はそれでも渋々と馬に跨がり、

「すぐに戻る」

街中であるため、それでも少し馬を急かして消えて行く。

「いやいや、様になりますね」

男の姿を見送る蛇男が、感嘆の吐息を漏らし。

「お主もなかなかのものであったけれどの」

その我の言葉は、蛇男には、通じない。


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