102粒目
城下街で目覚めた翌朝。
テラスで朝食を食べている我等の前に現れた若執事は、予想していたとおり、
「昨夜は申し訳ありませんでしたっ!」
と平身低頭で謝ってきたけれど。
「フーン」
はよ席に着けと、テーブルに肉球を叩きつけるのは狸擬き。
そう。
昼も、夜もそうであったけれど、特に甘味を追加で注文する時。
食べ過ぎだと渋い顔をする男と違い、この若執事は、我と狸擬きに食べたいものがあれば、即座にメニューを広げてくれるし、積極的に追加で頼んでくれる。
我等にとくと甘い人間として、同席を歓迎するのは狸擬きだけでなく、我も同様。
男も、酒を勧めたのはこちらですからと笑いながら、我の口許を拭ってくる。
トマトソースのかかった芋を頬張り過ぎた。
「むぬん」
頭を上げた若執事は、安堵の気配を隠さず、それでもおずおずと席に着けば。
二日酔い知らずで、食欲も旺盛。
美味しい食事が終われば、男が若執事の興味を持っていた地図を広げ、
「船は、潮の流に影響されますが、7日程度です」
「長いですね」
「南の方は9日かかったので、まだ近いかと」
「おぉ……」
若執事は、トナ鹿も存在すら知らないと。
厚い雲からポツリポツリと大粒の雨が落ちてくるまで、男が地図に印を付けつつ、テラス席で話をし。
これからの予定を聞かれ、男が、隣街からの客人を待ち、それから東の国へ向かうつもりですと、部屋へ送られながら伝えると、
「それでは出発までの間、お部屋はご自由にお使いください」
と若執事。
なんとも、お貴族様並みの厚待遇ではないか。
その若執事は我等を部屋まで送れば、雨の中、城の方へ帰って行き。
我は、部屋の窓から雨に煙る城を眺め。
狸擬きは大きなベッドで二度寝。
男は煙草を吹かしつつ日記を付けている。
我は窓際から男の許へ駆け寄り、膝によじ登り、胸に頬を押し付ければ、男から頭のてっぺんに接吻を受ける。
(ぬふん……)
馴染みなき街の宿。
しばしの静かな時が、過ぎて行く。
昼前に雨は上がり、狸擬きも目を覚ますと、それを待っていたかように小鳥が飛んできた。
狸擬きが、
「フーン」
鳥の気配ですと伝えてきたため、男に窓を開けてもらうと、スイッと小鳥が飛び込んできた。
「あぁ、隣街の彼からだ」
蛇男か。
「客人が大事な忘れ物をし、それを届ける名目でそちらへ向かう、と書いてあるよ」
ほうほう。
テーブルで、持ち込んでいた我お手製のビスケットを啄んでいた小鳥は、
「ピチ」
「の?」
「ピチチ」
「フーン」
これはとても美味しい、仲間にもこれを食べさせたい、少し分けてくれないかと催促していると。
「よいの」
褒められればやぶさかでない。
ビスケットを摘めた袋を、首ではなく足首に吊るすと、
「……ビ、ビチッ」
小鳥はさすがに重さに怯むも。
「平気の?」
「ピチチ」
今来ている風に乗って帰ります、と空を眺めるため、男がテラスに出て、端まで運んでやれば。
「ピチチ」
人の世界で暮らすあなた方にはあまり関係ないかもしれないけれど、東の山が少しざわついている様子、と言い残し。
ぶわっと吹いた風に乗り、まるで風に流されるように、あっという間に飛んでいった。
(東の山)
崖も多いと聞いてる。
「何が原因かの?」
「フーン?」
なんでしょうと狸擬きも首を傾げる。
山がざわめく原因など掃いて捨てるほどあるため、知らぬ山などともなれば、尚更見当が付かない。
「フンフン」
わざわざ礼の代わりに伝えてくるくらいには、大きなざわつきなのでしょうと狸擬き。
しかし。
「礼の代わりとの?」
「フーン」
獣たちにも、情報は大きな謝礼となりますと。
ふぬ。
男が、
「どうした?」
と我を抱っこして来たため、
「少し雨が多い気がするから、気を付けろとのことの」
男にぎゅうとしがみつけば、狸擬きは、テラスの濡れた床からピッピッと足先を弾きながら、室内へ戻って行く。
そして、
「フーン」
雨もやみましたし、お散歩へ行きたいですと。
いんどあ派の主に対して、おんもが大好きな従獣である。
「お茶もしたいの」
男には、小鳥の言葉は伝えない。
男に小鳥の言葉を伝えたら、心配症な男のことだ。
東の国は避けられ、そのまま西の国に行かれる可能性もある。
従獣想いの我は、山があるならば狸擬きのためにも向かってみたい。
そう。
そもそも、山のざわめき程度、我等には微風にも感じない。
「主様が現れた頃、青のミルラーマ、及びその周辺は、ピリピリ、などと生易しいものではなく、酷い緊張状態が続いておりました」
と。
カフェの文化が根付く国、カップやグラスを飾る店も珍しくなく、男が真剣な顔で覗き込んでいる間、狸擬きがそんなことを話してきた。
のの?
そうなのか。
そんなものはさっぱりと気付きもしなかった。
もしや、
「我は、少しばかり鈍いのかの」
「フーン」
いえ、鈍いのではなく、主様自身が台風の目、とやらでございましょうかと狸擬き。
「……」
ぬぬん。
それは、むしろ、目一杯に鈍いと言えるのではないか。
解せぬまま男にしがみつき、城下街の散策。
「フンフン」
狸擬きの、ここ掘れワンワンならぬ、ここがいい感じがしますフンフンで立ち止まったカフェで、レモンクリームの添えられたケーキに舌鼓を打ち。
「ぬぬん♪」
「フーン♪」
水路を越え、大通りから外れると、
「フーン」
あっちからインクの匂いがしますと狸擬き。
「のの?」
高確率で本屋であろう。
優秀な従獣の案内で、狭く人通りの少ない小路を進む。
男が扉を開けば、薄暗い小さな店の入り口すぐに会計台があり。
珍しいのと思っていると、本に目を落としている、顔を隠すような帽子と髭で顔が覆われた店主が、ぎょっとした顔で我を見上げてきた。
「……?」
本を閉じ、何か少し慌てた様子。
男は、店主の言葉に、おっとと肩を竦め、失敬と言わんばかりに片手を上げて店を出てしまう。
「?」
「ここは、子供向けの本屋ではないそうだ」
ぬ?
「ええと、大人の男性向けの本屋だそうだよ」
あぁ、如何わしい本屋であるか。
こちらの世界の知識として読んでみたいけれど、男の許可が下りないだろう。
男がそそくさと歩き出すと、しかしすぐに店の扉が開き、髭の店主が何やら身振り手振りを交え、指を差している。
「?」
「大通りの城の近い方に、まともな本屋があると教えてくれたよ」
親切である。
お礼代わりに手を振れば、髭もじゃ店主も、大きく手を振り返してくれる。
「フーン?」
主様は大人ではないのですかと歩きながら、疑問に首を傾げ狸。
「少なくとも見た目は大人ではないからの」
教えられて向かったお目当ての本屋は、意外にも立派で大きく、店内も盛況。
狸擬きは
我の目の輝きに、これは時間がかかると踏み、早々と店内から退散すれば、店の外のベンチに腰掛け。
店の前を通り過ぎる人々に、物珍しげに観察されている。
我は隅から隅まで、残りの半分は勘で手に取りつつ、
「これとこれとこれとこれとこれとこれの」
頭の高さを越えて積んだ本を男に見せれば。
「2冊までだ」
溜め息と共に男の声が降ってくる。
「では、検閲を頼むの」
本に隠れて見えずとも鼻に皺を寄せてやれば、反対側の本棚にいた妙齢の女が声を掛けてきた。
ラフな格好に、少しほつれたエプロンをしている所からして店員らしい。
「彼女が、その中から、おすすめを選んでくれると言ってくれてるよ」
それは有り難い。
結局3冊お勧めされ、男は断れずに3冊買ってくれた。
商売上手である。
「他のもオススメだけどね、お嬢さん、見る目あるよ」
「ぬふん♪」
褒められた。
店の外のベンチで、退屈してるか惰眠を貪っているかと思われた狸擬きは、
「フゥン」
道行く人々に物珍しげに観察されつつも。
耳を絶えずピクピク動かし、どうやら、街中の人々の会話に耳を傾けていた模様。
そして、
「フーン」
平和なものですと。
気の早い夏の祭りの準備の話、他国へ広がる自国の珈琲の評判、あまりに着飾るのを嫌がる王様に、お妃様が立場と限度がありますと喧嘩をしたらしい、などとの噂話など。
「ふぬ、平穏が一番の」
街中で、白い修道服の姿の女たちも見かけた。
お使いだろうか、カゴを下げ、おっとりと微笑みながら、通り過ぎていく。
数人いたけれど、発情シスターはおらず、普段は軟禁でもされているのだろうかと目で追っていると、まさか、我の視線に気付いたのか。
「……」
1人が、くるりとこちらを振り返った。
して、パチリと目が合い、楚々(そそ)とした、まだ若く小柄なそのシスターは、他のシスターに声を掛け、1人、こちらへやってきた。
「……」
「はじめまして」
軽く膝を折って挨拶するシスターは。
「いきなり声を掛けてごめんなさいね」
我をじっと見下ろすと。
「あの子に、ブローチをくれたのはあなたかしら?」
と、首を傾げて微笑んだ。
シスターたちは、小さな休暇で街を散策していたと。
そんなシスターに、花がふんだんに植えられた温室のような茶屋に誘われた。
断る理由もなく付いていけば、シスターに案内された茶屋は、花屋も兼ねており、我等だけでは決して入らなかったであろう店。
「薔薇の?」
「はい。ここのお店の名物の1つなんです」
薔薇のジェラート。
味の想像が付かず、狸擬きも、
「フーン?」
それは美味しいのですか?
と首を傾げている。
「ご婦人や女性には、評判はとてもいいです」
これを目当てにやってくるマダムもいると言う。
我はとんと子供舌である。
しかし、店の名物と言うのならば。
1つ頼み、狸擬きとそれぞれ口に含んでみたものの。
「……のーぅ」
「……フーン」
鼻の奥に突き抜けていく目一杯の薔薇の香りに、それぞれ眉間に皺と毛が寄り、口が開きっぱなしになる我と狸擬きを見て、男が堪えきれない様に肩を揺らして笑う。
(ぬぬぅ……)
薔薇は、そう。
瞳で愛で、鼻腔で香りを楽しむものである。
少なくとも、子供の舌で、味わうものではない。
「大人の味だな」
残りは男がサクサク食べてくれたけれど。
「ふふ、ごめんなさいね」
とっても大人びている子だと聞いていたからと、シスターがメニューから選んでいた、あの雑男の家でも出された、皿に乗せられたビスコッティを差し出された。
しかし。
我が、大人びているとな。
目の前の、この楚々としたシスターは、聞くまでもなく。
「あの子が修道院に来てから、姉の1人として、お世話係としても、なるべく気に掛けるようにはしていたんですけど」
あの骸骨少女と親しいシスターの様子。
その少女は。
「あの子は、とってもいい子なのに、いつからか、
『人の骸骨の入った箱を持っている子』
と言うだけで、少しだけ、その、周りから、少し遠巻きにされいたんです。でもあの箱を持たなくなってから、もう仲良しの子も出来たんです」
ふぬん。
どんなに優しきこの世界でも、人の頭蓋骨を抱える子供と言うのは、若干、異質だった様子。
そもそも、どんな経緯で骸骨を持つようになったのかと訊ねれば、
「他国の口寄せの依頼で向かった時、帰国した際には、気付いたらすでに骸骨を手にしていた」
と。
「それ以来、子供のいないご夫婦から、あの子を引き取りたいと申し出があっても、あの子自身が、
『お母さんがいるから』
と断ることも少ならずあったんです」
ぬぬん。
それは良くないの。
「でも。あの骸骨を持たなくなってから、周りとの関わりも凄く増えて来たし、とても明るくなったから」
子供の欲しい夫婦の元で暮らす日も近いのではないかと。
ほうほうの。
それは何よりである。
我のことは、
「『旅人なんだって。小さいのに、とってもしっかりしたお姉さんみたいで、黒い髪はサラッサラで、瞳は赤い宝石みたいなの』
って、あの子に、何度も聞かせてもらっていたから」
街中で我を見た時も、すぐに気付いたのと目を三日月にする。
「『凄く可愛い知らない動物も一緒だったの、少し悪戯っ子だった』って」
シスターは狸擬きを見て微笑むけれど、悪戯っ子と言うのは、狸擬きが頭蓋骨を目一杯に蹴り飛ばしたからだろう。
そうだ。
「沈黙した頭蓋骨はどうしたのの?」
「水の街の修道院の、無縁墓に埋葬していただけた様なんです」
おやの。
「口寄せのお礼の一貫として、と聞きました」
帰ってきた時には箱を持っておらず、姉と少女がそう教えてくれたと。
礼の一貫。
口寄せの内容に付いての、口止め料も兼ねてだろう。
少女も、話さなくった骸骨に用はなく、あっさり手放したと。
なぜ話さなくなったのかは分からぬけれど。
「やはりお主が蹴飛ばしたお陰であろうかの」
珍しくよい仕事をしたのと頭を撫でてやれば、
「フーン♪」
御機嫌な、したり顔狸。
そして。
あの問題児シスターは、どうしているのか。
男が、少し控え目に問えば。
我や男の口振りと醸し出す空気で、あの姉の問題児っぷりもどうやら露見していると察したシスターは、
「……その、お姉さまは、あれでも、普段は大変に視野が広くて面倒見もよく、頭も、とてもいいんです」
と、困った表情で笑みを浮かべた。
「のっ?」
あれ、がであるか。
「フンッ?」
最後のビスコッティに前足を伸ばしていた狸擬きの動きも止まる。
「そうなんです。修道院の運営に関しても、わりとなくてはならない人なために、修道院側がお姉さまに頼み込んで、まだシスターとして修道院にいて貰っている状態でもあるんです」
なんと。
表と裏、内情は話が全く違う。
しかし。
それとなく、街に放つな危険の話を男が振れば。
「あ、はい。ええと、その一面も、……否定はできません」
若執事同様に、気まずそうに小さくなっている。
修道院側は、どちらの意味でも、発情シスターを手放したくないのであろう。
その発情シスターは、
「『最近、シスターって言う禁断の立場であるからこそ、より気持ちが高まる気がするのよ』
なんて言い出す様になりました。
えぇ、確かに頭はいいのですけれど、たまにでもなく、そんな頭の悪い発言をして、私を困らせたりしています」
そんな事を教えてくれる目の前のシスターは、それでも、クスッと笑い、どうやら、なかなかにこちらも、肝の据わった淑女の様である。