101粒目
そうだ。
「あの色惚けシスターは、水の街では、さぞや羽目を外して男を喰いまくっていたのの?」
我の問いかけに、まず男が固まり、言葉を選びに選んで執事に訊ねてくれたけれど。
「……う。その節は、我が国のシスターが大変な無礼を働きました」
非礼なシスターに代わり謝罪をと、若執事が小さくなって頭を下げてきた。
そうか。
今日はあの発情シスターの、我の男へ迫った詫びも含めての面会であったか。
若執事がとんと勘違いをしている我等の身分を考えると、シスターのあの振る舞いは不敬が過ぎたのだろう。
甚だしい勘違いであるけれど。
「我の男」
に色目を使うのは我の中では大罪である。
「その、大変に聞き苦しいと思われる弁明になるのですが」
聞こうではないか。
「……彼女は、本来の規則ならばすでに、神への奉仕を終え、街で暮らしてもいい年齢であったのです」
ふぬ?
「……しかし、修道院の方から、彼女を街に解き放つのは危険だと、特例でもう1年伸ばしていると、我が国の修道院長から聞き及んでいる次第であります……」
苦々しさと後ろめたさをまぜこぜにした様な表情の若執事から聞かされる事情。
いや、
「弁明」
には。
「あっはっ!!」
さすがの我も声が出た。
一体、彼女はどれだけの獣っぷりなのであろう。
精一杯に押さえた微苦笑の男に、呆れた半目の狸擬き。
どうにも、生まれてくる場所を間違えた女である。
開いた窓からは、少し落ち始めた陽が街に射し込んでいる。
冷めた珈琲を、控え目に口に付ける若執事は。
「彼女と行動を共にして知ったのですが、どうやら、彼女自身でも制御出来ぬ衝動らしく、一種のその、病魔に憑かれているのではないかと。……個人的にですが、彼女への見方が若干、変わりました」
そうの。
残念ながら我の小豆でも治せない病であろうけれど。
「お主も厄介な仕事を任されたの」
貧乏くじを押し付けられた様なものであろう。
「いえ、水の街を始め、出来れば、他の地も、自らの目で見て足で歩き、見識を広げたい気持ちは常々ありましたので」
そう話す若造は、今も生真面目な顔をしているし、対面で話していても、この世界でも選りすぐった堅物なのは察する。
そして。
だからこそ。
この堅物ならば、あのシスターの誘惑にも打ち勝つと思われての指名であったのあろう。
あの万年発情シスターに、道中でも喰われてもいない様だし。
そんな我の視線に、何かしらを感じ取ったのか、
「私は、ええとその。若干、彼女の趣味からは外れていましたので」
確かに、その身体の華奢さは、なんぞ、バレエだか、場所によってはモデル向きである。
そして今は、さも、不幸中の幸い、いや、難を逃れた、的な言葉を発しつつも。
(ぬ……?)
若干。
ほんの僅かに、残念そうに見えるのは、さすがに穿ちすぎか。
「あの発情シスターは、あの少女には、いささか教育に悪いのではないかの?」
今更感もあるけれど。
「一応、彼女も取り繕いはしていますので」
あれでか。
若執事は、細い指先で眉間を押さえると、思い出したくない記憶を取り出すように天を仰ぎ。
「?」
「いえ、取り繕えていた、と言うべきか」
なんの?
「その、彼女は」
彼女は。
あの水の街で、船乗りたちの逞しく雄々しい姿を見るなり、我を忘れた様に興奮し。
息を乱しながら、
『私!ここに、この街に残ります!』
と高らかに宣言したらしい。
ほーぅ。
確かに、船乗りたちの、あの日焼けした肌がはち切れんばかりの体躯は目を見張るものがある。
「それを宥め、馬車に乗り込ませるまで、ほんの少し、苦労をしました」
その大騒ぎであったろう一幕を、ほんの少しと言うのだから、この男も大概お人好しが過ぎるか、大物である。
そして話を聞けば聞くほど、楽しいシスターに思えてきた。
その場に居合わせたかった、とは到底思えぬし、無自覚な色香を纏う我の男とも二度と会わせたくはないけれど。
個人的には、発情シスターと、もう一度くらい対面したいものである。
「大変なお仕事でしたね……」
男の心からの同情を含めた慰めの言葉に。
執事は、若干気持ちも緊張もほぐれたのか。
「いえ、過ぎてみれば、色々な経験を積めた、新鮮な旅でした」
と上品に笑うと。
「今回も、私の、一個人での面会の場をもうけて下さり、感謝しております」
改めて礼を述べられた。
(ふぬ?)
「フーン」
この街に着いた時、この宿の予約を断ることも出来たのですよと狸擬き。
(なるほど)
我も大概平和ボケしており、男は勿論そんな選択肢は端からなかった。
まぁ、礼には、礼である。
若執事と共へテラスに出ると、目前に迫る城の王様のことや、この街の話を聞かせて貰う。
「大きな問題はないかと。ただ、今の王は、質素堅実を好まれておりますので、他国からの来賓のおもてなしに、少々難儀するくらいでしょうか」
眼下に広がる城下街は、耳を澄ませても、聞こえてくるのは陽気な笑い声に、聞き慣れぬ楽器の音、子供たちの笑い声。
「……」
なんとなく、男の肩にぽてりと頭をもたせかければ。
男は、王族が捨てて逃げた黒い城の話や、女王が仕切る花の国の話を聞かせている。
若執事は、
「とても興味深い……っ」
興奮を隠しきれないように頷き、
「近隣の国が、その花の国に飲まれる……ですか」
にわかには信じられません、と大きな息を吐きつつ。
「……それを聞けば、あの問題児、いえシスターなど、取るに足らない、悩みにもなりませんね」
とうとうシスターを問題児言いよった。
ならば。
「シスターをシスターとする、あの修道服を剥ぎ取ってしまえば、ただの欲望に忠実な女になるではないかの?」
シスターと言う肩書きが問題なのだから。
「……それは、街の風紀が乱れますので」
ゴホン、と咳払い。
ふぬ。
発情シスターに少し似た、いつかの栗毛の母親は、結局、若くして水の街を出た。
我の代わりに男が、
「そう遠くない未来、彼女は、きっと街を出ることになるでしょう」
と少し口ごもりつつ、伝えれば。
「……え?」
若執事は、なぜか酷いショックを受けた顔で固まる。
なんぞ。
もしや、ほんの短い旅路を共にすることで、シスターに惚れでもしたのか。
「……い、いえ」
ビクッと固まった若執事は、頬どころか、首許まで赤く染めている。
「……の?」
まさか、まことか。
我と男の視線に。
「ちちち違います、違いますからっ!!」
なんと。
この若執事、執事の皮を剥げば、とんだチョロ助ではないか。
「……フーン」
この若造の未来が心配ですと、獣にまで案じられる始末。
まことにそうであるの。
それでも、
(まぁ……)
このチョロ執事は、あのシスターの好みとはかけ離れているし、運良くシスターに喰われても、それで終わりだろう。
人の男など、女に喰われてなんぼである。
後。
徐々に西陽が城を染め上げていくのを眺め。
初めは夕食の同伴を辞退していた執事は、けれど我等の再びの誘いには、
「では、お言葉に甘えて」
と、嬉しそうに宿の食堂へ案内してくれた。
「こちらはトマトとオレンジですが、向こうの、西の国はレモンが名産です」
レモン。
想像するだけで口の中に唾液が溜まる。
筆の先の形をしたパスタに、鴨肉のトマトソースが和えられたものを食べながら。
(美味の)
あむあむ咀嚼していると。
「そちらのお方、ええと『タヌキ様』とお話をできるのは、あなた方のお国では、珍しくないのですか?」
と、濃い色のワインを傾けながら、不思議そうに男に訊ねている。
男は、もそもそ彼女と自分は生まれ育った国が違うと答え、そしてこのタヌキは、タヌキの中でも少し珍しい、特殊な個体らしいと、お約束の会話がなされている。
「あなた方は、ご兄妹ではないのですか?」
そこに驚かれた。
我の男は、どんな場所でも「兄妹」とその場限りの嘘を吐いた方が、無用な好奇心も詮索も交わせるのに、相手に訊ねられた際には、決してそれをしない。
男の無言の微笑みに、
「……深いご事情があるのですね」
この目の前の若造の様に、話の分かる者ばかりでは、決してないのに。
けれども、この物わかりの良さ。
城の方では、案外揉まれているのかもしれない若執事は、
「我々の国が積極的に交流をしているのは、やはり陸続きである国々でありまして」
色々と教えてくれる。
「互いに交流は盛んです。夏は、西の方の海へ、新婚旅行へ行く夫婦が多く、近年は夏場は街が少しだけ閑散としています」
ほほぅ。
「しかし、ですね」
深刻そうに眉が寄る。
ぬ?
「なにやら、西には露出の多い海用の衣服があるらしくて」
水着か。
「夏は、街中でも肌を出す女性がちらほらと出現すると聞き及んでおります」
と、さも「遺憾」的な顔をしている。
若造の癖に。
「暑いのだからよいではないか」
別に全裸で街中を闊歩しているわけでもあるまい。
若執事は、男伝の我の言葉に、また酷い、
『カルチャーショック』
なるものを受けたような顔をし。
「……やはり私には、もっと広い世界の勉強と見識が必要なんですね」
呟くと、あえなく潰れた。
若執事は、なんでもなさそうに飲んでみせていたくせに、酒にはそれほど強くないらしい。
するとどこからともなく宿の人間たちが現れ、笑顔で、さらりと潰れた若執事を拐っていく。
なんぞ手慣れておる。
呆気に取られていると、宿の、これまた偉そうなじじがやってきた。
「お見苦しい姿を、大変失礼いたしました」
男が大丈夫なのかと訊ねたけれど、ここは主に、城にご用のあるお客様たちが優先して部屋を与えられるため、あの若造、いや若執事とも、同僚に近い仕事仲間なのだと言う。
「潰れる姿は初めて見ましたが」
おやの。
その偉そうなじじが、部屋まで送ってくれた。
何か話でもあるのかと思ったけれど、
「……ごゆっくりお休みくださいませ」
男に抱っこされた我にも、千鳥足の狸擬きにも、迫力のある笑みを浮かべてから、そっと扉を閉められた。
風呂の後。
ベッドで男にべたりとしがみつけば、
「どうした?」
「部屋もベッドも広いから落ち着かぬ」
天井も、どうやって掃除しているのかと思うほど高い。
男は声を出さずに笑い、我を強めに胸に抱いてくる。
なんであろうか。
たまにでもなく、こう、近くにいるのに、男が恋しくなる。
男もそれを、我の何かしらを感じているのか。
我が眠るまで、髪を背中をさすり。
「……」
我は心底安心して、深い眠りに就く。